第7話 受取人と差出人

「うぉりゃあっ!! お前らまた明日な、うぉりゃあっ!!」


 夕方の教室で担任が大声で叫ぶ。1 日の授業の終了を知らせる言葉を。自由を得た生徒達は小屋から飛び出す鳩の群れのように教室を出ていった。


「……っしと」


 机の中身を全て鞄に移す。忘れ物が無いか引き出しの中を確認しながら。


「ん…」


 作業を完了させた後はゆっくりと起立。同時に恐る恐る体の向きを半回転させた。


「うわっ!?」


 人が勢い良く目の前を通過していく。失礼な事に持っていた鞄を机にぶつけて。しかしその人物は一言も謝る事なく廊下へと出て行った。


「ビ、ビックリした…」


 突然のトラブルに怯える。妹の悪質な嫌がらせに。


「はぁ…」


 もう今までに何度彼女と喧嘩をしたか分からない。口を利かなくなるレベルの言い争いなら2桁。そのほとんどが嫉妬を含んだ意地の張り合いだった。


 また今回だって2、3日でほとぼりが冷めると分かっている。ただ仲直りしたとしても解決していないのも事実だった。



「赤井くん、今日バイト休み?」


「ん? そうだよ。今、帰ろうかと思ってたところ」


「なら一緒に出ようぜ。ゲーセンでも行って遊ぼうや」


「あ、うん。分かった」


 鬼頭くんに誘われたので寄り道する事に。2人並んで廊下に出た。


「あそこのゲーセンで良い?」


「どこでも良いよ。あ、でもなるべくならクイズゲームがある所が良いかな」


「ふむ。チャリを駅前に停めて電車に乗るのもアリか」


「他に誰か誘う? 丸山くんとか」


「う~ん……俺、アイツ苦手なんだよな」


「そ、そうなんだ」


「でも赤井くんが誘いたいってんなら声かけても良いよ」


「え~と…」


 そんな事を言われたら誘える訳がない。彼らの仲が微妙なのは前から知っていたが改めて聞かされると複雑な気分になった。


「と、とりあえず今日は2人でいっか」


「そだな。じゃあ行くか」


 下駄箱で靴に履き替える。駐輪場で自転車を回収すると校舎脇の道を歩いた。


「あれ? 何でお前ここにいんの?」


「バイトが休みだから遊びに来ただけ。まだ帰ってなくて良かった」


「そうなんだ。俺達待ってたの?」


「それ以外に誰がいるっていうのよ」


 校門付近までやって来た所で赤い制服を着た女子生徒と遭遇する。友人の妹と。


「どうして待ち伏せしてたの? 急用?」


「待ち伏せっていうと言葉が悪い。せめて待ち合わせにして」


「だって事前に約束してないじゃん」


「そうだね。連絡したけど返事来なかったし」


「あ…」


 彼女の言葉に反応してケータイを確認。数件のメッセージが届いていた。


「ご、ごめん。今、気付いたよ」


「いえ…」


「ん?」


 すぐに謝る。状況を理解していない鬼頭くんを間に挟んで。


「お前、これから暇なの?」


「まぁ……お兄ちゃん達はどこか行くところだったの?」


「ゲーセンにな。暇なら一緒に行くか?」


「そだね。たまには付き合ってあげようかな」


 予想外の仲間が1人追加。自転車を押す後輩を加えて3人で歩き出した。


「そういえば妹さんは…」


「え?」


「一緒じゃないんですか?」


 振り返った優奈ちゃんと目が合う。触れられたくない話題を尋ねられながら。


「え~と、先に帰っちゃって」


「そういや昼休みも別々に過ごしてたよね? なんかあったの?」


「あったっていうか…」


「またトラブってるんですね」


「……うっ」


「え? 赤井くん達、喧嘩してんの?」


「ま、まぁ…」


 あっさりと見破られてしまった。今の自分達の現状を。


「妹さんがワガママ言ってきたんですか?」


「う~ん、どうだろ…」


