第8話 自白と暴露

「う~ん…」


 帰宅すると部屋の椅子に座って唸る。2枚の便箋を前に。


「どうしよう、これ…」


 まさか本当に女子からのラブレターだったなんて。メッセージでハッキリ断っても良いのだけれど自分の連絡先を知られたくない。


 とはいえこちらから接触しなくても小田桐という子が近付いて来るのは確定していた。彼女は何かしらを疑っている様子だったから。


「……むぅ」


 華恋に相談したい所だがまた適当にあしらわれそうな気もする。そうじゃないにしても暴走して小田桐さんや七瀬さんに秘密をブチ巻けてしまう可能性が高い。


 ならやはり黙っていた方が良いのだろう。不発弾を抱えたまま行動するのは勘弁だった。


「え?」


 便箋を封筒の中に仕舞っていると何かが聞こえてくる。ドアをノックする音が。


「だ、誰!?」


「私。お母さんがご飯いらないのかって」


「あぁ、食べる食べる。すぐ行くよ」


「ほ~い」


 僅かに生まれた隙間から香織が登場。返事をすると彼女はすぐに引き返してしまった。


「……ビックリした」


 どうやら華恋ではなかったらしい。ピンチをスレスレで切り抜けられた状況に一安心。


「あ~あ…」


 彼女には手紙の内容を知られている。だから今更見られた所で何も変わらない。


 それでもこの話題に触れてほしくなかった。やましい事をしている自覚があるからか、それとも別の理由が原因なのかは不明だが。


「はぁ…」


 改めて面倒くさい相手を好きになってしまった現実を実感。普通の恋愛が出来たらこんな事で悩まなくても済むハズだった。



「あ、いたいた。また隣いいですか?」


「……どうぞ」


 翌日に1人で学食で過ごしていると声をかけられる。湯気の立つうどんをトレイに乗せた小田桐さんに。


「赤井くんはいつもお昼は1人なんですか?」


「え? いや、今日はたまたま1人で…」


「そうなんですか。ならそのたまたまが2日も続いてしまったというわけですか」


「て、ていうかここにあまり来ないんだよ。いつもはお弁当食べてるから」


「へぇ、お弁当ですか。羨ましいです。私はいつも学食か購買を利用しているので憧れますね」


 彼女の話に返事をしながらも箸の動きは止めない。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


「お弁当はお母さんに作ってもらってるんですか?」


「まぁ……あと妹とか」


「あ、妹いるんですね。いくつの子なんですか?」


「1個下。この学校に通ってるんだよ」


「ふ~ん」


 華恋の事は黙っておいた方が良い気がする。存在自体を知られないに越した事はないので。


「私は兄弟がいないから羨ましいです。やっぱり一人っ子に憧れたりするものなんですか?」


「どうかな。うち、親の再婚で兄妹になったから」


「え? なら義理の妹さんなんですか?」


「うぃっす」


 会話内容は普通だが気分は焦り気味。隠し事を探られているようで居心地が悪かった。


「げっ!?」


 白米を噛み締めていると視界の中に見知った人物を捉える。トレイを持ってこちらを凝視している智沙を。


「やば…」


 からかわれるかもしれない。だが突撃してくると思われた彼女は不適な笑みを浮かべて別の席に座ってしまった。


「どうかしましたか?」


「……何でもないです」


 確実にこの状況を疑われている。隣同士で食事なんて知り合い以外に有り得ないから。


「ご、ごちそうさまっ!」


「え……食べるの早くないですか?」


「ちょっと用事があって」


「あの、まだ話が…」


「そ、それじゃあ!」


 食事ペースを上げて食器の中身を空に。呼び止められたが強引に打ち切って食堂を飛び出した。


「ふうぅ…」


 額から流れる汗を拭う。人口密度が著しく減った廊下で。


 さすがにこの接触は偶然ではないだろう。友達を連れて来ていないのも恐らく2人きりで会話をする為だ。



「赤井くん」


「ん? 何?」


「あの人が呼んでる」


「ちょっ…」


 放課後に丸山くんに声をかけられる。彼の指差す先に陽気に手を振っている女子生徒を発見。


「なんで…」


 教室にまで迎えに来るなんてアクティブすぎ。同時に離れた席にいる喧嘩相手の様子を窺った。


「……ぐっ!」


「あっ!?」


 目が合った瞬間に華恋が慌てて教室を出ていく。机やドアに体をぶつけながら。


「大丈夫かな…」


 走って追いかけてもいいのだが呼び出し相手を放っておく訳にもいかない。覚悟を決めて小田桐さんの元に近付いた。


「な、何か用ですか?」


「ごめんね、いきなり押しかけちゃって。良かったら一緒に帰ろうかと思って」


「えぇ!?」


「もしかしたら他に予定ありました? 友達と帰るハズだったとか」


「えっと…」


