第1話 第二の生 5

 何十という馬と兵士が村に押し寄せたのを見た祖父は、遂に村が国一番の闘犬の里であることが知れ渡ったのだと思い、歓喜した。いつか商人が匂わせた闘犬の大会はまだ開催されてはいなかったものの、その後何人か村を訪れた旅人が、この村こそ将来の闘犬の里であるとの見聞を広めたと思ったのだ。


 祖父は背筋を無理に伸ばし、隙あらば浮かび上がろうとする喜びの笑みを、厳めしい表情の裏に懸命に抑え込みながら、都からの来訪者たちを迎え入れた。

 犬たちは見慣れぬ人間の一行に興奮し、牙を剥き出し、血のにおいを期待して小便を垂らすくらいには闘犬らしく育っていた。

「女王陛下の命で参上した!」と兵士の一人が言った。羽飾りのついた異国風の帽子や、腕章などを見ると、どうやら一行の中で最も位の高い者であるようだった。彼は腰からぶら下げた鞄をまさぐり、筒を取り出すとその中から一枚の紙を差し出した。

 祖父は遂に日々の努力が報われるのだ、と感極まって紙を受け取った。都に参り、女王様に謁見し、猛々しい我が愛犬の勇姿をお見せできるのだ。そこいらの取るに足らぬ害虫のようにひ弱な犬どもとの格の違いを見せつけてやるのだ。血にまみれた闘犬場に一匹凛と立ち尽くす我が愛犬の勇ましさを見せつけてやるのだ。鍛え抜いた筋肉、磨き抜かれた牙、強い敵を求めて爛々と燃える黒い目と神々をも怯ませる咆哮に、恍惚の境地にも似た興奮の身震いを抑えられぬ女王様の姿が目に浮かぶ。そしていたく感動された女王様は、百の豪邸にも値する財を我が村へ授けて下さるのだ!

 字が読めなかった祖父は勢いで受け取った紙面に目を落とすが、さてどうしたものか。文盲であることを悟られては格好がつかぬ。さりとて文面が読めないまま適当に返事をしては、万が一、本来の要件と齟齬が生じた際に困ったこととなる。はてさて……。

 しかし我が祖父はその時、生涯で最上の幸福のまっただ中にいたのだ!持ち前の楽天主義がこの時ほど祖父の脳髄を食い荒らしたことはなかっただろう。楽天主義とは精神の阿片に他ならない。

 待ちに待った勅使が村へ訪れたのだ。栄光への、黄金の湧く村の実現への第一歩なのだ!


「村人を代表してこの私が、女王陛下様のご依頼を謹んでお受けいたそう。村で最も優秀で血に飢えた犬を幾匹か携え、必ずや都へ参りましょう」

 兵士たちは一瞬、ぎょっとしてたじろいだが、次の瞬間には数十の刃先が祖父へと向けられていた。これには我が楽天家の祖父も恐れをなし、後方へ飛びのいて激しく尻を打ち付ける始末。

「このような田舎の村人に字が読めるとは、私どもも考えてはおらん」と代表が笑った。ひどく悪意に満ちた笑いは後方の兵にも広がり、しまいには彼らの持つ剣までもがぶるぶると震えて祖父を笑い者にした。

「この顔に見覚えはないか」

 股の間に転がってきたものを見て祖父は情けない叫びをあげた。それは何を隠そう、犬を村に持ち込んだ商人の首であった。緩慢な腐敗が見受けられる首は、鼻をつまみたくなるようなひどいにおいを発していた。黄色くに晴れ上がったまぶたは、首を切り取られる前に拷問されたことを物語っている。

「三年前、都で疫病が流行した。臓物が煮えるほどの高熱が続き、脳が犯され、最期にはのたうち回って血を吐いて死ぬというものだ。調べてみるとどうも犬に噛まれた人間が患うことが判明し、直ちに犬の駆除をその男に命令したのだ。しかし、地方の村で似た病気が蔓延していると聞き、出向いてみるとそやつが犬を売ったと言うではないか」

 代表者の男は無惨にも晴れ上がった首を足蹴にした。

「犬どもを殺して燃やしたと報告しておきながら、病気を内に宿す犬を国中にばら撒いていたとは。女王陛下の顔に泥を塗るにも等しき悪行、いや、反逆だ。これ以上、犬どもを生かしておいてはいつ何時また犠牲者が出るかわからぬ。人民を思う女王陛下のご意志故、この村の犬を処分させてもらう」

「待たんか!」と躍り出たのは騒ぎを聞き付けた祖母。腰を抜かした夫の体を抱きながら続けるには、「この村じゃそんな病気出てないよ!都の疫病は、そりゃ気の毒だけどね、うちの村のイヌコロどもはいたって健康じゃ!」

「しかし、それも時間の問題」と代表者は言った。「疫病が発生してからでは遅すぎるのだ」

「私もね、うちの駄犬どもに何度も噛まれたけども、どうってことないよ!」と手の甲を差し出したが、確かにそこには赤く丸い点がいくつも見受けられた。

「どうしても殺すってなら、村が払った金に賠償金を加えて用意しな!」

「女王陛下の命だ、これ以上待てん。申し訳ないが、実行させてもらう」


 祖母が何か叫んだのを、前方に歩み出た兵士たちの土を踏みしめる音がかき消した。蹴り上げられた靴とともに砂煙が舞い上がり、にわかに視界が悪くなった。宙を舞う剣のきらめきに村人は叫びを上げ、逃げ惑った。犬のか細い悲鳴だけが足元から聞こえてきた。しだいにむっとする鉄の臭いが村に立ちこめてきた。全てが終わり、静寂が村を覆ったが、祖母には永遠にも思えるほど長く思えた。砂煙が収まっていくと同時に、血と肉の海が地面に広がっているのが徐々に見え始めた。四肢を切断され、裂けた腹から腸をこぼし、首を落とされ、目を貫かれ、顔面を踏み潰された死骸がそこら中に転がっていた。

 兵士たちは一言もしゃべらずに犬の死骸を台車に乗せ、三つの小高い塚を作ると火を放った。犬の脂はよく燃える。

 意気消沈し、あるいは怒りに目を燃やした村人のことなど構わず、代表者の男は部下の人数を数えた。

「一人足りない!どこだ!」

「隊長、この村に到着する前、どこかで犬の鳴き声が聞こえたとかで、一人そちらへ向かいました!」と一人の兵士が言った。

「どうして今まで黙っていた!勝手な真似をしおって、恐れをなして逃げたのだろう。現れたら直ちに私に報告せよ、それ相応の罰をもって処する!」

 兵士たちは村人には声もかけずに、顔も向けずに蹄鉄の音を響かせて去って行った。


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