第6話 抑止と峻拒
「ごめんごめん、待たせちゃったね」
「いえ、呼び出したのは私の方ですから」
地元の駅にあるファミレスへと足を運ぶ。既に来ていた待ち合わせ相手を見つけると向かいの椅子に着席。
「それで用事って何?」
「はい。実は……ていうかどうしてアナタまでいるんですか?」
「付いて来ちゃ悪いのか?」
座った瞬間に華恋と優奈ちゃんが不穏なやり取りを始めた。メンチの切り合いを。
「あ、あの…」
待ち合わせ場所に到着して僅か十数秒。初っ端からピリピリした空気が漂っていた。
「いらっしゃいませ~。こちらメニューになります」
「あ……ども」
狼狽えていると緊迫した状況を打破するように店員さんが登場する。マニュアル的な笑顔を浮かべながら。
「さ~て、何を食べようかなぁ」
「あの、コレ…」
「ん?」
ワザとらしく声を出しながらメニューを閲覧。ページを捲っていると優奈ちゃんが鞄の中から何かを取り出した。
「何これ?」
「今度うちの学校でも学祭やるんですよ。次の週末に」
「へぇ、そうなんだ」
「その招待状です。もし良かったらどうぞ」
「招待状…」
テーブルの上に置かれた用紙を手に取る。可愛らしい動物のイラストが描かれた黄色い紙を。
「うちの学校、出入りに厳しいのでその招待状が無いと入れないんです」
「え!? 学祭なのに?」
「はい。例え生徒の親兄弟だとしてもそれ無しだと校門で止められますから」
「うへぇ…」
まさか家族すらも立ち入りに制限が設けられているなんて。セキュリティレベルの違いを実感した。
「いち、にぃ、さん…」
「生徒1人に対してそれが5枚ずつ配られるんです。それで招待したい人に配布するんですよ」
「へ?」
貰った用紙の数を確認する。その動作が途中で停止した。
「あ、あの……これ5枚あるんだけど」
「はい」
「全部渡しちゃって良いの? 家族の分とか」
「大丈夫です。どうせお父さんもお母さんも来ませんから」
「そうなんだ…」
「このまま無駄にしちゃうぐらいなら先輩に渡して使ってもらった方が有意義かなぁと」
「う、うい」
ご両親は2人とも忙しいのかもしれない。うちみたいに共働きで常に家を空けているとか。
だとしても大切な人を忘れていた。彼女にはもう1人家族と呼べる人物がいるハズなのに。
「他の学校の友達に渡す分とかは?」
「平気です。他校の友人には同級生の子があげる予定になってますので」
「なるほど」
「あっ、ちなみに条件があります。うちの兄にだけは何があっても渡さないでくださいね」
「……はい」
無慈悲な宣告を突きつけられる。同じ兄として同情せずにはいられない台詞を。
「ちなみにこの前うちの学祭に来たのはどうして?」
「先輩が女装するって聞いたので興味が湧いて。日付やら詳しい情報はお兄ちゃんから聞きました」
「そうですか…」
きっとイベントに招きたくて声をかけたのだろう。女装姿を見られるのを覚悟で。なのに本人の学校には来るなと言われる始末。悲惨すぎて涙も出てこない。
「5枚かぁ…」
1枚は自分の分として残り4枚の使い道を思案。隣でメニューと睨めっこしている妹に視線を移した。
「あの……行きますか?」
「ふっ」
予想通りの反応が返ってくる。愚問だと言わんばかりの表情が。
「とりあえず2人分は決定として…」
華恋を誘うなら香織にも声をかけてあげないといけない。1人だけ仲間外れとか可哀想だから。
残りは颯太と智沙が無難と判断。自分以外はバイトもしていないので恐らく予定は空いているハズだ。
「ならありがたく貰っていくね」
「どうぞどうぞ。くれぐれも怪しいオークションサイトで転売しないように」
「りょ、了解…」
「私は多分コスプレして校門付近をウロついてると思うので」
「コスプレだとぉおぉぉぉーーっ!?」
「と、突然何ですか…」
「あ……いや、別に」
「華恋…」
突然、隣にいた妹が発狂する。頬を赤らめながら。
「うちのクラス、自分達の所持品や自作の人形なんかをバザー形式で販売してるんです。もし良かったらどうぞ」
「へぇ。なら優奈ちゃんは宣伝係ってとこかな」
「まぁそうですね」
踏み入れた事のない場所。颯太ほど夢や理想を抱いてるわけではないがドキドキせずにはいられない。女の子だらけの状況に飛び込んで行く事に早くも胸踊っていた。
香織達に声をかけると3人それぞれから了承のメッセージを受信。約一名からは『死んでも行く』という血判状のような返答だった。
「じゃあいくよ。誰が負けても恨みっこ無しだから」
「うおぉ、緊張するぅ」
そして当日、妹2人とお互いを見つめるように向かい合う。それぞれ利き手を懐に隠して。
「ジャ~ンケ~ン」
「ほいっ!」
決まった掛け声と共に手を前方に移動。握り拳を作っている自分と香織に対し、華恋だけが人差し指と中指を立てていた。
「……あ」
場が一瞬だけ凍結する。動画の一時停止のように。
「なら居残りするのは華恋って事で」
「え、え…」
「いつ来るか分からないけど来たら宜しく」
「えーーっ!!?」
昨夜のご飯時、母親から1つの命令が下された。業者の人が警報機の点検に来るから誰か家に残っていてほしいと。
