第5話 恥と悦
「うおりゃあっ!! 今日は文化祭でやる出し物を考えるぞ、うおりゃあっ!!」
担任が教卓に手を突いて熱弁を奮っている。テンションの低いクラスメート達とは結構な温度差で。
「ふぁ~あ…」
二学期になって登校したのだが再会を分かち合う雰囲気はたった1日で消滅。翌日にはあっという間に普段通りの授業風景へと元通り。緊張感がまるで無かったのでつい欠伸がでてしまった。
「おぃ~す」
「あっ、来た来た」
昼休みになると中庭に移動する。手に清掃道具を持ちながら遅れてやって来た鬼頭くんを出迎えた。
「学祭の出し物かぁ。どうしよっかなぁ」
「明日までに1人1個考えてこいってね。クラスで話し合って決めれば良いのに」
「まぁクラス全員分の意見を集めてそこから決めるって事なんだろうな。けど何にも思いつかないや」
「僕も。とりあえず無難に喫茶店とか言っておけば良いかなぁとは思ってるよ」
新学期を迎えたが席替えはまだなので班はそのまま。なので代わり映えしないメンバーでの活動となった。
「喫茶店は定番だよね。他のクラスと被りそうな気もするけど」
「集客を望むなら目を引く物がベスト。かといってあまりにも個性的な出し物だと誰も近寄ってくれないし」
「やるなら準備に時間がかからないのが良いな。喫茶店って何を用意すりゃ良いんだろ」
「カップに材料に……専用のテーブル?」
「テーブルもか。教室の机じゃダメなの?」
「机だと雰囲気が出ないと思うよ」
「あぁ、確かに」
掃除もほどほどに雑談を繰り広げる。相変わらずサボっている女子2人を視界に収めながら。
「赤井くんのクラスって去年は何やったの?」
「うちはレース大会。コースを繋ぎ合わせてマシンを走らせまくってたよ」
「あ、それ覚えてるわ。俺も行った行った。あれ、赤井くんとこのクラスだったんだ」
「男子がたくさん集まってたんだよね。タイムアタックしてランキング付けたり」
去年の学祭は異様に盛り上がっていた。買い溜めしておいたパーツをその場で販売したり、マシンの撮影大会を開いたり。
ただ盛り上がる男子とは反対に女子からは冷ややかな視線が集中。賛否両論な出し物だった。
「丸山くんは良いアイデアある?」
「いや、特には…」
「そっか」
「……ん」
ついでに近くにいた友人にも声をかけてみる。けれど返ってきたのは素っ気ない対応。
彼は教室だとよく喋るのに清掃時間の時だけ口数が少ない。いまだに鬼頭くんに対して苦手意識を持っているようだった。
「あれ? もう終わりか」
「全然捗らなかったね」
「まったくだよ」
「さ~て、帰ろ帰ろ」
適当に雑談を繰り広げているとチャイムが鳴り響く。その音に反応して全員その場を退散。
教室へ戻りホームルームを受けると自動的に解散の流れに。夏休み明けだから1日の予定がまだ短かった。
「じゃ、じゃあ先に帰るから」
「うぅ…」
「頑張って」
机に突っ伏している女子生徒に声をかける。脱力感満載の妹に。
「……本当に先に帰っちゃうの」
「ん?」
立ち去ろうとした瞬間、彼女が体勢を変更。泣きそうな表情でムクリと起き上がった。
「いや、だって僕は宿題完了させたし」
「一緒に残ってやってくれない? せめて終わるまで待っててくれるとか」
「嫌だよ、そんなの。意味ないもん」
「バカ、バカバカバカッ!」
「バカは放置してた華恋だよ…」
そもそもバイトがあるのだからここに留まっている訳にいかない。居残りさせられるのは自業自得だった。
「ほら、頑張って。健闘を祈る」
「ふえぇ~~ん」
再び机に突っ伏す華恋を後目に教室を後にする。こればかりは自力で解決するしかないのだから。
「だから毎日少しずつ進めておきなって言ったのに…」
中身の軽い鞄を引っさげて廊下へ。すると違うクラスの前で思わず足を止めた。
「智沙…」
席に座って宿題に取り組む数名の生徒が存在している。その中に友人の姿を発見。彼女はうちの妹同様に机に頭をくっつけてうなだれていた。夏バテでも引き起こしたかのように。
「そういえばもう三年生は部活に出なくても良いのか…」
文化系はともかく、運動部の人達はこの夏に引退している。秋や冬に大会が開かれる以外の部は夏までが活動期限だから。残りの半年間は就活や受験に向けての勉強のみ。つまり三年生にとっての文化祭とは高校生活最後のイベントといっても過言ではなかった。
「……頑張って」
遠くからエールを送って歩き出す。本人には聞こえない大きさの声で。しばらくすると更に違う教室で足を止めた。
「颯太…」
机に突っ伏している友人を見つける。やる気なさそうにヘたれ込んでしまっている男子生徒を。
彼も華恋達と同様の理由で居残りさせられたのだろう。毎年恒例の出来事だが呆れずにはいられなかった。
「どうして皆やって来ないんだ…」
不運な境遇を嘆きたくなる。類は友を呼ぶを強烈に痛感した瞬間。彼らの仲間入りをしないように願いながら急いでその場を後にした。
「香織も居残りさせられてたの?」
「先生ったら酷いんだよ! 女子は私1人しかいないのに男子と一緒に教室に残すんだから!」
「いや、それ普通だし…」
帰宅後、リビングで家族に出迎えられる。テレビを見ていた両親と、不機嫌な妹2人に。
どうやら宿題をやらずに夏休みを過ごしていたサボリ魔がもう1人いた事が判明。真面目に取り組んでいた行為がバカみたいに思えてきてしまった。
「そういや華恋は学祭の出し物考えた?」
