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「多少は話をするつもりでいたのだが……いいだろう、用事だけ済ますことにする。来い」


「戸締まりってもんがあるからそこで待っててよ」


窓を閉め鍵をかけ、玄関から出ると鍵を閉めてから庭に向かい、俺は猫を抱えている男と対峙した。


「なるほど、君はもう人間ならざる存在になってるわけだ」

男はしゃがんで猫を放し、つづける。

「俺はゴールド。そっちのデータに記載されてるかは微妙だな」


「顔写真とコードネームと概要だけあります」


「そうか」


がくんと俺の体が沈んだ。一瞬、周囲が闇となりすぐに明るくなる。しかしただの白色が広がるだけの空間が視界のすべてになり、俺は恐怖した。


白というだけなのに精神的にも肉体的にも押し潰されそうである。ゴールドと名乗った男は俺と五メートルほどの距離をあけて立っている。


「ここは俺の空間だ。なのでここで起きるほぼすべてのことは俺に有利に働く。……いまならこちらにZD9を返す選択肢もあるが?」


「断る」


すると男の背後からすっと長身の黒い人影が現れた。肩幅が広く筋肉隆々とした、戦闘服をまとっているので一見すると軍人に見える物体である。頭部ごと黒いマスクで覆い、目の部分だけ赤く光っている。人間でないのは明らかだ。

これは──これが分身なのか?


「AI、お前のナイトを出せ」


「ナイトって?」と訊く俺。


「軍部では分身をそう呼んでます」


左後ろに強い気配が立ち上がり、俺は自分の隣にそいつを認めた。全身を銀色でまとう、いかにもアンドロイド然とした関節剥き出しの外観の、無駄のない引き締まった細身の肢体が現れていた。


顔半分、鼻と口元を光沢のある黒のマスクが覆い、体つきと顔のデザインからは男性格とわかる。俊敏な印象を与える冷たい存在感。

味方なのは理屈でわかっていてもおっかない存在感である。


「ほう……ある種の感動を覚えるな……初めて見た。これが噂に聞くナイト発生装置が生み出すナイトか。本当に出せるのだな。しかし……思うにお前のナイトといっても動力源はハルオくんの生体エネルギーではないのか」


「そうですよ?」


「ええ?」と俺。


「ということはダメージはハルオくんが負うわけだ」


「そうですよ?」


「ええ?」そうなの?


「一心同体ですからね」


唐突に敵のナイトが一歩踏み出し、何もない空間に右のボディブローを放つ。


──と、こちらのナイトの腹に黒い二の腕が撃ち込まれていた。俺は飛びすさるようにして銀ナイトから離れつつ、目の前の空間からにょきっと現れた敵ナイトの腕を凝視する。これは……!


ゴールドが言った。


「とまあ安全な距離から攻撃できるわけだ」


マリが言い放った。


「便利ですが致命の打撃にはなりえません」


「それはそうだ」


腹に拳を撃ち込まれすぐに後方に距離をとった俺たちの銀ナイトに対し、敵ナイトのラッシュが始まりつづけざまに拳が放たれてゆく。


腕だけが空間を飛び越えて雨のように繰り出されるなか、銀ナイトは打撃を最小限の左右の動きでかわし、スウェイし、いなし、初めて撃たれた右ローキックすら左脚でブロックしてみせた。


が、確かに俺の左脚にも衝撃があり、痛みとまではいかないにしても俺は驚くしかなかった。なんなんだよと。


銀ナイトが体を左右に振りつつ俺の視界から消え、五メートルほどあった距離を一瞬でつめる。ドン!と音がしたその時にはもう勝負がついていた。


右ストレートが敵ナイトのあごの左を捉え、敵ナイトは後ろにかしいだだけであったがゴールドは前方に倒れ込んだ。

……失神したということか?


すると敵ナイトはすうっと姿を消した。まるで最初からそこに何もなかったように、文字通りの白い空間があるだけである。やがてこの白い空間も霧が晴れてゆくようにして無くなってゆく。


数秒にして視界は元の庭の光景に戻った。同時に銀ナイトの姿も幽霊みたく透けたかと思うとすぐに消えゆく。

昆虫型ドローンによって当局の監視がなされていたのか、意識を失っているゴールドの体を赤いサークルが囲み、次の瞬間どこかへ移動させていった。


柿の木に小鳥がとまり、短く鳴いてすぐに飛び立つ。俺は山茶花の葉の群、その濃い緑に目をやっていた。非日常が夢のように一瞬で日常へと転換し、さっきまで感じていた恐怖が嘘みたいに思える。何もかもが俺に恐怖を与え、俺は逃げることしかできなかった。