この辺りの住宅を順番に廻ってくるから正確な時間は分からない。ただ運悪くその日付が文化祭の日と被ってしまったのだ。
「しかしまさかこんな日に点検作業とは」
「タイミング悪すぎだよね。せめて1週間ズラしてくれれば良かったのに」
「うん。しかも父さんも母さんもいない日とか」
学祭決定組は外出の準備を開始。いつもより少しだけオシャレな服に身を包み、最低限の手荷物を装備した。
「……っと、これは忘れないようにしないと」
財布の中に保管していた用紙を確認する。これが無いと文字通り門前払いを喰らってしまうので。
「それじゃあ行ってくるね」
「うぅ…」
「何かお土産いる? 買ってくるかは分からないけど」
「……本当に行っちゃうの?」
「へ? そりゃ行かない理由がないんだし」
支度を終えると再びリビングへと帰還。そこには泣きそうな表情を浮かべている敗者がいた。
「私も行きたい。雅人たちと一緒にお祭り行きたい」
「いやいや、無理だって。華恋はジャンケンに負けたじゃん」
「点検なんて無視しちゃえば良いよ。どうせ異常なんか無いんだからさ」
「そういう問題じゃないんだってば。異常が無い事を確認してもらう為の点検なんだから」
「でも家に残ってたら学祭行けないじゃん。私も行く」
「ズルいよ。負けた人が残るってジャンケンする前に決めたじゃないか。誰が負けても恨みっこなしだって」
彼女が駄々をこね始める。聞き分けのない子供のように。
「だって行きたいんだもん!」
「ワガママ言わないでくれよ。最低でも誰か1人が残ってないといけない。そして華恋が勝負に負けた。それが事実」
「そんなこと言われても…」
「恨むなら自分の運の無さを恨みなよ。それとも香織を残らせて2人で学祭に行く?」
「そ、それは…」
揃って視線を横にズラした。話し合いを無言で聞いていた義妹の方に。
「やっぱり華恋が留守番するしかないね」
「……うぅ」
彼女が何を言いたいかは分かっている。どうせ行けないのなら一緒に残ってほしいのだろう。
しかしそれだとメンバーが香織、智沙、颯太の3人に。ほとんど面識がない人物ばかりを向かわせるのは招待状をくれた後輩に悪いのでさすがに無理だった。
「というわけで居残り宜しく」
「じゃ、じゃあ行ってくるね。華恋さん、ごめんなさい」
振り返って玄関へと歩き出す。厳しい台詞を突きつけながら。
「うわあぁあぁぁぁぁっ!!」
「ちょ……何するのさ!」
「行っちゃやだああぁぁあぁあっ、置いてかないでええぇぇっ!」
「離してくれぇっ! くっ付くなぁ!」
その瞬間に背後から凄まじいタックルが炸裂。華恋が取り乱した様子で抱き付いてきた。
「雅人おおぉぉぉっ!」
「やめてくれよ、歩きにくい」
「私も一緒に行ぐううぅぅぅ、置いてけぼりはやだあああぁぁ!!」
「ぎゃあぁーーっ!? 服がっ!」
外出用のシャツがタオルへと変貌する。涙を拭うアイテムへと。
「悪いけど先に出てて。後から行くから」
「わ、分かった…」
こんな所で躓くわけにはいかない。とりあえず目を丸くしていた香織を一足先に逃がした。
「あのさぁ、子供じゃないんだから泣き喚くのやめようよ」
「だって、だっでぇぇ…」
「別に2人っきりで密会する訳じゃないんだから良いでしょ? 皆で余所の学校に遊びに行くだけだってば」
「私も連れて行って。ダメなら一緒に残って」
「だから…」
説得の言葉を聞き入れてくれない。強情な性格を考えたら当然なのだが。
「悪い」
「え?」
このままでは埒が明かないと判断。実力行使に出る為に無防備な脇腹へ手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと…」
「確か敏感だったもんね。特にこの辺りとか」
「やめっ…」
「ほっ」
「く、くすぐった……ダメダメダメっ!」
「そっちが無駄な抵抗するからだよ」
「そこは本当に……くくく」
「なら早く諦めてくれ」
指先を激しく動かす。鍵盤を打鍵するように何度も。
「あっははははっ、やめてってば。触んないでよ!」
「しつこいなぁ」
「あ……んんっ」
「早くしないと遅刻して智沙に怒られちゃう」
「んはぁっ、ハァッ…」
「こんの…」
「ちょ、そこはダメぇ…」
脇腹からお腹にかけて激しくタッチ。目の前にある体はクネクネと動いていた。
「んんっ、んっ…」
「あ、あれ?」
だが途中で異変に気付く。鷲掴みにしている肉が柔らかすぎる点に。イメージより脂肪が多い。しかも微妙に心地良かった。
「ちょっとぉ……いきなり何なのよぉ」
「え? え? へ?」
「……っはあっ、はぁ」
「うわぁーーっ! ご、ごめん」
反射的に飛び退いてしまう。全力でセクハラしていた事実を知って。
「んんっ、んっ…」
「すいません、すいません」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ…」
「申し訳ない」
屈んで様子を確認。同時に胸を触ってしまった事を謝罪した。
「……ば、バカぁ」
「ゴメン、てっきりお腹をつまんでたのだとばかり」
「い、いきなり何て事するのよ。やるならちゃんと言ってからに、しなさいよ……んっ」
