うつ病患者は考えすぎる?

 一年半ぶりに髪を切った。商店街の千円カット〝バーバーらい〟である。

 従業員も客もオーバー七十、BGMが演歌、店名が完全に飲み屋という〝場末三拍子〟の揃ったような店だが、何十年もずっとある。一年半前。火曜日に空いている店が近くになく、初めて足を踏み入れた。店長のジジイはまるやまの髪に刃を当てながら、

「兄ちゃんなんの仕事してんの。」

 ……というのは普通に床屋の雑談だが、よく考えたら髪をどう整形するのか訊かれていない。なんで景気よくはさみ入れてんだジジイ。

 ともかく、

「明日が初出社で。」とさりげなく会社ゆきの髪型だと伝えると、しばらくして目をひらいた時には七三分けになっていた。

「七三はサービスだから。」客の困惑をよそに満足げにマルボロに火を点けるジジイ。何しやがるジジイ。何ちょっとハードボイルドなんだくそジジイ。が。年の功というのかなんというのか、その後だれかに会うたびに意外にも「髪、いい感じだね。」と声をかけられることになる。

 と、いうわけでせっかくなので髪が伸びたらここで、と決めていたのであるが、一年半ほったらかしにしていた。天パなのもあって〝確実に無職〟な雰囲気だ。父親からは「伸ばせなくなる前に伸ばしておけ。」と頭を磨きながら鉛のような人生訓をもらったが、忠実に守っていたわけではない。単純に髪を切る気力がなかっただけである。

 散髪は億劫だ。行くことを考えるだけで疲れる。とりわけ精神科医のお墨付きでコミュ障である円山のような人間にとっては、ますますこころの距離が遠い。

 しかし、散髪の面倒くささについてはいまさらここで多くを語らない。とりあえず、これを読んだひとが円山に会う機会があれば、できれば「そうですね。」で済む会話に留めていただきたい。「上が円山で下がまどかですね。」とか。「上が129で下が84ですね。」とか。

 血圧の話はともかく、ネットでコミュ障、コミュ障といわれるが、それは大抵の場合〝軽めの不安障害〟である。不安障害とは何か。というのを説明するとクソだるいので簡単にいえば〝考え過ぎ〟だ。

 不安は未来にたいして生じるものだ。案ずるより産むが易し、というように、案じてもしゃーないことを案じてパニックになってしまう。バーバー来夢に置いてあった『ナニワ金融道』でくわが、

「行く前からあれこれ考えてもどうにもならんで。ワシは何も考えんことにしとんのや。」といっていたが、まったくそのとおり。って、頭ではわかっていてもできないから病なのだけれども。ともかくそうなると、バーバー来夢のように「来る→切る」というもはや動詞だけで成立するハードボイルド加減は、どうしても何かを考えすぎてしまう我々コミュ障を至極単純で健全な図式に戻してくれるような気がしてくるのである。

 会社を辞めた今、七三にされようがナニワ金融道のような(しつこい)パンチにされようが面白いだけで怖くはない。そもそも、伸び放題で髪型と呼べるようなものもない。ってわけで案の定注文も取られずに切られていると十分ほどして、

「兄ちゃん、ヤマトタケルノミコトに似てるね。」

 おい何しやがったジジイ。さすがにビビって目をひらくと、意外にもそこにあったのは「このままで短く。」的無難な髪型であった。

「杖、持ったらカラスが飛んでくるんじゃねえの。」訳がわからない。

 ジジイは上機嫌にマルボロをくわえると、

「なんてった、ほら、サッカーのマークになってる……。」

「ヤタガラスですか。」(←コミュ障はこういうことはよく知っている)

「ああ……。」

 なぜか途端に下を向き、シャンプー台の引き出しに雑に散らばった釣り銭を取りだすジジイ。

 前言撤回。普通の店が楽だった気がする。最終的に思考停止しつつ、ヤマトタケルノミコトみたいな頭(って、何)で店をあとにした円山であったという。

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