ここには魔女が、多すぎる

百号

第1話 意外な洗礼



 教室まで先導してきた女教師が、ドアの前で結野圭ゆいのけいのことを振り返った。


「緊張する?」

「……どうですかね。してるのかも」

「ふふ。そりゃそうよ」


 そして、彼女は「ここよ、1年6組」と言ってから、相手の不安を背中を叩いて追い払うような笑顔を残して、ドアの中へと入っていった。


 残された圭はドアの脇に立ってそれを見送りながら、そっと右手を学生服の右ポケットへと差し込む。


(初めは一応、ね)


 そしてポケットの中のスマートフォンの上で簡単な記号を描くように指を動かす。



五感強化ハイアイント



 フリックを終えて指を離した瞬間、圭の周囲の世界が一変する。

 厳密には世界がというよりは、周辺情報を受け取って内部でそれを捉え直す圭の感覚が、最大入力マキシマム・インプット状態に移ったのだ。


 朝の教室の「お早う」の延長の騒めき。それが担任が入って来たことによってさざ波ぐらいのボリュームへと移っていく音の変化。

 続けて担任の発した「はーいみんな注目ー。昨日のHRで言ってた転校生ね。早速だけど紹介しますよー」という伸びやかな声。

 それを聞いて、再びトーンアップする騒めき。


 それらの音声が圭のフリックが終わった瞬間、まるでアンプのつまみを意図せず回し切ってしまったときのような大音量へと変わる。


 加えて圭の肌に触れる衣服の繊維の一本一本が、両手や顔に当たる空気の対流の向きや強弱が、委細に渡って電気信号として圭の脳へと送り届けられる。

 建材の匂いや生徒たちの鞄の中の弁当の匂いまでもが、実際目に見えそうなほどになって一気に辺りに立ち込めた。


「それじゃあ、結野君。入って来て」


 先程職員室での顔合わせでは河合と名乗っていた担任教師の、断末魔の叫び声みたいな呼び掛けに応じて、圭は教室の中へと自然な一歩を踏み出した。


 相当の訓練を経ていなければ、挨拶どころか一歩も動けなくなるような大きな世界の変容。

 それを感じながらも、圭は涼しい顔で教壇の教師の元へと歩いて行く。そして新たなクラスメート達の方へ向き直って、口元に落ち着いた微かな笑みを浮かべる。


 それから圭は鋭敏になった五感から、自分に向けられる視線や、生徒達の息遣いの種類を素早く拾い集めていく。


(……興味、興味興味無関心、小さい驚き、興味興味、強い興味。……一件、殺意)


 ふうん、と思いながら教室中の走査スキャンを終え、改めて問題の一件に意識を向ける。


(……いや、殺意ってほどでもないかな。敵意ぐらいか)


 まあ、魔女だろうけど。と思いながら、圭は不穏な空気を向けてくる相手に目の焦点を合わせるようなことはせずに、強化された視界の隅でそっと相手の輪郭や表情を捉えた。


 ――今圭が転校初日のクラスで行っているのは、シンプルかつ地道な情報収集と、それに伴う判断。

 圭は別に、魔法によって人間の第六感と言われるようなものへ作用を施しているわけではない。

 多くの人間は悩ましい局面において何かしらの選択を採るときに、「第六感で」とか、「ピンときた」「勘が働いて」などという表現を使ったりするが、圭が使用している【五感強化ハイアイント】はそういった脳の未解明な機能を起動するようなものではなかった。

 ただただ人間の感覚を鋭敏にするだけの、地味な魔法だ。


 圭にこの基本魔法を、五本同時に、通常発動を可能とするように課した祖母は、その時こんな風に説明していた。


「殺気に、気付く。虚実を見抜く。あとは例えば森で左右の道どちらを進めばいいかなんていうときだってそうですね。人が何かを見抜き判断する力なんてものは全て、結局自分の五感と思考との賜物なんです」


「『勘』やら『第六感』やらなんて言うものは、怠けて自らの力を正しく認識したり使用することが出来ない愚鈍な者の言葉なんですよ」


「そして本来、この【五感強化ハイアイント】に頼らずとも貴方はそういう透徹を行えるようにならなくてはなりません」


 まあ、それはまだ先でしょうけど、と付け足しながら、祖母はこの魔法の呪を圭へと伝えた。


 そうして、『魔力感知にとりわけ鈍感な圭を心配して』という口実を付けた祖母のしつこくてサディスティックな特訓のおかげで、圭はいまこの教室でも自分の五感の奔流に飲み込まれることなく、必要な情報だけを抜き取っていくことができているのだった。