「いや、別にそういうつもりで触った訳じゃないから…」
決してやましい気持ちで触れたのではない。不慮の事故。
今なら振りほどいて逃げる事も容易いだろう。けれどそうすると支えを失った体は倒れてしまう。それほどまでに対戦相手はフラフラになっていた。
「とりあえずソファに…」
「んんっ!」
「うわっ!?」
脇に手を回して玄関とは逆方向を目指す。その途中で彼女が顔に急接近。
「……もっと、触ってぇ」
「へ?」
キスしてきたかと思えば耳元で小さく囁いた。有り得ない内容の台詞を。
「さ、触りたいんでしょ? 私の体。ならもっと触っても良いよ」
「いや、あの…」
「大丈夫。覚悟は出来てるから」
「えぇ…」
どうやら予想以上に敏感だったらしい。その表情は熱を出した時のように真っ赤だった。
「……んはぁっ、ハァッ」
「華恋?」
「ま、雅人ぉ……大好きだよ」
「何々、どうしちゃったのさ…」
完全に暴走している。触れてはいけないスイッチを押した事で。
「は、早くしてよ…」
「ちょっ!」
困惑している間にも猛アピールがスタート。胸を体に押し付けてきた。
「ごめんっ!」
「キャッ!?」
「……あ」
「いっつぅ…」
腕を掴んで一歩退く。直後に目の前にある体が床に転倒。
「悪い、帰って来たら謝るから!」
助けたいがこれ以上この場に留まっている訳にはいかない。大慌てで玄関に逃走した。
「うひぃ…」
外に出ても心臓がバクバクと鳴っている。ハッキリと意識出来るレベルで。
「あっ、来た」
「ごめんごめん、待たせちゃったね」
「華恋さん、大丈夫だった? 泣いてたみたいだけど」
「え? あ……うん。たぶん平気」
道路に出ると電柱にもたれかかっている香織を発見。彼女は退屈そうに端末を弄っていた。
「ん…」
さり気なく振り返って様子を確認する。どうやら追いかけてくる気は無いらしい。
「でもどうしようね。チケット1枚余っちゃったけど」
「……む~」
「誰か誘ってみる? それか4人で行っちゃうとか」
「どうしよっかな…」
丸山くんか瑞穂さん辺りに声をかけてみるべきかもしれない。そんな事を考えていると玄関先で遊んでいる小さな子供の姿が目に入った。
「あっ…」
「ん?」
それから暑さが残る道を早歩きで移動する。駅のロータリーで先に来ていた友人を発見した。
「ちーちゃぁぁぁぁん!」
「かおちゃぁぁぁん!」
女2人が大声で叫びだす。運動部を彷彿とさせる抱擁も付け加えながら。
「毎回やってるけど飽きない? それ」
「え? お前、誰?」
「ふざけんなっ! 僕だよ、僕!」
「気にするな。ところでその子、誰よ?」
「ん?」
続けて自分も彼女達の元に接近。話しかけた直後に背後に隠れている人物を指差されてしまった。
「あ…」
「この子はね、隣の家に引っ越してきた子で…」
「は、初めましてっ!」
「あら、可愛い。まだランドセル背負って学校通ってるお嬢ちゃんかしら」
小さな体が丁寧に頭を下げる。照れくささ全開の様相で。
「へぇ。まさかアンタ達にこんな年下の友達がいたとはね」
「この子のお姉ちゃん、僕達の高校の後輩らしいよ」
「ふ~ん、そうなんだ。よろしくね、すみれちゃん」
「は、はい。よろしくお願いします」
偶然見かけたので誘ってみたら彼女はノリノリで参加。ご両親にも許可を貰った上で連れて来た。
子供用の切符を1枚買った後は4人で電車に乗車。定期を使っていつもの駅へとやって来た。
「なんだと! 華恋さん来れないのか!?」
「う、うん。急用が出来ちゃって」
「そんな……なら買ってきたこの花は一体どうすりゃいいんだ」
「そこら辺にでも飾っておいたら?」
「やれやれ、仕方ねぇな…」
改札をくぐると颯太とも合流する。華恋の不在を告げた瞬間に彼のテンションは急降下。持参していた花束をソッと電柱の根元に添えた。
「アンタ、どんだけ華恋に執着してんのよ。ストーカーか」
「うるさい黙れ。智沙は俺達の気持ちが分からないからそうやって思うんだ」
「はぁ? 頭大丈夫?」
「本当は言いたくないんだけどな、実は華恋さんは俺の事を…」
「あ、あの……そろそろ向かわない?」
友人2人が妹の話題で盛り上がる。無理やり間に入って妨害を開始。
「ん? そうだな。たくさんの女の子達とイチャイチャしなくちゃだもんな」
「……やっぱり今から帰ってくれないかな」
全員揃ったので目的地へ。槍山女学園へは駅から路線バスが走っているのだが、天気が良いからのんびり歩く事になった。
「すみれちゃんはどこの学校に通ってるの?」
「東小です」
「あっ、そうか。かおちゃんちの隣に住んでるって言ってたわね。ちなみにアタシは
「へぇ、そうなんですか」
女3人が地元の話題で盛り上がっている。そのすぐ前を颯太と並んで歩行。
「女子校の学祭って何やるんだ。メイド喫茶とかあんの?」
「どうなんだろう。規律に厳しそうだからそういうのは無いんじゃないかな」
「野球拳とかやってないのかな。水着を着てプールで騎馬戦とか」
「話聞いてる? 共学の所より厳しいんだってば。それ普通の学校でもやれないレベルの出し物だよね?」
会話をしながらも意識は別の部分に集中していた。家に残してきた妹の存在へと。
