第3話 条件と宣戦布告
「……いちちち」
バイト中の暇な時間帯。ヒリヒリする肌を左手で擦る。赤く腫れ上がった頬には絆創膏が貼られていた。
昨夜は華恋に暴力を振るわれすぎて散々な目に。香織や母さん達には笑われ、風呂に入ったら痛みに悲鳴をあげ、夜は恐怖とダメージで眠れなかった。
「どうしたんですか。神妙な顔をして?」
「いや、その……色々あって」
「もしかしてまた妹さんに暴力を振るわれたとか?」
「な、何で分かったの!?」
立ち尽くしていると片付けを済ませた同僚が話しかけてくる。面倒くさがり屋ではなく要領が良い方の後輩が。
「はぁ……やっぱり」
「君の中でいつの間にかうちの妹は狂暴キャラが定着していたのね」
「そりゃそうですよ。あんな豪快な性格の人、私の周りにいませんから」
「この前も腕相撲やったら負けちゃってさぁ。強い強い」
「あ、なら今度私とも勝負してみますか?」
「ん? 別に構わないけど」
「じゃあ負けた方が1枚ずつ脱いでいくというルールで良いですかね」
「……どういう対決なの?」
華恋とは昨夜から口を利いていない。不機嫌になりすぎて話しかけてもスルー対応の連続。会話も成り立たないから弁解の余地もない。つまり彼女の中で自分はまだ幼女に手を出した犯罪者のままだった。
「しっかしそんな酷い顔で接客したらお客さんに驚かれちゃいますよ?」
「あ~あ。せっかくのイケメンが台無しですわ、まったく」
「え? え!?」
「ちょっ……どうしてそんな大袈裟な反応するのさ」
「すいません。まさか先輩の口から面白くも何ともない冗談が出るとは思わなかったので」
「凄まじく泣きたくなってきたよ…」
本来なら怪我を理由に休んでいた所。けれど家にいたら華恋と共に過ごさなくてはならない。それならまだ働いていた方が幾分かマシだった。
店長には階段から落ちたというベタな言い訳を使用。ケンカを疑われたがとりあえずは信じてもらった。
「お疲れ様です。先輩」
「ん、お疲れ様」
労働後は2人で近くのコンビニに寄ってアイスを食べる。1日を頑張ったご褒美として。
「本当に大丈夫ですか? ちゃんと消毒しましたか?」
「平気平気。ヒリヒリするけど血は出てないし。それにいつもの事だから」
「怪我に慣れるのも考え物ですよ。暴力に耐えられるという事は、裏を返せば何も言い返せない人間になってるという証明ですから」
「確かに…」
忠告通りこんな境遇に耐性を持つのは良くない。とはいえ逆らう度胸を持ち合わせていなかった。
「でもどうしてそんな事態になったんです? よっぽど恨みを買う事をしないと、そこまで暴力振るわれないと思うんですけど」
「うっ、それは…」
「約束を破ってしまったとか。それか妹さんの大切にしている物を壊してしたとか」
「どっちも違うよ。まぁ、いろいろとありまして」
「気になるなぁ。知りたいなぁ。教えてほしいなぁ」
「ははは…」
小柄な体が下からチラチラと顔を覗き込んでくる。パック状のアイスに吸いつきながら。
「どうしても教えてはくれないんですか? 説明が長くなっても構わないんですけど」
「そんなに入り組んだ話ではないよ。ただ暴露するには私情に踏み込みすぎているというか」
「私には言えない内容って事ですか?」
「そ、そうそう。そんな感じ」
「なるほど。では直接妹さんに聞いてみますね」
「えぇ…」
さすがにそれは冗談だろう。2人の確執がまだ取り除かれていない事は知っていた。
「あのぉ、話変わるんですけど良いですか?」
「ん?」
「前に言ってた2人でタワーに行こうって約束、まだ有効ですかね?」
「え、え~と…」
「時効前なら今度の休みの日に行きたいんですけど」
「……マジですか」
唐突に外出の誘いを持ちかけられる。忘れかけていた提案を。
「ダメですか? もしかして何か用事ありましたか?」
「用事……あったような無かったような」
「別に今度の休みじゃなくても良いですよ。夏休み明けでも構わないですし」
「えっへへ…」
答えは既に出ているから考える必要はない。問題はそれを伝える方法。彼女が納得してくれて、尚且つ怪しまれない返事の仕方をしなければならなかった。
「ただ夏休みの方がお互いの予定は組みやすいですよね。学校が始まってしまえば土日祝日以外は難しくなってしまいますから」
