第8話 朝の学校案内
大分遅い時間まで魔力操作の練習を繰り返した圭だが、成果としては芳しいものはなかった。
まだ一日目なのでこればかりは続けていくしかない。
鍛錬とはそういうものだ、と、圭もこれまでで慣れていた。
翌朝。
たとえ夜更かしした翌日だとしても圭の朝は早く、今日も家を出るべき時間の二時間前にアラームを掛けて目覚めた。美織と比べるのはそぐわないかもしれないが、普通の魔女や魔士に比べても圭は睡眠には強い方だ。何時に寝ようと早朝に起きれるし、翌日の活動に影響するようなことも滅多にない。
勉強や早朝鍛錬をしてもよかったが、今日のところは自分と『断崖』の朝食をすぐに食べ終えて、美織の分も座卓にラップしておいてから、玄関を出る。
不細工なアーチをしかめ面でくぐってから門扉を開けようとすると、丁度圭の目の前を久美野莉緒が通り過ぎようとしているところだった。
「久美野さん、お早う」
莉緒は肩をびくりと上げてから振り返る。
少し視線をさまよわせたあとで門扉を開けようとしている圭に気付いた。
「あ、結野君。うん、お早う」
「ああ」
びっくりしてても挨拶をするとなると自然と笑みを零す。そんな莉緒に、ほんとにいい子なんだろうな、と圭も笑みを返した。
「早いね。何か部活?」
「ううん、えっと、あたし部活はやってないの」
「そう。あ、一緒に登校しても?」
「あ、う、うん。もちろん」
圭は門扉を閉めて鞄を背負い直してから莉緒の隣に立ち、歩き出した。
「結野君も、朝早いね。何か学校に用事?」
「ああ、今日のところはな。実は学校の中の何がどこにあるのかがよく分かってなくてね。早めに行ってうろついてみようかと思ってる」
「え、あ、そうなの? そっか河合先生、誰にも案内を頼んでなかったよね」
「案内、か……。今まで転校ってのはしたことも受けたこともなくてさ。そうか、そういう便利なのがあるわけだ」
「うん。先生も担任持つの初めてって言ってたから、忘れちゃったのかも」
「そうか、まあ場所を確認してくだけだから、自分で何とかやってみるよ」
「うん……」
「…えと、結野君。そ、あの……」
「うん?」
少しゆっくり目に歩きながら、莉緒の言葉を待つ。
莉緒は顔を俯けながら、若干赤くなっているように見えた。
「嫌じゃなければだけど……、あたしが案内しよっか?」
「え? いや、久美野さんこそ、何か学校で用事があるんじゃないのか」
「ううん。特になくて、ただいつも早めにいってるだけなの。これからなら、朝のHRまでに案内できると思うし」
「へえ……。じゃあ、頼もうかな。助かるよ」
「うん」
一人で校内を行ったり来たりしなくて済んだことに圭はほっとして、莉緒に感謝する。
それからしばらく歩いたところで会話が止まってたことに気付き、圭はこの辺りの地理について莉緒に尋ねてみることにした。
学校までの20分弱の通学路。莉緒も何とはなしの気まずさがあったのか、自分が普段の生活で使う店や施設について色々と圭に教えてくれる。本屋や薬局、美味しい飲食店や安いスーパー、そして花火の見れる河川敷や、夏祭りが催される神社。
莉緒は相槌を打つ圭にこまごまと説明していくが、意外なことにスーパーや商店街のどこでどの食材を買うといいかについてまで説明は及んだ。
「そういうのも詳しいんだな。久美野さんって結構、料理する人なんだ」
「うん、その……、好きで。料理はママと交代でしてるの」
「へえー、大したもんだ。うちの同居人にも見習わせたいよ」
「え、と……。結野君は、親戚のお姉さんと二人で住んでるって言ってたよね。もしかして、ご飯は結野君が作るの?」
「あー、まあね。その“お姉さん”てのがもう、てんでだから。でも俺もとても料理って言えるレベルじゃないよ」
「どういうの?」
「本当に大したものじゃないんだ。朝はご飯かトーストと、目玉焼き。夜はレトルトカレーとか、カップ麺、袋麺かな。あとは買ってきた惣菜をそのまま出すぐらいだ」
「ええー? その……健康に、あんまり良くないよ?」