「うぅ…」
確実に機嫌を損ねているに違いない。自宅に帰る事に恐怖心を抱き始めていた。
「おぉ、着いた着いた」
それからダラダラと歩き続けて目的地へとやって来る。たくさんの女子がいる空間に。入口には学校名と文化祭を大々的にアピールする看板を発見。せっかくなので皆で記念撮影をした。
「5人お願いします」
「はい」
財布から招待状を取り出す。枚数を確認した後は受付にいる生徒に提出した。
「こ、これは!?」
「え? 何かまずかったですか?」
「いえ、大丈夫です」
「………」
本当にこんな紙切れで鉄壁を越えられるのか。そう不安に駆られていたがあっさりと進入に成功した。
「うおおぉおぉぉ、すげーーっ!! 女子ばっかだ!!」
颯太が奇声を発する。赤い制服を着た女子の群れを見て。
予想していたよりも男女比率の差が凄い。来場者のほとんどは女性だった。
「うひぃ…」
場違い感がヤバい。来てはいけない場所に足を踏み入れてしまった気分。
「……先輩」
「え?」
辺りの視線を気にしていると声をかけられる。聞き覚えのある優しくて暗い声に。
「あっ、優奈ちゃん」
「よく来てくださいました。お待ちしてましたよ」
「ま、魔女?」
振り向いた先には招待状をくれた後輩が存在。ただ彼女は全身黒の衣装に身を包んでおり別人に変貌していた。
「はい、魔女です。今日の為に頑張ってミシンで作ってみました」
「へぇ、そうなんだ。凄いね」
「というのは冗談で本当は雑貨屋さんで買ってきました。手作りではありません。私、裁縫とか嫌いなんで」
「あ、そう…」
よく分からないボケが炸裂する。ツッこむべきか判断が難しいジョークが。
「あら、可愛い」
「うわぁ、ハロウィンだぁ」
続けて同行していた女性陣が後輩の周りへ。突発的な品評会が始まってしまった。
「ちょっ…」
「この肩に乗ってる猫は人形なの?」
「はい。首に巻き付けるタイプのヌイグルミなんです」
「へぇ、ならこの杖は本物なのかしら?」
「あ、あの……本物とはどういう意味でしょうか」
智沙と香織が黒い衣装をベタベタと触りまくる。遠慮の無いおばちゃんのように。
「いいなぁ。私も着てみたい」
「あれ?」
「うん」
「さすがに高校生の服を小学生が着る訳には……と思ったけど体のサイズはそこまで違わないか」
女性陣の中で唯一馴れ合いに加わらないすみれと会話を開始。頭の中で性悪な魔女を思い浮かべた。
「と、とりあえず皆さん。本日は我が校の文化祭まで足を運んでいただいてありがとうございます」
「いえいえ」
「厳しそうなイメージの学校ですが、柔軟な性格の生徒が多いので楽しんでいってください」
「は~い」
「私はご一緒出来ませんが、もし道に迷ったり困った事があれば腕章を付けている生徒に尋ねてください。文化祭の実行役員なのでいろいろ教えてくれますので」
「イエッサー!」
大まかな出し物の配置や、お勧めのイベントなんかを教えてもらう。優奈ちゃんは同行出来ないらしいので名残惜しいが別れて奥へ。
「ん~、どれどれ」
「おい。俺にも見せてくれよ」
入口で貰ったパンフレットに皆で注目。遠足のしおりを彷彿とさせる用紙を広げた。
「体育館でコンサートと演劇やるみたいよ」
「誰が出るの? 芸能人?」
「バァ~カ、この学校の生徒がやるに決まってんでしょうが」
「脱出ゲームってのあるよ。楽しそう」
「本当だ。なら後で行ってみよっか」
それぞれが気になる出し物に足を運んでみようという流れに。自分は特にこれといった希望が無かったのでひたすら後ろから付いていく事にした。
「ちょっと、アタシのフランクフルトかじったの誰!?」
「モグモグ……さぁ、俺はモグモグ知らないな、モグ」
「貴様かぁーーっ!!」
「ぐあっ!?」
チャレンジ式のゲームで楽しんだり、唐揚げやらお好み焼きを食べて空腹をしのいだり。自分達の学祭では皆バラバラに行動していたので全てが有意義だった。
「どしたの? さっきから元気なくない?」
「う、うぅん。大丈夫…」
「ん?」
約一名だけ暗い顔をしているメンバーを見つける。厳密に言えば作り笑顔を振りまいている子供を。
「気分悪いなら言いなよ。倒れてからだといろいろ困るし」
「別に平気。ちょっと食べ過ぎちゃったのかも、あはは…」
「本当かな…」
もしかしたら緊張しているのかもしれない。知らない人達に囲まれているので。
「どこか行きたい場所ない? ここ見たいってリクエストは」
「特には無いかな。雅人くん達が行きたい場所に付いて行くから大丈夫だよ」
「すみれの気になる出し物あったらそっち行くよ。お金の事は心配しなくて良いから」
「本当に平気。だからあんまり気を遣わないで」
「ふ~ん…」
口では強気だが要所要所に陰りが存在。明らかに普段と比べてテンションが低かった。
「これ可愛い~」
「こっちのとお揃いみたいだよ。リボンの色が違うんだね」
校内を散策中に優奈ちゃんのクラスを訪れる。生徒の私物が多数並ぶバザーへと。
出入りが厳しい割に出店品の制限は緩いらしい。手作りの人形やネックレスが売られており集客力は高かった。
