うつ病患者は怒られる?

 前回、ナンバープレートを二度も紛失して心が折れたと述べたが、ちょうどその数日後、まるやまは主治医にわかりやすく𠮟られていた。

「どうしておとなしくできないの?」

 T医師はため息をつく。

 円山はなにも診察室で走り回ったとか、他人のおもちゃをほしがったとかいうわけではない。

 主治医のT医師は〝きっぱり〟〝はっきり〟に〝食い気味〟を足したような性格の女性で、診察の際にこちらがすこしでも口ごもろうものなら

「はい終了ー。」と、まあそんないいかたはしないが、かなりいらいらと会話の締めにはいる傾向がある。

 悪くいえばせっかち、よくいえば竹を割った性格とでもいうのだろうか。つっても説明でしか伝わらないやまいを相手に、そうそう締められてはたまらない。円山も前日から台本を頭で反復するなどの努力のうえ、

「あと。」とか

「じつは。」とか

「からの。」とか接続詞を多用して応戦するわけだが、結局毎週毎週「俺、竹?」と、まっぷたつに割られて診察室をあとにするのであった(カルテに「こちらの出方をうかがっている」と書かれていた。そりゃうかがうよ!)。

 当時円山は会社の仕事とは別にデザインの依頼を数件引き受けており、またそれが〝起業を考えている四十代スピリチュアル系女子〟というえらくピンポイントな層をターゲットにした仕事で、あまりに自分の中にひきだしがない世界すぎて若干疲弊していた。

 ようするに、がんばっていたのである。

 前回も述べたが、うつ病の人間に「がんばれ。」は鉄板で地雷だ。他人にいってはいけないことは、自分にもいってはいけない。

 とはいえ「まどかくんが引き受けてくれなければ企画がぽしゃる。」とまでいわれたら(それが方便であれ)ついつい引き受けてしまうのが人情というもの。ただ医者にすればそうもゆかないようで、

「いいから休めよ。」とT医師はおっしゃる。

「会社もいいかげん休みなさいよ。」

 ああ、なんか見覚えのある感じだと思ったら、あれだ。あれはの夏。『円山さん、私いいっていいましたっけ? ねえ。』脳梗塞で倒れた父が病院の便所で煙草をっていることを知った時の看護師の表情だ。『はは、すんまへん。』人間五十も越えると開き直ってくるらしい。やっていることは中学生だが。

「大体、こんな状態でいいものがつくれるわけないでしょ。」

「ごもっとも……。」

「はい、じゃあ来週ね。」(←いいよどんだので締め)

 こうしてその日も力なく精神科を後にしたのである。漫画ならコマに木の葉が舞っている場面だ。とりあえずT医師は円山ごのみの美人であり、

「美人に𠮟られて治療にもなるならいいか……。」と無茶な理屈で自分を納得させるのだが、はたから見れば不気味である。

 話はさらに続く。困ったことに、その週の土日に神戸に出張がはいってしまった。

 ここまでが前回のナンバープレートの紛失から一本で起こっているのであり、さらに出張の旅程が原付で早朝に出社→社用車で神戸→仕事→社用車で帰社→原付で帰宅、のトライアスロン。当然帰宅は真夜中だ。

 翌日、代休の朝に原付をとろとろと運転しながら、ああ、なんか怒られそう。と思ったのはいうまでもない。

「なんでいうこと聞かないんですか?」ほら怒られた。

「いや……、仕事だし……。」

「わかりました。診断書をだします。」(←いいよどんだので締め)

 その時のここいちばんに〝食い気味〟なセリフはよく覚えている。

「ドクターストップなんですからね? 強制ですよ? これ、書いた瞬間から効力があるんですからね? 明日には提出してくださいね。わかりますか? 働けない証明なんですからね? あなたほっとくと働くでしょ? 私がこれを書いた以上は働かないでくださいね? わかると思うけど小説とかデザインとかも駄目ですよ? いいですね?」

「え? え?」

「はいお大事に。」(←いいよどんだので……もういいか、戸惑う暇もなく待合室で待機。受付で〝緘〟と意味は知らないが威圧的な漢字の書かれた封筒を渡されたのである。

 ところでややこしいことに、弊社の社長は精神科医が嫌いである。

「皿洗いのバイトじゃないんだから、その先生こそ円山くんを舐めてんじゃねえのか。」

 ああ……、どっちのいいぶんもわかる。「円山くんに怒ってるわけじゃないから。」の気まずさよ。なんで病院でも会社でもちっちゃくならなければならんのか。ともかく診断書の効果は絶大で、その週で出社は最後、というような状態になったのである。

 最後の出社の翌日、T医師のもとへ向かうと

「ようし、いいね、本格的に治療をはじめられそうだね。」彼女のわくわくした表情を見たのはこれが最初でである。PCに忙しなくなにかを書きこむと、

「今、ケースワーカーを呼びますから。明日から週五でリハビリに通ってくださいね。」ちょっと待て。

「あの、どうせなら休みたいんですけど。」

「いちおう聞くけど、どのくらい?」

「……一週間くらい?」

「駄目。」きっぱり。「生活リズム狂いますから。」

みっ、……ふつ……」

 円山は病気で退職したのであって、ライザップに入会したのではない。

「あと私産休にはいるので、次回からK先生に引き継ぎますから。」お前治療せんのかい。

 なるほど、苛々していたのは妊娠していたこともあるのか? めでたい。めでたいが、なんというのか。同時に限りなく腑に落ちないものをおぼえつつ、人生でそう何度もないであろう〝寝坊しても怒られない平日の朝のだらしなさ〟を味わうこともなく、円山の令和はフルタイムのリハビリ生活で幕をあけたのである。

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