「おい、白鷺さんがワガママ振り撒くハズないだろ。適当な事を言うな」


「はぁ? 何言ってんのバカ兄ぃ。あの人そんな真面目じゃないからね」


「ふざけんなよ、お前。白鷺さんの事なんか大して知りもしないクセに。デタラメ言うなや!」


「知ってるよ。住所も連絡先も」


「はぁ!?」


「いつの間に…」


 鬼頭くんと反応が被る。驚きのリアクションが。


 知らないうちに彼女達はお互いにやり取りする間柄になっていたらしい。それは決して仲の良い友達ではなく恋敵としての繋がりだが。


「どうしてお前が白鷺さんの連絡先知ってんだよ。俺ですらまだ教えてもらってないのに」


「同じ妹同士だからって理由。あと趣味とか合うから」


「あぁ、なるほど」


「いやいや…」


 適当な言い分に鬼頭くんがアッサリ納得。彼は恵まれた見た目とは対照的に天然な部分があった。


「先輩も大変ですね。自分勝手な妹さんに振り回されっぱなしで」


「まぁ前よりは慣れちゃったかな。大変だけど」


「白鷺さんの要求なら大歓迎だわ。俺が赤井くんの立場なら喜んで受け入れるね」


「何コイツ。キモイ、バカ兄ぃ」


「でも優奈も可愛い妹だけどな。背は小さいし女らしくないけど、だからこそ守り甲斐があるっていうか」


「あんまりこっち寄ってこないで、キモ兄ぃ」


「たまにこうして懐いてくるから嫌いになれないんだよな。どんなに邪険に扱われても」


「ちょっと一発鈍器か何かで殴っていい? キチガイ兄ぃ」


 シスコン自慢をしている兄を妹が罵っている。毒舌な口調で。


 相変わらず彼らは喧嘩ばかり。けれどその間には嫌悪感を剥き出しにした壁が感じられなかった。


「ん…」


 もし自分と華恋が最初から家族だったなら目の前の2人のように過ごしていたのかもしれない。今のような歪な関係ではなく程よい距離を保ちながら。


 どちらが正解かは不明。ただ羨望の眼差しを向けている心境は理解出来た。 



「じゃあ上に行って音ゲーやろうぜ」


「行ってらっしゃい。私は先輩とプライズコーナーにいるから」


「おい、ふざけんな!」


 しばらく歩くと目的地に辿り着く。自転車を停めて中に入ったが入店早々に意見が分裂した。


「またクレーンゲームかよ。いい加減飽きない?」


「別に良いじゃん、好きなんだし。嫌いなら向こう行っててよ」


「取れるかどうかも分からない物に金をかける神経が理解出来んわ。赤井くん、どう思う?」


「え? う、う~ん…」


 答えにくい話題を振られてしまう。どちらに付いても分が悪い質問を。


「絶対に取れないって訳でもないし一度ぐらいやってみるのも良いんじゃないかな」


「ふ~ん、赤井くんはこういうの好きなんだ」


「別に好きって訳ではないんだけどね」


「ほら、先輩もこう言ってる。頭の固い理屈屋は邪魔だからあっち行ってろ」


「何ぃ!?」


 無難な答えを口に。争いを避ける為だったが思い切り喧嘩に発展していた。


「元々は俺と赤井くんでここに来るつもりだったんだぞ。邪魔なのはお前の方だ」


「クレーンゲーム嫌いなら上に行ってダンスでもしてれば良いじゃん。今ならまだ空いてると思うし」


「1人でやっててもつまんないだろうが。一緒にやる相手がいないと恥ずかしいんだよ、俺は」


「情けな…」


「う、うるせっ!」


 2人の間で身動きがとれず板挟みになる。邪魔なのは自分の方なんじゃないのか。そう思えてくるような状況だった。


「あ、落ちた」


「くっ…」


 なんやかんや文句をつけながらも鬼頭くんは付き添ってくれる事に。2000円近く注ぎ込んで小さなキーホルダーを獲得。あらかた廻り終えた後は二階へと移動。明るい一階と違って薄暗い作りだった。