「お兄さんお兄さん。何か買っていかない?」
「え、え~と…」
「彼女にプレゼントしたら喜ばれるよ。このヌイグルミとかさ」
「彼女…」
熱心に物色している智沙と香織から離れて歩く。その途中でサングラスとマスクを装着した女子生徒が接近。
「う~ん…」
お土産ぐらい買っていくべきかもしれない。小物類を前に屈み込んだ。
「これなんかどう? モザイクが消せる装置」
「それはちょっと…」
「ならこっちは? 嫌いな相手に不幸をお見舞い出来る呪いのソルジャー人形」
「特に恨みを持ってる相手はいないので」
「ん~、だったらこの超回復促進プロテイン下剤はどうだ!?」
「……何、ここ」
怪しげな商品ばかり売られている。不気味に動くロボットに、紫色をした怪しい液体等が。
新品同様のバッグが売られていたのでそれを購入。お金を渡すと女子生徒からサムズアップを向けられてしまった。
「すみれは欲しい物ないの?」
「む~」
「1個だけなら買ってあげるよ。好きなの選んで良いから」
「む~、む~」
ついでに連れにも声をかける。並べられているクマの人形をずっと凝視している同行者に。
「これが欲しいの?」
「お姉ちゃんが好きなんだよね、こういうの。たくさん集めてるから」
「へぇ、ならお土産にどれか1つ買ってく?」
「んん~、でも私も欲しいしなぁ」
「あぁ。それで悩んでたのね」
自分の分かお姉ちゃんの分かで迷っているのだろう。何とも可愛らしい悩みだった。
「いいよ、なら2人分買っていこう。特別に大サービスだ」
「え、良いの!?」
「せっかくここまで来たんだからね。選別は任せる」
「ならコレとコレとコレと、それからコレと」
「ちょ……いくつ買う気なのさ!」
なるべく綺麗そうなのを選んで購入。赤と黄色のリボンを付けた色違いのヌイグルミを。お金を渡すと再び女子生徒からサムズアップを向けられてしまった。
「ありがとうね、雅人くん。きっとお姉ちゃん喜ぶよ」
「いつか返しておくれよ。社会人になったら」
「大丈夫大丈夫。そのうち10倍にして返すから」
「また適当な事を…」
熊の人形を10倍返してもらっても嬉しくない。迷惑なだけ。ただ彼女の顔には少しだけ笑顔が戻っていた。
「あの2人いつまで粘るんだよ。もう20分はここにいるぞ」
「本当だね。ずっと見てて飽きないのかな」
買い物を済ませた後は廊下で待機していた颯太の所へと戻ってくる。まだ教室で物色を続けている女子2人を横目に。
「ん? 何か買ったの?」
「うん。この子へのプレゼントと華恋へのお土産を」
「エッヘヘ。人形買ってもらいました」
「へぇ、良かったね」
颯太の伸ばした手が小さな体に移動。そのまま頭を優しく撫でた。
「はあぁ……しかし待ってるだけってのは退屈だなぁ」
「確かに」
「そういえば恵美ちゃんはどこにいんだよ。さっきの校門にいた子とは違うクラスなのか?」
「……あ」
会話の流れでもう1人の後輩の存在を思い出す。この学校に在籍している生徒を。目の前の教室を見回してみたがそれらしき姿を発見する事は出来なかった。
「トイレかな…」
ひょっとしたらどこかで宣伝係をやっているのかもしれない。入口にいた魔女同様にコスプレをして。
「だああぁあぁぁーーっ!! もう我慢出来ん!」
「何々? どうしたの?」
「雅人。俺、別行動とるわ」
「へ?」
「ここであの2人待ってるの退屈だからどっかその辺フラフラしてくる。終わったら連絡してくれ」
「ちょっ…」
購入物を確認していると痺れを切らした友人が立ち上がる。彼は制止の声も聞かず人混みの中に突撃していった。
「えぇ…」
自分も付いて行くべきかもしれない。しかし迷っているうちに見失ってしまったので諦めた。
「……どうしよう。僕達もどっか行く?」
「どこに?」
「どっかその辺ブラ~っと」
「仕方ない。付き合ってあげますかね」
「別に無理しなくてもここに残っててくれて良いよ」
退屈そうにしているお供に声をかける。香織達に『適当に散歩してくる』とだけ伝えてその場を離脱。
「学校どう? クラスに慣れた?」
「ん~、どうだろね」
「友達出来た? 仲良くしてくれる子作れた?」
「で、出来たり出来なかったり…」
「どっちなのさ?」
恐らく作れていないのだろう。もし本当にいるならごまかす意味が無いから。
「だって仕方ないじゃん。先生もクラスメートも『何でこの時期に転校してくんの?』みたいな目で見てくるんだもん」
「そうだね。せめて一学期からなら良かったのに」
「卒業アルバムの写真撮るから~とか言われても私には何の思い出もない教室ばっかだしさ。泣きたくなるわ」
「あははは、そりゃそうだ」
「早くも学校行きたくなくなったんですけど。どうしたら良いと思う?」
「中学生になったら環境も変わるから一応は行っておいた方が良いよ。あと半年の辛抱さ」
人の少ない校舎裏を歩行。お店が並んでいないので静かだった。
「雅人くんは友達たくさんいるの?」
「……昔はあんまりいなかったかな。少なくともすみれぐらいの歳の頃は心の底から信頼出来るクラスメートはいなかったよ」
「へぇ、そうなんだ」
友達の存在意義について考えた事がある。会話していて楽しい人なのか。それとも一緒に遊ぶ為の人なのかと。
