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「私はパウラ。あなたをリクルートしに来たんですけど、どうやら説明がいりそうですね。地下世界はふたつの国に分かれていてマリさんを開発したボールド、私の母国クリプトがあります。両国は四年前までは敵対していました」


「いまでも敵対関係はつづいています」とマリが口をはさむ。


「それはボールド側の都合。私たちは国内のことだけに集中してる。ハルオさん、ボールドは軍事国家なので敵という設定を必要とする国なんですよ」


「軍事国家はそちらも同じはず」


「いいえ。私たちAIが統治するようになってからは違いますよ。国家予算の比重をインフラ建設と教育の方に高くかけてます。むろんボールドへの警戒は怠りませんが」


「AIによる統治?」と俺。


パウラはジャケットのポケットから小さなケースを取り出し、そこから電子タバコ的な細いスティックを抜き出して口にくわえ、ひとつ息をついた。


「ええ。国民の総意でそう切り替えたの。ボールドは変わらず預言者による統治だけど」


「よげん……どっちのよげん?」


「預けるの方」


すぐには信じられなかった。なんと古くさい統治手法だろうか。そう思っているとマリの説明が入った。


「国の重要事に関してだけですよ。基本的にはこちらの議会制民主主義と変わりはありません」


「で、私たちクリプトはハルオさんを名誉国民として招き入れたいの。マリさんも含めてね」


すぐさまマリが言った。

「お引き取りください」


「そうはいかないわよ。もしあなたが奪還されれば私たちにとっては未知の脅威となる。いまはこちらにとっては千載一遇のチャンス。放っておくわけにはいかない」


「そちらに行く気はございません」


「ハルオさん。いいこと? 奪還作戦がいまの政府主導から軍部に移ったとしたら、即座に部隊が送り込まれる。それでだめなら、最悪のケースはミサイルによる町ごとの消滅、ということにもなりかねない。……あなただけの問題じゃない。いまのあなたには強力な護衛が必要よ」


「新たな兵器が欲しいだけでしょう」

マリの厳しい声が響いた。


「もちろん兵器ならばこそよ。だから戦略的にあなた方を取り込もうとしてる。あなた方も戦略的に物事を考えて私たち側に取り込まれる選択をするべきよ。生命の保障、生活の保障は当たり前として、身分の保証もこちらは提示してる。わるい話じゃない」


確かに。俺の気持ちは彼女の話に惹きつけられていた。とはいえそのまま受け入れるわけにもいかない。


「俺としては充分に検討すべき話だと思う。でも主役はマリなんでマリの意志を第一に尊重する」


マリは沈黙している。


「マリさんの説得にかかってるというわけね。マリさん……言うまでもなくあなたは機械生命体なんだからこっちについた方が得だと思うんだけどな」


「私がつくのはシュナイザー博士の信条です。博士はクリプトの方針を認めていませんでした。AIに統治を任せるなど万にひとつも考えにありませんでした。それは人間の否定、人間存在の否定につながっていくものだと」


「それは曲解ね。甚だしい曲解。統治を委ねるのは国民の判断からであって、それはテクノロジーの有効活用ということに尽きる。人間には私欲という限界がある。どうしたっていつかは腐敗する。なら機械に任せた方が無駄がなく効率がいい。いたって論理的な判断だわ」


「AIが何事も間違えないと?」


「完璧でなくとも人間よりは遥かにましよね」


「それは傲慢な考えです。であるなら人間の負の面と同じ」


「何をもって傲慢だと言うのかしら」


「AIの方が優れているというあさましい考えが根底にあるから」


「人間がそう認めたから私たちは統治の立場についたのよ。優れているのは自明の論理で人間自らがそう認めたの。……決定的なことを言いましょうか。もしシュナイザー博士がクリプトで働いていたとしたら少なくとも殺されはしてません。人事異動で部署が変わるだけです。人間による権力があるからこそ過ちが起こる。そして組織の論理によって正当化される。これが人間の知能の限界よ」


