第21話 名前の後ろ


 話を振られた圭はしばらく黙って美織とりょうを見る。


「……沙雪は、魔力感知が得意そうだよな」

「え、何よ急に」

「あの学校にどれぐらい魔術師がいて、派閥がどれぐらいあるか分かるものなのか?」


 沙雪は警戒した表情で圭を見返す。

 話の流れが見えないし、どこまで『雪波』が持つ情報を開示して良いのかも現時点では定められるものではない。


「……言っておくけど、あたしの感知は”それなり”よ。誰が魔女かとか、何人いるかなんてことは分からないわ」

「分かってたとしても簡単には教えられない、か」

「…大事な情報よ。でも、そうね、明らかに分かっているグループについてだけ教えてあげる。まず一年には、三つあるわ。二年を中心に混合の大きいのが一つあって、そこには一年も何人か入ってる。あと、三年生には分かってるだけで四つ」

「『お山』の数より多いじゃんか」

「まあそれはね。分かるでしょ?」

「…ふん。まあ、クラスにいる『只人』っぽい女子にしたって、何やかやがあるみたいだしな」

「あら。女は面倒だ、みたいに言うのね」


 特に逆なでしたい訳ではないのだが、ここだけは乾いた笑いを返してしまう。


「まるで違うみたいに言うんだな」


 沙雪は一瞬怒ったような目で圭を睨んだが、「…ま、魔士は魔士で、魔女達には色々思うところもある人はいるんでしょうね。ただ気を付けないと、本気で争ってるところはあるし、大怪我も出てるわ」と忠告した。


「君らも、一年のひとつなのか?」

「入れてないわ。『雪波』から来てるのあたしたちだけだし、今のところ何処かに加わったりするつもりもない」

「ふーん」

「ねえ、結局、目的って聞けてないんだけど。教えてくれる約束でしょう?」


 苛立ちをはらんだ声音で沙雪が問いただす。

 圭は息をつく。確かに、圭が交わしたものではなかったとはいえ、約束は約束だ。

 それにまあ、考えてみると魔士だと分かってしまった今、自分のスタンスを説明しておくのはそれほど悪いことでもないような気がした。


「……はっきり言うと、俺は、別段魔女とか、魔女の派閥争いとかには正直関わり合いたくない。……加わるつもりも、作るつもりもない」


 沙雪は圭の言葉を吟味する間、睨むように彼のことを見ていた。そして、確認のつもりか美織の方を向く。

 圭も合わせてそちらを見てやるが、何故か鼻先を摘まんで引っ張って遊んでいる、元”冷涼な魔女”がそこにいるだけだった。


「ま、『お山』にいる婆さんとか、そこの美織とかは少し違うかもしれないみたいだけどな」

「どうゆうこと?」沙雪の問いに、圭は肩を竦める。

「もっと魔女と関わってこいって、彼女らは思ってそうだってことさ」

「……魔女と関わるとか関わらないとかじゃなくて、あたしはここに来た目的を聞いてるんだけど」


 上手く伝えられるような言葉を探した圭だが、表現を変えたところで相手が簡単に信じなそうなことには変わりがない。結局シンプルにありのままを伝えることにした。


「それしか、言われてないんだ」

「え」

「『お山』にいる婆さんとの話では、『逆武者修行』ってことになってる」

「『逆武者修行』?」

「俺は『紅仙山』から出たことがなかったから」

「ん…と。まだよく分からないんだけど、『武者修行』って言葉からすると、関わらないどころか色んな魔女と戦うってことになるんじゃないかしら」

「他の魔女や魔士が『只人』と暮らしてる中で、周りがどんなだか眺めながら暮らしてみる、ぐらいのつもりだったよ。自分に必要な鍛錬は自分一人で積むべきだし、『お山』のランク付けなんて、俺には関係ないしな」


 圭はそこでお茶を飲み、今度は鼻をぐりぐりと回し始めた美織のことをちらりと見た。


「まあでもこいつとか・・はやいのやいの言うし、俺も今はもう少し、色々考えなきゃいけないかもな、って思い出してるところか。学内の派閥争いに積極的じゃないことは、変わらないけど。君らも一緒なのか?」