 教室内を見回す。当たり前だが華恋はいない。鬼頭くんは委員会の用事で既に不在。唯一残っている知り合いは丸山くんだけ。


「あっ! ちょっと待っ…」


 しかし話しかける前に彼は後ろの扉から退散。小さく手を振りながら廊下へと出て行ってしまった。


「……タイミング悪いよ」


 女子に呼び出されたから気を遣ってくれたのだろう。とはいえ今の状況からしたら余計な配慮でしかない。


「きょ、今日はバイトがあるので無理です」


「バイト? どこで働いてるの?」


「えっと……ここから歩いて5分ぐらいの喫茶店で」


「そうなんだ。頑張ってらっしゃるんですね」


「どうも。だから悪いけど一緒には帰れないというか…」


「あの、もしお邪魔じゃなければそのお店に伺ってもよろしいですか?」


「え、へ!?」


 話がおかしな方へと転がっていく。有り得ない流れへと。


「う~ん…」


「迷惑だったら行くのやめますけど」


「いや、それは…」


「ご、ごめんなさい。そうですよね。そんなに親しくもない奴がいきなりバイト先に行きたいなんて言いだしたら困惑して当然です」


「うっ…」


 健気な反応をされたんじゃ強気な姿勢で拒めない。嫌いな奴ならともかく目の前にいるのは優しそうな女子生徒。


 それに好意を寄せているらしいのは七瀬さんで、あくまでも彼女はその友達。自分から見たらただの同級生の1人だった。


「き、来ても退屈だと思いますよ」


「大丈夫です。私、のんびり座ってるの好きなんで」


「あとタバコの煙がヤバいです。慣れないとむせて咳が止まりません」


「そんな過酷な環境で働いてらっしゃるんですか。それは凄いですね」


「過酷ってのは大袈裟じゃ…」


 気のせいでなければ彼女の目がキラキラと輝いて見える。全てのマイナス情報を打ち消してしまう勢いで。


「ま、まぁ見るだけなら…」


「本当に!? ありがとうございます」


 適当に座っていてもらえば良いだろう。納得してくれたら小田桐さんも帰ってくれるハズ。それに私情で客を追い返したと店長に知られたくなかった。


 昨日、初めて会話した人物をバイト先へと招く事に。学校を出ると彼女は本当に店まで付いて来てしまった。



「先輩先輩! あの人、誰っすか!?」


「学校の同級生。なんか付いて来ちゃって」


「彼女ですか? いつの間にそんな相手見つけちゃったんすか。このリア充めが」


「違うってば。あの人とは昨日知り合ったばかりで友達かどうかも定かではないんだよ」


「はい? 友達でもない人がどうして付いて来たんすか?」


「さ、さぁ…」


 手が空いたタイミングで紫緒さんが話しかけてくる。トレイを胸に抱えながら。


「ん…」


 話題の張本人の方を見るがのんびり読書中。大人向けの週刊誌を黙々と読んでいた。


「ずっと1 人でいて退屈じゃないですか?」


「はい?」


 近付いて話しかける。体裁よく追い返す為に。


「そうですね。お喋りする相手がいないのは残念ですけど、赤井くんの働いてる姿が見れますし」


「エプロン姿の男なんか見てもときめいたりしないでしょ? 学校で爽やかスポーツマンを眺めてた方が良かったんじゃないですか?」


「いいえ、私が見たかったのは他の男子生徒ではなく放課後の赤井くんですから」


「あ、あんまりそういうボケを真顔で言われると恥ずかしいんですけど…」


「ボケとは失礼ですね。こう見えても本気なんですが」


「……ごめんなさい。それは申し訳ありませんでした」


 睨み付けられたのですぐに頭を下げて謝罪。その反応を無視して彼女がエプロンに触れてきた。生地の感触を確かめるように。


「あ、あの…」


「お仕事は何時頃に終わりますか?」


「え? 多分、8時ぐらいだと思います」


「あと1時間弱か……なら終わるまで待ってますね」


「えぇ!?」


 退散してもらおうとした作戦は失敗に終わる。むしろ残留する意思を確かめただけ。


「……遅くなると寒くなりますよ」


「心配してくれてありがとうございます。優しいんですね」


「くっ…」


 嫌味を込めてかけた言葉も微笑みで軽く流されてしまった。最後まで待つという事は何かしらの話をしてくる可能性が高い。


「お疲れさま~」


 バイト終了後は慌てて店を脱出。しかし待ち伏せしていた刑事と裏口で鉢合わせしてしまった。


「お疲れ様です。もう今日はお仕事ないんですよね?」


「……そうですね。あとはこのまま寄り道せず真っ直ぐ帰宅して寝るだけです」


「ちょびっとだけお時間いただいてもよろしいですか? 本当にちょびっとだけ」


「いや、疲れてるから今日はちょっと…」


 事情聴取を避ける為のやり取りを展開する。互いに本音を把握した上での駆け引きを。


「あぁっと! うち、用事思い出しちゃった!」


「え?」


「やべぇやべぇ、うっかり忘れるとこだったぜ」