「……んあ?」
「1人1個考えてきなさいって言われたじゃん」
途中で話し相手を切り替える。黙々とノートに英文を走らせている双子の妹に。
「何か良いアイデア思いついた?」
「……そうねぇ。処刑台とかで良いんじゃないかしら」
「あの……それただ単に先生達を消し去りたいだけだよね?」
「ひひひひひ…」
「うぇえ…」
彼女の目つきが怖い。怨み辛みを溢れさせたような表情を浮かべていた。
「冗談よ。メイド喫茶とかで良いんじゃない?」
「あぁ、華恋にピッタリだね」
「校内で堂々とコスプレ出来るなんて最高だし。皆でいろいろな格好したら楽しそうじゃん?」
「確かに」
毎年いくつかのクラスは開いている。ウケ狙いで。
しかし華恋のその提案は少し変わった形で実現する事に。翌日の学級活動で決まった出し物は頭を抱えたくなるような物だった。自分だけではなくクラスの男子全員にとって。
「ちくしょう! どうしてこんな変な出し物やらなくちゃならないんだ!」
「……っていう意見を女子の前で言えないのが僕達の悪い所だよね」
「本当にな」
昼下がりの中庭、ホウキを手に持ちながら各々愚痴をぶちまける。サボっている女子2人を横目に。
「はあぁ、鬱になるわぁ…」
「嫌だよね。楽しみだったイベントがだんだん怖くなってきたよ」
「俺も着る事になるのかな……なるんだよな。嫌だわぁ」
「あの2人がノリノリだったからそうなるんだろうね」
「こんな時ばかりやる気になりやがって…」
うちのクラスで決まった出し物。それはコスプレしての喫茶店。華恋の考えていたアイデアを別のクラスメートが提案したのだが、その内容が少々異なっていた。
着る衣装というのが学校の制服。普段、自分達が身につけている制服を男女で逆転させる事に。女子がズボンを穿き、男子がスカートを穿いての接客だった。
ただ全てのクラスメートが制服を入れ替える訳ではない。男女の数に差があるし、そもそも体のサイズが違うから。
なので参加するのは制服を男子に預けても良いという女子と、それを着れる男子だけ。衣類を借りる男子は有無を言わさず制服を女子に捧げる事を約束させられていた。
男子がやる気のない連中ばかりなのを良い事に女子が一方的に決定。簡単に見積もっても全体の3分の1は条件を満たしているらしい。
鬼頭くんも丸山くんも女装する事がほぼ確定していた。同じ班の女子2人が自分達の制服を貸し出すと学級活動中に提案してしまったので。
そして自分もスカートを穿く事がほぼ確定。制服を貸してくれる女子が同じ家に住んでいたからだ。
「ちょっと動かないでよ、うまく下ろせないじゃない!」
「やめてくれよ! 嫌だって言ってるじゃないか!」
「うるさい、黙れ。大人しく脱ぎなさいっての」
「ぎゃあぁあぁぁっ!!」
ずり落ちそうになるズボンを必死で押さえる。下半身にしがみついてくる華恋に全力で抵抗した。
「ちょろ~っとスカート穿くだけじゃない。それの何が嫌なのよ」
「嫌に決まってるじゃん。男がスカート姿になるんだよ? 違和感ありまくりじゃないが」
「んな事ないって。女装男子なんて今時珍しくもないし」
「いやいや、僕はそういう趣味とかないから」
帰宅してからずっとこんな調子。謎の攻防戦を展開。
すぐ近くでテレビを見ていた香織に助けを求めたが助けてくれなかった。むしろ大笑いしてくる始末。
「は、離してくれ。パンツが見える」
「だぁからさっさと脱げって言ってんでしょうが。男のクセに諦めが悪いわよ」
「その男のプライドを守りたいから抵抗してるんだよぉ…」
なぜこの平和な時代に追い剥ぎに合わねばならないのか。理解に苦しんでいるとソファに座っていたギャラリーが近付いてきた。
「華恋さん、私がまーくんを押さえとくからその間にズボン脱がしちゃって」
「ちょっ…」
「おっけぇ。任せてちょうだい」
相手側に援軍が加わる。彼女は背後から抱きついてきたかと思えばそのまま羽交い締めにしてきた。
「んじゃあ、まずはチャックを下ろして…」
「や、やめ…」
「なんかドキドキしてきちゃった。男子のズボン下げるの初めてかも、ウヘヘへ」
「華恋さん、口からヨダレ垂れてるよ」
「うおっと、ジュルル!」
「ああぁあぁぁっ!?」
大声で喚く。就寝中の両親に救いを求めるように。
さすがに下着姿を見られるのは恥ずかしいので自分で着替えるという条件で妥協。部屋に戻り着慣れない制服に袖を通した。
「……スースーする」
太ももに違和感が漂っている。スカートの下から入ってくる涼しい風のせいで。トランクスの周りに何も無いので妙な感覚が股下にまとわりついていた。
「う、うわあぁああぁっ!?」
階段までやって来ると足を滑らせ転落してしまう。いつものように背中や腰を強打しながらも体を引きずってリビングへ戻った。
「いでで……着てきたよ」
「お?」
「な、何さ」
「……ぷっ」
「ん?」
「わっははははは! おっかしぃ~」
目が合った瞬間に彼女達が声を荒げてハシャぎだす。こちらを指差しながら。
「ギャッハッハッハッ!」
「わ、笑わないでくれよ。2人が言うから着たのに!」
「お、おかしい……腹痛い」
「何者なんだ、この変態は!」
「やめてくれーーっ!」
よっぽどおかしいのか声を詰まらせて喋っていた。涙まで流しながら。
その後、2人は近所迷惑も考えず大笑い。響き渡る声が止んだのは香織にヘッドロックをかけた時だった。
「……ったく。いくら何でも笑いすぎだよ」
