第15話 『山稽古』の条件


 もうじゃあ、あと五分だけだからねー? と、実母にかつて言われたようなセリフに満面の笑顔で頷いた莉緒は、ラストスパートでもかけたかのように『断崖の主』のことを撫で回す。

 そんな莉緒の様子を確認してから圭ははっきりと美織を睨んだ。


「おい。何を、言ってる」

「にっししー」

「バトル? そんなことやる必要がどこにあるんだ」

「だってさあー。君ら、自己紹介、まだじゃね?」

「自己紹介?」

「そうそー。魔女の自己紹介ね」


 沙雪も堪らずに口を挟む。


「ちょっと待ってください。あの、あたしも付いていけません。ただいきなりあたし達に戦えって、言ってるんですか?」

「んー、沙雪ちゃんらはうちらの情報欲しいんだしょ? じゃあこっちの手の内がいくらかでも分かれば、そっちにとったら前進なんじゃないかにゃあって。だからー、自己紹介になるっしょ」

「そんな…」

「それに、りょうちゃんはちょいちょいとやりたげだけど? なんかなかなか、いい目をしておる……、って感じだよねえ? あははー」

「……」


 りょうは黙って視線を美織、圭へと順番に向ける。


「んっふー、戸惑ってるけど、ビビってはない。バトルジャンキーなのかなー? いいよいいよー、美織ちゃんそういうのも好きだよお?」


 美織はりょうに向かって笑顔を向けた。

 しかしその友好的な表情とは裏腹に、そんなりょうを侮った言葉が【通話コール】で続く。


「あ、でもりょうちゃん一人じゃ絶対キツイっしょ。もちろん二対一でいいよー? こっちは圭君一人で相手するっすー」


 それを聞いた途端、りょうの美織に対する目線が一気に強くなり、隠しもしない怒りの表情を差し向けた。

 美織は余裕の表情のまま、莉緒を相手に『断崖』の普段の食事の話まで交わしながら、その目線を受ける。


「……今のは、どういう意味すか」

「おっほー、視線から音がしそうだったね。てか『ギンッ』て実際鳴んなかった? 今」

「……あんた、からかってんのか? あんたがどこの魔女だか知らねえけど、舐めてかかられるような覚えはこっちには、ない」

「んーふふー」

「結野とやるなら、やるのは、俺一人でいい」

「ちょっと、りょう。そもそも戦うかどうかも今は…」

「沙雪、やろうぜ。それでそのへなちょこな"魔力"ってやつが結局どんなもんなんだか分かるんだし。俺があっさり勝ってやりゃあ、ちょっとは安心できるんだろ?」

「それは、そうだけど…」


 しかし、もし戦うにしたって優位な条件ならば乗るべきだ。

 魔術師同士が戦うということは、それは魔法戦なのだ。『只人』同士の殴り合いとは訳が違う。"痛い"とか"怪我した"とかでなく、『只人』の身体能力ではできないような"何か"で、人の"何か"があっさりと吹き飛ぶ。

 沙雪は魔力や身体能力をもって戦うことではりょうに劣るが、札を使えば戦うパターンを格段に増やせるのは間違いがない。その分リスクを一気に減らすことができる。

 理屈上は沙雪が確実に正しいのだが、しかし沙雪は、りょうの性格を知ってもいた。


「もしやるにしたって、二対一でいいって言ってるんだから…」

「対等で勝たないと、その男と優劣が付かないまんまだろ? 何か知らないけどこっち側が完全に舐められてるんだ、やらせてくれよ」

「いや、俺はさっきから何も言ってないし、舐めてもないんだが……」

「っさいな。入ってくんなよ」

「ええ……?」


 圭は一番の当事者なのに部外者のようにシャットアウトされて、傷ついた声を出す。


 沙雪はいきなりの話の流れに戸惑いつつも必死で頭を巡らせた。

 りょうは、結野圭の力量を測るだけでなく、魔術師としての優劣も付けてしまうつもりのようだ。

 彼女の実力のことは知っている沙雪だが、しかし『もしもりょうが負けたとき』のこともここでは想定せざるを得ない。向こうの余裕が怖いし、その時は『全く正体不明の、りょうよりも強い魔士』が莉緒の隣に住んでいるという事実だけが残ってしまうことになるのだ。

 だから、尚もりょうを止めた方がいいのでは、と思ったそのとき、【通話コール】越しで美織の声が聞こえてきた。


「まあ、これだけじゃそっちの旨味が少ないのかねえ? んーじゃあ勝敗関わらずでー、圭君とバトってくれたらー、うちらがここに越して来た理由を教えちゃいます」

「おい、美織」

「んふー。いいじゃんこれぐらい」

「……へええ。だってよ、沙雪」


 沙雪はりょうと視線を合わせる。

 確かに沙雪達にとったらそれが最終的には一番確認したかった情報だ。

 例えりょうが圭にあっさり勝てたとしても、莉緒への害意がないことを確認できない限りは完全には安心できないのだ。――しかし。


「――確かに先ほどまで、それはこっちにとってとても興味ある情報でした。でも今、美織さんは緩すぎる条件であっさりとそれを俎上に上げてくれた。それだけで、そちらにはあたし達にマイナスとなるような、『そういうミッションはない』ということくらいは分かりますから」

