第2話 推定魔女



「俺の名前、誠司ね! 横田誠司。よろしくねー」

「ん、ああ俺は、結野圭。よろしく」

「アハ、聞いた聞いたー」


 担任の河合先生が教室を出てすぐに、隣の男子生徒が体全体をこちらに向けて声をかけて来た。

 明るそうな男子生徒だ。


「いいねー、クールな眼鏡ボーイって感じで。なんか勉強ができそう。モテるっしょ?」

「……いや、単純に目が悪いだけだからな。勉強もそっちも、からきしだよ」

「へえーどうだかねえー。でも、一年の一学期に転校ってなかなか大変じゃん。親の転勤? どっから来たの?」


 圭はふと、質問を矢継ぎ早に並べてくる誠司の、笑顔に細められた両目を見る。


 短髪で、何か部活をやってるんだろう、程よく日焼けしている。

 質問内容から警戒度が上がりそうにもなったが、誠司は男子だし、考えてみれば『只人』の普通の会話内容に充分収まる範囲内なんだろうと圭は思い直した。

 前の席に座る二人の女生徒も体をこちらに向けて興味深そうに圭と誠司の会話を聞いている。


「**県の、田舎の方から。ここから電車で5時間くらいかな。転勤っていうよりは…」


 その時、前方の席の間を縫って一人の女生徒が歩いて来た。

 久美野莉緒だ。


「結野、くん」

「ああ、久美野さん」

「本当に同じクラスになったね」

「そうだな。これからよろしく」

「うん」


「え、え、何なになに」

「どしたの、りっちー。知り合い?」


 周りの男女が反応する。


「えっと。昨日結野君がうちの隣に越してきたのね? だからお隣さんになったっていうか…」


 莉緒の説明に男女が更に色めき立った。

 誠司がフゥーッと高い声を上げる。


「始まっちゃうじゃん。え? それ始まっちゃわない?」

「わあ、お隣かー。でも誠司は盛り上がり過ぎ。莉緒はそういうんじゃないんだからねー?」

「そうよ軽くないんだから。すぐ赤くなっちゃうよ?」


 確かに莉緒はすでに先程より赤くなってきていて、顔を俯けて居心地悪そうにしている。


 圭はといえば、先だってあの魔女が莉緒に投げていた言葉といい…、と、表情には出さないながらも内心ぐったりしていた。

 まあつまりはこれも、『只人』の高校一年生達が織り成す社会ということなのだろう。

 『お山』ではそういう話なんてとんと出てこなかったが、『恋愛脳』という言葉だけなら圭も聞いたことがあった。ひとたび外に出てみれば、年頃めいたその『恋愛脳』が思ったよりもひしめき合っているのかも知れない。


