第22話 十四人目の”△”

 壁際のホワイトボードには五月に開催される校内救命講習会の、誘導、挨拶、資料準備や配布などの主だった業務内容が黒字で、そして担当者の名前が赤字で書かれている。

 書記である進藤久樹ひさきはその前に立ってマーカーを指先で回しながら、部屋にいる四人の女生徒達を見渡した。


「さて、講習会についてはこんなところでいいかな? リザ会長」

「ええ、そうですね。では、各人は自分の担当の仕事について段取りを確認して、懸念点等があればわたくしに相談してください。今ボードに書かれている以外の業務がないか、起こりうるトラブルは何かまでをきちんと想定して、余裕を持って当日に臨みましょう」

「はい」

「了解」

「……」


 役員たちがそれぞれ了承のアクションを返すのを確認してから、会長である光海みつみ・エリザベス・リアナはホワイトボードの前にいる久樹を振り向いた。


「では久樹、ホワイトボードを一度消してください」

「まだ議題があるということは、魔法関係で?」

「ええ、そうです。一年に転入生が来たそうですね?」


 ボードを消す久樹の後ろ姿に、リザは問いかける。

 久樹はすぐにボードを消し終えて、振り返ってから小さく肩を竦めた。

 小器用にもう一度ペンを回しつつ、居心地悪そうに俯いた二年生の会計役のことをちらりと見る。


「お耳が早い」

「私は、あなた方から聞きたかったんですけれども。報告を止めていたということは、これも”三角”でしょうか?」


 リザは真っ直ぐに会計役の女生徒の方を向いた。

 そして発言を躊躇っている彼女の様子を見て、続けて口を開く。


「貴女を責めてる訳ではありませんよ、加奈。この年代にすれば貴女の感知力が平均以上だということは、私も分かっています」

「…はい」

「現時点で分かっていることを教えていただければいいですから。その転校生は、一年生の男子らしいですね? では、加奈、菊子、報告を」


 リザはそう言ってから額に掛かっていた金髪を、す、と一度直して、机の上で両手を組んだ。


「…はい、えと、魔力は『明らかにないとは言えない』です、すみません」


 リザはにこりと微笑む。


「私の方こそ、この間は機嫌が悪い様子になってしまったようで、ごめんなさいね? あの後で久樹に、そういう言い方しかできないこともある、と注意されて反省しました。改めて謝罪します」 

「あ、いえ」

「発言がしづらくなるような環境にしてしまうことは私も本意ではありません。至らなさからこの先も間違えたことをしてしまうかもしれませんが、どうか貴女は思ったところを遠慮なく発言していってください」

「は、はい」

「むしろそう言う私が感知をまるで使えないんですもの。これからも加奈のこと、頼りにしてますわ」

「はひ」


 畳みかけるようなリザの理解ある言葉。

 久樹のフォローもリザの優しい言葉も嬉しくはあるが、しかし加奈は内心で、(といってもこの完璧さこそが、キツイんだよなあ…)と委縮してしまう。

(そもそも名前がリザって…。エリザベスて……)


 細身の長身で姿勢も良く、海外モデルの胸だけを大きくしたような美女が、テレビのロードショーでしか見れないようなくっきりした外人笑顔を自分に向けてくる。更に彼女は大法院家系で大金持ちでブロンドで、思想がしっかりあって話す態度までがこんな風に素晴らしいときた。

(何で本国じゃなくて日本の、こんな地方都市の高校に来るのよ……)

 加奈は自分の家の茶の間で煎餅を齧りつつテレビを眺めていたりする時に、海外のブロンド女優が映ったりすると思わず屑を払って立てていた片膝を直してしまったりするようになっていた。今頃は紅茶でも啜ってるのだろうかなどと考えると遠距離でまで恐縮してしまう。


「それでは、彼の行動については? 使い魔での監視はしていただけましたか?」

「あ……は、い」


 加奈は更に肩を縮こまらせる。


「加奈?」

「はひ」

「貴女の使い魔は確か、鼠の、チーさんでしたよね」


(チーさん…)

(チーさんて)無音の中で思考がシンクロする。

 リザは何故か人間相手にはファースト・ネーム、彼我の関係によってはラスト・ネームで呼ぶが、動物などへは敬称を用いるところがあった。


「え…と。見失いました」

「見失った?」

「あの、一年生の名前は、結野圭君と言います。家は学校から徒歩で20分くらいの、春日野町の中でした。それで、その、転校初日に見張ってたんですけど、彼が夜に制服姿で家を出て来て、チーはそれを追おうとしたんですけど…」

「見失った、と」

「はい! すみません!」


 リザは少し考えるように視線を上げてから、加奈に向かって微笑む。


「それだって十分ヒントです。相当早く走らないと、撒けるものではないのでしょう?」

「え、あ、はい、多分」

「因みに、チーさんは、どうかしら。ちょっとドジなところとかはおありですか?」


 まずい、と加奈も久樹も内心で思う。

 リザが最も嫌っている流れに、今日もまた陥りそうだった。

 加奈はだってしょうがないじゃない、と内心で弁明する。

 ドジじゃない鼠なんているの!? と本当は声を張り上げたい気分だったが、口から何とか出てきたのは微かな、震える寸前のような声だった。


「あ…の……、はい」

「そう。分かりました」


 リザがにっこりと微笑んだ。


「ありがとう、加奈。つまりそこは”未確定”なのね」

「……」


 久樹がひとつため息をつき、加奈へ助け舟を出す。


「流石だね、リザ。前よりも機嫌が悪い様子が大分改善された・・・・・・・

「大分? あら、心外な表現ですわね。そもそも今私は全く機嫌悪くなんてないわ」

「ふーん、そうかな?」

「ええ、そうですよ?」


 当校を代表する美男美女が、恐らく満面の怖い微笑みを交わし合ってる様子を想像しながらも、それを加奈は俯いたままでやり過ごそうとする。帰りたかった。加奈は帰って時代劇とか笑点とか、ブロンドなんか一切出てこない下らない番組を立膝を立てまくって見てやりたいと切実に思っていた。