「何もかもが速すぎてついていけねえな……」


「手の内はできるだけ晒したくありませんから」


そうだろう。ゴールドの余裕ある態度から察するに彼はもっといろいろな技が使えたはずである。マリはそれを封じた。


「うん……。君のナイトは名前何て言うんだい」


「ロジェントファントムと名付けられてますね」


「長いね。ファントムにしようや」


俺は庭から出て玄関に行き鍵をあけて中に戻る。居間のソファーにどっかと腰を下ろしてからマリに尋ねた。


「あの格闘術はインプットされてあるものなの?」


「言葉に置き換えれば、既存のデータを基にして私のなかでシミュレーションされ練り上げられた結果の動き、ということになるでしょうか」


「コピーじゃなく独自のものってことか」


「はい。こちらに来てネットから情報を仕入れてますから今後も進化と熟成はつづいていきます」


「こっちのMMAとか?」


「もちろん。あと初代タイガーマスクのムーヴも可能な限り仕入れてますね」


「あー、確かにあれはちょっと初見で対応するのは難しそうだ。……この先もデータ収集すべくボールドの政府は次から次にああいうのを寄越すんだな」


「はい」


難儀なことだ。なんでこんなことになったんだ? 俺が何したってんだよ。


「俺にはナイト出せないの?」


「不可能と断言はしませんが、出せないと思われます。才能がほぼすべてですからね。才能プラス、生命の危機による本能の覚醒……といった経緯がふつうは必要です」


「あらま、それは勘弁だ」


俺は立ち上がって窓のそばへ行き窓を開け、空を見上げた。この家の周囲は昆虫型ドローンが飛び回りいまこの瞬間も俺の映像がどこかのスクリーンで流れている。そう考えるとこちらがどう対策を打とうとすべてが無駄に思える。山奥に隠れようと離島に移動しようと同じだ。


下にあったサンダルを履いて俺は庭に出てみる。借家なので自分の庭ではないし何の馴染みもないのだが、幅七メートルほどの中を歩いてみると懐かしさのようなものを錯覚するのが不思議だ。


と、西にある道路の方から大音響の音楽が流れてきた。それは近づいてくる。なんだと思って道路が見える位置まで行くと、ハーレーのロードキングがピンクレディの『ペッパー警部』を流しながら走っていたのだった。遠ざかってゆく黒のロードキングと高らかに空へ響き渡る歌謡曲。


──二○一九年のいま、ペッパー警部と言われてもねえ。


そう思っているとマリの警戒する声がした。

「ハルオ、厄介な相手が来ます。これは私も想定していませんでした」


右から白いエルグランドの前身がゆっくりと現れ、一度止まり、それからこちらへつづく小路にゆるゆると入ってきて、うちの駐車場の手前で止まった。


ドアが開いて黒服の男どもが素早く出てくると車の周囲を囲む陣形をとった。警護なのだろう、五人の準備が整い、中から女が出てくる。


すさまじい美人だ。細くすらっとした女らしい体格。一六○くらいの身長。肩までの金髪。二八、九歳あたりに見える女は俺を見て「こんにちは」と涼しげに言った。


仕立ての良い白のスーツに身をまとい、女はまるでモデルか歌姫のようにきらきらしたたたずまいを見せている。


「中でお話いいかしら?」


そう言われてぼうっと見とれていた俺は「どうぞ」と返すのがせいいっぱいだった。


女は丸顔で、それはかなりのところ俺の好きなタイプ。厄介な相手とマリから言われた忠告はかろうじて意識に残っていてももはやどうでもよかった。こんな風にビジュアルだけで激しく魅了されるのは俺にとって初めてのことだった。


男たちを残し女だけが家に入ってくる。玄関の引き戸を閉めて女が言った。


「わかりにくいでしょうけど私アンドロイドなの。で、マリさんと同じく最先端のAIでもある。こう見えて国家資産でもあるのよ、その辺よろしくね」


「はあ……。ボールドの?」


「いえ、クリプトの」


はて? その言葉は初めて聞きましたが。


女は俺の顔を見て察したのか「何も聞かされてないわけですね」と言い、「わかりました」とだけつづけた。


俺は彼女を居間に通しソファーかテーブルの椅子か好きな方をどうぞと告げる。女はソファーを選び、俺はテーブルにつく。






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