「ごめんごめん。だってあんまりにもおかしくって」
「だから着るの嫌だったのに。もう良いよね? 脱ぐよ?」
「ああ、ちょっと待った」
「ん?」
退散しようと振り返る。同時に背後から華恋が近付いてきた。
「ウィッグ付けてみよ、ウィッグ。おかしいのは髪型が男っぽいからよ」
「はぁ? 女装までさせたうえにカツラまで被せるつもり?」
「多分、雅人なら似合うと思うから。ちょっと待ってて、取ってくる」
彼女は隣をすり抜け廊下へ。しばらくすると怪しげな物体を持って戻ってきた。
「ここをこうして……っと」
「顔に毛がまとわりついて気持ち悪いんだが」
「我慢我慢。はい、出来た」
頭に被り物を乗せられる。ピンク色の現実離れしたカツラを。
「……ん。これで良いの?」
「へぇ」
「な、何?」
「……可愛い」
「は?」
顔の周りを覆っていた前髪を横へと移動。視界が開けると真面目な表情をしている2人と目が合った。
「ヤバい、コレ。想像以上かも」
「何が?」
「意外とアリじゃね?」
「だよね、だよね。私もそう思う」
「だから何が!?」
焦りながら口にした問いかけはスルーされてしまう。存在自体は認識されているのに。
「普通に立ってみて。背筋を伸ばしてピンと」
「やだよ、面倒くさい。もう脱いでいいよね?」
「ダメ! 勝手に脱ごうとすんな。ほら立ってこっち向いて」
「ちょ……何するのさ」
逃げ出そうとした瞬間に肩を掴まれ固定。無理やり腕や手の位置を動かされた。
「ん~、胸がスカスカなのが残念だなぁ」
「何か入れてみる? タオル丸めて中に入れたらボーンってなるよ」
「そうね。じゃあパッド代わりに入れてみようかしら」
「やだよっ!!」
「化粧してみる? きっと可愛くなれるわよ、雅人なら」
「もう本当に勘弁して…」
泣き出したくなるぐらい辛い。両親にこの現場を見られたら何と言われるやら。
「ぐへへ、お嬢ちゃん。ちょっとその華奢な足を見せてくれや」
「いやああぁっ、やめてぇ!」
「あぁ……やっぱり中身は男だわ。毛深い」
「あ、当たり前だし。スネ毛なんか男子なら誰でも生えてるわい」
「カミソリで剃っていい? ツルツルにしたらこのゴツゴツした足でもそれなりにはなるかも」
「本当にやめてください…」
続けてスカートの裾を捲られる。痴漢のようなイヤらしい手つきで。
騒ぎすぎると寝ている両親を起こしてしまうという理由で品評会はお開きに。鬱陶しいウィッグや制服を脱ぐと普段着に戻った。
「女装する男子と男装する女子は接客。それ以外は裏方と客引きにまわってね~」
それから放課後の時間を使って少しずつ出し物の打ち合わせを進行。基本的に女子が仕切り、男子は指示に従うだけ。
クラスの男女比は半々のハズなのに女子の勢いが圧倒的。勢力図は完全に男子が制圧されている形だった。
「ちょっと、まだぁ?」
「も、もうちょい…」
「早くしてよ。皆を待たせる事になっちゃうじゃない」
そしてあっという間に学祭当日を迎える事に。特別に貸してもらった野球部の部室で悪戦苦闘。
男子はここで着替えるように予め決められていた。女子は隣のソフトボール部の部室を使用。
校内には既に一般の人間が歩いており大盛り上がり。グラウンドは数多くの人で溢れかえっていた。
「このっ……ファスナー固いな」
「いつまで手間取ってんのよ。雅人が制服貸してくんないと私も着替えらんないでしょうが!」
「ぎゃーーっ!? な、なに勝手に入って来てるのさ!」
暗い室内に陽の光が飛び込んでくる。待ちきれなかった妹がジャージ姿で中に侵入してきたせいで。
「ほら貸して。こうやって閉め……んのよ!」
「お、おぉ。サンキュー」
「相変わらず不器用なんだから。さっさとウィッグ被る被る」
「……ねぇ、本当にこれ付けないとダメ?」
「ダメっ、この日の為にわざわざお小遣いからお金出して買ったんだから」
「はぁ…」
反論意見はすぐに黙殺。簡単な化粧を施され、更に背中を覆い隠す長さのカツラを頭に装着する羽目になった。
「おぉ~、私に瓜二つで美人」
「よく自分でそういう事言えるよね」
「んじゃ次は私が着替えてくるから。そこで待っててね」
「へいへい…」
彼女が渡した制服を持って隣の部室へと入っていく。その姿を見送りながら自身の出で立ちを吟味した。
「……何、コレ」
事情を知らない人からしたらただの変質者にしか見えない。もしくは不審者か。
来場予定の両親には事前に見せておいたのでさほど恥ずかしさはない。もし問題があるとするならそれは不特定多数の人にこのマヌケな格好を晒してしまうという点だった。
「お待たせ~」
「うわぁ、似合わない」
「るっさいなぁ。女子なんだから仕方ないでしょうが」
「髪の毛切りなよ、バッサリと。僕と同じ長さにしなって」
「嫌よ、そんなの。またこの長さまで戻すのに何ヶ月もかかっちゃうじゃない」
「人にはヅラを被せてきたクセに…」
しばらくすると男子の制服に身を包んだ華恋が現れる。ご機嫌な様子で。
「ね、ねぇ……周りの視線が気になるんだけど」
「最初だけ最初だけ。すぐに慣れるわよ」
「本当かな…」
2人して騒がしいグラウンドを移動。自意識過剰なのかもしれないがジロジロと突き刺さる視線が痛かった。
「うわぁ…」
それから混雑した校内を歩いて教室へ。大盛況という訳ではないが、それなりにお客さんは入っているらしい。
