第14話 のんきな乱入者


「……これは、狸、よね」

「ん……。狸だな」

「えっとこの子ってまさか、野良じゃあ、ないよね?」と沙雪が首を上げて圭に尋ねる。

「…ん、ああ。そうだな。美織の、ペットというか」

「ペットかー、……変わってるね。着ぐるみも、圭君のストラップもそうだっけ。みんな狸が好きなんだ」

「いや、美織が好き、でな」


 何も圭が美織一人に被せる必然性はなかったのだが、そこは高1男子らしい心理が若干ながらも働いて、そう答えておいた。特に美織に迷惑もないはずだ。


 『断崖』が圭の方を向いて、ペットと言われたことへの抗議の様に大きな尻尾でテーブルを叩いたが、圭はそれを睨んで黙らせる。

 その時のモサリッという音に反応したように、莉緒が「はうう……」と吐息交じりの声を漏らした。

 りょうはと言えば、もうそろそろ自分の臨戦態勢に疑問を持ち始めている。

 沙雪の【通話コール】はとりあえず止まっていた。というか普通に自分に背中を見せているのだがどうすればいいのか、と圭は考える。

 自分のミスも一因だとはいえ、兎に角場は大分混乱をきたし始めていることだけは、圭にもよく分かった。


「ううう、可愛いよお……。撫でたいぃ……」

「ん…。いいんじゃないか」

「っ! 駄目なの! あたしね、何かいつも、動物に怖がられちゃうの!」


 莉緒が髪を自分の頬に当てる勢いで振り返り、眉を八の字にして潤んだような眼で圭に言った。

 圭は頬を描いてそんな莉緒を見、テーブル上の”狸”を見て、言葉を返す。


「ん…。大丈夫じゃないか。そいつ・・・は」

「ええー……でも…あたしのこと嫌なら、可哀そうだし……」

「おい、結野、こいつは噛まないのか」

「ああ、噛まない。そいつは」

「ええー、どうしよ……嫌だったら……可哀そう……」


 そう言いながらも莉緒は前に立つりょうのことをよけて、おずおずと前に一歩踏み出した。

 それからは躊躇い気味だった言葉とは裏腹に、熱病に浮かされた様に『断崖』へと一歩ずつ近づいていく。

 りょうはと言えば、莉緒と『断崖』とを見比べてから、莉緒の横に並ぶことにしたようだ。りょう自身、未だに自分の警戒レベルが果たして正しいのかどうかは迷っているようだったが。