「そ、そうね」
「私達2人が同時にバイト休めるかも分からないしなぁ。やっぱり行くなら二学期前が理想的かも」
「もうすぐ終わりかぁ……夏休み」
意識を逸らすように頭上を見上げる。澄み切った空気が星を綺麗に瞬かせている空間を。
「……ん」
こういう場合、華恋ならどうやって断るだろうか。バイト先の同僚に誘われて、しかも相手は異性。その場で拒否しなくてはならない状況に立たされたとしたら。
『私、好きな人がいるからアナタとは遊びに行けません』
なんとなくそう言いそうな気がした。目論見も打算もない意見をストレートに。
「あ、あのさ…」
「はい?」
「実は内緒にしてたんだけど、好きな人がいるんだよね」
「え?」
感情に素直な部分は見習うべきなのかもしれない。不器用でワガママで身勝手だけど、決して好きになった相手を裏切るような真似だけはしないから。
「……な、何ですか。いきなり」
「いや、だから好きな人がいて2人っきりで遊びに行く事は出来ないっていうか…」
「好きな人…」
冷静さを意識した口調で言葉を紡いでいく。馬脚を現さないように気を付けて。
「それは……初耳でした」
「だよね。誰かに話したの初めてだし」
「急ですね。今までそんな素振り見せなかったのに」
「まぁ、うん。恥ずかしいから誰にも言えなかったんだよ」
「最近の話ですよね? 学校の方ですか?」
「え? か、かな?」
「だったら私の知らない人ですか…」
学校の知り合いというのは嘘ではない。それにこう言っておけば彼女には相手を知る術がなかった。
「なんか騙しちゃったみたいでゴメンね」
「いえ、大丈夫です」
「そういう訳だからタワーには行けないっていうか…」
「仕方ないですね。フラれちゃったって事ですから」
「フラれ…」
謝罪の言葉に対して憂いのある笑みが返ってくる。自虐的な呟きも。
「ちなみに告白的なものはもうしたんですか?」
「え~と……どうだったかな」
「まだしてないんですね。先輩、そういう事に関しては消極的そうだからなぁ」
「あっはは…」
もう済ましてるなんて言えやしない。しかも相手からも了承済みだなんて。
「あの…」
「ん? な、何かな?」
「その人って、やっぱり同い年の方なんですか?」
「だね。同級生だよ」
それから相手の女性に対する問い掛けがいくつか飛んできた。見た目や性格についての疑問が。中でも彼女が特に意識したのが容姿に関する話題だった。
「やっぱり男性ってスタイルが良い女性の方が好みなんですね」
「皆が皆そうとは言い切れないんじゃないかな。中には幼児体系が好みって人もいるだろうし」
「それ危ない気がします。世間一般でいうロリコン…」
「うぐっ!?」
胸に何かが突き刺さる。鋭くて鈍い何かが。
「どんな相手を好きになるかはその人の自由だと思いますが、小さな子供に手を出す奴だけは絶対に許せません」
「こ、子供って見た目が幼くても中身は大人だったりするよね。意外と」
「そうですか? 私は子供は中身も子供だと思いますけど」
「たまにいるじゃん。大人と変わらない化粧してる小学生や中学生が」
「……化粧ほとんどしない女子高生ならここにいますけども」
「ゴ、ゴメンナサイ…」
会話がよく分からない方へと転がっていった。いつも通りのコントみたいなやり取りへと。
アイスを食べ終えるとゴミをまとめて捨てる。2人で駅まで歩き始めた。
「ちょっぴり残念です。ずっと楽しみにしてましたから」
「ゴメンね。元々はこっちから声をかけたのに」
「いえ。過ぎた話を蒸し返したのは私の方ですし」
「いつかさ、素敵な男性が現れたら誘ってみると良いよ。一緒に展望台に行きませんかって」
「……そんな事しません。私はこの人と行きたかったんですから」
「だ、だからそれは無理でして…」
「はぁ…」
隣からシャツを引っ張られる。逃がさない意志を示すかのように。
「先輩にこんな愚痴ぶつけるのもおかしいですけど今これでも結構落ち込んでるんですよ」
「それは見たら分かります…」
「慰めようとあれこれ画策してくれるのはありがたいんですが、もし本当に私の事を思ってくれるならソッとしておいてください」
「ラ、ラジャー」