普段、顔を合わせているクラスメート達がスカートを穿いて接客している。男装した女子は男女問わず人気だが、女装した男子は大笑いされていた。
「赤井くん、こっちこっち」
「あ、うん」
スカート姿の丸山くんに手招きされる。伝票代わりのメモ帳とボールペンを受け取った後は業務に入った。
「……い、いらっしゃいませぇ」
接客方法についてはバイトで培った経験で把握しているので問題ない。肝心なのは覚悟の量。溢れてくる羞恥心と格闘しなくてはならなかった。
「赤井、丸山、もう少し声張り上げてよっ! やる気あんの?」
「は、はいっ! すいません!」
不甲斐ない態度を見かねた女子からお叱りの言葉が飛んでくる。お客さんには聞こえない大きさの声で。
「だからこんな出し物、嫌だったのに…」
開始早々逃げ出したい気持ちに駆られた。姿を消してしまいたい衝動に。
「本当ですか? ありがとうございま~す、ふふっ」
華恋の方を見ると大学生と思しき女性3人組の相手をノリノリで務めている。接客業を経験した事があるというのも大きいが、何より本人の明るい性格がその割合を占めているのだろう。
「はぁ…」
女子は羨ましい。相手の性別に関係なく受けが良いのだから。それに比べて男子は悲惨。素の性格を出せば呆れられ、女子になりきれば笑われ。まさに公開処刑だった。
「じゃ、じゃあ後はよろしく」
「お疲れ様」
「大変だけど頑張ってね…」
「バイバイ…」
それから1時間近くが経過した頃、一足先に解放される友人を廊下で見送る。かつてない程に疲労しきっていた丸山くんを。
「お~い」
「げっ!?」
立ち去る彼と入れ違いに見知った人物を発見。両親を引き連れて来た女子生徒が大きく手を振っていた。
「お母さん達連れて来たよ……って、まーくんだよね?」
「……そうだよ。情けない兄さんですよ」
「遠くから見たら華恋さんにしか見えないんだけど。本当にまーくん?」
「いやいや、この声聞いたら分かるでしょ?」
どうやら本気で間違えているらしい。彼女の頭を見ると仮装用のアイテムが存在していた。
「それ何?」
「猫ミミ。可愛いでしょ?」
「どうして猫ミミ……香織のクラスって何やってるんだっけ?」
「お化け屋敷。私は猫娘役だよ」
「全然怖くなさそうだ」
背が低いので驚かされても動揺しない自信がある。むしろほっこりしてしまうかもしれない。
わざわざ遊びに来てくれた家族を店の中へと案内。3人に気付いた華恋も照れくさそうにしていた。
「はい、お水」
やや乱暴にグラスをテーブルに並べる。身内なのでタメ口で。
「オススメのメニューはどれですか?」
「知らない」
「じゃあ何が一番売れてますか?」
「分からない」
「ではこの中ならどれが好きですか?」
「全部嫌い」
「すいませ~ん。この店員さん、さっきから態度悪いんですけどぉ」
質問に対してぞんざいな返答を連発。するとふんぞり返った義妹が他の従業員に文句をつけ始めた。
「あぁ、ごめんなさい。この人、照れ屋さんなんで」
「さっきから何を聞いても適当に返してくるんですけど」
「指導が足りてなかったみたいですね。本当に申し訳ないです」
「接客態度最悪じゃないですか? せっかくパパとママを連れてきたのに気分が悪いです」
「すいません。ほら、アナタも謝って」
「いてっ!?」
近付いてきた華恋に無理やり頭を下げさせられる。視線を横にズラすと笑いを堪えようとしている両親の姿を発見。
「お客様に対してはタメ口を控えてください。いかなる時も敬語でお願いしますよ」
「だって恥ずかしいし…」
「恥ずかしくても我慢する! 私達はお客様から貴重なお金を頂いて利益を出しているんですから」
「へ~い…」
謝罪が終わった後は説教タイムに突入。本物の飲食店のように叱られてしまった。
「ではホットコーヒーとアメリカンとオレンジジュースで良いですね」
「お願いしま~す」
注文品をメモ帳に記す。そのままキッチンとして使わせてもらっている隣の教室へと退散。
「……くそっ」
他のお客さんやクラスメートのいる前で恥をかかされるなんて。稚気満載の怒りが発生していた。
「ほっ」
コーヒーメーカーの前で奮闘するクラスメートにメモ用紙を渡すと奥へ移動。休憩所にもなっている物置へと入った。
「あのさ、オレンジジュースのオーダー入ったんだけど自分でやって良いかな?」
「ん?」
「今、来てるの家族なんだよね」
「あぁ、良いよ。瓶がそこに入ってるから」
「サンキュー」
たまに喋る男子生徒に進入の許可を貰う。細長いグラス一杯に氷を入れるとオリジナルドリンクを作成開始。
「ひひひひひ…」
ガムシロやら牛乳やらを少量ずつ投入していった。ついでに醤油やソース等の調味料も。
「はい、お待たせしました」
「ありがと……って何これ? 私が頼んだのオレンジジュースなんだけど」
「はい。オレンジジュースですよ」
「いやいや、これどう見てもドブの水だよね…」
香織が疑いの眼差しでグラスの中身を凝視している。墨汁のように黒く、枯れ果てた植物のように茶色い液体を。
「当店特製のオレンジジュースです。見た目は悪いですが味は格別ですよ」
「……本当に?」
「本当に」
「マジで?」
「マジで」
「神に誓っても?」
「すいません。仏教派です」
悪びれる事なく嘘発言を連発。一言だけ『残したら罰金です』と告げてテーブルを後にした。
「グェッホッ、ゲホゲホゲホーーッ!?」
しばらくすると苦しそうな声が教室内に響き渡る。むせている人間の呼吸が。
