第16話 素直で優しい愛娘


「沙雪ちゃんとりょうちゃん、帰りに寄ったとき少し雰囲気違ってたみたいだけど、お隣で何かあったの?」


 莉月は娘の部屋のドアに寄りかかって、彼女の後ろ姿に声を掛けた。


「え……そうだったかなあ? 気のせいじゃない?」


 勉強道具を机に出しかけていた莉緒が振り向く。

 その表情はいつもの莉緒の、いやむしろ普段より上機嫌なものだった。これから勉強をするというのに鼻歌でも歌い出しそうに見える。


「……ま、気のせいだったかもね。なぁに? 機嫌良さそうじゃない。どうしたの?」

「そう? フフ、あのね? えと、お隣の圭君、初めて知ったんだけど実はお家で狸を飼あってて」

「え、狸?」

「そう、でね? もっふもふで、ダンちゃんって言うんだけど、人懐っこくて、私の料理を美味しそうに食べてね、それで、まるでご飯のお礼みたいに私の手に頭をこう、こうやってきたの!」


 少し赤面体質の莉緒は、既に上気しかけた顔で身振り手振りを交えて莉月へ説明する。


「へえー莉緒、動物に触れたんだ」

「そう! もうあったかくて、毛がもふもふして柔らかかった。帰りもずーっと私の膝の上で撫でてたの」

「本当、良かったわねえ。何故だか莉緒動物には嫌われやすくて、悲しかったもんね?」

「うん。大丈夫な子もいるんだなーって。あんな子は初めてだなあ」


 莉月は娘の言葉に微笑んで頷きながら、(狸、ね……)と心中で呟く。

 しかもこの子が触れる狸か、と。

 

「向こうのご家族にも会ったんでしょう? ちゃんと挨拶した? 確か親戚のお姉さんだったっけ」

「うん…。挨拶はしたよ。えっと、説明が難しいんだけど……」

「ふふ。どんな方だった? お名前は?」

「美織さんって人。明るい、ええと、天真爛漫、ていうのかな。でね? すっごく綺麗な人だった」

「結野、美織さんね? あらあ、明るい美人さんかー」

「あ、苗字は違って、えと、イマワって言ってた。うん。あんな明るい人、初めて会ったかも。りょうちゃんともいつの間にか打ち解けてて」

「へえー。りょうちゃんにしてはちょっと珍しいかしら」

「うん、そうかも。ママはもう大丈夫だけど、りょうちゃんちょっと人見知りなのにね。でね、美織さんも狸を着ててね」


 たぬ。――狸?

 ”イマワ”姓について考えていた莉月は聞き逃したか聞き間違えたのか。


「え、いま莉緒、また狸って言った?」

「そう、着てたんだよ。可愛かった」

「そっか……そういうもの? ……ふうーん。で、圭君も美織さんも、料理の方は喜んでくれた? 何か言ってたかしら」

「すっごい喜んでたよ。美味しいって言ってくれて、で、……また、いつでも来ていいって言われた。あの…ちょくちょく行ってもいいかな?」


 少し気遣わし気に莉緒が莉月を見上げる。


「……ふふ。莉緒は一体何が目当てなのかしらね?」

「え、い、違くて、ダンちゃんに。あの、美織さんがね? その、帰るとき、また撫でにって。ほんとだよ?」


 あら、と、莉月は自分の軽い揶揄いに対する莉緒の反応に逆に驚く。

 むしろ動物好きの彼女は当然また行きたがるだろうと最初から思って言ったのに、どうしたわけかこの動揺っぷりだ。


「……圭君のことはあんまり、聞いてなかったかしらね。眼鏡っていうぐらいしか。どういう子なの?」

「え……? うん、別に?」


 あら、ら。


「別に、か。会ったばかりじゃあんまり特徴がない子なのかしら」

「……でも、ちょっと変わってる、人かも、なって」

「あら、フフじゃあお隣り、変わってる方だらけなのねえ。圭君はどんなふうに変わってるんだろ」

「……えっと……」


 こういうときの莉緒は焦らずに言葉を待てばいい。

 時間はかかるしつっかえつっかえでも、ちゃんと説明してくれる子なのだ。


「…うーん。あの、あんまりお喋りな感じじゃ、なくて……」

「うん」

「でも、そうなんだけど、『え?』って思うようなこととかをすっごく素直な風に、言っちゃう、人かな」

「ふうん」

「……だし、何だろう…、優しいことも、自然にしちゃう、ていうか……」

「へええ。じゃあなかなか、いい子そうかしら?」

「うん。多分、いい人だと、思うよ?」


 案の定きちんと莉緒は説明してくれたが、しかし莉月から見ると、普段考えながら喋る莉緒の倍くらいつっかえていた。


「そのうちママも会ってみたいかな?」

「……うん」

「じゃ、もうリビングに戻るね。お勉強頑張って?」

「あ、はい」


 手を振ってドアを閉めた莉月の顔から、すいと笑顔が引いた。

 莉月は新しいお隣さんについて考える。


 莉緒に言った、圭という子に会ってみたいという言葉は嘘ではなかった。

 まあ魔士だろうけど、と莉月は内心で呟き、莉緒のことを思って少しだけ申し訳ない顔になった。

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