余計な励ましは却って傷付いてしまうらしい。その理屈は痛い程に理解出来た。
「じゃあ、また」
「……さようなら」
駅へとやって来た後はロータリーで解散する。けれど別れた相方はサドルに跨がらないままトボトボと歩いていた。
「大丈夫かな…」
小さな背中からは覇気がまるで感じらない。不審者に追いかけられたらあっさりと捕まってしまうだろう。
とはいえ自分には出来る事もなく。自宅まで見送りたい衝動を抑えて電車へと乗り込んだ。
「ただいまぁ…」
「ん?」
「……あ」
「ふんっ!」
帰宅するとトイレから出てきた華恋と遭遇する。しかし挨拶に対する返事は無し。彼女はドアを思い切り閉めたかと思えば口をへの字に変えて立ち去ってしまった。
「まだ怒ってるのか…」
どうやら機嫌を取り戻してくれていないらしい。話をする事さえ許してくれない。
「はぁ…」
甘えてくる時は声も仕草も可愛いのに。不機嫌な時は生意気な子供ぐらい憎たらしい。いっそ今度は自分の方が家出してやろうか。そんな妄想を繰り広げながら、この日はインスタントラーメンで空腹を凌いだ。
「よっと」
翌日、バイトが休みなので友人の家を訪れる。汗ばんだ手を伸ばして玄関のインターホンをプッシュした。
「おぉ、いらっしゃい」
「お邪魔します」
しばらくすると中から鬼頭くんが出てくる。メールで呼び出してきた張本人が。
「バイトどう? 大変?」
「モーニングとランチは忙しいかな。それ以外の時間はそうでもないけど」
「優奈の奴、結局また同じ店で働き始める事になったんだよね。アイツ、ちゃんと役に立ってる?」
「そりゃもう。いるのといないのとでは全然違うよ」
「ふ~ん、でも休みの日は相変わらず部屋に引きこもってんだよな。おーーいっ!」
廊下を歩いてる途中で彼が停止。口元に手を添えると二階に向かって大声で叫んだ。
「赤井くんが遊びに来たぞ! お前も下りて来いよ!」
「あ、あの……無理して呼ばなくても良いんじゃないかな」
「一緒に遊ぼうぜ! 先にリビング行ってるからなぁっ!」
呼び掛けも無視して勝手な招集が行われる。現状ではあまり好ましくない催促が。
「……ったく、やかましいなぁ」
宣言通り先にソファに腰掛けていると二階から住人が登場。Tシャツに短パンというラフな出で立ちの女の子が姿を現した。
「おぅ、来たな。こっち来て座れ」
「わざわざ家の中で叫ぶ事ないじゃん。大声出さなくったって聞こえてるんだし」
「お前もなんか飲む? オレンジジュースで良いか?」
「ちょっと人の話聞いてる?」
寝起きなのか、それとも不機嫌だからなのか。彼女の目が普段よりも細目に変化していた。
「お、お邪魔してます」
「どうも…」
互いに存在を認識した瞬間にぎこちない挨拶を交わす。2人きりだと平気なのに鬼頭くんがいる手前どことなく不穏な空気が漂っていた。
「コンビニでアイス買って来るけど何がいい?」
「えっと、僕はどれでもいいや」
「なら赤井くんのは適当に選んでくる。お前はイチゴ氷で良いんだよな?」
「……別に暑くないからいらない」
「んじゃ行ってくるわ。留守番よろしく~」
テーブルにグラスとジュースが並べられたかと思えば持ってきた人物はすぐに外出してしまう。訪問から5分足らずしか経過していない状態で退散してしまった。
「どう思います? あのバカ」
「これでも必死に気を遣ってくれてるんじゃないのかな」
「こんなワザとらしい真似するぐらいなら最初から普通に遊べば良いのに。本当にバカなんだから」
「そ、そこまで罵らなくても…」
鬼頭くんの一連の行動は不自然でしかない。敢えて2人きりにさせようとしているように感じた。
「じゃあアイツが帰って来る前にどこかに出掛けちゃいましょうか」
「それは可哀想すぎるよ。せっかくこの暑い中、買い物に行ってくれてるのに」
「どうせまた立ち読みで遅くなるから平気です。それより大丈夫なんですか?」
「え? 何が?」
「だから私と2人っきりになってるこの状況が」
「……あぁ」
友人の家に遊びに来たのだから問題ない。そこでたまたま家族の人と2人きりで残されてしまっただけ。しかしそれはあくまでも体裁上の理由。華恋にこの現場を見られたら怒られるに決まっていた。
「平気だよ。別にデートって訳でもないし」
