第3話 『紅仙山』にて



 ――『五山』


 魔法を操り研究する者のほとんどがこの五つの組織のいずれかに所属し、そして自分が属する『お山』との間で何がしかの関係を保ちながら生活している。


 『五山』は必ずしも実際の山中に構えられると決まってるわけではないのだが、結野圭が育てられた『紅仙山』については地図上にも実在する険峻な山の中腹に、その拠点が構えられていた。

 山中の大きな寺院と堂、麓に点在するいくつかの分社、そして裾野に広がる檀家町。

 そこに居住する人々のほとんどは魔女と魔士、そして『随身ずいじん』のように彼らをサポートする役目を担う人々であり、ここでは皆が『お山』と『お山』の魔法の発展の為に働き、また『お山』からの恩恵を受けながら生活していた。


 『五山』は、それぞれが得意な魔法分野を持ち、また使用する媒体も『フダ』や『ギョク』、『空蝉ウツセミ』など各地に応じた特徴を持っていた。

 その中で『紅仙山』が得意とするのは『空蝉ウツセミ』を用いた火炎魔法。

 難易度が高い媒体と言われるだけあって『紅仙山』の魔女や魔士の全員が『空蝉ウツセミ』を用いる訳ではなく、また火炎魔法ばかりを鍛錬している訳ではないのだが、やはり構成員達の火球や火炎の扱いにおいてはほかの四山とは一線を画していた。



 そしてその『紅仙山』の中腹、檀家町の人々からは「本殿」や「御座みくら様」と呼ばれる、『お山』の中心とも言える建造物。

 古びてはいるが手入れの行き届いたその寺社の中、開放的な作りをした本堂には晩春の午後の柔らかい光と風とが差し込んできていた。


 本堂の板間、外陣げじんの経机に向かって正座で瞑目していた結野木和ゆいのきわの耳に、外廊を小走りに近づいてくる足音が聞こえてきた。


「おばあ様! やっと会えた!」


 木和はその声に目をゆっくり開いて、正座のまま半身を扉の方に向け、少し微笑む。


「あら、聖乃ちゃん」

「お話があったんです! ずっといないから」

「ふふ、聖乃ちゃん、ここは御座みくらの御前ですよ? それに年頃のお嬢さんなんだから、尚のこときちんとしなくてはね」


 聖乃は木和のことをおばあ様と呼んだが、別に木和との血縁があるというわけではない。

 木和が頭首となった時、『お山』の子たちには「おばあちゃん」と呼んでほしいと自ら頼んでいたのだ。流石にそのまま「おばあちゃん」では気が引けるので、町の若者たちは皆木和のことを「おばあ様」と呼び、そしてその分の親近感を持って木和に接していた。


 制服姿で戸口に立った聖乃は尚も木和に対して言い募ろうとしたが、すぐに思い直して扉の脇で浅く一礼して入室。そして経机の木和の後ろに正座して小さな本尊仏へ向かって深い一礼をし、次いで木和の方へと向き直って両手をつきながら挨拶をした。


「お帰りなさいませ。おばあ様」

「はい。ただいま」

「大法院でのお勤めご苦労様でした。あちらは、いかがでしたか?」

「まあ変わりなく、つつがなくですね。いくらかあちこちの『お山』に揉め事はあったようですけど、それぞれの山の内で解決したようです。聖乃ちゃんはお元気?」

「はい。私もつつがなく。あの、それで……」

「ふふふ。圭のことですか?」

「そうです! あ。ごめんなさい…」


 再び堂内に声を響かせてしまった聖乃が謝る。

 木和はそんな聖乃に笑顔を向けてから、「御座みくらへのご報告は終わりました。外に出ましょうか」と促して腰を上げた。


 聖乃も「はい」と返事をして腰を上げ、大扉の方へ振り向いてから「わ」と声を上げた。


 一人の男性僧侶が扉のすぐ傍にある脇机に座していたのだ。

 つい先程目の前を通り過ぎたというのに聖乃は全く気付かなかった。

 その男性は圭と同様に珍しい男性の魔法使い、つまり魔士であるらしいのだが、ひたすら寡黙かつ存在感が希薄なため檀家の女性陣には気味悪がられている人物だった。


 半年前から本堂や講堂内で見かけるようになったが、『紅仙山』の門人か客人なのかさえ誰も分からない。木和や、事情を知っていそうな高徒に聞いてもはぐらかされてしまうのだ。