「だ、大丈夫!?」
「死ぬ…」
「香織ちゃん、しっかり!」
異変に気付いた華恋がテーブルに接近。猫娘の背中を全力で擦り始めた。
「うむうむ」
とりあえず1人分の作業を終える。姑息な手段での報復を。
「ありがとうございました~」
家族が退店した後に華恋から再び説教を受ける羽目に。かなりのダメージを受けた香織は口から泡を吐いて気絶。死体のように引きずられて教室を後にした。
「あぁ、楽しかった」
担当時間を終了させると意気揚々と教室を飛び出す。これで晴れて自由の身。あとは残りの時間を好きなように使うだけだった。
「……あ」
しかし廊下を歩いている最中である異変に気付く。周りの人達の視線を集めてしまっている状況に。
「あれ? どうしたの、赤井くん。もう終わったハズだよね?」
「華恋いる? 制服返してもらいたいんだけど」
「白鷺さん? あの子ならまだ接客してるよ。あと1時間は頑張ってもらう予定だから」
「そんな…」
教室へと引き返して呼び込みを担当していた女子に接近。けれど彼女から返ってきた答えは絶望的なものだった。
「どうしよう…」
どうやらまだしばらくは女装を維持しなくてはならないらしい。とりあえずこの場に留まっていては邪魔になってしまうので大人しく退散した。
「そうだ。丸山くん…」
着替える事が不可能ならせめて誰かの側にいたい。鬼頭くんは自分と入れ違いで働く予定だったハズ。一足先に自由を得た友人を探す事にした。
他のクラスの展示物は全てスルー。イベントが始まって何時間も経過していたが、学校内を包む熱気は未だに冷めやらぬままだった。
「あっ、華恋師匠!」
「ん?」
「ういっす、ういっす」
「げっ! 紫緒さん!」
人が溢れるグラウンドを歩く。その途中で見覚えのある女性グループと遭遇。
「ヤ、ヤバい…」
「やっぱり師匠だ。こんちゃっす」
「……ども」
顔を隠そうと思ったが覆える物がない。更に人が多すぎて走る事すら困難。どうしようか迷っている間に彼女達がすぐ側まで近付いて来てしまった。
「こんな所で会うなんて偶然っすね。ちょうど今から師匠達のクラスに行こうかと思ってたんですよ」
「へ、へぇ…」
「なんか先輩達男子が女装してるらしいじゃないですか。見るの超楽しみなんすよ」
「あ、そうなんだ」
声でバレないよう曖昧な返答で頷く。どうやら双子の妹と勘違いしているらしい。
楽しみも何も本人が目の前にいる訳で。とはいえ恥ずかしいので打ち明ける訳にもいかなかった。
「……どうも」
紫緒さんの隣にいる優奈ちゃんとも挨拶を交わす。その後ろにはメガネをかけた面識の無い人物も存在。
「師匠、さっきから様子が変ですよ。もしかして口の中に何か入れてますか?」
「ん…」
「あぁ、やっぱり。食事中でしたか。それは悪かったっす」
「へへへ…」
質問に対して首を縦や横に振って答えた。あまり声を出すと勘づかれてしまう可能性があるから。
「ならとりあえず先輩と優奈の兄ちゃん見てきます」
「う、うん…」
「また後で会えたら会いましょうね、師匠」
「……バイバイ」
元気良く手を振る紫緒さん達を見送る。彼女は最後の最後まで華恋だと勘違いしていた。
「ふぅ…」
だが優奈ちゃんには気付かれていたかもしれない。終始こちらを睨んでいたので。
その後、何とか野球部の部室へと戻って来る事に成功。鍵付きの鞄の中から財布とケータイを回収すると再び屋外へと飛び出した。
「これで良し……っと」
文章を作って送信する。このメッセージに気付いてくれたら丸山くんと合流すれば良い。女装は恥ずかしいが1人でいるより幾分かは気が楽だから。
「あっ、華恋さん!」
「ん?」
上履きに履き替えて校内を移動。その途中で聞き覚えのある声の人物が近付いて来た。
「颯太…」
運悪くまた知り合いに遭遇。振り向いた先にいたのはパーティーグッズを身に纏った友人だった。
「華恋さん、1人っすか? 雅人は?」
「え、えと…」
「もしかして自由行動になったけど一緒に歩き回る人がいないとか。そうなんでしょ?」
「……エッヘヘ」
彼も華恋と勘違いしている様子。紫緒さん同様に。
「俺のクラスはレース大会やってるんですよ。ほら、去年もやった」
「あ、あぁ……アレね」
「凄ぇ人が集まって盛り上がってますよ。まぁ集まってるの野郎ばっかなんすけどね」
「はは…」
正体がバレないように愛想笑いで対応。目線もなるべく合わせないように心掛けた。
「いやぁ、俺も自由時間だったなら華恋さんに付き合ってあげるんだけどな。俺、総合司会者だからなぁ」
「それは残念です…」
「にしても雅人は何やってるんだよ。華恋さんを1人残して」
「えっと…」
ここにいると言えないのが辛い。すぐ目の前にいるのだと。
「え、え……え!?」
「んん…」
「ちょっと、いきなりどうしたんすかっ!」
「……すいません。気分が悪くなってしまって」
「えぇ!? それは大変だ。急いで救急車を…」
倒れ込む形で友人にもたれかかる。そのまま耳元で小さく囁いた。
「あっ、大丈夫です。そこまで酷くはないから」
「けど…」
「ただもう少しだけこのままでいさせてください。お願いします」
「か、華恋さんっ!!」
興奮しているからか彼が言葉にならないような声を出す。上擦った叫び声を。
「ごめんなさい。颯太さんにこんな迷惑をかけてしまって…」
「何を言うんですか。こんな事ぐらいどうって事ないですよ!」