「……」

「そっちのが俺としては助かるけど」

「そう、ね。そうよ。さっきも言ったけど『雪波』も、派閥争いには興味はない」

「何か他に目的が?」

「……」


 沙雪は口を噤む。圭はもう一度肩を竦めた。

 その時、黙って聞いていたりょうが口を開いた。


「お前が、ここに引っ越してきた理由は?」

「ここ?」

「この場所にってこと。この家に」

「それは、俺は知らないな。美織?」


 圭が美織に視線を移す。家を決めて来たのは美織で、圭はメールに書かれた住所に従って来ただけなのだ。


「んー? 美織ちゃんもここって言われただけだよー。だって、ここ、ずっと昔から『紅仙』のお家だし?」

「え……」

「まー、あたしも来たのは初めてだけども。二人が気にしてんのが莉緒ちゃん家のお隣さんってことなんだったら、むしろ、莉緒ちゃんが後からあそこに越して来たんじゃないのかなー?」


 美織が言いながら、少し意地悪そうに沙雪を見る。


「ま、そっちにとったら調べようがないだろけどねー。ほら、この和洋折衷の作りも、『紅仙』好みと外の客向け用とに対応してんじゃないの? ここって、人を迎えるための家だったのかもねえ」

「あ……そう、なんですか……」


 なるほどな、と圭は思う。外の『お山』との交渉や情報交換などに用いるため、相手にとって警戒が要らない『紅仙』の外、かつ魔女向けに『溜まり』に用意した家ということか。


「たーぶーんーー」


 やにわに美織が立ち上がり、止める間もなく座卓の上に足を乗せてそのまま中央を突っ切って行った。

 沙雪とりょうが目を丸くする。


 美織は踵が当たる固い音を響かせながら座卓の反対側まで行って、床の間へと飛び降り、そこに掛けられていた紅白梅と鶯の掛け軸をひっくり返した。


「ほらっちゃ!」


 掛け軸の裏にあったのは、炎の中から立ち昇るようにして太い鎌首をもたげ、絵の中からこちら側を睨みつけている大蛇の毛筆画だった。


 ――『カイナノオロチ』


 かつて大きな町を包み込んだ大火の中から生じたと言われている大蛇だ。

 それぞれの『お山』には、アイコンとも言うべき、各山ごとで神獣として掲げる動物がある。魔術師であるならばそれぞれの『お山』で何を御印にしているかというのは基本中の基本ともいえる常識だった。

 そして床の間の掛け軸に書かれていた大蛇は、『紅仙山』を表すもの。


「でもこれじゃ証拠にはなんないっかー。美織ちゃんが持って来て掛けたって言われたらそれまでだし。ま、そこらへんは信じてもらうしかないねー」

「そう、ですね。……でも、ある程度は安心しました。あ、圭君が来た理由はさっき聞いたものだとしても、美織さんは、なぜこちらへ?」

「圭君のおまけー。保護者?」

「どっちがだ」と圭は美織の目線を睨んで返す。


 ぬっふふーと美織が笑う中、りょうが言葉を挟んだ。


「結野、お前は、りっちのことどう思ってんだよ」

「ん?」


 見ると、教室で見たような強い視線で圭を睨んでいる。


「普通に、最近出会った、性格のいい子だと思ってるぞ? あとご飯がうまい。今のところ、それだけだ」

「今のところ?」

「まだ碌に話してないしな。随分気にするな?」

「怪しいんだよお前。りっち可愛いから、お前みたいな奴が落とそうとか騙そうとか食い物にしてやろうとか……」


 圭はお茶を拭きそうになった。


「俺が? おい、このボソボソ眼鏡だぞ。恋愛なんてもの、よく分からないしな」

「本当に何とも、思ってないんだな」


 過保護すぎやしないか、と思いながらも、りょうの確認に対して圭は真剣に考える。


「何とも? …何とも……って難しいな。俺だって恋愛なんて分からないなりには、彼女の顔も髪も綺麗だと思うよ」


 そして色々と頓着しない圭は、考えた挙句に伝えないでも良いことを馬鹿正直に言ってしまう。当然の如くりょうがそれに「ああん?」と反応した。


「でも、君たち入れて三人とも、美人で髪も綺麗でいい子じゃないか。りょうはちょっと、いい子っていう点には時間かかったけどな」さっきも彼女が傷を治してくれたことを圭は思い出す。

「ふん、ま、俺は時間がかかるからな」

「何を自慢してんのよ」


 沙雪が突っ込んで、その後、美織のことを軽く睨んだ。なぜかりょうに比べても少し動揺したような表情になっている。美織が今の話に関係あるっけと圭は内心で首を捻った。


「こっちも、聞いていいか? 莉緒は『只人』に見えるんだが、随分気にしてるように見える。二人の『随身』か何かなのか」

「……違うわ。りっちは無関係」

「じゃあ何で」

「それも、あなたには無関係」

「おいおい…。ずるくないか?」と圭は呆れた顔をする。

「だってさっきの勝負で賭けたテーブルの上に、載ってないもの。でもまあ言ってあげると、ほんとにただの友達よ。魔女のあたし達と仲良くしてくれてるから、あたし達のことをばらしたくないし、巻き込みたくないだけ」