 当の魔士は木和の傍らに配しているか長らく見かけないかのどちらかで、いまも長羽織を掲げ持って木和へと渡している。


「ありがとう」


 木和は長羽織のかんを止めて歩き出し、顔を聖乃の方に振り向けながら「圭はもう、あちらへ?」と問いかけた。


「あ、はい、昨日です」

「どうせ聖乃ちゃんにも碌に説明せずに行ったんでしょう」

「そうなんです! 前日にいきなり春日野っていう町に行くって言って。理由を聞いてもおばあ様に言われたからって言うだけだし!」

「あらあら」

「あいつ、『学院』に編入するんじゃなかったんですか?」

「それも考えたんですけど、ねえ」


 木和が草履を履いて前庭を歩いていくので、聖乃も急いでローファーに踵を突っ込んで、木和の半歩後ろをついていく。

 そしてその横顔に向けて訴えかけた。


「あんな、その、ぼんやりした奴が、『紅仙』から出てってやっていけるんですか? ここの『学院』ならまだ気心が知れてる人が沢山いるんだし」

「そうね。……まあむしろ、だから、なのよねえ」

「え?」

「圭の力のことは、聖乃ちゃんも知っているでしょう?」

「それはまあ、はい」

「圭は”そういうもの”を持ってしまっているというのに、貴女が言う通り、自分や人に頓着しないというか、内の方へと籠る性格でねえ」

「だったら」

「うん。ふふ。だから、ね。魔法の本場とも言える『学院』ではなくて、お外に行って”逆武者修行”をするの」


 おかしそうな声音で言った木和のことを聖乃は思わず見る。


「え?」

「圭が自分で言ってたのよ。上手いもんでしょう」

「えっと、”逆”って何がですか?」

「春日野の土地はね、『お山』はないとはいえ中程度の『溜まり』な上、町そのものも栄えてますから。魔女の出自もひとつところに片寄らずに、野に下りている色々な魔女や魔士たちに会えるわ。そして魔法の存在自体を知らない『只人』も、もっともっとたくさん住んでいます」


 『溜まり』とは地に満ちる”力”が他に比べて強い地域のことだ。

 『五山』ほどではなくても、魔法の効果だけでなく魔力の成長期待値も高くなるため、魔女や魔士がそこに集まりやすい傾向にある。集まりやすいのが魔法に関わる”人間”だけではないのが考えものだったが。


 木和は話しながらも参道の石段をゆっくりと下り始める。そのすぐ後ろを聖乃が続き、さらに袈裟姿の男性が七、八歩ほど開けて静かについて行った。


「『只人』と違い、魔士であるというのがどのようなことなのか。そして魔士の中でも自分はどのような者なのか。あの子の魔法の力をちゃんと育てていくには時間がかかるし、それはかけて行けばいいんだけど、それよりも圭は最初に自分が何者なのかを学ぶべきなんです」

「何者か……」

「化け物扱いはいずれどこかでされてしまうんでしょうけど、その時に中身まで化け物だったら、とっても悲しいことでしょう?」

「化け……え、えっと…」

「ああ、化け物っていうのは、人間と隔絶した、っていう意味ね? 今の圭はちゃんとしてるんだかぼうっとしてるんだか、自分のことをちゃんと分かってるのかが見えない子でしょ? だから皆が頭首であるあたしの孫、この『お山』の『神子』として接してくれて、魔女の本場でもある『紅仙』という地からは出てね。外にいる魔女や『只人』と暮らして、その時々で色々なことに巻き込まれてくればいいんですよ」

「でも、その、危なかったりするんじゃないですか?」

「それはどこにいたって変わりません。むしろ圭はちょっと自分の内外の危うさについて学んだ方がいいんです」

「でも……でも何かあったら…」

「まあ、美織も『断崖』様もついてるし平気でしょう」

「いや、美織さんはあたし、余計心配な気もするんですけど」

「まあ! フフフフ。そうかもしれませんねえ」


 聖乃は足元の石段を見て少し苦しそうに眉根を寄せ、また木和の横顔に顔を向けた。


「圭、は? 圭は何て言ってたんですか」

「圭は確か……。『なるほど』とだけ言って、それから荷造りを始めたわよ。美織と一緒というのにはものすごく抵抗してたけどね」


 そして山裾を見下ろして歩いていた木和は顔だけ聖乃の方を向いて、それまで自然に浮かべていた笑顔の質を、少し申し訳なさそうなものに変えた。


「圭のことは圭自身で何とかしていくだろうし、むしろそうすべきだから放っておけばいいんですけど。でも、聖乃ちゃんが寂しいのは、何だか申し訳ないわねえ?」

「ちがっ。そんなんじゃ…!」

「ふふふ」


 木和はくすくすと笑いつつ石段の途中から分岐して伸びた小径へと足を向ける。辰巳堂で行われている檀家たちのお稽古に顔を出すのだ。

 少し顔を赤くした聖乃は一瞬逡巡したのち、その背中に「おばあ様? 違いますからね」と喋りかけながら、後に続いた。

 

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