「それはまあ、そうだな、今は学食が一番の栄養源かもね。料理もこれからちょっとずつ覚えていこうとは思ってるけど、それまでしばらくは、しょうもないもので腹を膨らませていくしかなさそうだ」
「わあ…。そっかあ……」
校門前の信号で二人は立ち止まる。
「ところで久美野さんってあだ名で、りっちって呼ばれてたっけ?」
「あ、うん。ほら、りょうちゃんとはずっと仲が良くて。りょうと莉緒だと音が似てるから、そのうちにあたしの方がりっちって呼ばれるようになったの」
「ふーん。俺の地元だとあだ名って無かったんだよな……」
「え、無い、なんてあるんだ?」
「ん…。良ければだけど、呼びなれないから俺は莉緒って呼んでもいいかな。発音には気を付けるからさ」
「え……? あ、えと……」
「ああ、また誠司とかにからかわれるかもな。君が少しでも嫌だったらやめとく」
「え、えと、大丈夫、だよ?」
「そう。じゃあ俺のことも圭って呼んでくれたらいいから。多分みんなそう呼ぶし」
圭が横を見ると、莉緒は俯いて赤くなっていた。
圭にはうまく分からないが、対人緊張症とかかもしれないな、と少し焦る。
「ああ、別に呼びづらければ何でも。圭でも、君づけでも、苗字でも。お任せで」
「……ん、うん。じゃあ、圭君、で」
「分かった。よろしく。……ああ、信号、変わったよ?」
圭が自分の頬を指で掻きつつ歩き出すと、莉緒もこくりと頷いてからその後に続いた。
二人は一度鞄を置きに教室へ行く。
HRの一時間以上前ということもあって、机の上に朝練に出ている者の鞄は置いてあったが、教室の中には誰もいなかった。
二人は自分の鞄から携帯だけ取り出して、廊下に出る。
「莉緒の、そのストラップ」
「え?」
「いや、随分綺麗だね」
莉緒の携帯ストラップは、青と黄の二つの小粒な石が透明なコーティングをされた上、それぞれ組み紐で吊り下がっていた。
「ああ、そう、綺麗でしょ? りょうちゃんと沙雪ちゃんが出かけたときに、あたし行けなくって。その時に、ひとつずつ買ってきてくれたの」
お気に入りなのだろう、莉緒は嬉しそうな声で言いながら、自分の顔の前で石を揺らした。
圭も真似をして自分の前にストラップをぶら下げてみたが、別段『断崖』の方も圭も嬉しそうにはならなかった。
「ふーん、中学の時?」
「うん、そう。えっとその、圭、君の……、ストラップもいいよね?」圭の呼び方で固くなりながらも何とか言い切って、莉緒も圭の手元の狸を見た。
「ん? んー。いいのかね?」
もうひと揺らししたところで鈴がチリチリチリと不自然に連続で鳴るので、それを少し乱暴に振って止める。
それから制服のポケットに携帯をしまった。
「じゃあ、最初はどちらへ?」
「えと、じゃあ授業で使う教室をそれぞれ案内しながら、途中にあるのも言っていくね?」
「ああ、それで。よろしく」
それから莉緒は校内を、音楽室、理科室、美術室、更衣室や体育館、柔道場などと、順番に圭を連れて案内していった。
それぞれを1年6組の教室からの道順に丁寧に直して説明してくれる。
「で、あとはここ、一階の奥が図書室。ここはこの学校の自慢でもあるの」
「へえ。この町ってそういえば、春日野図書館も大きいよな」
「ああ、あそこにもう行ったんだ? そうだね。この町って、本好きの人が多いのかもね。圭君は本をよく読む人?」
「ああ。それなりには」
「あたしは、小説が好きなの。圭君はどういうの読む?」
「小説はあんまり読んでないかな。何かいいのを教えてもらえたら、読んでみる」
「えー……。うーんと、いっぱいある……」
「ははっ。まあ俺も今は家の片付けとかがあるし、そのうち落ち着いたら教えてくれれば。ところで、図書室ってこの時間から開いてるんだな」
「うん、三年生が受験勉強に使ったりするから、朝早くから閉門まで利用可能なの。そこが結構、便利かな」
欧風を意識した古めかしい扉を開けて、二人は中に入る。
図書室は、ニスの塗られた高価そうな書棚が並んでいて、白い大きな柱が何本か立ち、高めに設置された窓からは朝の光が差し込んでいるという広々とした空間だった。