 とは言っても無理矢理当事者にされて黙っている訳にもいかないので、圭は波風を立てないようにこの場を落ち着けることにする。

 むしろ今もこちらを睨みつけている猛禽魔女にも聞こえるように、ここはきちんと言っておきたかった。


「引っ越してお隣さんになっただけで”始まっちゃう”んなら、日本に少子化なんて来ないだろう。そもそもこんなボソボソ眼鏡、久美野さんに迷惑だろ」

「ボ、ボソボソ眼鏡て!」

「あはは、自分で言っちゃう?」


 莉緒はまだ俯きつつも、圭の言葉に少し力が抜けたのかクスリと笑う。


「でも、久美野さん。引っ越してきたばかりだし、何か分からないことがあったときは聞くかもしれない。その時はよろしく」

「うん」


 誠司がしつこく二人のことをちらちらと見る。


「え、ほらじゃあ、アドレス交換は? いいの?」

「誠司ぃー」

「あ、そうだね。交換しといてもいいかな」

「え…あ。う、うん」


 莉緒はまた赤くなりかけつつも頷いて、携帯を取りに自分の席に小走りで戻る。未だにそちら側からは水圧のような視線を感じるがもう圭は無視しておくことにした。


「君らもほら、教えてくれるか」


 莉緒の後ろ姿に向けてまだ頓狂な声を上げている誠司に、圭は声をかけた。


「あ、俺らも?」

「うん。誠司、でいいんだよな。君も俺のお隣さんだろ」

「ああ。ま、そっか」


 毒気を抜かれたようになって誠司は尻ポケットから携帯を取り出す。


 続けて前に座る二人の女生徒とも自己紹介を済ませる。

 圭の目の前に座る金に近い茶髪の女生徒が美鈴みすずで、誠司の前の黒に近い茶髪が由美恵という名前らしかった。

 そして席が近い三人でアドレスを交換し始めたところで、圭はふと、授業前の教室の弛緩気味だった騒めきが僅かに変容したのを感じた。


 【五感強化ハイアイント】はもう切ってあったが、圭の五感と受容体レセプター、そして判断力はこれまでの繰り返しの鍛錬のおかげで通常時であっても鋭敏に育ってきていた。

 その耳で今、同時に数人の生徒が不意に言葉の間を不自然に空けたり、声のトーンを若干変えたのを感じ取ったのだ。


 圭は目線を自然な動作で上げる。

 一人の女生徒が教室の前扉から入って来て、莉緒と猛禽魔女がいる辺りに手を振って歩いて来るところだった。


「お、マドンナ」


 誠司が呟いた古い言葉に、圭は隣へと顔を向ける。


「ほら、あれ。隣のクラスの沙雪って子。まああそこらへんの三人で、一年のモテグループのひとつなわけよ。りっちと仲いいからよくあそこらへんに集合すんの」

「誠司ぃー。あたしらがいてよく言うよねー」

「げげ」

「あはは。まあいーけど。実際可愛いからねえ。りっちも、りょうや沙雪ちゃんも」


 教室に入って来た女生徒はすらりとしていて、腰に届きそうな長さの黒髪ストレートをしていた。目鼻がスッと通った和風の面立ちの割には目が大きくて、遠目から見ても美人の部類だというのは圭にも分かった。

 鞄から携帯を取り出してこちらに戻りかけていた莉緒と、行儀悪く座っている猛禽魔女との三人で何かを短く話し、その女生徒が圭の方へと顔を向けた。


 そのとき圭は、普通の感覚では分からないようなレベルで、巧妙に隠匿された静かな緊迫感を女生徒の視線から感じた。

 自然な笑みに覆われた、相手を値踏みし、敵味方を見定めようとするような、思惑を隠した視線。


(……推定魔女、二人目、かな)


 もう石飛礫が飛んでこないいといいんだが。

 圭は彼女と合うか合わないかだった視線をすっと逸らして、誠司が手に持ってる携帯へと落とす。


 三人での話が終わったのか、莉緒が携帯を持ってこちらに歩き出した。その後ろに、髪の長い、恐らく沙雪という女生徒と、猛禽魔女も付いてくるのが見える。


「あ、結野君。えっと」


 圭は「はい、これ。俺のアドレスね」と言って携帯を莉緒の方へ差し出した。


「あ、うん」莉緒は片手で受け取る。

 そして携帯にぶら下がってる物体を覗き見て「わ、ストラップ可愛い」と言った。

 圭の携帯には細い鎖の先に3センチ程度の、丸い狸の頭を模したストラップが揺れている。


「ん……、家に、たまたまあったんだ」

「ふふ。たぬき」


「りっち、と、転校生君? あの、お話に混ざってもいい?」


 髪の長い女生徒が莉緒の後ろから声を掛けてきた。


「あ、沙雪ちゃん。うん」

「突然ごめんね。えーと、ねえねえ。君、昨日りっちの家の隣に越してきたって今聞いて」


 女生徒が圭に向かって話しかける。

 圭が頷くと、女生徒は「へえー」と言いながらにっこりと笑った。

 その後ろには猛禽魔女が体を半分隠し、野生性を振りまきながら肩を丸めて飽きもせずに圭を睨んでいる。圭が魔士なのか鼠なのかをずっと判別でもしてるのだろう。


「りっちのお隣ってことは、あの、ちょっと雰囲気がある家よね?」

「ああ、知ってるのか。まあお化け屋敷っぽくは、あるかな」

「ふふふ。まあ、そうね。ちょっぴりね」


 女生徒が悪戯っぽく笑う。


「あ、あたしはね、熊野沙雪。苗字が自分で嫌いなんで、沙雪って呼んでほしいかな。りっちとは中学からの友達なの」


 沙雪と名乗った少女は改めて圭に向かってにっこりと微笑む。


「よろしくね?」

「よろしく。俺は、結野圭。結野でも圭でも好きに呼んでいいよ」

「じゃあ圭君、ね。それとこっちにもう一人…、ほら、りょうったら」


 沙雪と名乗った女生徒が後ろを向く。

 りょうと呼ばれた方は相変わらずの視線の質のまま、相手に聞かせる気があるのか疑いたくなるようなボリュームで「りょう、でいいよ」と言った。そして莉緒の安否を確認するように横を向いてから、もう一度圭を強く見る。