「へええー、あーらら失言。今度はこっちは、とっても賢い子だー? どーしよ圭君、選択シナリオ迷うじゃん」

「シナリオ? 何の話だ」

「学園生活。……って、入ってくんなよ!」

「……え??」


 沙雪は美織独自の気散じで話がずれてしまわないよう、続けて自分の意見をはっきりと言う。


「兎に角、危険な外の『お山』との魔法戦なんて、やっぱりあたしは承服しかねます。せめて生徒会経由で…」

「あ、気になんのそこ?? あー、なんだー」

「当たり前です」


 札を使おうとしていた自分のことを沙雪は敢えて棚に上げる。

 何せ、わざわざ向こうに伝えはしないが、当初頼りにしていた『魔力差による優位』は、美織の『【通話コール】への乱入』で一気に立ち消えてしまっているのだ。


「自己紹介バトルなんだから、勿論リスクは抜いとくよ? 模擬戦てのは『雪波』でもあったのかな? ま、大人バージョンの『山稽古』にしとくから、勉強がてらでやってみたら?」


 髪を切ったときくらいの気軽さで沙雪たちの『お山』を当てられて、沙雪は内心で再び動揺する。

 【通話コール】を盗み聞きされたどころか乱入までされているのだ。もう自分たちは美織の手中にいて、何もかも見透かされてるのではないかという錯覚に陥りそうになってしまう。


「『山稽古』、を? 陣を設定、出来るんですか?」

「まあねー。」



「美織、何でも勝手に条件を付け足すな。さっきから俺の方に全くやる意味がないままだろ?」

「圭君は断る権利無し夫」

「な……」

「入ってくんなよ無し夫!!」

「ちょっと待て」

「ヒヒ、こっちがやってって頼んでんだから、もし圭君自身が断ったらもう、ここに来た理由話すだけじゃないからね? 美織ちゃんたら、圭君自身のことも色々ばらすかんねー」


 圭にメリットがないどころか、デメリットを美織は付け足してきた。

 圭にも魔士としての弱点と言えるものはある。見方によってはそれは普通の魔女や魔士よりも多く、大きいものと言えるかもしれない。

 それに弱点でなくとも、携帯など、魔士であるからには簡単にさらせないことは多い。


「お前、それは……」

「幼少のみぎりのおねしょ言い訳、ウケんのトップ3とかー」

「ふざっ……!」

「あのねえ、圭君はちみっ子ん時からこんな喋り方だからー、もう余計に笑えるんだお?」


 美織はにやにやと機嫌よさそうに、圭と沙雪と、自分を睨んでいるりょうとを順番に見る。

 そして口を大きく開けた。


「じゃーあまあ! お開き! はーい莉緒ちゃーん、お時間ですよー」

「あ……」

「やーん、そんなゲリラ兵に見つかった村娘みたいな顔しないでー。美織ちゃんもうビリビリゲヘゲヘしちゃうよ? ほら、うちらはお隣さんなんだからさー、これからもちょくちょく寄ってくれちゃっていいから」