「それでは、菊子。一年生の中での様子に何か気付いたことはありますか?」

「……『雪波』が、声かけた」

「『雪波』。確か一年の、二人組でしたっけ」


 リザの問いに菊子と言われた少女がこくりと頷き、久樹がそれを補足する。


「そうだね。二人若しくは三人組の女子生徒。一人はなかなか強力な魔力を持った小柄な子。もう一人『三割』近辺の子がいて、あとは”魔力が無いと思われる”、『随身』未満の子、だったかな。確か前の話では最後の子はただの友達なんじゃないかってところだったね」

「二、三年にも『雪波』はいません。彼女たちは混合派閥にも入ってないんですよね」

「うん。今のところ、動きはないね。そういうのとは距離を置きたいのかな、ていう予想だったけど」

「じゃあ転校生は『雪波』かも知れないし、その三人目の女生徒と同じような『只人』かも知れない。結局マークは”三角”ってことですね。菊子、あとはありますか?」

「……」


 リザの目線の先にいる黒髪の少女は、菊子などこの部屋にはいない、とでも言うように黙り込む。もう話すことは終わったのだろう。

 リザはそれを確認し、長目の溜息をついた。


「十三人まで減ってからは”三角”の確定化がしばらく止まっていたところです。それが、この転入生で逆に十四人に戻ったという訳ですか」

「それよりも、さ。一年の魔士で【意思剥奪ロブウィル】か【魅了チャーム】を使ってるらしいのがいるって話だけど、そっちの方は放っとくのかな?」


 面倒な流れになるのを避けようと、久樹が話題を逸らす。


「ああ、あれは放置で構わないでしょう。確か、保坂でしたっけ? 珍しい力なので私も直接見に行きましたが、あれは小物です」

「まあ、その…。いいのかな。リザには言いづらいところだけど、魔女界隈でも行使には賛否があるような力だしね」

「彼の力は『只人』に効くようなレベルではないのでしょう? 【意思剥奪ロブウィル】も無理です」

「じゃあ、【魅了チャーム】か」

「ええ。【魅了チャーム】の被害者が魔女ならば、それはそれで本人の責任と言えるでしょう。そして保坂自身が自分の欲望の為に力を使い、どういう結果に終わろうとも、それもまた彼本人の責任です」


 迷いもなくリザは放置だと切って捨てる。人の意思に働きかける系統の魔法は人道的な観点から所論が出やすいところではあったが、リザ個人はそれに対して明確な回答を持っており、またこの場にいる他の生徒会役員にはそれに意見を差し挟める程の強い個人の主張がある訳ではなかった。


「彼はこの学校を望ましくない形に出来るような人物ではありません。よって個人的には反吐が出るような何かを企んでいたとしても、私達が遂行する仕事とは無関係です。私達が生徒会として力を注いでいくべきなのは、恙無つつがない学校運営、それだけですから」


 リザは生徒会として君臨や統制を望むわけではない。自分達の力など使わないに越したことはなかった。学校の生徒達、とりわけ魔女達の”管理”さえしっかり出来ていれば良いのだ。

 不定な要素を極力排して学内の状況をただ黙って見張り続けておくことが、執行力を担う者の正しい役目だと思っている。学校が学業を修め成長する場として”異常な状態”にさえならなければ、どことどこが抗争しようがどの派閥に力が集中しようが、生徒会の関知するところではなかった。


「それより、十四人の”三角”の話が終わってませんよ? こちらはこのまま放っておく訳にはいきませんから」

「…そうだねえ。前にも聞いたけど、せめて出身地を先生経由で調べたり、本人の家の中に使い魔を入れたりは?」

「……」

「ああ、えーと。なんだっけ、確か”魔術師が運営する生徒会といえ、学生の本分は越えない”、で、合ってる?」

「ええ。だから屋外で使い魔を使って見張る、が私が生徒会長として許容できるギリギリです。覚えていてくれて嬉しいですわ」


「んー、難しいんだよね、それ。あとは直接本人に聞いてみるか、魔法を仕掛けてみるとかになっちゃうけど」

「……そうですね」


 リザは人差し指を唇に当てて考え込んでいる。


(また危ないこと考えてるな)


 基本的にはこうやって常識人っぽい発言はするけれど、実際に彼女が”学校運営”の為にやってのけることといえば、贔屓目に見ても常識外れで極端過ぎるようなことが多い。これまで魔女の本場も本場で育んできた価値観が、そもそも辺鄙な国の『溜まり』向きではないのだ。

 久樹はいつものように微笑を浮かべながらしばらくリザのブロンドの後ろ姿を見た後、打つ手なしとでも言うように小さく肩を竦めた。


 しばらくしてから彼女は誰にともなくにっこり微笑む。

 そして、「まあこの件は、今日のところはここまででいいでしょう。各員は引き続き情報収集をお願いします。では、最後の議題に移りましょうか。この学区内、そして学区近辺の、”蟲”及び”妖”の話です」と言った。

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