「あ、あとばい菌とかはないのか、こいつ?」りょうが圭の方を向く。過保護なのだ。

「ん。大丈夫だ。飯は家で食べてるし、風呂にも入ってるみたいだしな」


「あ、れ…? 怖がって…ない……?」


 近付く自分を見上げている狸に、両目を固定し続ける莉緒。

 あと一歩半という距離まで近づいて、莉緒は片手をゆっくり、ゆっくりと上げてみる。

 『断崖』は変わらずにそんな莉緒のことを見上げ続ける。


「歯を剥かない、し、シャアーって言わないよ? 怖がって…ない……のかな…。本当に?」


 拳二つ分ほど開けて莉緒の手が止まる。そこから撫でる決断まではできないようだった。

 その時、『断崖』が莉緒から目を放し、空になった二つの皿にくんくんと匂いを嗅ぐような動作をした。

 そして、自分から少し背伸びをして頭を莉緒の手の中へと押し付ける。


「ふ、ふああああ!!」


 莉緒は片手をそのままにして背中だけ大きくのけぞらせるという器用な動きをした。

 『断崖』は手の下から莉緒の顔を見上げ、また頭を離してもう一度皿を嗅ぐ仕草をしてから、更に頭をすっぽりと莉緒の手の中に入れる。


「ふ、ふああ! えええ」


『断崖』は皿に両手を乗せて莉緒の手の中に鼻先を突っ込んだり、頭を突っ込んだりを繰り返す。


「ふあ…ああ……。え、え、もしかして、美味し…かったの?」


 今度は莉緒の腹部に身体ごと押し付けた。


「美味しかったの!? ねえたぬちゃん? …たぬちゃん美味しかったの!? あたしの料理!」


 感極まった莉緒が両手で狸を抱えるように包み込む。


「動物初めてこんな触ったよおぉ!! 美味しかったの!? ふゔ、たぬちゃあんっっ!!」


 沙雪とりょうも既に「うちらも作ったんですけど」など野暮なことを言う気は起きず、ただそんな莉緒の姿を見守るしかなかった。




 それから、しばらく後。

 莉緒に抱きかかえられ、積極的に接客・籠絡している『断崖』とともに、四人は居間へと戻った。


「あらー、見つかっちゃったのぉ。”ダン”、ちゃん」


 美織が愉快そうに声を掛ける。


「ダンちゃん……」

「ダンちゃんって言うんだ。この子、美織さんのペットなんですか」

「んー? んー。そうなる、かな?」

「あの、りっちって動物に嫌われやすい体質をした動物好きで、その、ダンちゃんはりっちに触らせてくれるみたいなんで、しばらく撫でてても大丈夫ですか?」

「もっちのろんー。ダンちゃんも莉緒ちゃんが嬉しいと、嬉しいと思うよー」


 圭は先ほど自分が座っていた場所に戻る。

 莉緒は沙雪とりょうの間に座ることにしたようだ。

 沙雪が恐る恐ると莉緒に抱かれた『断崖』の頭に手を伸ばすが、『断崖』は特に抵抗もせずに撫でさせている。むしろ目をうっとりさせて幸せそうだ。

 可愛い、モフモフだね、など幸せそうな小声が交わされる。


「その、何かちょっとずれたけど、圭君が、魔士かどうかの件に戻すわね? あ、でも、ダンちゃんはあたしも可愛いと思うわ」


 圭はそっと鼻から長めの息を吐いた。

 有耶無耶にはならなかったようだった。


 辛うじて、『断崖』が使い魔と疑われなかったことには安心する。

 まあそもそも真偽のほどは分からないのだが、狸、犬、狐など神仏に仕えたり神仏自体になったりするような動物は、魔女の使い魔にはならないとされてきた。その中で梟だけは別枠扱いだったが、そもそも魔女の使い魔になったのが神に至るよりも先だったという推論が梟にはある。魔女の歴史はいくつかの神と張り合うぐらいには長いのだ。


 使い魔については、意外と研究が進んでなくて知識体系というよりかは推論の積み重ねが多い。契約には魔術師側の実力や特性以外に、本人と種との相性、本人と個体間の相性などが複雑に絡み合っているし、おいそれと契約解除ややり直しが効かないのもその理由になっていた。

 浮気は滅多に許されないので魔女・魔士側も簡単には契約をしない人がそれなりにいる。しかしいつまでも決めないのも培う絆的によろしくないと言われていた。

 これは余談だが魔女界のジンクスには、『只人』がよく言う”一人暮らしでペットを飼うと結婚できない”、という実に根拠の怪しいものとは真逆に近い内容で、”いい歳してまだペット使い魔を決められない人は結婚もできない”という、かなり実例に富んだものがあったりする。


