異世界に現れた元皇帝
一条おかゆ
第一話 栄枯盛衰、帝国の滅亡
(……。意識が朦朧とする、頭が働かない。……私は何をしていたのだろう……)
男は微睡みつつも必死で記憶を思い起こす。感覚の嚆矢は、腹の底まで響てくる轟音と鼻をつんざくような鋭い匂い。それに伴い徐々に意識と記憶が頭に張り付いてくる。
(まるで大砲の音と、硝煙の匂いだな……私は戦争でもしていたのか?)
男は夢か現実かすら覚束ない情報を頼りに状況を認識しようとする。
(戦争をしていたとするなら戦地にいた可能性が高い、大砲があるとするなら攻城戦の類であろう……。そうだ、私は城にいたはずだ……)
小さな記憶を契機に、薄いフィルターがかかったかのような曖昧模糊な景色ではあるが、男の脳裏に場景が蘇った。
(ここは……屋外、か?)
風が男の頬をさする、足裏の土は固い。空は一面に灰色の天蓋が覆っているかのようだ。しかし静穏な自然に抗うかように、彼方より大砲の音が轟き、至る所で怒号が飛び交う。
男の左手には盾が、右手には剣が把持され、その身体には子供を背負っているかのような感覚。
(身体が重い……のは、鎧を着ているからか。それより周囲の様子は……?)
前方では高く、厚く、積み上げられた白い石壁が壁の内側と外の世界を遮っており、戦場故かその上部や袂を色取り取りの人間達が忙しなく動き回っている。
(……どうやら私は防衛側だったようだな。壁の高さは大人4人分ってところか。もし気のせいでないなら、かなりボロボロなのではないか?)
堂々たる白壁は所々栗のような穴を毀たれ、下部は緑がかった黒に変色、城壁塔に関しては雨ざらしに内部を曝け出している。
(あの壁では助けがいるだろう。……ここから壁へは100歩あれば辿り着くな)
男は壁への距離を無意識に測るが、その思量する距離以上に壁へは遠い。何故なら彼我を隔てる地には積み立てられた木材や石材、既に壊れた武具が転がり、その隙間を縫うように荒い呼吸と鈍い呻きを繰り返す者、頻りに痛みを訴える者、または力なくその双眸が地より離れない者が次々と送致され行くからである。その道すがら、所々に姿を見せる雑草は既に赤く、その色は土にまで伝わっていた。
その惨状には男も顔を逸らさざるを得ない。
(城内の状況は芳しくないな。どうすればいい?いや、それ以前にそもそも私は何をしていた? ここは―――)
「大将!! どうしたんですか? この期に及んで怖気づいてしまったんですかい?」
突如背後から声を掛けられ、男は反射的に振り向いた。その眼に映るのは、獲物を睨め付ける狩人のような面持ちをした頑健な戦士達であった。
全員が鎖で編まれたチェインメイルや金属板を重ね合わせたラメラーアーマーに身を包み佩剣し、首から腰までが収まるアイロン形の盾を左手に、長槍や斧を右手に携えている。中には投げ槍や手斧だけを何十本と両脇に抱える者も存在し、彼らでさえその体格は隆々たるものだ。
(大将?私は彼らの指揮官なのか……?)