「優奈ちゃんはやらないの? 2人同時にプレイ可能みたいだけど」


「私、ああいうゲーム得意ではないので。あとあんまり激しく動くとスカートが捲れちゃうし」


「ミニじゃないから大丈夫だよ。平気平気」


「そんなに私のパンチラが見たいんですか?」


「……興味ないならやめておこっか」


 休憩スペースとなっているベンチに後輩と腰掛ける。ダンスゲームをプレイ中の鬼頭くんを眺めながら。


「先輩はやらないんですか? 今ならまだ間に合いますよ」


「僕もこういうゲームは得意じゃないんだ。華恋は好きって言ってたけど」


「いかにも大好物って感じしてますもんね」


「ははは、だね。そういえばどうして喧嘩してるって分かったの?」


「はい?」


 自販機でジュースを購入。好みの商品が無かったので普段はあまり飲まない炭酸系を選んだ。


「だってこの前の学祭にも来てなかったし。それに本人がそれっぽい事を言ってたから」


「な、何て?」


「バカ雅人がウザいとか、仕返ししたいから良い男を紹介してくれとか」


「……アイツ」


「あっ、先輩の名前呼び捨てにしてごめんなさい。具体的に何があったかは教えてくれませんでしたが、文面から予想する限り相当怒ってましたよ」


「なるほど…」


 男を紹介してくれというのは浮気してるように見せかける為の罠なのだろう。もしくは気を紛らわせる為のヤケクソか。


「ちなみに連絡先を交換しようって言い出したのはどっちから?」


「向こうです。SNSを通して口論しているうちにそうなりました」


「へぇ」


「まぁ悪い人でないのは知ってますからね。先輩の事がなかったら普通に友達やってたと思います」


「何気に仲良いのね、君達…」


「はい。もし2人揃って捨てられたら一緒に先輩を刺しに行こうねって約束もしましたから」


「えっ!?」


「冗談ですよ。そんなに驚かないでください」


「いや、でも…」


 ペットボトルを持つ手の動きが止まる。彼女から距離を置くように横にズレた。


「というわけで近いうちに何かしら仕掛けてくると思うので覚悟しておいてくださいね」


「はあぁ……勘弁してくれよぉ」


「本当に何かあったんですか? 私で良ければ相談に乗りますけど」


「いや、大丈夫…」


「そうですか。大方、妹さんが先輩に迫って突き放されたところだと予想していますが」


「げふっ!?」


 思わず飲み物を吹き出してしまう。喉の奥に詰まらせながら。


「げほっ、げほっ!」


「大丈夫ですか?」


「へ、平気平気…」


 もしかしたら華恋はあの夜の会話内容を全て話したのかもしれない。後先の事を考えずに。


 何度思い出しても恥ずかしい。アレは家族間で交わす会話ではなかった。



「……うわ、最悪」


「誰かが捨てていったんだね。マナー悪いなぁ」


「すぐそこにゴミ箱あるんだから入れろっての。まったく…」


 あらかた遊んだ後は店の外に出る。停めている自転車までやって来ると優奈ちゃんの自転車カゴに空き缶が捨てられているのを発見。


 どうやら何者かが無断投棄していったらしい。せっかくの楽しい気分が台無しになった。


「ん?」


「ギャッハッハッ! だっせぇ、お前」


 ゴミを処理していると少し離れた場所から図太い笑い声が聞こえてくる。その発信元はいかにもヤンキーといった風貌の4人組。


「うるさいなぁ…」


 通行人の迷惑も考えずに大騒ぎ。目立ちたいだけで喚いているのは一目瞭然だった。


「ちょ、ちょっと! どこに行く気!?」


「一言文句つけてくる。アイツらだろ? カゴん中に空き缶入れてったの」


「いや、マズいって。喧嘩になっちゃうよ」


「やった奴が目の前にいるのに黙って引き下がるのも嫌じゃん。謝らせたる」


 何故か鬼頭くんが連中の元に突撃しようとする。恐ろしい剣幕で。


 怒りたくなる気持ちも分かるが実行してはマズい。まともな話し合いが通じるとは思えないし、殴り合いに発展したら分が悪すぎるから。


