第9話 第一印象は言わないで
保坂の姿が小さくなっても、莉緒はそこに俯いたままだった。
「……あー、莉緒。彼に何か、誘われてるみたいだったけど…」
「……」
莉緒は黙り込んでいる。改めてその横顔を圭は見つめてみた。
圭はこれまで、彼女が魔女である可能性を考えてはいなかった。
まず何よりも大きいのは『ぽさ』がないからなのだが、魔女の隣に美織が家を決めたりしないと高を括っている部分もあった。
引っ越し初日の挨拶での莉緒の様子を思い出してみても、目線、息遣い、話し方(要は”雰囲気”といわれるもの)のどこにも、何かを隠したりこちらを推し量る様子はなかった。どこからどう見ても、『只人』の、気の優しそうな女の子だったのだ。
しかし今の保坂との会話は、魔女の存在を知る者にとっては”派閥への勧誘”以外の何物でもなく、逆に言うと魔女じゃない人間にそんな言葉を掛けるほど迂闊な関係者がいるとも思えない。
【
莉緒が小さく口を開く。
「……あたし……」
「うん」
「……あたし、そんな、田舎っぽいかなあ……」
「うん? え」
「うん。まあ、そうだよね? 分かってはいるんだけど…なって……」
「ええっと」
その言葉は、圭に向けてというよりはほとんど独り言だった。
明らかに莉緒が気落ちしている。
その原因について思いめぐらせた圭は、保坂が言ってた「田舎ローカル」のことか、と思い至る。
しかし、あれは魔女の『お山』の所在地に関する話で、決して莉緒本人の見た目を言ったものではないはずだった。そもそも『大法院』支部が置かれている東京か、『五山』の元となった”五山”がある京都『大文字』以外なら、どこの『お山』もローカルと言えてしまうはずだ。
つまり保坂自身は親が『大法院』関係者か、自分が『大文字』所属かといったところなのだろう。
莉緒はそこら辺が、果たして分かっていないのか。
「今どきじゃないっていうのは、うん。何度か言われたことあるけど。…田舎、だってね。……そっかあ…」
圭は俯いた莉緒のつむじの辺りを見下ろしていたが、なぜかそのパーツまで元気がなくしぼんでしまっているように見えてくる。
「そういう、意味だったか?」
「……言ってたじゃん」
莉緒にしては不機嫌そうな呟き。意気消沈と合わせて、保坂に対するいじけたような反感。これがもし演技だとしたら大したものだ。
やはり、どうも莉緒は自分個人を田舎っぽいと揶揄されたと思い込んでいて、それに果てしなく気落ちしているようだった。
「その、莉緒。何というか……俺は違うと思うけどな」
「……」
「清純とか、清らかって言うべきなのを多分たまに見る目がない奴がいて、間違えた表現をするんだろう?」
「……」
「特にあいつは見る目がなさそうだった。莉緒の印象は、清らかとか、純一無雑とかそういう表現の方が似合っている」
莉緒がビクリと肩を震わせる。保坂の言葉で泣き出してしまわないといいが、と心配して圭は言葉を続けようとする。
「俺は莉緒のそのルックスも所作も、何一つ恥じることはないと思うぞ。そうだな、上手く言えなくてすまないが、例えば俺が莉緒を初めて見たときの印象は……」
「い、い」
「うん?」
「いい。いいです。…い、いいから」
そう言って莉緒は圭に顔を見せないまま回転して、ほぼ駆け足みたいな速度で階段を昇っていった。
「いい、のか? いいならまあ、良かった」
莉緒の背中はまだ肩を強張らせていたように見えた。圭は(泣いて、ないよな?)と戸惑いつつ、それを追って階段を昇る。
やはり圭からすると、断言してもいいくらいに莉緒はまったく魔女でないように今も見えてしまうのだった。
二階に上がると、教室の二分の一ぐらいの間隔でドアがずらりと並んでいる様子が見えた。
まだ俯いて歩く莉緒の後について廊下を進むと、各部屋の扉には天文部、歴史研究部、外語部、地学部……と部活名が書かれた札が下げてあるのが分かる。圭はそれを順番に確認していった。
圭の『お山』では、派閥というものは中学も高校も部活という括りを借りているものが多かった。
例えば通っていた中学なら、意外なことにバドミントン部が校内一の勢力を築いていた。