皆が持っているゲームを自分も買ったら友達なんだと思っていた。仲間外れにされたくないから周りに同調。
本能を押し殺して生きるのが楽しくないと分かっている。ただ空気を読まないと変わり者扱いされてしまうのも事実だった。
「なら私も中学生になったら友達作れるのかな?」
「出来るさ。そう思ってないとやってられないよ」
「ちょっと見てみたいかな。小学生だった時の雅人くん」
「タイムマシン作って見てきなよ。誰かさんより真面目な子供だったから」
「うっわ、酷。これでも私、前の学校では無遅刻無欠席の優等生だったんだよ」
「前の学校では友達いたの?」
「いたよ。男子にも何人かね」
「そっか…」
転校というのは子供にとって辛い出来事のハズ。今まで形成してきた世界観を全て投げ捨てないといけないのだから。
「あれ?」
目的もなく歩いていると見知った人物を発見。同じクラスに在籍している男子生徒を見つけた。
「よう。赤井くんも来てたんだ」
「うん、友達とね。鬼頭くんも誰かに招待状貰ったの?」
「中学の時の知り合いに。後輩と一緒に遊びに来たんだよ」
「あ、そうなんだ」
向こうもこちらに気付いたようなので互いに接近。彼の数メートル後ろには面識のない男女グループが存在していた。
「優奈に会った? アイツ、魔女みたいな格好してたんだけど」
「ハロウィンのコスプレだってさ。なかなか似合ってたんじゃないかな」
「まぁ今日はアレを見にわざわざ足を運んだんだけどな。バッチリ写真も撮ってきてやったぜ」
「……い、嫌がられなかった?」
「ちょっと渋った顔してたけど普通にピースしてくれたよ。画像欲しいって言われたから後で送っておかないとな」
「へぇ」
てっきり反発されると思っていたのに。なんやかんやで仲は良いらしい。
「せっかくの身内の学祭だもんね。こういう時じゃないと校舎の中とか見れないし」
「うん。それにもう少ししたら会えなくなるかもしんないからさ」
「ん?」
ケータイを見つめる彼の顔に陰りが発生。気のせいかテンションが下がっていた。
適当に雑談を繰り広げると鬼頭くんと別れる。中学時代の仲間という人達の所へ戻って行った。
「お友達?」
「うん、クラスメートなんだ。入口にいた魔女の子のお兄さんなんだよ」
「へぇ。雅人くんと違ってイケメンだったね」
「……悪かったね。面構えが悪くて」
復帰早々に嫌味をぶつけられる。ニヤついた表情の児童に。
「服装とかオシャレだったよね、雅人くんと違って」
「悪かったね。ファッションに鈍感で」
「女の子にモテそうなオーラあったなぁ。雅人くんと違って」
「そっかそっか、そんなに人形いらないんだ。なら返品してくるよ」
「わーーっ、わーーっ! ごめんなさい!」
それから香織達と合流して再び校内を散策開始。颯太とは連絡が取れなかったので4人での行動となった。
何度かメッセージ送信してみたが無反応。そして中庭にある人混みまでやって来た時にようやく彼と合流する事が出来た。
「よう、お待たせ」
「え? 君、誰?」
「ふざけんなっ! 俺だよ、俺!」
「悪い悪い。ていうか一体今までどこで何やってたのさ」
「ん? 女の子2人が漫才やってたからずっとそれ見てたんだよ」
「漫才?」
話を聞くと普通に出し物を廻っていたんだとか。ナンパをしていたかと疑っていたから一安心。
「そうなんだよ。ボケの子がなかなか可愛くてさぁ」
「へ、へぇ。良かったじゃん」
「飛び跳ねる度にスカートが捲れてよ。見えそうで見えないのが何とも悔しかったわ、デヘヘ」
「スケベ…」
外れたと思っていた予想がブーメランのように返ってくる。彼がまともな思考で動く訳がなかった。
その後、一通り廻り終えたので退散する事に。智沙にブッ飛ばされた颯太を引きずって入口へとやって来た。
「今日はありがとうね。そろそろ帰るよ」
「こちらこそわざわざ来ていただいてありがとうございました。大したお持て成しも出来なくてすみません」
「いやいや、参加チケットくれただけで嬉しかったよ。良い物も買えたし」
「それは何より」
制服姿に戻っている優奈ちゃんに声をかける。寒くなったから着替えたらしい。彼女はこれから友達と自由時間を楽しむんだとか。
「そういえば紫緒さんは? 教室のどこにもいなかったんだけど」
「あぁ、恵美は部活の出し物に出てるんですよ。だからクラスのバザーには参加してないんです」
「そうなんだ。部活って何やってるの?」
「演劇部です」
「演劇部!?」
体育館で行われている劇に参加していたとの事。不覚にも見逃してしまった。
「演劇部って意外だ。でも部活動に参加してるのにバイトしてて良いの?」
「幽霊部員だから問題ね~って言ってました。あんまり顔を出さなくても平気な所らしいんです」
「へ、へぇ……結構緩い部活なのね」
「今回は事故で亡くなったお化けの役をやるって言ってましたよ。私も見たかったのですが時間が合わなくて」
「あ、そっちの幽霊なのね」
どんな舞台が行われていたのか気になる。予め本人から情報を入手しておけば良かったと後悔。
「またね~」