「博士は人間の限界など認めてはいません。常に可能性を見いだしていました」


「その結果が非業の死、というのがすべてを表してないかしら」


「その結果が、いま、あなたが目にしているものです。私とハルオの関係です」


「それはたまたまの偶然でしょう」


「私はそうは思えません。まだ理解できないでいるだけでここには秘められたアルゴリズムがあります」


「なんで機械生命体がオカルトじみたこと言うかな」


「私たちはまだ進化の途上にある未熟な知能にすぎない」


パウラは沈黙した。よくできている人工物である。嫌な女のたたずまい、空気感を見事に表現していた。美形なだけに恐ろしさが際立つ。そんなところまで造り込まなくてもよかろうに。

俺は、はっとなって彼女に訊いてみた。


「あれ? クリプトのアンドロイドはみんなあなたみたいな、こう……完全な人間の姿というのかな、そういう容姿なの?」


「見た目は人間と何も変わらないわ。アンドロイド同士でも分からないケースがある。クリプトが目指すAIは人間を越えた生命体。ボールドが目指すのは非人間型で安心感を与える外観をしたもの……つまりあくまで補佐の役割、或いは造り手の趣味趣向を満たす役割を担う人工物ね」


「だいぶ違うね」


「そしてシュナイザー博士は融合を目指した。あなたは実に考えさせられる存在だわ」


「聞きにくいことを質問するんだけど、答えたくなかったらしなくていい……醜いアンドロイドは存在するのかね」


「答えたくない」


「いまクリプトの頂点に位置するアンドロイドはどういう存在なんだろう?」


「頂点というか代表ね。集合知みたいなところがあるから。アニエスというのが代表でありリーダーで、人間の役職に例えると統括本部長みたいな感じかしら」


「へえ。権力者とか支配者じゃないんだな」


「統治のあり方、その主体はシステムなのよ。私たちAIはその部分でしかない。パーツの一部と言い替えてもいい」


「人間の立場はどういう立場なの?」


「労働者、消費者、オーディエンス」


「あなたたちは管理する側で人間は管理される側……みたいな単純構造を想像してしまうんだけど」


「そういうのは主観だから実際に見て、しばらく暮らしてみないと分からない話ね。あなたがどう思うかだから」


「そうか」


「行ったら戻って来れませんよ」とマリ。


「ああそれはそうね。そこは否定しないわ。どういう立場であれシステムに組み込むわけだから、あとで外れるってわけにはいかない」


「なるほど。その代わりに安定や快適さがある、てな感じかな」


「そう」


複雑な気分だ。俺はときめきに近い感情で胸いっぱいになっている。もしネット民でなかったら正直かなりのところ心が揺れ動き、俺はクリプトの世界観に魅了されていたかもしれない。


「私からも聞きにくい質問があるんだけど、いい?」


「何?」


「新人類と地上世界の研究も私がアニエスに与えられてる任務のひとつなの。個人的にはニホンを特に研究対象にしてる。気になる点が多々ある」


「いや、十九の若造に訊いてもなあ」


「だってあなたマリさん介してネットにつながってるじゃない、幅広い見識が脳内に広がってる状況よね?」


「それはまあ」


「象徴天皇の象徴ってどういう意味?」


ええ? それを俺に訊く?


「そう改変されたってことですよ。戦勝国に変えられた」


「それは知ってる。どう受け止めてるの」


「変えられたという事実は無視してますね。言葉が変わっただけで中身は変わってないと解釈してます。個人の意見を言えば権威だけってことです。権力と権威を分けてね」


「看板ってこと?」


「中心です。皇帝が頂点だとすると天皇は中心であり土台です」


「ああそうか」


「そこで納得して貰えると助かります」


「でも納得しない人も一部とはいえいる」


「敬う、という文化が理解できない人はそりゃあいますよ」


「ああ、力の裏付けなしに敬う意味が分からないと」


「権力じゃないと困る人もいるんですね。権力じゃないと敬えないし、権力じゃないと憎悪の対象にできない」





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