「オラッ、安田やすだ! しねオラッ」


 友人を引き留めている間もヤンキー集団は大盛り上がり。通行人が行き交う道路の真ん中でプロレス技をかけ始めた。


「なに考えてんのよ。あの人達がやったかどうかなんて分かんないじゃん」


「アイツら以外に誰がいるってんだよ。ゴミ箱あんのにわざわざ自転車のカゴに捨ててくなんて嫌がらせ目的じゃねぇか」


「証拠もないのに憶測で話進めんな。もしあの人達に声かけたら私がお兄ちゃんを殴るよ」


「て、てめっ…」


 後輩が辛口な口調で兄を宥めている。そうこうしてるうちに4人組はどこかへと退散した。


「もう……相変わらず単細胞なんだから」


「でも悔しいじゃんか。やられっぱなしで終わるとか」


「別に怪我させられた訳じゃないから良いじゃん。言いがかりつけて殴ったら、それこそこっちが加害者だよ」


「俺の勘がアイツらだといってる。だから間違いない」


「ばぁ~か」


 修羅場に突入する直前だったのに2人は至って平静。いつも通りのテンションで喋っていた。


「すいません、先輩。バカ兄のバカな行動に巻き込んでしまって」


「だ、大丈夫っす」


「やっぱり今度から出掛ける時は2人だけにしましょう。コイツ抜きで遊びましょうね?」


「おい」


「……ははは」


 どさくさ紛れの提案を苦笑いで返す。上手く濁すように。


「ならまた明日」


「あ、うん」


「もし妹さんに何かされたら言ってくださいね。すぐに助けに駆け付けますから」


「争いの予感しかしない…」


 そして駅までやって来ると2人と解散。単身で改札をくぐって電車へと乗り込んだ。


「ふぅ…」


 やや混雑気味の車内に揺られながら先程の出来事を振り返る。芳しくないトラブルを。


「家族か…」


 鬼頭くんは妹が嫌がらせされた事に対してかなり腹を立てていた。例えそれが軽いイタズラ程度の行為だったとしても許せなかったのだろう。


 もし華恋が誰かに手を出されたとしても相手に立ち向かっていける自信が無い。足が竦んで動けない姿が容易に想像出来た。


「そもそも喧嘩が強いからなぁ…」


 熱海でガラの悪い金髪に絡まれた時だってそう。彼女が1人で撃退。自分は髪を引っ張られるだけで何一つ活躍する事が出来なかった。


 どちらかといえば守られてる側の人間。兄貴としても彼氏としても失格だった。



「……え」


 翌日、休み時間に引き出しの奥を漁る。見覚えのない封筒を見つけたので。


 入口にはタヌキをモチーフとしたキャラクターシールが存在。更には赤井雅人様という丁寧な宛名も書かれていた。


「な、何でこんな物が机に…」


 慌てて封を開ける。中を覗くと三つ折りにされている便箋を発見。


七瀬ななせ…」


 それは予想していた通りラブレターだった。筆圧が弱く、いかにも女子が書いたと思われるような丸文字での文面。七瀬と名乗る人物は簡単な自己紹介と、また手紙を出す事だけを一方的に記していた。


「う~ん…」


 記憶を頼りに該当する人物を炙り出す。だがまるで思い浮かばない。


「イタズラかなぁ…」


 うちのクラスにも昨日のヤンキー集団のようなグループが存在。丸山くんがたまにからかわれたりしていた。


 もしこれが何者かの嫌がらせなら自分のリアクションを見て楽しんでいるハズ。考えたくはないが監視されている状況だった。


「どうしよう…」


 知り合いに相談してみるべきかもしれない。とはいえ誰に打ち明ければ良いのか不明。


「こわっ…」


 恐る恐る後ろに振り返ると目があう。眉間にシワを寄せている華恋と。


 彼女にだけは絶対に見つかる訳にはいかない。この日は1日中平静を装って過ごした。



『もし友達になってくれるならここにメッセージ送ってください』


 そして翌日にも謎の人物からの手紙が届く事に。しかも今度は行動の条件付きで。まずはネットで繋がって親しくなりたいという考えなのだろう。現代風の悪くない付き合い方だとは思った。