「ちょっ…」


「というわけで邪魔者は一足先に帰るんで。失礼しやした~」


 その最中に紫緒さんがワザとらしい独り言を連発。駆け出した彼女はあっという間に暗闇の中へと消えてしまった。


「そんな…」


 周りには気を遣ってくれる優しい友人達がたくさんいる。ただし本心までは汲み取ってくれないのが残念だが。


「あの制服……槍山女学園の生徒ですね」


「そ、そうですね」


「赤井くんは電車に乗るんですよね? なら一緒に帰りましょうか」


「え? 小田桐さんも電車通学なんですか?」


「はい、そうですよ。実は駅で時々、アナタを見かけたりしていました」


「……マジすか」


 なら華恋達と一緒にいる現場も見られていたのかもしれない。監視されていたかと思うと冷や汗が止まらなかった。


「お仕事大変そうでしたね。ずっと駆けずり回っていて」


「慣れたらそうでもないです。神経はすり減らされますけど」


「ふ~ん。なら私も働いてみよっかな」


「そ、それはやめましょうよ…」


 街灯やコンビニの灯りを頼りに駅を目指す。好ましくない相方と共に。


「そういえば前に好きな人がいるって言ってたけどアレって結局どっちなんですか?」


「……本当です。好きな人はいますよ」


「そうなんですか。もしかしたら嘘かなと思ってたのに」


「だから悪いけどアナタのお友達とは仲良く出来ません。メッセージも送りません」


「なるほど。ちょっぴり残念です」


「はい…」


 もう何を聞かれてもそれを理由にはねのけるつもりだ。好きな人がいるなら女の子との交流を拒否するのに不自然な点はないから。


「ついでにもう1つ伺っても良いですか?」


「何をです?」


「その好きな相手っていつも一緒にいるクラスメートの方ですか?」


「へ?」


「違ったらごめんなさい。毎日2人で過ごしてるみたいだから。登下校やお昼休みなんかも」


 彼女の言ってる人物は華恋の事なのだろう。確かに一緒にいる機会は多い。少なくとも数日前までは磁石みたいにピッタリくっ付いて過ごしていた。


「あの方なんですか? 恋い焦がれてる方というのは」


「それは…」


「綺麗な方ですよね。女の私から見ても見惚れてしまうぐらい整った顔立ちをしています」


「ち、違います。アイツは一緒に住んでる家族で…」


 彼女がどこまで素性を調べているかは知らない。どこまでが真実でハッタリなのかも。


 ひょっとしたら家族構成や住んでいる場所まで把握している可能性もある。だとしたら迂闊に嘘はつけなかった。


「あっ、そうなんですか。てっきり恋人なのかと」


「いやいやいや。ただ同じ家に住んでて、クラスも同じだから一緒にいるだけです」


「へぇ、そうなんですか。でも家族なのになぜ同じ学年なんですか?」


「そ、それは…」


「変ですよね? 赤井くんとあの女性、どちらかが留年でもしてない限り辻褄が合わないと思います」


「うっ…」


 最もな疑問をぶつけられる。従兄妹だと嘘をつくか、双子だと教えるか。最低でもどちらかは打ち明けないとこの場は切り抜けられない。


 失敗は許されなかった。ミスはそのまま禁断関係を暴露してしまうに等しいから。


「……妹です。アイツは」


「妹? でも昼は1つ下の学年だって…」


「そっちとは別にもう1人いて、いつも一緒にいる方は父親も母親も同じ双子の妹なんです」


「双子?」


「はい。両親が離婚して別々に暮らしていました。ちょっとした事情で去年からまた一緒に住んでいます」


 覚悟を決めて正直に関係を打ち明ける。下手な嘘は逆効果。そう判断しての行動だった。


「へぇ……不思議です。まさかそんなドラマみたいなお話が現実にあるなんて」


「どうも…」


「あ、だから家族なのに同じ学年なんですね。納得しました」


「そういう事です。ただクラスの皆にこの事がバレるとからかわれるので内緒にしてもらいたいんですが…」


「分かりました。確かに家庭環境が複雑な内容ですもんね。他の人には言わないように気をつけます」


「そうしてもらえると助かります…」


 心が落ち着かない。取り調べや証人喚問を受けているような気分だった。


「なら赤井くんが想いを抱いている相手はあの人ではない訳ですか…」


「誰なのかまではさすがに言えません。照れくさいので」


「なるほど、分かりました。とりあえずあの綺麗な方ではないと分かっただけでも収穫ですから」


「ど、どうも」


「もしかしたら私の可能性もある訳ですよね? 赤井くんの好きな女子生徒が」


「へ?」


 緊張していると陽気な声が飛んでくる。場違いで勘違いな意見が。


「それは…」


「あっ、照れてる。ひょっとして図星でした?」


「いや、そうじゃなくて…」


「もしそうだったなら嬉しいなぁ。七瀬には悪いけど私が赤井くんと付き合っちゃおうかしら」


「え、え…」