 感謝、するべきなんだろう。

 祖母はもちろんだが、通常一個ずつ起動する五感魔法をパッケージング&再組陣してくれた上で率先して鍛錬内容を考えてくれたあの女にも、大感謝だ。

 笑顔で配膳される大辛カレーやパクチー料理。カラオケ大会の奇声とハウリング音、瞑目しても無駄だったネオンの明滅。背中を流すと言って風呂に勝手に入って来て固いヒョウタンで背中を擦られたこともあった。45度のかけ湯はまるでマグマだった。


 様々な思い出が去来しつつも、全部きっと自分のためだったんだ、と遠い目をしかけた圭の視界の隅。僅かな間思考を寄り道させつつも、圭は窓寄りの席からこちらに敵意を向けてくる相手のことをちゃんと捉えていた。


 そこには、両手ポケットで椅子を後方に傾け揺らしている、小柄な少女が座っていた。

 顎のラインくらいの短めの黒髪ショート。その輪郭の周りには金色のインナーカラーが入ってるのが見え隠れしている。

 色白で目が大きく、どちらかと言えばあどけない童顔寄りの顔立ちだったが、その表情には転校生を迎え入れる好奇心も笑顔も浮かべてはいなかった。寧ろ眉を寄せて、くっきりした両目に隠す様子もなく圭への敵意を孕ませている。

 小動物系のルックスを天から与えられておきながら、鋭い眼力と迫力とを自ら進んで体得した挙句、小さいは小さいながら猛禽類へと進化を完了させてしまった姿のように見えた。



 緊張気味な転校生の自然な一呼吸分に収まる時間でそこまでの識別を済ませて、圭は口元に微かな笑みを保ったまま教室の真ん中辺りの空間へと視線を向け、ぺこりと会釈をした。


「結野圭、と言います。春日野町に越してきました。よろしくお願いします」


 短い挨拶に続けて再度の一礼をし、顔を上げる。


 その瞬間の圭の眉間を狙って、問題の少女から何かが射出された。


 圭は出力直前の空気の変化を感じ取り、向こうがまさに今何かを仕掛けた、ということには即座に気付いた。

 これまで圭の周囲にいた人たちの中には群を抜いての乱暴さと常識のなさを備えている者たちが複数いたことも手伝って、その唐突過ぎる”ちょっかい”自体に圭が動揺するようなことはなかった。

 しかし、魔力の動きまで分からなかったのは圭には感知不能なほど小さなものだったから。そして、飛来する魔力の構成内容に瞬時にスキャンをかけ、ただの生のままネイティブの魔力の礫と看破したとき、圭はその事実に内心で驚く。

 それでも思考は止めることなく数パターンの対応を吟味した結果、圭はそのままそれを眉間で受けておくことにした。

 ダメージはほぼ、無いはずだ。

 むしろ魔力体の微弱な振動によって現実の身体に動きが出ないように注意する。


(タンッ!)


  飛来した礫は確かに圭の眉間へと命中した。

 圭は身動ぎもしない。

 魔法を放った少女は呼吸を止めたかのように圭の様子を見守っている。

 クラスメート達は何も知らずににこやかな好奇心を持って新しい仲間のことを見上げている。


 表情を微塵も変えることなく圭は上げた顔を正面に向けて、眼鏡に指を当てながら河合先生の方を向いてひとつ頷く。先生は圭に頷き返し、教室を向いて話を始めた。


(へえ……。結構高位、かな。オリジナルだし、TPOにぴったり合ってる)


 圭が驚いたのは攻撃されたことや魔力体に生じた振動にではなく、今の猛禽魔女が行った”ちょっかい”の内容についてだった。

 恐らく【通話コール】で使うような基盤的な指向性確保を発射台として、自分の内包魔力を小さく切り取って飛ばしたのだろう。呪文や印による定型魔法に頼らずただただ魔力を自力で切り取って飛ばすということは、シンプルながら魔力操作に優れてないとできないことのはずだった。


(ポケットには何の『媒体』を握ってるやら、だ)


 極めてシンプルとはいえ射出量によっては相手の魔力体に衝撃を与えられるし、集中を要す魔法を起動中の敵なんかには詠唱妨害にも使えそうだな、と圭は感心する。最近の魔法業界が顕現する力の種類や大きさにばかり注目しているなかで、意表をついた視点だと言えた。軽微なコストなのに対魔女・魔士戦では十分な手札となる。