「はぁ…」


 溜め息をつきながら手紙を鞄の中に仕舞い込む。もう前日のような動揺はしていない。差出人が誰なのか分かってしまったからだ。


「……ふんっ」


 首から上だけを動かして振り返る。離れた席の人物を見る為に。まさかイタズラを仕掛けてきた犯人がこんな身近にいたなんて。危うく引っかかってしまうところだった。


「しかしまたリアルに作り込んだものだ…」


 もしこの手紙に浮かれてメッセージを送っていたらブチ切れていたのだろう。以前の幼女拉致未遂の時のように。


 ギリギリの状態で体裁を守れた事に安堵する。ワザと気付いていないフリをしてやろうと心の中で誓った。



「これ邪魔だなぁ…」


 けれど帰宅後にその考えがぶれる。机の上に置かれていたバッグが原因で。


 せめて飛び出していく時に持っていってくれたら良かったのに。喧嘩した日から置き去りになっていた。


「たのもぉ~」


 包丁で刺しに来られても困るので渡しに行く事を決意。階段を下りて客間へと移動した。


「今って良い?」


「な、何よ。ノックも無しに入ってきて」


「これ。プレゼントしたのに置いてくからスペース取っちゃってさ。わざわざ持ってきてあげた」


「……あ」


 襖を開けた瞬間に壁にもたれかかっている部屋主を発見する。その場所に向かってバッグを投げた。


「わっ……とと」


「ナイスキャッチ」


「投げるな、バカ! 顔に当たっちゃったじゃん!」


「忘れてった方が悪い。それじゃ確かに渡したから」


「あっ…」


「ん?」


「な、何でもない…」


 退出しようと振り返る。同時に後ろから小さな声が聞こえてきた。


「……別に怒ってないから。この前の事も手紙の事も」


「え?」


「ただ自重はしてほしい。積極的に言い寄られたらやっぱり困るよ。ましてや試されるなんてちょっとムカつく」


「な、なんの話…」


「こんなふざけた真似しなくても浮気なんかしないって。だから変な嫌がらせはやめてくれよ」


 せっかくなので抱えていた不満をぶちまける。ポケットから取り出した封筒を見せつけながら。


「……何それ」


「何って、華恋が作ったイタズラ手紙じゃん」


「し、知らないよそんなの。なにイタズラ手紙って」


「この状況でまだごまかすつもり? まさか気付かれてないとでも思ってたの?」


「さっきから何言ってるの? 手紙って何の事? その封筒なんなのよ」


「はぁ…」


 呆れるように溜め息をついた。腰に手を当てて。


「だ、誰かに手紙貰ったの。誰!?」


「え?」


「女子からなの、その手紙!」


「ちょ、ちょっと待って。これ華恋が書いたんじゃないの?」


「違う! 私、そんなの書いてない!」


「嘘…」


 立ち上がった彼女が勢い良く接近。鬼気迫る表情で問い詰めてきた。


「貸して」


「あっ!?」


 続けて封筒を奪い取っていく。本人の意思を無視して強引に。


「ま、またどうせ騙す為に仕込んだんでしょ? 前に颯太にも同じイタズラやった事あるもんね」


「……ん」


「言っとくけどこんな文面じゃ騙されないからね。作り話ってのが見え見え」


「む…」


「あの……聞いてる?」


 話しかける言葉はことごとくスルー。対話相手は目の前の便箋に釘付けになっていた。今日、手に入れた2枚目の封筒に。


「……これどこにあったの?」


「え? 机の中に入ってた。机っていっても学校のね」


「本人に会ったの? 直接渡されたとか」


「いやいや、会ってないし。もし会ってたなら華恋の仕業だと疑うもんか」


「それもそうか…」


 この一連の言動も演技だとしたら真に迫っている。だが薄々彼女が嘘をついていないのではないかと考え始めていた。


「本当に華恋じゃないんだよね? これ書いたの」


「だからそうだって言ってるじゃん。私、そのアプリ使ってないし」


「だから華恋かもと疑ったんだよ。既に登録してたら別のアカウントが使えないでしょ?」


「筆跡だって違うし、そもそも私の仕業ならこうやってバレた時点で白状してるわよ」


「……そうなんだよね。うん」


 ならやっぱり彼女はこの件に何も関与していない。無関係であり無実。


「じゃあ……これは誰が書いたんだろう」


 考えられる可能性は2つ。華恋以外の人物からのイタズラか、もしくは本物か。



「はぁ…」


 翌日の机の中は空っぽだった。昨日記載したサイトでのメッセージ待ちなのだろう。例えこれが嫌がらせだったとしても。


「ややこしいなぁ…」


 無視し続けるのが一番だとは思っている。誰かがからかっているとしたら相手にしないのがベスト。もし本物の告白だとしても華恋の事があるから受け入れる訳にはいかない。ただ昨夜の彼女の言動が頭の中の考えに迷いを植え付けていた。


『……好きにすれば』


 どう対処すればいいかを尋ねてみた末に突き付けられた一言。怒りを含ませた冷淡な口調での台詞。その言葉の真意は分からない。今までの華恋なら間違いなく動揺して激怒してくるハズだから。


