第1話 第二の生 3
我が家で繁殖した犬はおおよそ賢明とも勇猛とも言い難い駄犬であったが、その肉が食卓を彩ることはなかった。闘犬には反対だった祖母も、子犬の潤んだ瞳で見つめられると愛情を感じずにはいられなかったようだ。
ここで母の逸話が挿入されるべきだろう。
私はまだこの時点では存在すらしていない。母の体内の奥深く、神秘の泉にて父の子種を待ち続けるちっぽけな存在でしかない。しかし、村が商人の持ち込んだ犬に支配された時、私の命運は決定されたのだ! 都を取り巻く悪しき力に対抗するためのいわば武器として、お師匠様は私をお選びになられたのだから。
母は祖父母の間に生まれた五人の子供の一人で、唯一の生存者だった。母より先に生まれた四人の兄姉たちは、不幸なことにいずれも世知辛い現世を生き延びることができなかった。
最初の子は、高い木から恐る恐る地上に降り立つかのように脚からこの世界に姿を現した。しかし、強力な予知能力に恵まれていたのが彼の悲劇であった。彼は自分が生きる時代がいかに過酷なものであるかを、初めての呼吸と同時に察知し、臍帯で首を吊って縊死した。言うなれば生まれながらの自殺志願者であったのだ。若かりし祖母は胎児の生命線である臍帯を呪うあまり、絶望の底で我が子の亡骸のぶら下がる肉の紐を引きちぎり、涙と鼻水にむせびながら、絶叫とともに臍帯をたいらげた。その様子を見ていた村人は鬼の形相で悲痛にくれる祖母に恐れおののいたという。
しばらくして次に双子が生まれた。しかしちょうどその頃、暗黒界の到来を告げるようなイナゴの群れが田畑を襲い、その強靭なあごで稲穂を食い荒らした結果、未曾有の飢饉が引き起こされた。その量と勢いといったら、本来捕食者であるはずの鳥でさえも撃ち落とすほどのもので、イナゴの過ぎ去った後には大量のスズメの死骸が残されていた。それだけではない。怯えた花は瞬時にして花弁を閉じ、ミツバチたちは危険を察して村から消え、平穏を乱された動物たちは互いにぶつかり合い、絡み合って死んだ。その肉に群がるイナゴの様子といったら酒池肉林の饗宴に沸くウジのようで、ものの数分で肉と内臓が消え失せるほどだった。呆けた顔のイナゴの群れは、我が村のみならず地方一帯に破滅をもたらしながら、死の行進を続けた。
村の長老として慕われていた老婆は、古の魔力の継承者として噂されていた人物であったが、イナゴのせいで自分たちはおろか、生まれたばかりの双子に食わせるものもなく、このままでは二人が死んでしまうと思った祖父母は、老婆に施術を依頼した。
「この子らにどうか、飢饉を乗り越える力をお与えください」
老婆はおもむろに鶏の首根っこをつかむと、憐れな鳥に最後の一鳴きを許す時間さえ与えてやらず、その首を力任せに引っこ抜いた。どくどくと流れ出る血を金属の器に溜め、そこにサンショウウオの皮膚から染み出る粘液を加えて、乳鉢で数種類の乾燥した薬草をすりつぶして混ぜ合わせると、祖父に向かって精液をかけるように言った。
「精液こそ人類の活力の源。精力盛んな者は栄え、衰えたものは死ぬのじゃ」
完成したひどいにおいを放つ秘薬を老婆は双子の全身に塗りたくったが、秘術の効果も虚しく二人は間もなく世を去った。
図らずしてできた次の子は祖母の腹の中で死んでいた。
二人はほとんど子供を諦めていたが、数年後のある日、祖父の夢に美しい裸の女が現れ、到底口にはできぬ淫らな格好でさんざん祖父を誘惑した後、唐突に預言を授けた。とうに夜半を過ぎてはいたが、布団をはねのけて飛び上がった祖父は、夢の名残でたくましく反り返った逸物を祖母に見せつけて、授けられた預言を叫んだ。
「次の新月の夜に雨が降るそうだ! 雨の降るのに合わせて猪の肉を食い、ヘビのように交わろう。それまでは溜め込まなければならない」
祖父は夢の話を老婆に告げると、彼女は抜けた歯の隙間から興奮した様子でしゅーしゅー音を立てて言った。
「それは子宝の女神さまじゃ! 女神様に従えば、さぞかし立派な赤子を授かることじゃろう!」
老婆は古い物入れから何重にも包まれた丸薬を二錠取り出して祖父に渡した。
「新月の夜といえば十日後じゃ、雨が降り始めたら二人でそれを飲みなさい。くれぐれも禁忌を犯すでないぞ」
度重なる子供の死に気を弱らせていた祖母も、これも何かの導きと、次を最後にすることを誓って夫の夢に付き合うことにした。この時すでに両者、齢三十八。子供が生まれては死ぬことを村人たちは表向きでは同情していたが、しかし、ひとたび祖父母がいなくなると彼らは根も葉もない噂話で舌をこき使った。
あの男、気立ては良いがアレの仕方を知らんで、妻を旅人に抱かせるんだよ。だから神様は不貞に怒って子供を殺すんじゃ。何言ってんだ、あの流れ者の女。あの女は代々山賊の家系の出でよ、あの女の血には先祖が食らった人間の血が流れてるって話よ。穢れた血が新しい血を生むのを妨げるんで。わたしが聞いたのはね、表こそ仲睦まじいがね、二人が本当は憎み合ってるって話よ。赤ん坊も嫌になって死んじゃうくらいにね!
かくして新月の夜、我が故郷では二度と拝めないような大雨が降り注いだ。雨水が植え付けの緩い稲穂を根こそぎ洗い流し、鶏は濡れた羽を震わせて身を寄せ合った。またとない土砂降りに祖父母はしばし呆気にとられて、雨水に押し流される大地を眺めたが、丸薬を口に放り込んだ途端、二人の体は内側から炭でも起こしているかのように発熱し始め、しまいにはつがいのヘビのように団子になって、布団を転げ回っていた。
ああ、肉欲に溺れる我が親族を描写することの罪悪感ときたら! 祖父のみなぎる精根が、私の手元を照らすろうそくの明かりを受けて独房の壁に屹立した影を作る。それが私の握る筆の作ったものだと気づくまでにどれほどの時間を要したか。我が神聖なる書物の進捗を見守るネズミも赤面したほどの描写は、この場にはそぐわないという判断で削除したのだが、要は村人が雷だと思って恐れていたものは絶頂に向けて高まる二人の叫びであり、大地を崩す地響きだと思っていたものは汗を弾かせてぶつかり合っていた二人の腰だったというわけだ。
女神のお告げによって祖父母は丸々とした赤子を身籠り、それが私の母であったわけだが、普通の夫婦にそろそろ孫ができようかという齢で改めて親になった祖父母を、村人たちは一種の畏怖の念を込めた眼差しで見るようになった。ひそひそと暗い夜に囁かれた二人を巡る根も葉もない噂は、甲高い母の泣き声とともに、どこか他のくちさがない人間の舌を求めて飛び去った。
祖父母は、相当な齢に達してミイラと見紛う様相になっていた老婆に頼んで、娘の健康を祈願してもらい、鉄臭い茶色の薬を溶かした水を泣き叫ぶ赤子の口にむりやり流し込んだのだが、その甲斐あってか、娘はときおり突発的な熱にうなされはしたものの、健康な女児として両親の愛を一身に受け、すくすくと育った。
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