 制止の声もスルー。彼女の一連の言動は反対意見をまるで意に介さない態度だった。


「でもそうなったら七瀬怒るかも。泥棒ネコ呼ばわりされて喧嘩になっちゃったり」


「あ、あの…」


「けど仕方ないよね、恋愛は自由だもん。好きになった相手が必ずしも自分の方を向いてくれるかなんて分からないんだし」


「別にそういう訳じゃ…」


「冗談ですよ。私の名前や学年を知らなかった人が私の事を好きなハズがありませんからね」


「え?」


「からかってみただけです。あっ、今ので気分悪くしちゃったならごめんなさい」


「い、いや……平気です」


 調子が狂いまくり。発言のどこまでが冗談でどこまでが本気なのか判断出来なくて。


「駅に着いてしまいました」


「……そうですね」


「私は赤井くんと逆方面なのでここでお別れです。それではまた」


「あ、はい」


 改札をくぐると解散となる。階段上のホームで対面しては気まずいので時間をズラしてから移動した。


「また……か」


 こうして接触を図ってくるのはこれで終わりではないのだろう。また明日も明後日も何かしらの情報を聞き出そうとしてくるハズ。


 友達の為に好奇心で接近してきているだけならまだいい。彼女の目的が他にある予感がしていた。



「ただいま…」


「あ、お帰り~」


 帰宅すると暖房が効いたリビングへとやって来る。働いて帰ってきたからという理由で優先的に入浴させてもらう事に。


 髪を乾かした後はカップうどんをすすりながらテレビ観賞。そして香織がバスルームへと消えたタイミングで華恋と2人きりになった。


「……ん」


 お互いに無言。口も利かないし目も合わせようとしない。手紙を受け取った事を報告した時以来まともな会話は無し。


 華恋は手紙の差出人が誰なのかを知らない。自分が小田桐さんと接触している事も。


「あ、あのさ…」


「何?」


「私、男子から告白されちゃった」


「は!?」


 アプリでもやろうかと考えていると意外にも彼女の方から先に言葉を発信。その内容は意表を突きまくる内容だった。


「同級生の人でね、一目惚れしたから付き合ってほしいって」


「また?」


「それでもしOKなら今度一緒に映画行きませんかって誘われたんだけど」


「映画…」


「どうすれば良いと思う……かな」


 予期せぬ報告に戸惑いと驚きを隠せない。目の届かない所でそんなやり取りが行われていたなんて。


 もちろんハッキリと断ってほしいに決まってる。他の男と仲良くなんてしてほしくない。ただそれを今の自分はやってしまっていた。


「や、やっぱりちゃんと…」


「好きにしたらいいよ」


「え?」


 心にもない事を口走ってしまう。先日、手紙の事を相談した時に彼女から言われたのと同じ台詞を。


「自分の事なんだから自分で決めなよ」


「……雅人?」


「こっちはこっちでいろいろ忙しいし、この前の手紙もどう処理するか考えて判断するからさ。だから華恋も好きにしていいよ」


「でも…」


「面倒くさいね、お互いに」


 テレビには熱々の麻婆豆腐を食べているレポーターが存在。ずっと画面を凝視していたが内容がまるで頭に入ってこなかった。


「……私、そろそろ寝るね」


「うん…」


「おやすみ」


 しばらくすると華恋がゆっくりと立ち上がる。彼女はそのまま足を擦るように廊下へと退散。何かを伝えたかったがその言葉が見つけられなかった。


「はぁ…」


 もうダメかもしれない。不安定な思考が頭の中でジワジワと増幅。


 普通に会話をする事は出来た。しかしこれは仲直り出来たと考えていい状況ではない。むしろ更に溝を深めてしまっていた。



「今日も隣いいですか?」


「え?」


 翌日、昼休みに中庭のベンチでジャムパンにかぶりつく。そこに歓迎していない乱入者が登場。


「ど、どうして…」


「どうしてここにいる事がバレたんだって顔してますね。さて何故でしょう」


「それは…」


「ふふふ、ただの偶然ですよ。たまたま空いているベンチを探していたら赤井くんを見かけたので話しかけちゃいました」


「なるほど…」


 彼女の発言が嘘だと瞬時に理解。ただそう証明する根拠がないので否定が出来なかった。


「では失礼して…」


 少し横にズレて空席を作る。空いたスペースに、手でスカートを押さえた小田桐さんが座った。


「パンはお好きなんですか?」


「……普通です。好きでも嫌いでもないです」


「私は大好きですよ。菓子パンだろうが惣菜パンだろうが何でもいける口です」


「へぇ…」


「あっ、でもどちらかといえばご飯派ですね。パンよりお米の方が好きなんです。おにぎりとか」


 彼女の膝元を見るとコンビニで買ったであろうサンドイッチを見つけた。学校を抜け出して買いに行くタイプには思えない。もしかしたら本当に座る場所を探していただけなのかもしれない。