「メッセージで断ろうかな…」


 相手が匿名ならスルーの一沢。ただこの女の子は自分の名前を名乗っている。こんなシチュエーションで無視したら勇気を振り絞った行為を踏みにじる気がしていた。


「う~ん…」


 更にメッセージを送る前にもう1つしなくてはいけない作業がある。この差出人の七瀬という人物が本当に存在しているのかという事。


 自慢じゃないが同級生の半分も顔を記憶していない。女子となれば尚更曖昧。


 教室を回って確認しようと思ったが他のクラスにはほとんど知り合いがいない。見ず知らずの集団に突撃して存在しているかも分からない人物の有無を尋ねる度胸が無かった。



「ふぁ~あ…」


 そして結局、何も進展しないまま翌週を迎える事に。華恋とは相変わらず険悪な関係が継続中。日常的な会話は交わすが以前のようにお互いの部屋に行き来する事がなくなっていた。


「……隣、良いですか?」


「え?」


 学食で一人淋しく焼きそばをすすっていると声をかけられる。長い髪の見知らぬ女子生徒に。


「あっ……ど、どうぞ」


「ありがとうございます」


 椅子を持って位置を少し移動。食器が乗ったトレイも横にズラした。


「いただきます」


 女子生徒が箸を持ちながら礼儀正しい挨拶をする。美味しそうなフライ定食を前に。


「えぇ…」


 辺りを見回せばここ以外にも空席がチラホラ点在。何故わざわざ男の横を選んだのかが謎だった。


「そんなに離れなくても大丈夫ですよ。私、左利きですから」


「え?」


「それともここに座ったのが迷惑でしたか? だったらごめんなさい…」


「いや、そんな…」


 腕と腕がぶつからないように更に距離を置く。その瞬間に再び彼女が言葉を発信。遠慮がちな意見をすぐさま手を振って否定した。


「学食はよく利用するんですか?」


「え~と、気が向いた時に」


「ここのご飯美味しいですもんね。私は頻繁に利用してますよ。たまに出る回鍋肉定食が大好きなんです」


「は、はぁ…」


「あと焼き鯖とか。トンカツは油っこいからちょっと苦手かな」


「……そうですか」


 食事を始めてからも会話は止まらない。女子生徒は独り言のように次々と言葉を連投。


 食べながらなのによくも言葉が詰まらないなと感心してしまう。何より名前も知らない相手に平気で私事をさらけ出せるのが凄かった。


「ふぅ、美味しかった。ご馳走様」


 しばらくすると目の前の器が空になる。結局、間髪入れずに話しかけてくるので彼女が食べ終わるまで待つ羽目に。


「お水いります?」


「いや、大丈夫です。もう教室に戻るんで」


「そうですか。なら私も退散しようかな」


 2人して立ち上がり食器を返却。騒がしい食堂を後にした。


「あ~、満足満足。お腹膨れちゃった」


「えっと……君、何年生?」


「ん? 三年」


「あ、なら同級生なんだ」


「そっ、赤井くんと一緒」


「え!?」


 流れで女子生徒と並んで歩く。直射日光が眩しい廊下を。


「な、何で…」


「さぁ、どうして名前を知ってるんでしょう。少し考えてみようか」


 話しかけた瞬間に彼女と視線が衝突。その表情は不気味な程に笑顔だった。


「……ひょっとして手紙の子?」


「あっ、やっぱり分かった? なぁ~んだ。ちゃんと届いてたんだ」


「やっぱり君が…」


「安心した。もしかして見てくれてないんじゃないかと不安だったんだよね」


「……ん」


「赤井くんはさ、七瀬って子知ってる?」


「へ? いや、それは…」


 恥ずかしい話だが目の前を歩いている人物に見覚えがない。声も仕草も。


「勘違いしてそうだから言っておくけど私は七瀬じゃないよ」


「え? どういう事?」


「友達」


「はい?」


「私とその差出人の七瀬って子は友達。代わりに確かめにきたの」


「僕がちゃんとあの手紙を読んだかどうかを?」


「うん、そう。いつまで経っても音沙汰ないから気になって話しかけに来ちゃいました」


 女子生徒が緊張感を微塵も感じさせない口調で喋り続ける。歩く足の動きを止めて。


「な、なんで君が確認しに来たの? 普通なら本人が来るハズじゃ…」


「ん~と……あの子、内気な性格でさ。直接相手に声をかける事も出来ないようなタイプなんだよね」


「僕に?」


「そうそう。で、赤井くんに振られたんだって落ち込んじゃったから『まだ分からないじゃん』って言って確かめにきたの」


「……なるほど」