「そういえばまだ告白してないんでしたっけ? フリーならセーフですね」
「そ、そうそう…」
「昨日のエピソードが全て本当であればの話ですが」
「へ?」
ふいに意味深な言葉を投げかけられる。グラスに伸ばした手の動きが止まってしまうような内容の台詞を。
「あれからずっと考えてたんですよ。先輩が言ってた人が誰なのかって」
「……暇だね。もっと他の事に時間を費やせば良いのに」
「夏休みに入ったばかりの頃は普通に私と遊びに行く約束を取り付けて来たのに急にキャンセル」
「だ、だからそれは…」
「部活にも所属してない先輩が学校に行く予定も無いのに突然同級生に好意を抱き始めるのはおかしいなぁと」
「うぐっ…」
望んでいない事情聴取が開始。その口調はまるでドラマに登場する探偵のようだった。
「もちろんバイトが休みの日に相手の女性と連絡を取り合ってる可能性もあります。でもそれなら既に告白は済んでいて交際してる状態ですよね?」
「いや、ただの友達同士の付き合いかもしれないじゃん」
「恐らく先輩は自宅とバイト先の往復以外はほとんど外出をしていません。なら相手はその2つのどちらかに関係する人じゃないですか?」
「そ、それはどうだろうか…」
「瑞穂さんは彼氏いるって言ってたし、恵美なら私に報告してるだろうし……だとしたらバイト先の関係者ではないハズ」
「ん…」
嫌な未来が脳裏をよぎる。考えうる最悪の状況が。
「あの、間違ってたらごめんなさい。もしかしてその相手って……妹さんの事ですか?」
「げっ…」
そしてその予感は見事に的中。彼女は躊躇いながらも核心に迫る言葉をぶつけてきた。
「えっと…」
「違いますか?」
「違うっていうか…」
「合ってるって事ですね?」
「……はい」
あっさりと見破られてしまう。今までついてきた嘘も、今からつこうとしている嘘も。
「やっぱり妹さんだったんですね。そうなんじゃないかなぁとは思っていました」
「どうして?」
「薄々感づいてはいたんですよ。私ともう会えないって言ったり、バイトを連続で休んでまで捜しに行った相手がそうだったから」
「なるほど…」
「先輩と妹さんの関係や時期的に考えてもそれしか考えつかなかったんです」
「……君は名探偵ですか」
まさかこれだけしか無い判断材料でそこまで当てられるなんて。理知的な部分にも驚かされたが、何よりその執念深さに戸惑ってしまった。
普通、相手の意中の人を突き止めようなんて思わないだろう。嫌がらせでもしてやろうと企まない限りは。
「ごめん、今言った事は全部合ってる。華恋が原因なんだよ。もう2人っきりでは一緒に遊べないって言い出したのは」
「やっぱりそうでしたか。束縛されてるって事ですよね? 超ブラコンの妹さんに」
「束縛……なのかな。どうなんだろ」
「束縛ですよ。自分以外の女性との接触を絶つなんて普通じゃないです」
「いや、他の女性と遊んだりしないように決めたのは僕の意志なんだよね」
「え?」
素直に気持ちを打ち明ける。全てがバレてしまったので誤魔化す意味を失っていた。
「妹さんに言われてそうしてるんじゃないんですか? 強制的っていうか無理やりに」
「うぅん、違うよ。あくまでも個人的な決断」
「そんな…」
「シスコンって思われるかもしれないけど好きなんだよね。華恋の事が」
「それはライクで?」
「う~ん……どちらかと言えばラブの方に近いかな」
「……じょ、冗談ですよね」
「あっはは…」
答えを濁すようにヘラヘラと笑う。気まずさが漂う空気の中で。
「本気なんですか、それ? 信じられないんですけど」
「恥ずかしながら本当の話なんだよ。なんかもう華恋なしの人生は考えられないっていうか」
「ただの勘違いじゃないんですか? どうして急にそういう結論に達したんですか?」
「え~と、華恋が家からいなくなって捜し回って…」
数日間バイトを休んでいた間の出来事をかいつまんで説明。照れくさい記憶を赤裸々に打ち明けた。
「それでお互いの気持ちに素直になったてな流れかな。うん」
「それやっぱり勘違いですよ。先輩は妹さんに洗脳されてるんです」
「……えぇ。別に催眠術にかけられた覚えはないんだけど」
「いいえ、私の意見が正しいです。先輩が間違ってます」