「あの…」


「はい?」


「1つ聞きたい事あるんですけど良いですか?」


 口の中を空にしたタイミングで声をかける。思い切って自ら話を振ってみた。


「赤井くんの方から質問って珍しいですね。良いですよ。私で答えられる事ならなんでも答えます」


「どうしてこんな積極的に話しかけてくるんですか? 変だと思うんですけど」


「それは一昨日も言いましたけど、七瀬の為で…」


「それがおかしいんですよ。七瀬さんが直接アタックしてくるなら納得出来ます。けど間接的に関わってるアナタが必要以上に絡んでくるのって違和感を覚えます」


 消極的な友人の代わりに相手の情報を手に入れようとしているだけ。そう言い訳すれば体裁よく聞こえるだろう。


 しかし彼女のやっている事はただの自己アピール。自らがその相手と交流を図ろうとしているにすぎなかった。


「……なぜ私がこうして赤井くんに頻繁に声をかけてるんだと思います?」


「それが分からないからこうして尋ねてるんです。気付いてたら質問したりしません」


「私も前から気になっていたからです。アナタの事が」


「え?」


「これは冗談ではありませんよ。ずっと前から赤井くんの存在を知っていました」


 ジュースを飲んでいた手の動きを止める。一定の高さをキープして。


「ずっと前って、いつから…」


「赤井くんは、この海城高校に入学してから今までに喋った事がある生徒の名前と顔を把握していますか?」


「え? いや、さすがに全員は…」


「私は覚えています。特に友人や付き合った男性の名前、助けてくれた恩人の事はハッキリと」


「は、はぁ…」


「そして私がこの学校で出会った人達の中で、誰よりも赤井くんの名前が一番強烈に心に刻まれています」


 すぐ隣には寂しそうな横顔が存在。つい見とれてしまう儚い表情が。


 同時に意識の中にはいくつもの疑問符が発生していた。思考を混乱に陥れてくる数々の要素が原因で。


 クラスメートでもない、同じ中学の出身でもない。出会って3日足らずしか経過していない人物の発言がまるで理解出来なかった。


「あ、すいません。話が逸れちゃいましたね」


「いえ…」


「なぜ私が毎日赤井くんに話しかけるのかを質問されてたのに、いつの間にか自分の身の上話をするところでした」


「良かったら教えてください。どうして僕の事を前から知っていたのかを」


「え? 聞きたいですか?」


「はい」


 こんな状況で興味が湧かない人間なんかいる訳がない。例え相手が苦手な人物だったとしても。


「……それは今は話せません」


「ど、どうしてですか?」


「話すと長くなるし、それに嫌われてしまうかもしれませんから」


「え?」


「もし赤井くんが私とお付き合いをしてくれるというなら打ち明けちゃっても良いですよ」


 けれど彼女から返ってきたのは拒否を表した台詞。意味深な微笑を浮かべたかと思えば勢い良く立ち上がった。


「あぁ、美味しかった。肌寒いけど太陽の日差しの下で食べるのも悪くないですね」


「あ、あの…」


「今日もお付き合いしていただいてありがとうございました。それじゃあ」


「あっ!」


 呼び止めようと声をかける。その意志を跳ね返すように彼女はその場から退散。


「えぇ…」


 結局、質問の答えを聞き出せなかった。尋ねられて困る内容なのだろうか。


 だとしたらこうしてわざわざ接触してくるのはおかしい。何より途中で口にした言葉が気にかかっていた。


「……嫌われる?」


 もしかしたら気付かないうちに嫌がらせでもされていたのかもしれない。私物を盗まれたり、迷惑のかかるような行為を。


 全く身に覚えがない訳ではないが有り得なかった。それらのやり取りが彼女の中で一番インパクトのある人物になり得るとは思えないから。


「んっ…」


 少しだけ興味が湧いてくる。素性の知らない女子生徒に自分がかつて何をしてしまったのかを。



「こんにちは」


「こ、こんにちは…」


 それから週をまたいで再び小田桐さんと昼食を共にする事に。今度は避ける事なく学食に向かった。


「今日もまた1人なんですね。たまたまですか?」


「そうですよ、たまたま1人なんです。ていうかアナタだっていつも1人じゃないですか」


「あ、そう言われたらそうですね。じゃあ、お互いにたまたまが毎日続いているという事で」


「ういっす」


 本日のランチは彼女が以前に好きと公言していた回鍋肉定食。人気メニューらしく周りにいる人達も結構な頻度で注文していた。


「なんですか? 私の顔に何か付いてますか?」


「い、いや…」


「欲しいって言われてもあげませんよ。私、これ大好きなんですから」


「……別にいらないです」


 視界を遮断するように腕で食器を隠されてしまう。威圧感な表情も付け加えて。


「赤井くんも回鍋肉好きなんですか?」


「え~と、前に小田桐さんが好きって言ってたから頼んでみようかなぁと」


「あ、マネっ子ですね。著作権使用料を貰いますよ」


「どうして…」


「ふふふ」


 場には和やかな空気が存在。探り合いをするギスギスした雰囲気は失われていた。


 翌日もその翌日もこんな感じで小田桐さんと過ごす事に。昼だけではなく下校時にも並んで行動。さすがに先週のようにバイト終了まで店に居座るというような事はなかったが、店先まで見送ってくれたり。


