うつ病患者は考える?

 うつ病患者はひたすらものを考える。本当だ。考えて考えて脳がバーストして〝あかん感じ〟になる。脳のやまいにかかると皺が増えるどころか縮むらしい。やみくもに〝考えること〟を礼賛したって問いのてかたが違えば毒にしかならない。

 身近なものごとに疑問を持たないこと。

 病まずに生きるにはそれが重要だ。

 なるようにしかならないとはいわないが、とりあえずのところいまあるものは、そうなっているからそうなっている。

〝考える〟をしたければ、それはもうどこまでも細かく分けることができる。例えば円山は、コンビニでくじ運がやたらといい。煙草や酒を買いにいっては、都度ポテチやらカフェオレやらスムージーやら引き当てて帰ってくる。これはもう「よかったね。」というか、以上のことはいえないのである。しかし、〝考える〟をしたければなぜ昨日は当たって今日は当たらなかったのか、いくら以上で当たっていくら以下で当たらないとかどこまでも細かく分けられる。パチプロでもないかぎりそんなことを考えることは無意味である。そこに停滞しか生まれないことは、亀に追いつけないアキレスが証明している。

 停滞したくなければ考えなければいい。葛西臨海水族園を泳ぐマグロが(別に海でいいんだけど)

「なんで俺、泳いでんねやろ。」などと考えるだろうか。関西弁なのは円山が最近松本人志の番組ばかり観てるからで気にしないでほしいが、そのうえ

「なんで俺、人間に見られてんのやろ。」などと考えるだろうか。否、考えない。マグロだから。〝そうだから、そう〟なのである。それを考えるのは学者の仕事であって、マグロの仕事ではない。だって、考えたら、馬鹿らしい。泳がなくたって、いいじゃないか。マグロでもいいじゃないか(ああ、やっぱりいってしまった)。そんな結論に至ったマグロは窒息して死ぬが、疑問を抱かなかったマグロは生きられる。

 なんだか非常にくどくどしくなってきたが、とにかく考えなくていいことは、考えなくていい。たいがいのことは、自分以外が考えてくれているから。自分がなぜ生きるのか知りたければ、『君たちはどう生きるか』でも読めばいい。読んだことないけど。

 そりゃあ、きちんと筋道を樹てて解にたどりつける人間が偉いに決まっている。人間が人間であるというだけで尊いとは円山はいえない。否、円山以外は尊いが、円山は尊くない。そこはごめん、うつ病だから。が、偉いと偉くないとにかかわらず、美味いと美味くないとにかかわらず、それはもう、〝そうだから、そう〟なのであってしかたがない。ただ、それをいったらうつ病患者が考えすぎるのも〝しかたがない〟ということになってしまう。

 いまもファミマで当てたスムージーを飲んでいる。

 ごめん。本当はいいちこを飲んでいる。噓をついた。

「なんで?」と、聞かないでほしい円山なのである。

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