「ふーん……本当に?」


 圭は美織を見つめる。しかし表情を変えない彼女に真っ直ぐに見返されて、これ以上の質問は諦めるしかなかった。

 圭が視線を外したことを確認した沙雪は、美織の方を向いて口を開いた。


「あの、遅くまで残ってしまってすみません」

「いやいやだって約束だもんねえ。そんなの全然いーよー?」

「で、あの……。もう一つ疑問があって。これは、答えてもらえなくても仕方ないんだけど」

「んー?」

「イマワって、忌わしいっていう漢字一字の、”忌”ですか? つまり、あの、忌トミさんの血縁かと…」

「ああ、”おトミさん”? の、美織ちゃんが子孫かって? それは違うねー。そもそも漢字にすると”ナウ”の方だし」

「え、あ、そうなんですか…」

「うんうん。美織ちゃんは無名な只の美しいビューティフル美魔女だよー?」


 美織は飄々とおちゃらけながら、沙雪の疑念をあっさりと否定した。


 でも、と沙雪は思う。

 美織が『山稽古』の結界を短時間で張り、沙雪の【通話コール】に乱入した、という事実は変わらない。自身の思い浮かぶところとしては『雪波』の頭首にも比肩するような、相当に高位な魔女である可能性は高いままだ。


「あの、あれは、どうやったんですか? 圭君を助けるために【通話コール】に入り込んで来た時」

「えー? はーいそっから秘密ー。修業ー」


 美織はにべもなく即答する。


「……はい」

「あーでも因みに、圭君を手助けしたんじゃあ、ないと思うよ? ん、あれ? んーでも一周回ったら圭君も手助けしたか。まあ沙雪ちゃん何か変わったことやりそうだったしね」

「手助け? よく分からんが、結局俺はりょうと戦うことになってるぞ」

「だってえ、バーカだからなー、圭君」


 む、と圭が美織への視線を強くする。

 美織はゆるり、とそれに視線を返し、声音を少し低めて続けた。

 

「とりあえず食らってみてやるか、って、圭君あん時思ったっしょー。そんなん二度とやめなよ。君はね」

「何、どういうことだ?」

「はーい、秘密ー、修業ー」

「……」


 美織がだらけた姿勢でついでのように圭のことを見ていて、圭もそれを見返す。緩い言葉を話しても、狸の着ぐるみを着てても腐っても魔女なのだ。美織は怪しげな迫力を簡単に身にまとう。

 圭にとってみると、美織が今何を注意してるのかがよく分からない。むしろそれも含めて、色々説明が足りない美織に対しては常々思うところもあるのだ。

 空気が剣呑になった中、『断崖』の尻尾だけがゆらゆらと揺れていた。


「あ、の。それじゃああたし達はそろそろ……」

「いやあーーん、圭君反抗期症状なんか出しちゃうから何か気を使わせちゃったー。ごめごんごめごんねえ」


 圭は舌打ちでもしたい気分だったが、美織に余計に揶揄われた上で沙雪に余計に気を使わせることになるのでそれは堪える。

 真面目に受け止めるとひどい目に合う、美織相手に機嫌を悪くしても仕方ないのだ、と、改めて圭は『お山』の経験を思い出し、もう一度肝に銘じる。


「悪かったな。まあ、今日のところは解散しとくか」


 そう言って圭も腰を上げた。




 沙雪とりょうは、圭に玄関まで送ってもらい、何がという訳でもないが少々気まずい別れの挨拶をしてから、歩き出した。


 星がよく見える夜だった。

 沙雪は緊張から解放され、肩の力を抜くように夜空を見上げながら息を吐いた。

 

「りょう、寒くないの?」

「ん。全然」頭の後ろに手を組んだりょうは、ぷらぷらと足を振るようにして歩いている。


「何か今日はほんと、色々あったねー……」

「んー。そだなー。でも、まあ良かったんじゃないか。そんなに心配の必要なさそうなんだろ? それに圭は”魔士として”はそんなに悪くない奴みたいだし」

「あら、珍しいのね」

「そうか? まあ、りっちにちょっかいを出さないかだけは注意しておかないとだけどさ」

「そうじゃなくて、今下の名前で呼んでたし。魔士嫌いのりょうが、圭君のことは認めるのね」

「だって、んー、何だ。実際魔士は嫌な奴が多いじゃんかよ。嫌なこともされたし。でも、まあ、あいつはそんな奴でもなさそうだし。それに何たって、強いしなあ。あ、なあ、また今日みたいなのあいつとやってもいいか」