 今までに経験した事のない行為。その興奮が自制心に歯止めをかけられないでいた。そして何より彼女の秘密を知りたいと強く思っていた。


「んっ…」


 だが精神の強くない人間が罪悪感に耐えられるハズもなく。興味の気持ちは良心の呵責にアッサリと押し潰されてしまった。



「あ、あの……これからは一緒に帰ったりするのやめませんか?」


「はい? 急にどうしたんですか?」


 バイトが無い日の帰り道。振り絞った声で小田桐さんに話しかける。住宅街にある人通りの少ない路地裏で。


「毎日教室や下駄箱で待っていてくれてるのは嬉しいんですけど、もう一緒には帰れません」


「……それは何故でしょう」


「あとお昼もなるべくなら別々で。今度からはクラスの友達と食べる事にしますから」


「そうですか…」


「きゅ、急にこんな事を言い出してごめんなさい。でもやっぱりダメなんです。これ以上は迷惑がかかるっていうか…」


 仮に華恋と別れて別の人と付き合うにしても清算してからにするべき。うやむやのままで他の女性と仲良くするなんて絶対に良くなかった。


「迷惑? 誰にですか?」


「だからアナタや七瀬さんに…」


「別に私は迷惑だなんて感じていませんよ。七瀬だって私と同じ立場ならそう言うハズです」


「と、とにかくこれ以上はダメなんです。もうこれ以上は…」


「妹さんからの指示ですか?」


「へ?」


 言い訳を考えている最中に小田桐さんの口調が豹変する。表情も険しい物へと変化した。


「そうなんじゃないんですか? 双子の妹さんにそうやって言うように命令されたんですよね?」


「ど、どうして妹の話が出てくるんですか。アイツは関係ないですよ」


「関係ない事ないです。私、アナタの妹に昨日言われました」


「え?」


 空気が気まずい。話し合いはすんなり終わりとはいかなかった。


「バイト先で赤井くんと別れた後の事です。自分の兄は付き合ってる人がいるから諦めてくれって」


「華恋が…」


「最初は意味が分かりませんでした。この人は何を言ってるんだろうって。妹さんはそれだけ言うとすぐに立ち去っていきました」


「それは……すいませんでした」


「でも変ですよね? 赤井くんはお付き合いしてる方なんかいないと言ってたのに。妹さんの発言とアナタの発言が矛盾しています」


「……あ」


 迂闊だった。まさか2人が接触を図っていたなんて。注意しておかなくてならなかったのは目の前にいる同級生ではなく華恋の方だったのかもしれない。


「逆なら分かるんですよ。赤井くんが恋人いる事を家族に隠してるのなら。でも妹さんが知ってる事実をわざわざ私に対して誤魔化す意味が分かりません」


「確かに…」


「どういう事なんです? 聞かせてもらっても良いですか?」


「そ、それは…」


「隠れてないで出てきたらどうですか? 今日もまた私達の後を尾けてきてるんですよね」


「え?」


 対話相手が視線の向きを変える。自分が立っている場所よりも更に奥へと。


「か、華恋っ!」


 そこには制服を着た女子高生が存在。紛れもなく教室で別れたハズのクラスメートだった。


「ちょ……ずっと尾行してたのか!」


「あ、えっと…」


「今日だけじゃないですよね? 先週もスパイみたいに監視してるとお見受けしましたが?」


「え? そ、そうなの?」


「ぐっ…」


 詰問のような台詞に華恋が黙り込む。歯を食いしばりながら。


「どういう事なんです? アナタも誰かから命令されてこんな真似をしてるんですか?」


「ち、違います。私はただ雅人が…」


「お兄さんの事が心配だったんですか?」


「……そうです。兄の事が不安だったのでずっと動向を監視していました」


 異質な雰囲気の中で2人が会話を開始。状況は理解出来ないが穏やかな空気でない事だけは分かった。


「なるほど。でも少し過剰すぎますよね? しつこく付け回したり接触を断とうとしたり」


「そ、それは…」


「何か他にも理由があるんじゃないんですか? じゃないといくら家族とはいえここまでしないと思うんですけど」


「アナタに話す必要はありません…」


「そうですか。確かに部外者の私には家庭内の事情を知る権利はありません。なら私が彼に積極的にアタックしても問題は無いハズですよね?」


「……え?」


 右往左往している最中に腕を引っ張られる。隣に立っていた小田桐さんに。


「私と赤井くんは他人です。だからお付き合いする事も婚約する事も可能です」


「ちょ、ちょっとっ!」


「でもアナタは違いますよね? 彼とは家族で双子で血が繋がっているんですから」


「そうですけど…」


「お兄さんを溺愛してるのは分かります。けれど嘘まで付いて女性を引き離そうとするのは良くないと思いますよ?」


「う、嘘なんかじゃ…」


「もしアナタが本当にお兄さんの事を想っているのなら、お兄さんの幸せを願って行動すべきなんじゃないですかね?」


 2人が至近距離で睨み合いをスタート。口調は上品だが喧嘩しているようにしか見えなかった。


「それとも嘘を付いているのは赤井くんの方で、アナタの言っている事が真実なのかしら?」


「……そうです」


「え?」


「わ、私は雅人をお兄ちゃんとしてじゃなく1人の男として愛してるのっ!!」