「大将がここと一緒に死ぬとか言い出したんですぜ。……しかしまぁ、大将がまだ生きたい、とか言うなら今のうちですぜ」
「我は神に都を与えられし存在である。ここで息を長らえればその栄誉は地に落ちるであろう。貴様らこそ命が惜しいならば今のうちであるぞ」
(よくこんな取り繕った様な台詞がぽんぽんと出てくるな)
男の紡いだ言葉を受け、戦士達は大口を開けて笑い出す。
「そんなこと言われて、はいそうですか、って引き下がれるわけないですぜ。それに、まだ残っているのは大将にどこまでもお供するって奴らしかいませんぜ」
「そうか、良き部下と良き都、我は何物にも代え難いものを二つも神から賜ったようだな」
「俺たちもあんたが大将でよかったですぜ。―――――様」
戦士の一人が話し終える寸前、これまでに無い轟音が彼の言葉を掻き裂いた。
(私の名は………)
男が目を細め、もどかしさに頭を掻きたくなるのも束の間、
――轟音の原因によって石壁が弾けた。
崩れた落ちたことへの比喩ではなく、徐々に崩れることさえ許されない規模の砲弾が、石壁の寿命を奪いに放たれ、正真正銘石壁が弾けたのである。
破片は矢となり周囲に撒き散らされ、壁は内側へと雪崩れ込む。それと同時に城壁にいた男たちが女々しい叫び声を上げ、壁と共に瓦礫の山へと変貌を遂げた。
男はそのあまりの衝撃に立っていられず、頭を守りつつしゃがみ込むしかなかった。
「くっそ、なんなんだこれ、はっ!」
男の口から情けない声が漏れた。しかし巻き起こる金切り声の中、冷静に自身の恰好を省察し、威厳を保つ為かすぐに手を下ろし腰を上げた。自身の体と、真剣な眼差しになった周りの戦士達の無事を確認し、勇気を振り絞り絶え間無い悲鳴の音源へと顔を向ける。
まず男の目に入るのは夥しく積み重なった瓦礫の山だ。城壁だったものの下からは所々皮膚の剥がれた手や足がだらしなく乱立、瓦礫と瓦礫の隙間からは瑞々しい腸がはみ出し、時間が過ぎると共に周囲の白石を赤く染めていく。
それから山の周囲を見てみると、死ねた者の方が幸せであったかもしれないという考えに男は至った。瓦礫の山の端にて腕を挟まれた者は、その先があらぬ方向に捻じ曲がっているが、必死で引き抜こうと腕を引っ張る、しかしその度に捻じれた前腕から血が噴き出し、苦悶の表情を浮かべている。その間近で臥す者は、左手で腹を抱えてはいるが右手はだらしなく垂れ下がっている、その目は虚ろで、口から定期的に血と吐瀉物の混じった液体を吐いている。他にも血によって顔を覆われ、頬に出来た裂け目へとその血が吸い込まれているのに気付かない者や、地べたに座り、放り出された大腿の熟れたザクロに目から水をやる者、そこでは、大勢が人としての力を失っていた。
男の目は光景を捉えて離れず、足は地をとらえて離れない。右手だけがつよく、つよく、握られていく。しかし頭は冷静に、忘れてはいけない、忘れるべきでない思考を掴んだ。
「親衛隊、傾注!これより我らは突撃を敢行する!」
「「「了解!!」」」
低い、野太い声によって男の足は軽くなる。
(彼らもわかっているはずだ……敵が何の為に壁を壊すかを)
「行くぞ!我に続け!!」
「「「うおぉおぉおぉ」」」
男は背後の雄叫びに押されるように柔らかい地面を蹴り出した。その頭には正義、信頼、誇り、信仰――様々な概念が逡巡する、その度に男は駆けているはずの身体をゆっくりと感じる。
割れた盾の端を踏み、肩を揺らす。
一度剣を収め、右手に張った緊張の糸を解く。
木材を飛び越し、息を荒げる。
それらの動作さえ着実に、確実に、男の頭に焼き付く。
男が五十歩程駆けた頃、後方の頭を割るような益荒男共の声に対し段々と男の前方から音が反響してくる。それは歩みを進めるにつれ大きさを増し、瓦礫の山まであと十歩という頃には、その大音響は壁であった物のすぐ向こうから轟いて来ていた。
「用意!」
男は負けじと声を張り上げる。
一度その場に足を止め、土を突き破ろうとしたであろう拳大の石を除け、二つに折れた槍の片側を拾い上げる。
投げ槍や手斧を手一杯に抱える戦士達は投げ物を眼前に並べ始め、その動態に呼応するかのように他の戦士達はそれらを拾い上げる。
「構え!」
(思い出した、この後どうなるかを・・・)
男は槍を肩の上に掲げた。戦士達もそれに倣う。
全員が顎を上げ、一点を凝視する、瓦礫の山の際を。
「放て!!」
(そうだっ……。私は!)
男の左足は地面に食い込み、伸びた左手は遠くを指し示す。
そして渾身の力で、腕から槍を弾き飛ばそうとする。
(私の……名は!!)
異世界に現れた元皇帝 一条おかゆ @okayuSONMU
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