5

──二一年前。


収録スタジオの階段から落ちた五十嵐豪は頭を打ち意識を失った。気がつくと彼は巨大な倉庫のような建造物のそばの芝生に寝転がっていた。


黄緑の芝生。建造物の屋内から聞こえてくる足音。彼は動こうとしたが思うように動けなかった。芝生の上をゆっくりと寝返り、しかし這いずることもできずにいた。体を揺らすことで精いっぱい。


「ぐっ……」と声を出して頑張ってみたがどうにもこうにも体が自由にならない。


それを離れたところから見ている影がひとつあり、その影は立ち去るとしばらくして仲間を引き連れて戻ってきた。五十嵐の正装である黒タイツと半裸姿に関して彼らは疑問を抱いていないようだった。


「何者だろう」


「ここの人間じゃないな」


そうした会話が五十嵐の耳に響いてくる。彼が体をひねって声の主を確かめると、そこには彼から見て奇妙な人型の物体が三体、遠巻きに自分を眺めている。


当惑し、観察し、分析を始めているその外観はいわゆる人型ロボットであった。関節むき出しのボディは全体的にライトグレーでまとめられていて、どれもまったく同じ外観をしていた。目鼻口はあるもののデフォルメされたデザインであり、つるっとした印象しか与えない。


「高い確率で迷い人だろう」


一体がそう言い、横たわっている五十嵐に近寄っていった。


「私のメモリーには新人類のデータがある。完全に一致しているわけではないが、あんた地上の人だろう?」


声はどうにか出た。

「地上?」


「天然の昼と夜がある世界。ここは地下なんでいまある光は人工の光なんだよ」


五十嵐は言葉を失った。地下? どういうこと?


「飛ばされた衝撃で体にダメージがあるようだね……見た目大丈夫そうだけど、何が必要だろう? 食料がいるかね?」


ああそれだ。俺はおそろしく腹がへってる。水も飲みたい。五十嵐は少なくとも脳の回路とメンタルについては回復し始めていた。


「ぶしつけで申し訳ないが……何か食べ物と飲み物がほしい……申し訳ない」


「いいよ」と後ろにいる別のロボットがそう言い、「探せばあるはずだ」ともう一体も同調する。

三体は揃ってどこかへ向かい、五分ほど経って彼らは後ろからぞろぞろと同僚を引き連れて戻ってきた。


麻袋に入れて持ってきたブロック型ビスケットの携帯食とゼリー飲料を五十嵐に渡し、五十嵐が寝転がったままそれらにかぶりつくのをじっと見つめている。


最初に声をかけてきた一体が言った。


「いま人間たちは向こうのビルに全員移っててね。控え室にはまだいろいろ常備食がある。……私は五六号。こっちは七二号で隣は四八号」


見分けがつかないよと心のなかでつぶやく五十嵐。


距離をとって見ていたロボットたちが次々に近寄ってきて声をかけてくる。


「あんた名前は何て言うんだい」


「向こうの人類はみんなそういう格好なのか?」


それらを待て待てと制する五六号。五十嵐には驚異であった。彼らの振るまいがまるきり人間のそれだったからだ。


五十嵐は「俺は芸名五十嵐豪……芸人……コメディアンをやってる。本名は剛田文男、佐賀県出身、歳は二九だ」と自己紹介したあと、彼はゆっくりと自分の置かれた状況を把握していった。


「あんた新人類だよな」と七二号が訊いてくる。


「新人類?」


「向こうの世界の住人をこちらではそう呼んでる。ここはあんたにとっては異界。地下空間だよ。たまに地上人が迷い込むんだ」


「……君たちすごいな、ロボットなのに人間みたいだ」


五六号が言った。


「慣れたら何でもなくなる。我々は汎用人型ロボットだが簡易AIを搭載してる」


「そうか」


「でも前の世代だったらあんたを区別できなかったかもしれない。あんたは運がいい」


「どういうこと?」


「ここのところロボットと人間の対立がひどくてね。特にこの地域、第二六地区は頻繁に紛争が起きてる。この工場も例外じゃなくいま現在ストライキで揉めてる最中だ」


彼ら労働ロボットたちは会社側に待遇改善を求めていた。彼らが言うにはロボットにも休憩の時間や休暇の時期が必要なのだと。設計の想定を越える労働では部品の劣化が著しく進むのだ。部品の劣化は自分たちの機能の低下に結びつくので早目の交換を彼らは求めている。