「ありがとうございます。優しいんですね」
「いや、そんな…」
「どうしよう。こんなに優しくされたら、私…」
「へ? へっ!?」
その様子を見て追撃の台詞を呟いた。人差し指で胸板をなぞりながら。
「もうずっと我慢してた気持ちを抑え切れないかも」
「あ、あの…」
「今まで内緒にしてきたけど実は…」
「か、かかか華恋さん!? 一体、何をおっしゃるおつもりで!?」
「ずっと颯太さんの事が気になってたっていうか、憧れてたっていうか」
「お、あ……があ、あっ」
事態が次々と進展してきく。予想を遥かに上回るコント具合に。
「……っと」
「へ?」
欺く快感を堪能すると密着していた体を分離。距離を置くように半歩退いた。
「す、すいません。どうかしてたみたいです」
「いや、そんな。全然構わないっすよ」
「つい自分の気持ちをバラしちゃうところでした。ごめんなさい」
「華恋さんの気持ち…」
「今のは忘れてください。もう大丈夫ですから。それじゃ」
「あっ!?」
会釈程度に頭を下げる。後ろに振り返った後は駆け足でその場を退散した。
「くくくくく…」
もう笑いを堪えるのが限界だった。芝居を続けるのも。
だがたまにはこんな冗談もいいだろう。これで華恋にも無事に仕返しが出来た。
「ん、んんっ……オホン」
口に手を当てて咳払いする。周りからの視線をごまかす為に。廊下で1人声を出していた行為が仇となっていた。
「あっ! アンタ、こんな所で何やってんの!」
「ん?」
狼狽えている最中にまたしても聞き覚えのある声が飛んでくる。発信元の方に振り向くと手にポテトを持っている女子生徒を見つけた。
「またか…」
どうやら再び知り合いに遭遇したらしい。まるでゲームのエンディングのような展開だった。
「あっ、智沙じゃない。偶然だね」
「変な奴がいると思ったらアンタだったのか。ビックリしたぁ」
「わ、私もビックリしたかな。まさか顔見知りに見られてたなんて」
「盛り上がってるわよね~、学祭。あ、ポテト食べる?」
「……ありがと」
華恋を演じて笑顔を振りまく。差し出された細長いジャガイモを摘みながら。
「しっかし人多すぎよね、もう少し規制してほしいわ。これじゃ廊下歩けないじゃない」
「そ、そうね。確かに混雑しすぎかも」
「お店が繁盛するのは良いけど、これだとスリとか痴漢が発生してもおかしくないわよ」
「あぁ、分かる分かる」
「ナンパ目的で来てる奴もいるしさ。勘弁してほしいわぁ」
「あっはは…」
適当に相槌を打って話に同調。彼女の周りを見るが誰もおらず1人で散策しているようだった。
「んで、どうして雅人は女装なんかしてるわけ?」
「……へ?」
指に付着した塩を舐めているとその動きが止まる。耳に入ってきた台詞に動揺を受けて。
「どこで手に入れたか知らないけど女子の制服を着ちゃってさ。しかも華恋そっくりの髪型までしちゃって」
「え、え…」
「あと化粧してない? ちょっとよく見せてよ」
「うわっ!?」
彼女が顔を急接近。息がかかる距離まで近付いて来た。
「ん~、やっぱり口紅してる。頬もピンクっぽいし」
「こ、これはだね…」
「まさか雅人にこんな趣味があったなんて……ショックだわぁ」
「うぐっ!」
「悔しいけどアタシより可愛いじゃん。せっかくだから記念に一枚撮っといてあげる」
続けてポケットからケータイを取り出す。そのまま本人に無許可での撮影会を開始した。
「……い」
「ん?」
「嫌ああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「あっ、ちょっと!?」
振り返って走り出す。その場から逃げ出すように
まさか気付かれていたなんて。調子に乗って恥の上塗りをしてしまった。
「ひいぃ…」
とりあえず人の往来が少ない場所に避難する。体育館の脇へと。
「ん?」
「華恋お姉さん……ですか?」
「げっ、すみれ!」
「はい、すみれです。やっぱりお姉さんだった」
柱にもたれかかって体力を回復。危機を脱せたと思ったのにまたしても知り合いに遭遇してしまった。
「えへへ、こんにちは」
「コ、コンニチワ…」
「お姉さんもここの学校に通ってたんですね。ビックリしました」
「へ? それはどういう意味かしら?」
「私のお姉ちゃんもこの学校の生徒なんですよ。あとゆうと君も」
「ゆ、ゆうと君?」
聞き覚えのない名前を聞かされ混乱する。唐突な邂逅にも。
「華恋お姉さん、私の名前知っててくれたんだ。嬉しい~」
「え、えっと……すみれちゃんはお姉さんと一緒にこの学校までやって来たのかな?」
「そうです、ゆうと君と3人で。ただ2人とも用事があるからってどっか行っちゃった」
「ならお姉さん達とはぐれちゃったって事? 迷子なのかな?」
「うぅん、違うよ。クラスの出し物に参加しないといけないからしばらく1人で遊んでなさいって言われたの」
「出し物か…」
恐らくお姉さん達に連れられてここまで来たのに放置プレーを喰らったのだろう。運とタイミングの悪さを痛快した。
「華恋お姉さんはヒマなんですか?」
「ヒマっていうか…」
「あのぉ、もし良かったらでいいんですけど私と一緒に見て廻りませんか?」
「え、えぇ…」
彼女が下から見上げる形で訴えかけてくる。計算なのか無意識なのかは不明だが。
「ダメですか?」
「えっと…」
「……ダメなんですね」
「良いよ良いよ。お姉ちゃんと一緒に廻ろう」