圭は左右を見渡してから、『学院』の図書館に似てるな、と感じる。
『学院』には図書室じゃなく校舎と独立して図書館が建っていて、休日には住民にも開放されていた。大きさは全く違うが、この学校の図書室の内装や配置は、かなりその図書館と似た作りをしている。
圭は見たことがないが、もしかすると大法院の図書館が大元みたいになっていて、魔女人口が多い地域ではそこからの影響を色々と受けているのかもしれない。
「これは……大したもんだな。蔵書も結構ありそうだ」
「うん。なんか寄贈とかがあって、高価な閲覧用図書も学校にしてはすごく多いんだって。カウンターで委員に依頼して出してもらうの。あと、検索タブレットもあるんだよ?」
「へえー、すごいなあ」
「少し、見ていく?」
「いや、今はそんなに時間もないからいいよ。放課後に寄ってみようかな」
「あ、あたしもそこそこ図書室にはいるから、会うかもね」
「そっか」
二人は小声で会話をしながら図書室を後にする。
莉緒は廊下に出ると、扉のすぐ脇にある階段の前で立ち止まった。
「あとはこの上に文化部室とか、授業用の資料室とかが並んでるんだけど、圭君が部活入らないのならあまり関係ないかも。一応見ていく?」
「部室、か……。そこ通って行ってみてもいいかな」
「うん、こっちからも教室に戻れるから。じゃあその道順で行くね」
そう言って莉緒が歩き出そうとしたところで、二人のことを見ながら階段を降りてきていた男子生徒が、莉緒に向かって声を掛けた。
「やあー、久美野ちゃんじゃない。おはよー」
「え、あ……お早う」
「んん? 誰? そいつは?」その生徒が莉緒の前に立ち、圭の顔を見た後で、笑いながら首を捻る。
声の高い、痩せぎすな生徒だった。半分開いた口は微妙に笑っている形を取っているが、細い目は友好的な雰囲気にはとても見えない。
圭は顔を見た覚えがないので、圭や莉緒のクラスメイトというわけではなさそうだった。
「んー、ああ、そっかあ。6組の転校生って子か。へえー?」
「えと、保坂、くん」
「合ってる? 転校生、だよね?」
「う、うん」
「もうこっちには分かってんだけどさー、そいつって無関係なんだよねえ?」
「え?」
「だからいいや。それよりもー、久美野ちゃんさあ」
自分の言葉に対する相手の反応について確かめようとも思ってないのかもしれない。保坂と呼ばれた生徒は一方的に話を進めていき、莉緒は困ったように視線をさまよわせる。
「ほら、前の話はー? そろそろ決めてくれた?」
「えっと……、グループに入れっていう……?」
「そうっそー。アハハハハ」
保坂はこの話題から急に機嫌が良さそうになり、上半身を前かがみにして顔を莉緒に近づける。
「あとの二人にはあんたより先に入れって言ってきたんだけど、さ。何か最近避けてるんじゃないかなあ、なんて思ってきててね? まあそっちはそれでどうにかするとして……」
そう言いながら保坂は細い目を一層細める。
「あんたは二人に比べて力の方アレなんだろうけど。ほら、さ。ルックス的にも揃ってるし。二人と一緒に入ってもいいんだよ? だって、お付きなんでしょー?」
「その、保坂君? ごめんなさい。あたし、保坂君がグループって言ってるのがよく分かってなくて……」
「んー? え、そうなの? またまたあー」
そう言って保坂という生徒は更に莉緒の方へ近寄った。
莉緒が思わずと言った様子で小さく下がる。保坂はその不安げな表情を楽しむように見下ろした。
「グループは、グループだよぉ。分かってるんでしょ? そんな田舎っぺローカルなところだと、ここじゃあ苦労するよ?」
「え……と?」
保坂は視線を下げて「んー」と楽し気に莉緒の上から下までを見た。
「それなりに激戦な高校なんだからさあー。早く決めときなよー? こっちから誘ってあげてるうちにねえ」
そして莉緒が返事をしないうちに保坂はイヒィッと甲高く笑い、笑みを残しながら振り返って、廊下を去って行った。
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