 挨拶としても面白い、と圭は思う。

 挨拶よりは誰何すいかと言った方が近いのかも知れないが。


 質量や水、炎といった顕現現象フェノメナを意図的に省いているため、例えるならターゲットが何者であるのかによって可視性や質量の有無が変わる石飛礫いしつぶてのようなものだ。分かりやすい”魔法”という完成した型に頼らず、”魔力”という素材だけを投げつけるのは先方の目的を考えるとTPOを見事に捉えていると言えた。


 魔女や魔士にとっては、それははっきりとした礫。通常なら避けたり防御したり射出元を確認したりと、当たる前後は問わずとも何かしらのリアクションを取るだろう。

 そしてなかなかいるものではないが、もし圭が野良の魔力持ちにだったとしたら、それは不可視の石になる。当たった後で、突然の振動と違和感に声を上げたりキョトンとしたりするはずだ。


 そして物理体に影響し得る顕現系が魔法に全く付与されていないために、もし圭が魔力ゼロの人間、『只人ただひと』であれば、何も起きないし何のリアクションも起こさない。

 ゆえに圭もそうしておいた。


 『お山』由来の争いだろうとローカル独自の派閥争いだろうと、面倒ごとは全て勘弁願いたい。こんなことで同業に自分を魔士だと表明するつもりは圭には一切なかった。


「じゃ、そんなわけでみんな仲良くしてあげてくださいね。では結野君、あそこの空いてる席に座ってください」

「はい」


 先生は話を終えると窓際の一番後ろの空席を圭に指し示した。

 圭は鞄を背負い直し、新しいクラスメートたちの机の間を視線をくぐるようにして歩き出す。


 その時進行方向の先、先ほどの猛禽魔女のいた辺りからふいに好意的な視線を感じとって、何だ何だと目を上げた。

 目線の先にはこちらを睨む魔女が相変わらずの姿勢で座っている。そしてその隣りには、ひら、と小さく手を振って圭に向かって微笑んでいる女生徒がいた。



(ああ。えーと久美野莉緒、だっけ)


 圭は昨日の夕方の記憶を引っ張り出す。


 圭が越してきた新居の隣に、家族と住んでいる女の子だった。つい昨日引っ越しの挨拶の時に互いに自己紹介をしたばかりの、優しそうな顔立ちの女の子。

 同じクラスになるかもね、と言っていたが実際にそうなったようだ。


 圭が目線で会釈をすると、莉緒の方も心持ち眉が下がったお人好しそうな表情でくすりと笑って合図を返してきた。

 その圭と莉緒とのやり取りに、隣の席にいた魔女も気付いたらしい。

 敵意が一瞬吹き飛んだような驚いた表情になって、なぜか狼狽えたように視線を莉緒と圭との間で往復させる。

 そして眉を寄せて何かを考えてから、再び顔を上げたときにはなぜかさっきよりも圭への敵意がくっきりと強くなっていた。あと半歩で殺意にまで足を踏み入れそうな勢いだ。


 ……何だ何だ。


 ともかく圭は何も気付かない振りをして通り過ぎていくしかない。


 担任に示された席に着くと、右隣りの男子生徒がにやっと笑ってピースをしてきたのでこれにも会釈を返しておく。

 その時、強化した聴覚から前方のひそひそ話が聞こえて来た。


「りっち、りっち」

「うん?」

「ねえ、 知り合いなのあいつ」

「あ、うん。お隣に昨日ね、越してきたの」

「え…」

「まだ自己紹介をちょっとしただけだけど。あのお屋敷に、親戚のお姉さんと住むんだって」

「え…」


 一呼吸分の沈黙の後、魔女の震えているような声が続く。


「……好き、なの?」

「……え、と…、は!? え! ええ?」


 前方で椅子がガタガタッと鳴った。


「あれ? おーい久美野さん? 優等生が騒ぐなんて珍しいですねー」


 この時圭も実はコフッと軽くむせていたのだが、莉緒と河合先生との声に紛れて特に目立たずに済んだ。


「あ、す、すみません」


 莉緒は急いで着席したが、すぐに隣の席を向き、手を上下に振って無言の抗議をする。

 莉緒に睨まれた少女はと言えば一度彼女の方を向いたがその抗議にはどこ吹く風で、顔を半分だけこちらへ振り向けて圭の姿を再確認してきた。


 【五感強化ハイアイント】をまだ切らずにいた圭だが、強化せずともその視線が纏っている感情は読み取ることができる。

 視線を合わせるのは避けながら、圭は内心で少々ぐったりと溜息をついた。


(何が何だかなんだが……。あれは、もう殺意だな)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る