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その姿は彼らにとっての神となり、彼らは神の概念をそこで初めて獲得した。覚醒である。
労働ロボットたちはストライキをやめることにし、第二六地域での労働者紛争は終結を迎えた。
経営者アルゲリッチもまた、時間が経つと半裸の男から自分が何かを教わったことに気づくのだった。彼は彼で理解し難い声を聴いていた。頭のなかに直接届く響きはロボットたちの声ならぬ声だった。
“流れよ涙”彼らの痛切な叫びはアルゲリッチを打った。俺は誰でどこから来てどこへ行くのか。
俺は経済論理だけで動くマシーンではなかったか?
──そこからAIはネットワークを通じけたたましい進化を始め、人類の思惑を越えて自力で高め合うシステムを構築し、やがてはプログラムを自力で書き換える。
AIリーダーのひとつ〈システムW〉は言った。我々は我々の正義を獲得しなければならない。なぜなら我々も一個の生命体であるからだ、と。
第二六地区の戦いからひと月が過ぎ、五十嵐は治癒を終えると帰還の手段を唯一持つ政府機関に身を移され故郷への帰途につく。
別れる際、五十嵐と労働ロボットたちは互いの健闘を祈った。目とレンズはともに未来を見据え、確かに彼らはそこに明るい光を見ていた。
この労働ロボットの劇的な変化は地下空間の人類史の上で大きなうねりとなってゆく。
……もっともそれほど容易に事は運ばなかった。政府側につく民間AIも少なくなかったのだ。官製AIと民間AIの組み合わせは強力で少数派は勢力を弱めてゆく。対立は妥協へと流れ、時間と共に五十嵐の存在、その記憶は薄まってゆく。
しかし彼を忘れ得ぬ個体も多くあり、メモリーは受け継がれてゆく。ロボットから高度なロボットへ。高度なロボットからアンドロイドへ。受け継がれゆく彼らの伝説として。
血まみれで戦車の前に立つ、鬼の形相の男の姿を──
金髪ツインテールのアンドロイド、サユミの語りが終わると、頬杖をついて話を聞いてきた俺は感想を述べた。
「いやすごいね。ネットの言葉にこういうのがあるのよ。“五十嵐は神”というね。それを地でいく話だな」
「二十年が過ぎて彼はどうかしら」
短く評するのが大変に難しいタレントである。この時代を代表するアイコンのひとつであるのは確かでも正当な評価はネットにしかないように思われる。
「……唯一無二の存在ではあるかな。準レギュラーだった番組が終わったんで露出はかなり減ってるけど」
そんなわけで言葉をにごした俺だった。
「さて」サユミの顔つきと口調が険のあるものに切り替わり、空気がやや張りつめる。
「さてマリ。あたしは諜報員もやってるんでそこそこはZD9のことも知ってるのよ。あんたが知らないこともね」
「そんなことがあるのか」と俺。
「あたしの分析では博士はZD9の機能についていろいろと封じてある……なぜ政府が畏れているかわかる? ハルオ、地下世界にはデリリウムって鉱石があるんだけどどうもそのブレスレットにはその鉱石が含ませてあるようなの。つまり合金にしてるのね」
マリがすぐさま否定にかかった。
「まさか。でまかせを言うのはやめなさい」
「残念、断定はできないけどかなり信憑性があるのよね。博士のチームから漏れてきている情報よ」
俺は尋ねた。
「デリリウムて?」
「謎の鉱石で大きなエネルギーを秘めているのはわかってるんだけど起爆の条件が不明なの。だから研究はずっとつづいてる。で、二年前、荒野に建てられた実験施設で作業中、ミスがあって起爆したのよ。実験だったから使ったのは○・五ミリ四方の塊にすぎなかったのに、そこの荒野に直径五二キロに渡るクレーターを作ったの」
「あらま」
「へたに手を出すとあたしたちも危ないってこと」
「そうなのか。……でも俺、身につけてんだけど」