「もしかしたら手紙が届いてない可能性もあるでしょ? でもまさか読んだ上でスルーしてたとはなぁ」


「うっ…」


 彼女の言葉が胸にダメージを生成。少しだけ悪人になった気がした。


「念の為に聞いておくんだけどダメだったって事で……良いんだよね?」


「ま、まぁ…」


「やっぱり振られてましたか。ちなみに七瀬の事は知ってる?」


「ちょっと分かんないです」


「目が小さくてショートの子。背も低くてさ」


「え~と…」


 焦りをごまかすように後頭部を掻く。名前を聞いても思い浮かばないのだから身体的特徴を並べられても分かる訳がなかった。


「前にね、赤井くんに助けられた事があるの。電車にぶつかりそうになった時に後ろから手を引いてくれたんだってさ」


「まったく記憶に無いです」


「そうかもね。アナタにとってはただの名も知らぬ女子生徒なんだから」


「は、はぁ…」


「けどその子にとっては救世主に見えたらしいわよ。ピンチに颯爽と現れて助けてくれた王子様に」


「王子様…」


 そんな人助けをした覚えがない。知らず知らずのうちに七瀬さんとやらを助け出していたか。もしくは人違いをされている可能性もあった。


「ちなみにダメだった理由は聞いても構わない?」


「へ?」


「七瀬って子に見覚えがないのよね? なら振った理由ってやっぱり…」


「あの…」


「既にお付き合いされてる方がいるとか…」


「ち、違います! そういう人は別にいませんから」


「そうなんだ。それ聞けてちょっとだけ安心」


 咄嗟に嘘をついてしまう。華恋の存在をごまかすように。


「じゃあ絶対にダメって訳ではないんですよね? ただ単に面倒くさかったからとかかな?」


「……そんな感じです」


「ふ~ん、なら希望を捨てるなって励ましておこう」


「いや、あんまり期待させるのは良くないと思います」


「何故ですか? 友達なんだから少しでも良い情報を持ち帰ってあげたいんですけど」


「そ、それは…」


 真実を告げたいが出来ない。そんな事をしたら2人揃って差別の対象にされる恐れがあった。


「別に付き合ってあげてとまでは言いません。ただアナタと仲良くしたがってる子がいるという事で納得してもらえませんか?」


「どういう事? あの記載されてた連絡先にメッセージを送れって事?」


「そうですね。あの子の事を何も知らないみたいだから友達から始めてみてはどうでしょう?」


「友達…」


 それぐらいなら構わないかもしれない。直接本人に会わなければ。けど友達としてやり取りをしたとしても最終的には告白されてしまう。ならやはり接触自体しない方が良いのだろう。


「ごめん。それも無理……です」


「あらら、真面目さんなんですね。それとも硬派なのかしら」


「いろいろ訳があって友達からも難しいっていうか…」


「もしや心に決めた人がいると?」


「はい…」


 片思いしてるという設定で固定した。これなら付き合っている人物を探られないし、華恋と並んで歩いていても仲の良い兄妹ぐらいの認識で終わるハズだから。


「……そうですか。それは悪い事をしてしまいました」


「いえ、これぐらい平気です」


「ん~、でもおかしいなぁ。アナタのお友達に聞いたら好きな人はいないって答えたのに」


「え? 誰がそんな事を?」


「赤井くんのクラスメートの鬼頭くんです。お2人は仲が良かったですよね?」


「鬼頭くんか…」


 以前に彼と恋愛絡みの話題になった時に好きな人の存在を否定した記憶がある。自分と華恋が双子だと知っている数少ない人物なので。下手に関係を勘ぐられては困るのでそう答えていた。


「お友達には言ってないけど本当は好きな人がいるって事ですか?」


「……そうです。恥ずかしいから内緒にしてました」


「へぇ。なら私が初めてその情報を聞いた人間って事ですかね?」


「ま、まぁ…」


 返事を聞いた女子生徒が薄ら笑いを浮かべる。その表情には他意が存在。まるで獲物が罠にかかるのをジッと待っている捕食者のような顔だった。


「あっ、ちなみに私の名前は小田桐おだぎりって言います。小田桐あかね


「小田桐さん…」


「じゃあまた会いましょうね。硬派な王子様」


 女子生徒が取り出した生徒手帳と共に名を名乗る。意味深な言葉を残したかと思えばスカートを翻しながら走り去ってしまった。

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