「あ、う、はい……」


 莉緒が名残惜しそうに『断崖』に視線を落とす。

 『断崖』はまるで言葉が分かるかのようにするりと莉緒の腕から抜け出して、畳に四つ足をついた。

 そして最後の挨拶なのか、はたまた駄目押しなのか、莉緒の腰のあたりに頭を押し付け、尻尾を身体に這わせてから廊下の方へと歩いて行った。


「うあ、ダン、ちゃん……」


「んー、またすぐ会える会えるー。んじゃ、沙雪ちゃんりょうちゃんの方も、ぬふ、そんな感じでオールオッケー?」 

「……え、あ。はい」

「んー。また来てねー、近いうちねー」

「ええ。あの、とっても楽しかったです。ね、りょう」

「…っす」

「んーまたりょうちゃんもゲームのお話しようね。あ、今度あたしの部屋でやってみる?」

「あ、それはやりたい」


 そんな会話をしながら、各人が身支度を始める。しかしその裏では、こんな【通話コール】を繋げながら。


「さてさてー。お二人、何か言っときたいことあるー?」

「あの、イマワ美織さん。やるなら、こちらの条件を追加しても、いいですか」

「お、聞きましょー。にゃにー?」

「開始を、24時でお願いしたいです」

「あー第二揚力時間ねー。んふー、そっかあ、使いたいのがあんのね?」

「……」

「だが断る。なぜなら美織ちゃん絶対オネムだから!」


 そして美織は【通話コール】の内容に合わせてジョジョ立ちを取る。

 夕食を共にして美織のキャラクターを何とはなしに掴み始めていた莉緒は、一度笑顔で首を傾げ、再びエプロンをしまう作業に戻る。

 しかし圭の方はその動作で、(まさか俺抜きでコールを繋げ直してやしないか?)と気付いた。

 急いで【通話コール】で美織に問いかけるが、一度にやついた視線が重ねられただけで無視される。


「沙雪ちゃんってお嬢っぽいけど、門限とかはないのん?」

「…ないです」


 沙雪はりょうとの二人暮らしだったが、わざわざ『謎の魔女』に明かしてしまうことでもなかった。


「んーじゃあ第一ならいいよー。十時の、そうだね、五分くらい前にここ来よっかー」

「…分かりました。場所は、模擬戦向きの広場なら幾つか知ってますけど……」

「めんどいからここでー。だいじょーぶよ罠とか仕掛けないから」

「…それも、分かりました。あと、もう一つ懸念があるんだけど、いいですか?」

「どぞ!」

「そちらが本当のことを言う保証が、あたし達にはないんです。その、美織さんが【通話コール】に入って来てこちらも混乱状態だし、あの、こっちが勝ったら、【真根沿色】という札を使わせてください。その上で、こちらの質問に答えてほしいです」

「え、ふっるー。またどえらい札知ってるんだね」

「え、美織さん、こそ、知ってるんですか?」

「うん。で、負けたら逆もいいのん?」

 

 美織が笑ったまま片眉を上げて見せる。


「え……。使、え……だって『雪波』の…」

「んっふふー。どうだろうねえ?」

「……」

「ま、うっそぴょーん! でいっかなー? あと、その追加条件もいいよーこっちが負けたときにその札を受け入れる、で」

「は、い」

「あ、待って」

「え」

「やっぱこっちも一つー。そっちが持って来てた面倒な札っていうのが何だったか、それだけ教えてほしいかなー。圭君勝ったらでいいよん」


 手の内は教えない方が良かったが、札ぐらいだったら”出来たら”のレベルだ。こちらが勝った場合の向こうのデメリットの方がずっと大きいはず。

 沙雪はそれを受けることにした。


「構いません」


 美織が沙雪と、りょうと、莉緒に向かって笑う。


「はーい、ほいじゃあ。まったねー!」





「美織、お前、ふざけるなよ」

「んー?」


 あれよあれよで圭にとって全く望ましくない事態になってしまった。


「何でこれから戦わなくちゃなんないんだ。しかもあんな条件を付けて」

「あれー? こっちもいい条件付けてるっしょ」

「どこが。勝っても何もないだろ」


「んー、どうしたお主らー?戦となー? 皆して何ぞ念話を使っとると思えば」


 悠長で幸福そうな声が響く。

 『断崖』は狸型のままで、座布団の上でうつ伏せに広がっていた。 


「戦え戦え。狩りと飯といくさは全て同じもの。やればよかろー?」

「だから、模擬戦にせよ『山稽古』にせよ、やる意味がないんだ」

「模擬戦? 『山稽古』? とは何じゃ」

「大怪我とか死んだりしないって仕掛けを場に用意するやつっすよー。模擬戦は学生向けのやつ。まあなんつーか、あったか~い、超過保護下バトル」

「ああ、昔見たことがあったかの? あれか。じゃあ圭には、願ってもないではないか」

「どこがだ。勝っても何もないんだぞ」


 『断崖』が首をもたげ、呆れたように言う。


「相手を殺してしまう心配をせずに、外の山の者と手合わせの錬が積めるということなんじゃろ?その末にあるものは、お主の悲願じゃろうが」

「……何」

「あんな蟲程度が、人を害したとうそぶかれただけであっさり取り乱しおって。ただの正義感ではなかろうがよ。早くお主のそんな惧れなど、要らんようになれ」

「何のことだ」

「何のこと? そういうことじゃ。お主が未熟なのは力の扱いだけではない」

「……」



 美織はとぼけた口笛を吹きながら、「ああー莉緒ちゃん、美味かったにゃあー。莉緒ちゃん、食べちゃいたいなあー」などと独り言を言っている。

 圭はしばらく沈黙して考えた後で、美織の方を向いた。


「…仕掛けとかは、美織が作るつもりか」

「んー、いいよー。あ、『断崖』殿、お庭に広めの結界とか頼んじゃってもいいすかー?」

「儂ゃあ、眠い。見れば分かろうが、今、最高なんじゃ」

「圭君勝てばほら、またご飯持ってこいーとかー、言いやすくなるのかもかも」

「ほおう?」

「ま、大怪我しないってところは美織ちゃんが作るよー。あ、時間十時になったかんね」

「ああそうだ、最後何を話してたんだ」

「ん、こっちの話ー」

「…ったく」


「おい、そうじゃ圭。お主が勝ったときの条件を足せ」

「何だ今更。多分足せないぞ」

「あの莉緒という娘を娶れ」

「バッ……!」

「飯も、”ぐるうみんぐ”も大した腕じゃぞー、アレは。ここで逃すな」

「あほなことを言うな」


「へえー。”嫌”って話は、なくなったんすかー、『断崖』殿」

「む……。まあ、大体は分かったがの。お主ら、まあ何じゃ、努々ゆめゆめ起こしたりするなよ?」

「起こす? 何をだ」

「”どれも”じゃ。ふん」


『断崖』はそう言ってごろんと回って、今度は仰向けに広がった。

 美織もそれに続いて横になる。


「へえーん…っと」


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