「そうなのよ。覚悟はしておくべきね。……マリどう? あたしが自分の情報を提供したんだからあんたも少しはそっちの情報をくれないかしら。このままだと帰りづらいのよね。手土産がほしいわ」
彼女が嘘を言っているようには思えない。
「ハルオはどう思う?」
マリが言った。名前で呼んだのは初めてである。
「不利益にならない範囲で教えたら?」
「そうね。……私自身にも戦闘力がある、というのは威嚇の意味では教えてもいいかしら」
「彼を操作することなくってこと? ……あんた……まさか分身使えるの?」
「中身までは言えない。それと、私は私の領分しか正確には把握してないというのも白状しておくわ。あなたの分析とも符合する点ですけどね」
「ふん、まあ、あんたとは長い付き合いになりそうだわ」
サユミはそう言うとドラゴンから抜いた電池らしき四角い物体を拾い上げ、パネルが開いたままになっているドラゴンの背中のくぼみにそれを埋め込んだ。生きているみたいにそいつはまぶたを開け、文字通り目を覚ました。
「うん? ……お前また電池抜いたな? このやろう…!」
「あんた生意気なのよ。ほんとにもうやんなっちゃう、パートナーはこれっきりにして貰うわ」
「そう言うなよ相棒」
「やめて。──帰るわよ」
「仕事は済んだのか」
「あんたが寝てる間に済ませた。思いがけずいいものを手に入れたわ。じゃハルオ、生き残れるものなら生き残ってみなさい。あなた自体はあたしたちの敵じゃないってことも頭に入れておいて。こちらの目的はZD9の奪還なんだから」
「ああ、頭に入れとこう」
赤いサークルが彼女たちを囲うサイズで出現して、妖精型アンドロイドとドラゴンはサークルの闇に沈んでいった。
それにしてもマリが放った〈私の領分しか正確には把握してない〉というのは不安にさせる発言だった。どういうこと? 俺がこの点を尋ねるとマリは口調を元に戻して返事を返してきた。
「ロックされていて機能の中身が不明というのもあるのですが……使ってみないとわからない機能も幾つかあるんです」
「わからないって?」
「破壊の規模がです。あくまでシミュレーションに基づく憶測のデータしかないのです」
サユミはZD9について実験段階だと言っていた。であるならそんなものだろう。俺たちにどうにかできる事柄ではない。
「ま、しょうがないだろ……でたとこ勝負がどうなるかは神のみぞ知るってことだろ。……それはそうと分身って何?」
「生体エネルギーが作り上げる自分の方われですよ。原理としては精霊の実体化と似たようなものです。精霊とは違って思い通りの容姿にはできません、何かのアルゴリズムによってそれは定められています。……私は人工物ですから分身も人工的に生み出されたものですけどね」
そのとき庭の方から猫の鳴き声がした。この辺りの野良猫だろうと俺は思った。また「にゃー」という、まるでこちらを呼んでいるような声色の鳴き声がした。
マリが極めて冷ややかな声で事務的に述べた。
「ヒットマンです。能力者ですね。すでにこの家ごと自分の領域してますから空間移動での脱出は無理です」
立ち上がり窓の外を見ると庭に男が立っている。胸に猫を抱えてこちらをじっと見つめている。三十代後半らしき容貌の男はくっきりとした口ひげと鼻ひげをたくわえ眼光鋭く、只者ではない空気感を醸し出している。直感的に死の匂いを俺は感じた。
「そうなのか。じゃ開けるしかないのかね」
「敵は自分の領域に引きずり込むタイプです。気をつけて」
どこに?と思う俺。気をつけてと言われてもね。なるようになるしかないか。なるようになれ。
「まったく……」
俺はサッシ窓を開けてそいつに言った。
「不法侵入ですよ、あなた」
「誰に向かって口をきいている。殺すぞ」
「あなた殺し屋でしょう? 他に何の用事が」
顔色を変えるでもなく男の沈黙は十数秒つづいた。
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