 戸惑っている間に場は更に混乱状況へと突入していく。絶対に踏み込んではいけない領域へと。


「ちょっ…」


「私達は恋人同士で本当ならお昼や放課後も一緒にいたハズなんです」


「華恋っ!」


「でもこの前、調子に乗って怒らせてしまって……それからあんまり口を利いてくれなくなっちゃって」


「あれは、その…」


「自分から謝らなくちゃいけなかったのに。意地張っていつまでもウジウジしてたからこんな事に」


「……んっ」


「アナタは悪くありません。悪いのは全部私なんです。だから……謝るから、もうこれ以上この人には近付かないでください。お願いしますっ!」


 引き留めようとするが間に合わない。そうこうしているうちに彼女は謝罪の言葉と共に深々と頭を下げた。


「ごめんね、雅人。また迷惑かけちゃった」


「え? いや…」


「この前の夜もごめんなさい。雅人に拒否されたのがショックで、ずっと声をかけられずにいました」


「な、なんで敬語?」


「男子から告白されたって話も嘘です。ただ単に構って欲しかっただけなんです」


「は、え……はああぁぁぁぁ!?」


「全部全部この場で謝りますっ、ごめんなさいっ!」


 開いた口が塞がらない。呆れている訳ではなく頭が大混乱に陥っていた。


「もしかしたら雅人に嫌われちゃったんじゃないかって……もう二度と私の方には振り向いてくれないんじゃないかって不安だった」


「それは…」


「手紙の件だってハッキリ断ってくるって思ってたのに、こうやって相手の人と仲良くしちゃってるし…」


「す、すいません」


「私が告白されたって嘘ついた時も、心配も嫉妬もしてくれなくて」


「だって華恋も…」


「だからもうダメなんじゃないかって……ずっと怖かった」


 すぐ近くの道路を乗用車が通過していく。大きなエンジン音を出しながら。


「ごめんなさい。もう二度とあんな真似しないから嫌いにならないで…」


「な、泣くのはやめよう。こんな所で…」


「雅人がいなくなっちゃったら私、私…」


「ストップ、ストーーップ!」


「ずっと好きでいるから、もう困らせるような事はしないから…」


「落ち着いて。嘘つかれてたからって責めたりなんかしないって」


「私を1人にしないでください…」


 彼女の言葉に反応して宥めようと伸ばしていた手の動きが停止。同時に頭の中には生存していない母親の姿が浮かび上がってきた。


「ぐすっ……うえぇ、えぐっ」


「華恋…」


 きっと今の言葉は恋人ではなく家族として向けた台詞。互いに互いが唯一の血縁者だから。


「……何言ってるの、アナタ」


 感傷に浸っていると背後から不気味な声が聞こえてくる。振り返った先には今までに見た事がない程に険しい表情を浮かべている女子生徒が立っていた。


「自分のお兄さんを好きになるとか冗談よね?」


「じょ、冗談なんかじゃないです。至って真剣です」


「ふざけないで。アナタ達は兄妹なのよ? 家族愛で繋がっているとはいえ恋愛感情を抱くなんて異常だわ」


「そ、そんな事言われても。好きなんだから仕方ないし…」


「すぐに今の発言を取り消してちょうだい。全部嘘だって」


「……どうしてそこまで指図されなくちゃならないんですか。そうやってあれこれ命令してくるアナタの方がおかしいです」


「気分が悪いからよ。現実の世界でそんなドロドロの愛憎劇を見せられたら吐き気がする」


 小田桐さんの口調が激しさを増す。まるで誰かと精神が入れ替わってしまったかのように。


「誰を好きになろうが恋愛は自由だと思うけど、身内をその対象にするのだけはやめてちょうだい。醜いのよ」


「み、醜いってアナタねっ!」


「男ならもっと他にもたくさんいるでしょ? なんで赤井くんなのよ。仮にもアナタのお兄さんなのよ!?」


「そんなの自分でも分かりません。ただ血が繋がってるって知ってても割り切れないんです」


「親御さんは何て言ってるんですか? まさか認めてもらってるなんて事はないですよね?」


「んっ…」


 彼女は知らない。その人物達が既にこの世にいない事を。ただ今の両親にも事情は打ち明けていないので言い分に反論する事は不可能だった。


「いい? そんな歪な恋愛感情はいずれどこかで破綻します。仮に今まで隠し通してこれたとしても、その状態を維持していく事は不可能です」


「そ、そんなの分からないじゃないですか。もしかしたらこれからも上手くやり続けられるかもしれないし」


「いいえ、無理です。私がアナタ達の両親やら学校にバラしますから」


「え!?」


 予想もしていなかった言葉が耳に入ってくる。思わず身を乗り出してしまうような台詞が。


「ど、どういう事? バラすって」


「言った通りです。アナタ達2人の関係を私が報告するんですよ」


「それ困るよ。もし家族や学校にバラされたら普通の生活が送れなくなっちゃう」


「だから意味があるんじゃないですか。それをする事によってアナタ達2人の異常な人間関係を復元しようとしてるんですから」


「異常って…」


 確かに普通ではないのかもしれない。自分達が育ってきた環境も今の関係も。ただそれを見ず知らずの人間に否定されるのは納得がいかない。異常なのは目の前に立っている女子生徒の方だった。