また、『学院』の方はまた聞きの話ではあるが、校舎とは別に部室棟というのがあるらしく、そこでのいざこざは御法度とはいえ、敵対してるグループ同士が棟内ですれ違うときの鍔迫り合いというのは毎日のように起きているものらしかった。
魔女・魔士は『只人』のように卒業後無数の企業や学校へと散らばっていくわけではない。『五山』に入るか、育った『溜まり』にそのまま暮らすことがほとんどだ。
そのため、学生時代の当人の成績やそこで「何を成したか」というのはそのまま情報として残りやすく、そしてそれが後々の力関係へ影響を持ち続けやすい。人間関係にしても派閥の優勢劣勢にしても、何かの折につけては学生時代のマウントが尾を引くのだ。
例え卒業後にそれぞれの『お山』に戻って距離的に離れたとしても、その『お山』自体がたった五つしかないことの影響だった。
そして派閥争いに青春を投じた学生たちが大人になり、そういった元々の傾向が拡大していって、実にくだらないことだが今では『お山』の魔女たちまでもが各地の高校の動向をまるで版図のように気にするほどだった。
そういった背景があって、この学校でもかなり本気で派閥争いに精を出している魔女や魔士が少なくないだろうことは、圭にも予想がついていた。
圭自身はそういう派閥争いも後々の影響というのにも全く興味がなかった。しかし、そうは言っても最低限に校内のことは知っておかないと、トラブルが起きたときにより面倒なことになりかねない。
そのため何となくどういう部活があるのかを見ておきたかったのだ。
まあしかし前提情報がないとどの部活も怪しくもあり、またはただの健全な部活であるようにも見えてしまう。
そんな、難しい顔をしている圭に、莉緒がポソポソと声を掛けた。
「え……と、ええっと圭君は、その、部活は? 部活は何か入るの?」
「ああ、いや。考えてない」
「入らない、ってこと? スポーツとかはやってなかったんだ?」
「ああ。俺のことは、こういう眼鏡のまんまだと思ってくれればいいかな」
「え…。ふふっ。圭君は、眼鏡のことをよく冗談で言うよね」
「うーん、冗談っていう訳でもないんだが。あ、ところでさっきの保坂っていう奴は、ここから下りて来たのかな。莉緒はあいつの部活が何か知ってる?」
「あ、ううん、知らない。保坂君と話すのも二回目だし」
「え、そうなのか?」
「うん。二週間くらい前に、放課後帰ろうとしたら急に名前を呼ばれて、グループに入れてあげるからって」
「何だそれ」
「うん。よく、分かんないよね」
「だな……。――っと」
「え?」
圭は部室に掛かった札を見て思わず立ち止まってしまう。
そこには、ホラー映画のタイトルのようにおどろおどろしい字体で、大きくこう書かれていた。
――魔法研究部。
「ああ、そう。こういう変わった部活があるって沙雪ちゃんが言ってた。ふふ、何かすごいね」
「……だな」
圭は内心の混乱を隠して歩き出す。
あんなふうに大々的に魔法について前面に出すのは、『只人』なのか、あえての魔女なのか。どういった面子がどういうつもりでこの部活をやってるのか。それが圭には想像もつかなかった。
この札は、余りにも不自然だった。
何せ、この世界の中で魔法は、魔女は、これまでの歴史上一度も存在したことはないし、また、今もっても存在しないはずなのだ。
――かつて、教会による魔女狩りが行われた時代。
それまで欧州の魔女たちは、単独で自らの腕を鍛えたり、少数で研究を行ったり、または『只人』と支え合いながら生活をしていた。魔法技術を隠匿していない者も当時は多かったという。
しかしキリスト教がその勢力を増していくと、布教活動の邪魔となるものを排除するために異端審判が始まった。それは徐々に魔女狩りへと派生し、更に当時流行した伝染病とも相まって加速していく。
次々に、次々に、『只人』に混ざってどこかの魔女が見つかってしまう。そして次々に、人間社会の”異物”として殺されていってしまう。
当時の数十万から数百万に及ぶ魔女狩りの被害者には、かなりの数の”本物の”魔女が入っていた。
当たり前だ。本物の魔女がいることは教会にも分かっていたし、だからこそ教会は自らの権威の為、彼女たちを探し出し、排除していたのだから。