最後にもう一度だけ挨拶を済ませると外へ。辿って来た道を遡って駅へと戻った。
「……帰って来てしまった」
家先の道路で立ち竦む。友人や隣人の子供とは別れ義妹と2人きりの状況で。
「どうしたの? 入らないの?」
「いやぁ、我が家はなかなか立派だなぁと思って」
「頭でも打った?」
「むしろぶつけて気絶したいぐらいだよ」
今朝の出来事が脳裏に浮かんで足が動かない。1人だったなら間違いなく逃げ出していた。
「ただいま~」
「た、ただいま…」
とはいえいつまでも躊躇っていても仕方ない。覚悟を決めて玄関をくぐる。前を歩く小さな背中に隠れながら。
「……あ、おかえりなさい」
「ごめんね、華恋さん。留守番任せちゃって」
「うぅん、気にしなくて良いよ。楽しかったみたいで良かったね」
リビングにやって来ると香織が臆する事なく話しかけた。ソファに座っていた華恋に。
「雅人もお帰りなさい」
「た、ただいま…」
「へへへ…」
「ん?」
彼女と目が合う。だがすぐに逸らされてしまった。
「え、え…」
様子がおかしい。てっきり怒り狂って飛びかかってくるかと思っていたのに。その体からは怒気や不満という感情が微塵も感じられなかった。
「何なんだ…」
戸惑いながら身構えていたが優しく出迎えられただけ。結局、両親が帰宅してからも華恋は大人しさを維持。
「あっ、いけね。お土産渡し忘れてた」
そして風呂上がりに自室へと戻ってくる。ドアを開けた瞬間に机に置かれているバッグを発見。制裁の事ばかり考えていて渡し損ねてしまった。
「むぅ…」
早く処理してしまいたいが行動に移せない。双子の妹と対面する状況が恐ろしすぎて。
「誰!?」
どう処理するべきか悩んでいるとドアをノックする音が聞こえてくる。何者かの訪問を知らせる音が響いた。
「わ、私。入っても良い?」
「うっ…」
振り返った先には薄ら笑いを浮かべている妹が存在。最悪な来客の登場だった。
「ごめんね、こんな時間に」
「いや、良いよ。ちょうど渡そうと思ってた物もあるし」
「え? 何だろ。嬉しい気持ちになれる物かな」
「どうでしょうかね…」
主導権を握るように話題を切り出す。都合良く手にしていた小物を突き出しながら。
「これ。今日買ってきたんだけど」
「わあぁ、可愛い。貰っちゃって良いの?」
「う、うん。連れて行ってあげなかったせめてもの罪滅ぼし」
「……ゴメンね。いろいろ気を遣わせちゃって」
「へ? いやいや、謝らなくても。むしろ頭下げなくちゃいけないのはこっちの方なのに」
「うぅん、こうやって優しくしてくれるだけで私は嬉しいから。本当にありがとうね」
「どういたしまして…」
どんな反応をされるか怯えながら待機。けれど返ってきたのは屈託のない笑みだった。
「エヘヘ、嬉しいなぁ」
「んっ…」
よっぽどお気に召したのかバッグをマジマジと観察している。恍惚とした表情で。
「あ、あのさっ!」
「はい!?」
「その、えっと…」
「何でしょう…」
しばらくすると状況が変化。お土産を机の上に置いた彼女が振り向きながら話しかけてきた。
「あ、朝の続き……してほしいかな」
「……へ?」
「だから朝の続きを…」
「え、え? 何?」
「今朝いろいろしてくれたでしょ? またやってほしいなぁって」
「はぁ?」
無意識に口から言葉が漏れる。自身でも驚いてしまうような愚鈍な声が。
「ちょ、ちょっと待って。アレはワザとじゃなくて本当に偶然で…」
「そんなのどっちでも良いからさ。またやってよ。ね?」
「いや、もう無理っす。あんな卑猥な真似、二度としたくないです」
「なんでよ? 今朝はあんなに激しく触ってくれたのに。それとも疲れてるから出来ないって事?」
「違う違う。例え元気が有り余っていたとしてもしないから」
「じゃあ無意識で胸を触ったの? おかしいよ、それって」
「だからお腹をこしょぐるつもりで触れただけなんだってば。それ以上の出来事は意図的なものではないんだよ」
思い出しただけでこっ恥ずかしい。要領の悪さが原因で新たな黒歴史を生み出してしまった。
「な、なら私どうすれば良いの。今日、1日中ドキドキしながらお兄ちゃんが帰ってくるのを待ってたのに」
「お兄ちゃんって何さ。久しぶりの兄妹プレイ?」
「このモヤモヤ感を残したまま寝られそうになくて。だからゴメンッ!」
「うわっ!?」
言い訳を繰り広げていると彼女が体全体で飛びかかってくる。試合中のプロレスラーを彷彿とさせる勢いで。
「大好き、お兄ちゃん。愛してるっ!」
「ちょっ…」
「もう今の華恋は超ラブラブモード。自分でも止められないの」
「ど、どいてくれよ! 重たいんだってば!」
「ずっとお腹の辺りがムズムズしてて。体がいつも以上に敏感になってるっていうか…」
「このっ…」
「もう何しても怒らないよ。だから……メチャクチャにして」
「……え」
背中をベッドにつけながら必死で抵抗。しかしその動きは途中で停止した。
「お願い、先の事とか考えずに今だけ…」
頬に温かい息がかかる。意味深な台詞と共に。
「華恋…」
彼女の望んでいるのはきっと恋人同士が辿り着く最終地点。自分が未だ経験した事のない行為。