「やった、ありがとう。お姉さん優しい!」
「はは、は…」
本来なら一蹴している提案だが今日はそうはいかない。今の自分は冷たい隣人ではなく世話焼きのお姉さんだからだ。
「私、お化け屋敷に行きたいんだ」
「お化け屋敷…」
「華恋お姉さんも一緒に入ろ」
「はいはい」
小さな体に腕を引っ張られ歩く。暑苦しい人混みを。
「ここ、ここ」
「へぇ、結構並んでるね」
「あそこが受付かな?」
「ていうか香織のクラスじゃん…」
しばらくすると目的地に到着。二年生の教室へとやって来た。
「楽しみ?」
「うん。こういうの大好きだから」
「そうなんだ」
「華恋お姉さんは?」
「……ちょい苦手かも」
もし本人がここにいたら発狂するかもしれない。いくら高校生の作り物とはいえ。
「次の人どうぞ~」
「は~い」
設置された椅子に座っていると可愛らしいマントに身を包んだ女子生徒が接近。彼女に案内されるがまま薄暗い教室へと進入した。
「うわぁ、真っ暗」
「これはなかなか本格的な作り…」
「お、お姉さん……先に行って!」
「はいはい」
相方に背中を押されて進んでいく。出し物自体は大した事ないのだが思うように身動きがとれないのが辛い。
不気味な空間を摺り足で移動。そして何度か悲鳴を上げながらもどうにかゴールに到達した。
「は~い、お疲れ様でした」
広く感じる廊下へと飛び出す。ネコ耳をつけた女の子達に出迎えられながら。
「どうだった? 怖かったかな?」
「はい、凄かったです。ビックリしちゃいました」
「そっか。驚かしちゃってごめんね」
「えへへ…」
頭を撫でられた幼児が愛想笑いで対応。彼女は一度も動揺していなかったのでどう考えても言動の全てが嘘だった。
「ねぇ、聞いた?」
「何を?」
「赤井さんが保健室に運ばれたって話」
「えぇ、マジ!?」
「よその出し物を廻ってる最中に口から泡を吐いて気絶したらしいよ。なんでも変な飲み物を飲まされたらしくって」
「うっわ、最悪。飲食店は衛生面に気を付けてろっての」
「本当にね~」
「………」
廊下に立っている途中、近くにいた女子生徒達の会話が聞こえてくる。居心地が悪いので慌ててその場から退散した。
「何か食べたい物ある?」
「え? もしかして奢ってくれるんですか?」
「ま、まぁね。僕……じゃなかった、お姉ちゃんもお腹空いてきちゃったから」
「ごめんなさい。いろいろ気を遣わせちゃって…」
「いいって、いいって」
腹拵えの為に屋台の並んでいるグラウンドへ。焼きそばとタコ焼きを購入した後は人通りの少ない運動部の部室前まで移動した。
「はい。好きなだけ食べていいよ」
「わ~い、ありがとうございます」
「飲み物はお茶だけど良い?」
「あ、はい。大丈夫です」
コンクリートのブロックを椅子代わりにして腰掛ける。日陰部分を陣取って。
「すみれちゃんのお姉さんって何年生なの?」
「一年生です。ゆうと君と一緒」
「へぇ。なら学祭は今年が初めてなんだ」
「はい」
先程から会話中にチラホラ知らない男子生徒の名前が登場していた。お姉さんの彼氏かもしれない。
冷えた焼きそばと熱々のタコ焼きを交互に頬張る。素人作なので味は微妙だったが、空腹だったので箸が止まらなかった。
「お姉さん、よく食べるね。よっぽどお腹空いてたんだ」
「まぁね。さっきまで働いてたから」
「お姉さん達のクラスは何やってるの?」
「喫茶店。男女が制服入れ替えて接客してる、ちょっと変わったお店なんだよ」
「ふ~ん、だからそんな変な格好してるんだ」
「……へ?」
麺を噛む口から間抜けな言葉が出る。ずっと意識していた高い物とは違うトーンの声が。
「もしかして気付いてたの?」
「そうだよ。話しかけた時からね」
「なら今までの言動は全て…」
「芝居に決まってんじゃん。奢ってくれてありがとうね、雅人くん?」
「ぐっ…」
呆れるしかない。浅はかな自分自身に対して。騙してると思っていた側がまさか騙されていた側だったとは。またしても子供に一杯食わされた瞬間だった。
「はぁ……おかしいとは思ってたんだよね」
「だってオカマみたいな声出してたじゃん。普通気付くよ」
「普通ねぇ…」
なら気付かなかった颯太や紫緒さんは普通ではないのかもしれない。彼らのオッチョコチョイな性格を考えたらその方が納得だが。
「いつかお金返してよ。人を上手い事乗せてくれちゃってさ」
「大丈夫、大丈夫。そのうち5倍にして返すから安心して」
「また適当な事を…」
温くなってしまったお茶を口の中に含む。物静かな空間でのんびりとした時間を過ごした。
「雅人くんは自分の教室にいなくて良いの?」
「もう出番は終わったから。後は終わるまで自由なのさ」
「へぇ。でもならどうしてまだその服着てるの?」
「ん? これ華恋の制服なんだよ。向こうはまだ働いてる最中」
簡単に事情を説明する。妹と中身を入れ替えている為に着替えられないという状況を。
「華恋お姉さんって美人だよね。うちのお姉ちゃんと大違い」
「すみれのお姉ちゃんって怖いの?」
「ぜ~んぜん。私よりオッチョコチョイだし」
「そうなんだ。けど可愛らしい感じの人だったよね」
「ところがどっこい。超天然なバカだよ?」
「酷い妹だ…」
まともに顔を見た事も会話した経験もない。ただおおらかな雰囲気を纏っていた点だけは記憶の片隅に残っていた。
「お姉ちゃんと華恋お姉さんを交換してほしいなぁ」
「やめときなって。そんな良い奴じゃないから」