「やめてくれって頼んでもダメですか?」


「論外ですね。こんな不誠実な情報を知って放ってなんかおけません」


「ア、アナタには関係ないじゃないですか! これは僕と華恋の問題です。他人にとやかく言われる筋合いはない」


「……ではどうあっても考え直す気はないと?」


「愚問ですよ、それ。ケジメをつけるにしたって自分達で行動を起こしますから」


「そうですか……なら仕方ないですね」


 諦めてくれたのだろうか。一瞬、そんな思考で心が安らいだ。


「今から学校に引き返して先生達に報告してきます。それで構わないんですよね?」


「ちょ…」


「こういうのは早い方が良いですし。なんならお二人も一緒に付いてきますか?」


「どうして…」


 意識が大きくグラつく。妙な薬でも飲まされたかのように。


 受け入れたくはないが目の前で起きている事は全て事実。真相を知った同級生によって窮地に追い込まれていた。


「ちょっと、ちょっとっ! さっきから黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!」


「はい?」


「図々しいのよ、アンタ! なんで他人に私と雅人の関係を否定されるような事を言われなくちゃなんないのよっ!」


「だからそれはさっきから言ってる通り、お二人が兄妹だから…」


「そんなん知るかっ! 私達が家族だろうと兄妹だろうと愛し合ってる事に文句を言われる筋合いはない。家族ですらないお前が口出しするなっ!」


 戸惑っていると華恋が間に割り込んでくる。自宅いる時のような乱暴口調で。


「私は雅人が好き。雅人も私の事が好き。それが事実なのよ! 分かったか、メスブタ!」


「……見苦しい。青筋立てて声を荒げて」


「あぁっ!?」


「アナタ達2人がお互いに好意を抱いてるのは分かりました。けどそれが間違っている事に対しての指摘に否定はしないんですね?」


「そ、それは…」


「本当は気付いてるんですよね? 正しい道を踏み外している事に」


 だがその意見はすぐに封殺。理屈によって言い込められてしまった。


「だからって引き裂こうとしなくても…」


「だってこうでもしないと効き目なさそうじゃないですか。私の忠告を受け入れようともしないし」


「……別に家族間の恋愛を認めてくれとまでは言いません。見なかった事にしてスルーしてもらえませんか?」


「えぇ……そんなに思い直したくないんですか?」


「はい。今までも散々それが原因で悩まされ続けてきたので」


 ダメ元でもう一度懇願してみる。選べる選択肢がそれしか残されていないから。


「わかりました。なら条件付きで内緒にしてあげても良いですよ。アナタ達2人の事」


「え? ほ、本当ですか!?」


「はい。赤井くんが私とお付き合いしてくださればですけど」


「……何ですか、それ」


 その願いが通じたのか彼女が思いがけない妥協を提案。ただしそれは何一つ理に適っていない身勝手な内容だった。


「私の恋人になってくれるなら黙っていてあげても良いです」


「どうして条件がそれなんですか。おかしいでしょう」


「そうですか? 破格の交換条件だと思いますけど」


「無理に決まってます、そんなの。妹を……華恋を裏切るような真似、これ以上出来ません」


「もしこの提案を呑まなかったらその妹さんが傷付く事になったとしても?」


「あ…」


 思わず振り返る。後ろに立つ相方の方へと。


「ま、雅人はこんな奴と付き合ったりしないよね? 私以外の人と手を繋いだりキスしたりなんか…」


「……告白の事、好きにしろなんて言って悪かったよ」


「どうしたの、急に? だからあれは私が嘘ついてたんだってば。本当は告白なんかされてないよ。これは嘘じゃないよ…」


「ちゃんと信じてあげたら良かった。自分から積極的に仲直りしてたら良かったって……今更になって思う」


「違うってば。だから悪いのは全部私で、喧嘩の原因を作ったのも仲直り出来なかったのも私のせい」


「今度はちゃんと2人でお昼ご飯食べよう。また鬼頭くん誘って3人でお弁当食べるのも良いかもね」


「ま、雅人?」


 彼女の瞳は震えていた。縦に横に激しく何度も。


「その条件を呑むから、だから絶対に言わないでください。僕達の事を」


「ちょっ…」


 そして再び前を向くと頭を下げる。同時に爪が肉に食い込む勢いで拳を握り締めた。


「良いんですか、本当に? 顔が迷ってるように見えますけど」


「……構わないです。じゃないと大変な事になるし」


「そうですか。なら交渉成立って事で」


「雅人っ!」


 背後から名前を呼ばれる。八つ当たりの意味合いを含んだ大声で。


「華恋は今までに何度も引っ越しやら転校を繰り返してきて、そのせいで友達もなかなか出来なくて」


「へぇ…」


「今いるこの場所は母親と暮らしてた時以来の落ち着ける場所なんです。もし今の家族に見放されたら……今度こそ本当に1人きりになってしまう」


「……アナタ達もいろいろ事情があったみたいなのね」


「はい。なので妹の居場所を奪うような真似はしないであげてください」


 呼び掛けには答えずもう一度頭を下げた。会釈程度なんかではなく深々と。


「なんで、なんで…」


 背後からは掠れた声が聞こえてきた。今にも消え入りそうな弱々しい囁きが。


「私、そんなの全然気にしてないよ。雅人がいてくれたらそれだけで充分だから…」


「妹さんはああ言ってますけど?」


「……良いんです。もう決めたから」


「分かりました。なら学校に引き返すのをやめます。もちろんアナタ達のご両親の所に伺う事も」


「そうしてくれると助かります…」


 己の情けなさに辟易する。理不尽な言い分を唱えている女子1人を屈伏させられない状況に。だけどこれ以上の選択肢が考えられなかった。現状での最もマシだと思える妥協案だったから。


「じゃあ行きましょうか」


「……あっ」


 小田桐さんが体の向きを変えて歩き出す。その後に続くように足を動かした。


「華恋…」


「ダ、ダメ。行っちゃ…」


「……ゴメンね」


「雅人っ!!」


 振り向くと目が合った。瞳を潤ませている妹と。


 慰めてあげたいが何も出来ない。ただ黙って立ち去るしか道は無かった。


「あぁあああっ、うわああああっ!!」


 背後から喚き声が反響する。子供を彷彿とさせる歪な台詞が。


「ぐっ…」


 意識を前方に集中。姿は見えないがどんな表情を浮かべているかだけは想像出来た。

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