興味が無い訳ではない。ただそれ以上に溢れてくるのは戸惑いの感情。今いるこの場所も、人も、状況だって。素直に受け入れていいものではなかった。
「きゃっ!?」
精一杯の力を振り絞って投げ出す。目の前にあった体を。
「い、いい加減にしてくれよ。そういう事されるの迷惑なんだよ!」
「え?」
「ここがどこか分かってる? 自分達の家なんだよ。そんな場所でその……そういう事が出来ないの分かってるでしょ?」
「ま、雅人?」
「恥ずかしいとか照れくさいとかそういう話じゃないんだよ。やったらマズい事なんだって」
「それは…」
「もっとしっかりしてくれ。見つかったら顔を赤くするだけでは済まないんだからさ」
焦りを怒りに変換するように強めの口調をぶつけた。拳を握り締めながら。
「な、なんでそういう事言うの。私の事嫌いなの?」
「そうじゃないってば。今のこの状況がマズいんだよ」
「皆、もう部屋に戻ったから大丈夫。寝ちゃってるって」
「そんなの分からないじゃん。そもそもそういう問題でもないし」
「で、でも…」
「あと華恋にそういう事するの……ヤダ」
空気が気まずい。床にいる人物と目線を合わせられなかった。
「……え、どういう事? なんで私とエッチしたくないの?」
「ちょっ…」
「私の事が好きなんじゃないの? 好きなんでしょ? 好きって言ってくれたよね? ねぇ!」
「……確かに言ったよ。言ったけどさ、とにかく嫌なんだよ」
「なん、で…」
「自分でも分からない。好きだけど受け入れたくないっていうか、そういう事しちゃダメっていうか……上手く言えないけど良くない感じがする」
咄嗟に嘘をつく。NGな理由はとっくに承知しているハズなのに。
今まで通りの冗談口調なら平気で言葉に出来た。何度もそれを理由に彼女を拒み続けてきたのだから。
なのに今は出来ない。それは互いの関係性が変わっている証だった。
「な、なら今朝した事は…」
「本当に偶然」
「じゃあ2人でホテル行ったとしても…」
「したくない。というか出来ない。例え大好きな華恋相手でも」
「ん…」
お互いに黙り込んでしまう。時間が停止したのではないかと錯覚してしまう空間の中で。
「今朝の事はこっちが悪かったよ、ごめん。でも無理だから諦めて」
「私がこんなにお願いしても?」
「ごめん」
「取り返しのつかない事になっちゃっても構わないとしたら?」
「嘘ばっかり。本当はそうなる事を怖がってるクセに」
一時的な感情に流されているだけ。ただそれだけ。もし本能に流されて最悪な結果を迎えたとしたら一番後悔するのは彼女だった。
「嘘つきなのは雅人の方だよ。私の事好きって言ってたのに。もう二度と離さないって言ったクセに」
「言ったよ、確かに。でもやっぱり良くない事は良くないよ」
「キスはしてくれたのに?」
「……キスと性行為は違う気がする。今、ここで華恋の願い事を叶えてあげちゃったら二度と普通には戻れない気がするんだ」
思い返す度に辛くなる。目の前にいる人物との出逢いも繋がりも。
傷つけてしまったかもしれないが恐らくこれが最も正しい選択肢。踏み込んではいけない領域の一歩手前まで自分達は歩いて来てしまっていた。
「べ、別に良いじゃない。恋人同士なんだからエッチな事したって」
「恋人であると同時に兄妹なんだよ。プラス家族」
「おじさん達だってそういう事してる。家族だなんてのは言い訳」
「と、父さん達は夫婦だからだし。関係性が僕達とは違う」
「なら……私達は一生エッチ出来ないって事?」
「そういう覚悟で華恋はこの家に帰って来たんじゃないの?」
中途半端な気持ちで付き合う事を了承してくれたとは思いたくない。流されるままの人生では望んでいる場所へ辿り着く事は不可能だから。
きっと彼女は淡い希望だけを抱いてこの場所へとやって来た。覚悟を持たないまま。
「……バカっ! 雅人がそんな風に言うなら浮気してやるから!」
「そんな真似しない事は知ってるからビビらないよ」
「ほ、本当にするからね。脅しじゃなくマジでしてやるもん」
「そしたらお別れだね。残念だけど」
「告白してきた相手にOKしちゃう。ナンパされたら付いて行ってエッチしてやる」
「ホテルに行っちゃうって事?」
「そ、そうだよ。雅人の知らない所で他の男に体とか触らせちゃうからね!」
反論はせず黙って見下ろす。悔しそうに歯を食いしばっている口論相手を。
「ん…」
可哀想だと思った。強がっている彼女ではなく、まだ双子だと知らされていなかった頃の自分達が。
思い切って告白したあの時、いつかはこんな日を迎えるんじゃないかとは思っていた。それがまさかこんな形で訪れる事になるなんて。
「ぐっ…」
華恋が顔を隠しながら立ち上がる。このまま粘っても何も変わらないと悟ったのか部屋を出ていった。
その後ろ姿を引き止めもしないし慰めもしない。そして笑いも泣きもしない。心の中にあるのは僅かばかりの後悔と大きな虚しさだけ。
「……はぁ」
溜め息をつきながらベッドに倒れ込む。1年前に華恋を好きになってしまった自分を恨んでいた。
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