魔女たちは、早急に自衛方法を考える必要に差し迫られていた。
魔女狩りに速やかに対抗し、解決する手段として、物理的にも精神的にもそれまでバラバラだった魔女たちはひとつところに集まった。
生死がかかっているならそれまでの軋轢や競争心を抑えて協力する。それが出来るほどには彼女たちは賢く、クレバーだった。
魔女たちは代表者を選出してルールの元で統制を行い、いつしか現在の『大法院』の元となる形を取っていく、
これが、魔女組織の始まり。
『大法院』の、暗く血塗られた黎明期。
当時の『大法院』の原型によって実行に移された様々な対抗策がどのような結果をもたらしたのか。それは、現代社会で”魔女”の扱いを見れば明らかだった。
――昔の魔女狩りの魔女ってさあ、全部一般人だったんでしょ? ほんと、怖い時代だったんだなあ。
――ハハハ、魔法? 今はそんなオカルトの話じゃなくて(笑)
――原因不明の爆発? そりゃあガスだね。正体不明の空飛ぶ人? ああ、合成乙。車よりも大きな犬? うわあー、禁断症状じゃんか、引くわー。
――お化けやUFOよりは、まあまだいそうだけどさ。ずっと隠れててね。でももしそうだとしても、俺たちには関係ないんでしょ?
丁度それぐらいのレベルに定められた、全人類の印象。
これが、長い歴史の中で『大法院』が果たした、数々の暗躍の成果。
『只人』の歴史の改竄と、深層心理の矯正。
魔女達が研究を重ねて発動成功へと導いた、心理操作の大魔法の効果。
それは自分たちが、人語を話し人と心を通わせて人間のつもりで毎日を生きている自分たちが、二度と”異物”として、迫害され滅亡に追いやられないための大掛かりな防衛策だったのだ。
今では教会の相当の幹部にまで魔女の力は食い込み、実際に司教や司祭などを務める魔女もいるらしい。
魔力を使役する
『大法院』にとったらUFOや幽霊研究などは、魔力の存在と全く関係がないのだから『只人』の方で好きにしたらいい。その放置の結果、実際非常に多くの好事家たちが侃侃諤諤とその存在を議論し、追いかけている。
しかし魔女研究は、魔女探しは、それが本当にいるから駄目なのだ。
これらへの好奇心には『大法院』による深層心理操作が働くはずだった。引いては魔女や魔法にだけ人々の好奇心が集まらないという、その誰かが気付くはずの違和感に対してまでも。
だからこそ、あの看板には違和感があった。
あれは、魔女が作ったのか、精神防御が強い特殊な『只人』なのか。それとも実際どこかで魔女を見て、記憶も残っている『只人』なのか。
圭にはそれが分からなかった。
こうなると昨日の中型の蟲についても気になってくる。
(人を喰うかもしれない程育った蟲が、簡単に町なかの公園にいていいのか?)
先ほどの保坂の振る舞いにも。
(莉緒を『随身』と見ているようだったが、その確証は取ったのか? 『只人』扱いしてた俺の目の前で、あんな迂闊であからさまな派閥への勧誘があるか?)
『お山』で育った圭には実際外の世界でどこまで細部にわたって『大法院』の統制が行き渡っているのかは分かっていない。
兎も角、『溜まり』に来たならちょっと派閥争いぐらいはあるんだろう、巻き込まれたくないな、という程度のこれまでの認識には、修正が必要そうだった。
春日野には、ずっと面倒ごとの気配が濃厚であることが圭にも分かって来たのだ。
圭はすでに溜息をつきたい気分だったが、一通りは見ておこうと廊下の一番奥にある最後の扉の札を確認したそのときに、上着ポケットの『断崖』の鈴がチリンと鳴った。
生徒会室。
今まで、それなりに怪しい場所も通ってきたはずだが、どこにも『断崖』は反応しなかった。もし”それなり”のものがあったとしても、それは圭の問題で、『断崖』の知ったことではないということだったのだろう。
しかしこの部屋の前で、断崖は一度鳴った。
聞いてみたところで教えてくれはしないだろうが、『断崖』は、ここでは一度鳴っておこう、と、そう思ったということだ。
圭は今度こそ本当に溜息を吐き出して、少し距離が開いてしまった莉緒を追って廊下の先の階段へと向かった。
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