「あははは、ごめんね? この子の苗字は茜で、茜りょう。転校生君にしたら戸惑っちゃうだろうけど、この子りっちの親衛隊みたいなものだから。多分お隣になった圭君のことをすごく警戒してるのよ」

「え、警戒って、りょうちゃん? 違うよ? 本当に普通に、ただのお隣さんだよ?」と、携帯の登録を終えた莉緒が、りょうの方を向いて言い訳めいた口調で言う。


 りょうはと言えば肩を怒らせたまま莉緒のことを見上げて、しばらくジト目をした挙句に、フン、とそっぽを向いた。


「えと、りょうちゃん?」


 それを見ていた誠治が興味深そうな声を上げる。


「へえー。りっちとりょうって、やけに仲いいなとは思ってたけど親衛隊ってレベルなんだ? またりょうは席までりっちの横っていうところが、なんだかガチっぽいねえ」

「ねー。席替えの時にどんな力を使ったんだか」と沙雪も同意した。

「でも、うちのクラスの席替えは全員くじ引きだったよ?」

「ふふ。でもねえりっち。この世にはあるじゃない。不思議な力みたいな、そういうのが」


 そう言って沙雪は圭へと視線を移し、「ね」と微笑んだ。


「ん? ああ、想いは通じるってヤツだな」


 圭はそう言ってすっとぼけた。


 この子も、魔女か。

 今はとぼけて見せたが、流石に今のは向こうから匂わせ過ぎだろう。

 若い魔女では珍しいが、感知系統の能力を鍛えてあるのかもしれない、と圭は当たりを付ける。近々魔女としてコンタクトを取ってくる前挨拶みたいなものなのかもしれないが、どう言って逃げようか、と内心で続けて考えた。


 概して、魔女・魔士の魔力には生まれ持った才能とも言うべき強さがあり、そして彼らは幼少から鍛錬を続けてそれを更に高めていくものだった。

 そして魔女は、長い時間を掛けて感知系統の能力も少しずつ磨いていき、長きを生きた者ともなると最終的には相手の魔力にその”鍛錬の痕跡”が残っているかどうかさえを読み取って、魔女なのか魔力持ちの『只人』なのかも判別出来るようになるという。

 そもそも魔女は元来感知力が高く、ごく稀には物心ついた頃からその力を発現できる少女もいるほどだった。


 対して魔士の方は殆どの者が感知する能力は乏しかった。

 よっぽど相手の魔力が強くなければその存否さえ分からないし、せいぜい「自分が感知できるってことはきっと相当な魔女なんだろう」という雑な判定しかできない者が多い。

 余談として、「魔女が子を生す相手パートナーを選ぶため感知力を子々孫々と磨いてきたというのに、魔士はそうではなかった」というところから、「つまり男が浮気性である証左」と決めつけてくる論理が魔女界隈にはあるほどなのだ。


 そして魔士の中でもとりわけ圭は感知が苦手であり、その為に挽回策として【五感強化ハイアイント】の特訓を強いられてきたというわけだった。



 りょうからの石飛礫の挨拶のときには、圭はちょっかいの意思を読み取りながらも身動ぎひとつしないことで凌いだはずだったんだが、熊野沙雪の方は既に何かもう確信めいたいわくありげな表情を圭に向けて来ていた。

 圭にしてみると、魔士とばれないように対策はしてあったはずだが、既に確信されているとしたらお手上げだった。女は怖いっていうやつなのかな、と心中で呟く。


そして、そんな圭をからかっているのかと疑いたくなるほどに間延びしたチャイムの音が、教室の中に鳴り渡った。


「まあ兎に角、りっちのお隣なら私たちともよく絡むかもしれないから…、りっちともどもよろしくね? 転校生君」肩口を教室の扉の方に向けながら、そう言って沙雪が微笑む。


圭も自分の思うところは隠しながら、それに微笑を返した。


「……ああ。よろしくな」



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