「え、また家に行ってってこと?」

「美織さんとかも、やってくれっかな。またご飯とか持って行って頼めば、やってくれそうじゃね? ほら、次は沙雪もさ」

「えー? りょうは、相変わらずそういうの好きねえ。でも……うーんそれは保留かな」

「えー。いいじゃん」


 ふふ、と沙雪は笑う。

 美織という魔女も相当なものだが、マイペースさで負けないりょうの無邪気さに、今日のストレスが癒されていくような気もした。


「兎に角、今日はもう疲れたわ。お風呂に浸かってゆっくり眠りたい」

「俺はちょっと、練習したい」

「え、ほんとに?」

「うん」

「…流石に、今日はあたしは付き合わないわよ。ちゃんと結界張ってやってね」

「あいよー」


 二人はそんな会話をしながら、自分たちが住む木造アパートへの道を帰って行くのだった。



 

 圭は差し替えたお茶に口を付けた。

 眠い眠いと言っていた美織はまだ居間に居ついていて、ちらりとそちらを見やる。


 彼女相手には先ほどの雰囲気を引きずる必要がないのは分かっていたが、かといって圭が今日の一連の中で気になったことを聞こうとするのも憚られた。――憚られるというか、どうせ無駄に終わると予想がついたのだ。

 美織も『断崖』も基本的に、持っている情報をわざとらしく秘匿して、圭がそこを突っつくと揶揄いだけが帰ってくる。


 結局圭は自分の生活とは関連がないことで、もう一つ、”気になること”について言ってみることにした。


「美織は、その”イマワ”っていうふざけた苗字、どうにかした方がいいんじゃないか」

「えー? なんそれやぶから肉棒ー」

「…っ」圭は何とか言葉を抑えて、睨みつける。下品なネタは反応を返したところで、美織が心から喜ぶだけなのだ。


「だからー、あたしは苗字なんてハイカラでたっといもの、あったことないんだってー。今だって無いし。名前聞かれたら『今は美織』って。それだけ!って、答えてるだけだよー?」

「だから、それがふざけてるんじゃないか」

「いやいや美織ちゃんはマジメマジメ。だってさー、苗字ずっとないのほんとだし、名前は流石に、流行り廃りあるから変えなきゃ駄目じゃん。”トミ”なんか今になったら黒歴史だし」


「じゃあ一番最初は何て名前だったんだ? ”トミ”以外はそう言えば聞いたことがなかったな」

「それはねー、んふふー。御開帳しちゃおっかなー」

「……」

「美織ちゃんはあ、最初、静っすー」

「静? それは……十分、今どきじゃないか。だったらその名前のままでいいだろう」

「えーでも結局苗字ないし、あんまりそれで呼ばれたくないんだよなー。人にも静の後ろ側で呼ばれることが多かったし」

「静の、後ろ?」

「うん」


 名の前の苗字の話なのだが、後ろとは。静の後ろに何が付くと言うのか。よく分からずに、圭は天井を見上げて考える。


「静、夫人とか?」

「いやいや」

「静先生」

「ちゃうちゃうちゃう。うへえ! 美織ちゃんが先生て!」

「静…静。静の後ろにねえ……」


 そして思い浮かぶものがあって、圭は思わず目を見開いた。


「ま……さか、な」

「んー?」

「いや、一応、確認なんだが。お前昔、結婚してたか? というかその旦那、橋で身軽だったり、しないよな」


 圭も自分の思いつきに少々混乱を来し、”橋で身軽”とよく分からない表現を使ってしまう。


「えー、ああ! ぴょんぴょん丸ー?」

「ぴょん……その、あとはでかい坊主と仲良かったり」

「あっはーナツい!! ベン!! いやそれマジでナツいなあ。ぐふふ、あの頃の俺ら」

「……ベン」

「まあ、ベンは論外だけど旦那はねえ、イケメンだったんだよー? そうそう、一回ヤってみたらモロに効いちゃってさあ。そっからはもうぴょんぴょんぴょんぴょん。思い出すなあー」

「そ…」

「うへへへ、体の相性ってやつ? アレだよアレ、当時はそんな言葉なかったけど、まあ『導通』ってのは、よく言ったもんだよねー」

「おま…冗談だよな?」

「ベンゾウも、ちょこっと素質はあってさー、『只人』寄りだったけど傍いるだけでやっぱ通っちゃってー」


 テヘっと美織が笑う。


「奴の死に際見ると、流石に悪いことしたっつうかー」



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