「どうして? 綺麗だし優しいし完璧じゃない」
「それプラスワガママで暴力的だよ? しかも腹黒で毒舌」
「嘘だぁ。だってこの前、私がお腹痛くなった時だって親切に看病してくれたじゃん」
「あれはたまたまだよ。本心では『焼いて食うぞガキンチョ』って考えてたんだって」
「ひ、人喰い族なの? 華恋お姉さんって…」
普段の仕返しとばかりに情報を暴露する。有ること無いこと思いつく限り適当に。
「……それで壁を殴りすぎて拳を痛めちゃったんだよ」
「うわぁ、可哀想」
「ただその現場をたまたまボクシングジムの会長が見ててね。それでスカウトされてさ」
「すげええぇぇぇ!」
「なのにスパーリング相手を殴り殺して全てがパァ。ストレートが上半身を貫通しちゃったんだ」
「こわぁい…」
誇張に誇張を追加。話が途中から現実離れしていた。
「華恋の鞄の中には常にメリケンが忍ばせてあって、気に入らない相手にはそれを使ってキツい一発をお見舞いする訳よ」
「メリケンって何?」
「ん? メリケンってのは喧嘩の時に手にはめる金属の武器で…」
両手を使ったジェスチャーで表現する。その途中で腕に影が発生。
「げっ!」
「あっ、お姉さんこんにちは」
「こんにちは…」
人の気配を感じたので振り返った。そこにいたのはクラスメートの男子。正確には男子生徒の制服を着た女子生徒だった。
「さっきから電話してんのに全然出ないし、捜し出すのに苦労したわよ……ったく」
「あ、ゴメン。気付かなかった」
指摘を受けてケータイを確認する。着信が4件もきていた事が判明した。
「2人で何してたの? こんな所で」
「えっと、この子がお姉ちゃんとはぐれちゃったみたいで。それで今まで付き合ってた」
「そうなんだ。お姉ちゃんの連絡先って分かる?」
「あ、はい。もう少ししたら迎えに来てくれるって言ってました」
「そっか。なら良かった」
状況を簡単に説明。事実とは若干ズレているが問題ないレベルだろう。
その後、妹と制服を交換して元通りに。汗でベタついた化粧も水で洗い落とした。
「ふぅ、ようやく落ち着いた」
「結構似合ってたじゃん。また機会があったら着てみようね~」
「……丁重にお断りさせていただきます」
変な目で見られるとか勘弁。二度と女装なんかしないと心の中で固く誓った。
「あっ、お姉ちゃんからメッセージきた」
「何だって?」
「今、終わったって。迎えに行くから場所教えてってさ」
「運動部の部室前にいるって返せばいいよ。じゃあ、もう付き添わなくても良いね」
「ん、ありがとう。バイバ~イ」
「バイバイ」
黄色いポーチの中から軽快なメロディーが鳴り出す。どうやら待ち合わせ相手から連絡が来たらしい。
彼女のお姉さん達と鉢合わせしないようにその場から移動。別に顔を合わせてはいけない理由は無いのだが、何となく邪魔になる気がして立ち去った。
「あの子のお姉ちゃんもこの学校の生徒なの?」
「らしいよ。一年生だってさ」
「へぇ、奇遇だわね。家も隣で学校まで同じだなんて」
「華恋はこれからどうする? 僕は丸山くんと一緒に颯太のクラスに行くけど」
「えぇ~、一緒に見て回ろうよぉ」
制服の裾を掴まれ引っ張られる。離れたくない意思を訴えかけるように。
「いや、友達と廻りなよ。せっかくのイベントなんだし」
「せっかくのイベントだから2人で見て廻りたいんじゃん。だって今年で最後なんだよ?」
「……まぁ確かに」
来年の今頃はこの場所にはいないかもしれない。外来として足を運んでいる可能性はあるが、少なくとも生徒として参加出来るリミットは今日だった。
「なら一緒に見て廻ろっか」
「やった!」
「ちょ…」
返事の直後に彼女が急接近。体当たりするような勢いで抱き付いてきた。
「にっひひぃ~、デートデート」
「さ、さすがにここで腕繋ぐのはやめない?」
「良いじゃん、どうせ知り合いには見られてないんだし。それにこんだけ人たくさんいたら会う事なんかないって」
「いやぁ、分からないと思うよ…」
さすがにその考えには同意出来ない。先程まで遭遇しまくりだったから。引き離そうと試みたが諦めてくれないのでそのままの状態で歩き始めた。
「そういやお腹空いてない? お昼ご飯、まだでしょ」
「空いた空いた~。ペコペコだから何か食べたい」
「ならまずは腹拵えだね」
「あっ、ちなみにさっきあの子としてた会話は盗み聞きしてたから」
「ひえっ!?」
「帰ったら覚えてなさいよ。くひひひひ…」
不気味な笑顔を向けられる。悪い魔女を彷彿とさせる表情を。
「か、帰ったら一緒にお風呂入ろっか。背中流してあげるよ」
「マジで!?」
「うん。たまには良いかなぁと」
「……なら許してあげようかな。さっきの事も」
「そりゃどうも…」
心の中で小さくガッツポーズ。なんやかんやで彼女の扱いにも慣れてきた。
もちろん適当に理由をつけてバックれる予定。本当に実行しては倫理的にマズイので。
「よ~し、じゃあ行きますか。お兄ちゃん?」
「お化け屋敷?」
「……そういう事を言うのやめなさいよ。泣くわよ?」
「冗談。さっきもう行ったからいいや」
2人並んで校内を散策。家族や友人達に見つからないように警戒しながら。
たくさん恥はかかされたがそれらを全て含めて楽しい。1年後の今日、隣にはいない華恋と最後の文化祭を過ごした。
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