痛みがあるわけではないがセンサーがCPUに逐一報告を上げてくるしノイズも走るのでわずらわしく不満だと。また、二十時間の連続労働であれば二ヶ月ごとのオイル交換が必要なのにこの工場は経営者の判断で交換期間を半年に延ばしているのだと言う。


油圧で動いている彼らにとって、時間の経過により酸化し、性能が低下するオイルの問題は重大だった。耐久性を優先したタイプの労働ロボットでも古いオイルが起こす作動不良や振動問題には敏感で体全体の機能に影響を及ぼすのだ。


「ここから五百メートル先ではデモをやってるよ。バリケードも作ってる。交代しながら運動をつづけてるんだ」


遠く拡声器の音声が五十嵐の耳にも聞こえてきた。


「オイルを換えろ!」


「部品交換しろ!」


「ロボットにも人権を認めろ!」


「我々は消耗品ではない!」


そうしたコールが繰り返されている。


一方、幹部と従業員の全員が集結している役員ビル内では外から響いてくるシュプレヒコールに怒りをたぎらせている男がいた。

経営者アルゲリッチである。


「消耗品だろ!」


腹の肉を揺らして齢六二になる経営者はそう声を荒げた。


「へたに進化させたら贅沢言いやがる……もういい、直接軍部に要請しろ、俺の名前を出していい」


警察にも政府にも救援を打診しているのだがデモは各地域に拡大しているため後回しにされているのだった。が、ここは兵器工場である。軍関係にはOBも含めてパイプがある。アルゲリッチには自信があった。直接要請すれば装甲車と戦車くらいは寄越すはずだと。万一の反乱に備えて銃火器もたっぷり用意してある。軍の協力があればこちらの警備員と従業員たちで反乱ロボットどもの制圧は可能だ。


芝生の上、体を起こすまでに回復した五十嵐に、気を利かせたロボットの一体が控え室にあった会社支給のウインドブレーカーを渡した。光沢のある黒の上着を着て礼を述べる五十嵐。


四八号が言った。


「人間がロボットの進化に対応できてないんだ。メンタルの部分でね」


五六号が言う。


「あんたは人間なんで回復したら会社側に行くのもいい」


「……もしかして目障りかい」


「我々にそういう発想はない。好きにしなってこと」


結論を言えば五十嵐は労働ロボット側につくことに決めるのだった。心の指針が機械生命体であるロボットたちに大きく振れ、彼らを選んでいた。彼が深く感銘を受けたのはロボットたちのプログラムにナショナリズムがインプットされてあることだった。彼らは国に貢献という言葉をふつうに使うのだ。我々は国に貢献してきた、我々としては国に貢献したいのに人間側が阻む、といったように。それゆえの経営者に対する反発である。彼らには彼らの、つまりロボットとしての歴史観すら持っている。翻って五十嵐は自分を恥ずかしく感じた。


「俺の母国の社会はナショナリズムなき社会でね。愛社精神なんてものに置き換えて経済成長を求めてきたんだ。ナショナリズムなき社会では自国の歴史も他人事なんだよ。だからほんとの反省もほんとの称賛もできないんだ。それに比べると君らは立派だ。……できれば恩返しをさせてほしい」


五六号は少し間をおいてから抑えた声で言った。


「どうかな。あんたはよその世界の住人といっても人類だ。広い意味で言えば裏切りになるのではないかな」


その場にいた十六体の労働ロボット全員が五十嵐を見つめている。五十嵐は静かに立ち上がり、屈伸運動を行い、自分がほぼ蘇生したことを確認した。


彼は二九にしては薄くなりかけている額の生え際と頭頂部を右手でさすり、少し恥ずかしそうなそぶりを見せた。それから力強い口調でロボットたちに告げた。


「いや、俺はもう運命を受け入れてる。君らに助けられたんだ……この運命を俺自身の意志でもって受け入れる。俺はいまここでそう誓う」


「誓う?」


ロボットたちは隣同士で互いに顔を見合わせている。彼らはその概念がわからないようなので五十嵐は説明した。


「神みたいなものへの約束さ」


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