 ――閑話休題。



 圭は、食後の”狸事件”のお陰でタイミングも揃ったと思い、最も簡単な方法の実行へと移る。座ったばかりの片膝をもう一度立てて、口を開いた。


「じゃあ、もう遅いし、そろそろお開きにしようか」

「えええ…?」

「また触りに来たらいいよ。多分、ダン、ちゃんも喜ぶ」

「そっか…、そうだよね」

「ふふ、そうね。だいぶ遅くまでいちゃった」



 そしてもう一言、「じゃあそろそろ、”行く”とするわね」、と。


 それは帰りの挨拶などではなく、沙雪からの【通話コール】だ。


 圭は内心で舌打ちをして、向こうの起動に対する対応方針を心に決めた。



 ――しかし、その時。



「まあーお札はやめといてちょ、沙雪ちゃん。だってえー、今はこんな幸せモードなんだしさあー」


 左足の太ももに移動を始める寸前だった沙雪の右手が、ビクリと止まった。


「圭君ふつーに魔士だよ。でふつーに魔士だからさあー、何のお札か知らんけど、普通に効いちゃう効いちゃう」


 【通話コール】を聞いていたりょうが、莉緒の隣で首を挙動不審に巡らせる。

 沙雪はと言えば、座卓の大皿に視線を固定したまま、口を微かに開いて固まっている。


「おい、美織」

「んー?」

「聞こえてたのかお前。それなら、ここでばらさないでも他に方法が…」

「んにゃーあ圭君、ノンノンノン。もおー圭君ってばさー。まさかこっちで誰にも隠したまんまで、ずっと暮らしてくつもりだったのー?」


 美織の弛緩した話し口が沙雪、りょう、圭の頭に響いてくる。



 そんな、はずはない。

 沙雪は愕然としている。

 今現在も聞こえてくるこの美織からの受信が、沙雪は、まだ信じられないでいる。


 対象を決定して開かれた【通話コール】を、こじ開けて入ってくるなど、何をどうすれば可能になるというのか。

 ――『寄り添う』。

 それは『雪波』でしばしば使われる言葉で、魔力感知の鍛錬の、その先の話。

 頭首が言っていた、「かつては【通話コール】を盗み聞きできる魔女も居たんだぞ?」という言葉が思い起こされる。その時聞いていた子供たちは沙雪も含めて一様に驚いたので、よく覚えているのだ。

 沙雪は、感知力と魔力操作の面では『お山』でも将来有望の扱いを受けていて、いつか【通話コール】内の感情ぐらいまでなら読み取れるようになるかも、と称賛とともに言われていた。

 その沙雪だからこそ、他の魔女が出した魔力の波を読み取りそれに『寄り添う』ことの難しさはよく分かる。


 それを、『寄り添う』どころでなく、まるで自分が最初から対象に入っていたように干渉、改変してしまう。――そしてそのことに、その魔法の主体である起動者が”気付いてさえいない”。

 全く、レベルが違う話だ。それがどれだけあり得ないことなのか、それだけは、沙雪にも分かった。


 何せ、それが出来るのなら。

 たった今やってみせられたそれが、本当に、本当に出来るというのなら。

 沙雪の白いこめかみを冷たい汗が静かに伝う。

 ――それが出来るのなら、沙雪もりょうもどんな魔法も使用できない。だって、『人の魔法などどうとでもできる』ということになってしまうのだから。




「……そういう訳じゃないが、かと言って無駄に吹聴するつもりもない。そんなのは当たり前だろ」

「ブッブー、ハイざんねーん。この事案は、美織ちゃんが『無駄ちゃうやーん』と判断いたしましたー。だってーお隣さんだよー? て、莉緒ちゃんは違うのか。えと、お隣さんの、お友達さんだよー?」

「お隣さんもその友達も、そういう関わり方は俺が自分で…」

「ハイブッブー」

「おい」

「あー、そだそだ、沙雪ちゃーんちなみにねー?」

「……」

「おい美織、聞いてるのか」


 沙雪はまだ大皿から目を逸らすことが出来ない。ちらりと美織の方を見ることも躊躇われた。


「あのねー、圭君は魔士だけどねー、あたしが魔女かどうかは、まだ秘密ーふふふ」


 思わずと言った感じで沙雪は美織を振り向く。

 美織は瞼を思い切り開けて斜め上を向き、口角をくいっと上げて舌を出した。

 冷涼な魔女の、ひょうきんな表情。


「まあ、ほらほら、ガッコの魔女と魔士同士、何かお話しとけばー?」


 圭はまだ美織に言いたげに口を開きかけるが、結局小さく、しかし長い溜息をついた。

 そして【通話コール】越しでは初めて、沙雪たちに声を掛ける。


「沙雪。あの使い魔のテンは、君らどっちかのか?」


 沙雪は思わず自分の鞄から覗くタオルを見る。

 なぜバレた? テンタは頭首から授かったもので、彼の様に化けれる使い魔は少ない。

 『遁甲』だって使いこなせるのだ。あの遁甲が、見破られた? 


 ――あ。震えて、る? 


 チャックの間から覗くタオル生地が、微かに、微かに震えていた。


 どこからか、出所不明の鈴の音が聞こえた気がした。


「……何の、ことかしら?」

「まあ、いいんだが。俺は見張りが必要なような行動を特にするつもりもない。こっちのことは放っておいていいぞ」

「……信用できると、思うの?」

「と言われてもな」


 美織は目元を緩めて、圭を見上げた。


「あれえ圭くん、手ぬるーい」

「何がだよ?」

「うーんーとーー。どうしよっかな。じゃ、ま、モフ狂ってる莉緒ちゃんには悪いけどさ、取り合えずまずは一回解散しよっかー」


 圭も、兎も角も、とそれに同意を重ねようとしたところで、更に美織の言葉が続いた。


「ほいで解散したら、その後5分以内に魔女魔士集合!」


 美織は、にっしし、と【通話コール】に不必要な笑い声をわざわざ情報化し、三人に届ける。


「でバトルねー」

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