「いやいやいや」
軽く口論になる。グラスに入ったジュースに口をつけながら。
「先輩はずっと兄妹でいる事を望んでたんですよね? だから冷たく突き放してた」
「そうだね。でも華恋がいなくなるぐらいなら、その関係を壊してもいいかなって思ったんだよ」
「それです。それこそが妹さんの狙いなんですよ」
「へ? どゆこと?」
彼女の手の位置が移動。伸ばした人差し指を顔に向けてきた。
「私の方に振り向いてくれないなら消えてやる。そうなりたくないなら大事にしろって意味ですよ」
「脅迫って事?」
「そうです。先輩の優しさを利用してるんです」
「それはさすがに考えすぎじゃ……華恋はただ単に悲しかったから家出しただけだと思うし」
「ならもし私が余命3カ月の身で、最後に一緒にタワーに行ってほしいとお願いしたら先輩はどうしますか?」
「う~ん、それは心が折れちゃうかも…」
「ほらぁ」
「むぅ…」
理詰めされると自信が無い。あの時に選んだ道は、もしかしたら選ばざるをえない選択肢だったのかと。
確かに彼女の言う通り華恋が家出をしなかったら告白なんてしていなかったハズ。あの妹がそこまで計算していたとは思えないが、決断に迷いが浮かんできてしまった。
「そもそも周りの人達にその事実を隠そうとしてる時点で、自分達のやっている事が間違っていると自覚しているハズです」
「そりゃだってバレたら困るもん」
「仮に私とお兄ちゃんがお互いにそういう感情を抱いてたら、先輩はどう思いますか?」
「え~と、やっぱりビックリするかな」
「たぶん敬遠しますよね? 私達の事」
「……かもしれない。少なくともこうして遊びに来る事はないかも」
もし父親が華恋や香織に家族以上の感情を抱いたとしたら。その状況を想像するだけで焦りにも近い不快感が込み上げてきた。
「だから言ってるんです。今の先輩達の関係は普通じゃないんですよ」
「うっ…」
「悪い事は言いません。妹さんの束縛に素直に従ってたらダメなんです」
指摘通り今の関係は続けるべきではないのかもしれない。自分の為にも周りの人間達の為にも。
けど今更どうしろというのか。関係性を再び兄妹に巻き戻したら華恋は二度と戻って来てはくれないのだから。
「……優奈ちゃんの言いたい事は分かったよ。けどやっぱり無理」
「妹さんの歪んだ愛を受け入れるんですか?」
「だってさ、元々他人だと思って過ごしてたんだよ? そんな簡単に割り切れないって」
「それでも割り切らないといけないんですよ。それが妹さんの為でもあるんですから」
「ん~、けど…」
「先輩が言えないっていうなら私から言ってあげます。妹さんに直接」
「は?」
目の前の人物がガラス張りのテーブルに手を突く。そのまま勢い良く立ち上がった。
「今からでも良いですか? 先輩の家に行くの」
「ちょ、ちょっと待って。華恋に会うつもりなの!?」
「そうですよ。私がビシッと言ってあげます」
「いや、それは非常にマズイんですが…」
元々険悪な関係の2人なのに今は自分自身とも喧嘩中。こんな最悪な状況で突撃したらバトルになるのが目に見えていた。
「着替えてくるから2、3分待っててください。すぐに戻ってきますから」
「ちょ、ちょっと待って…」
止めようとするが間に合わず。後込みしている間に小さな背中は二階へと消えてしまった。
「ヤバい、どうしよう…」
今のうちに退散してしまっても良いのだが彼女は自宅を知っている。自分がいない時に華恋と会ってしまう方がマズい。
頭の中で必死に言い訳を模索。しかしハッキリとした作戦が決まらないうちに着替えを済ませた後輩が下りて来てしまった。
「お待たせしました。では行きましょうか」
「お兄ちゃんどうするの?」
「あんなの放っておけばいいですよ。私達が仲良くしてたら満足みたいですから」
「それは可哀想な気が…」
玄関へと歩き出す背中の後を追う。住人が外出するのに部外者が残っている訳にもいかないので。
「あちぃ…」
炎天下の街中を並んで歩行。容赦なく降り注ぐ日差しも苦しいが、それ以上に現状が甚だしく困難だった。
「ん…」
今のうちに相方に家から逃げるよう連絡するか。それとも隣の後輩を落ち着かせて諦めさせるか。
けれど彼女の決意は固いから説得は難しい。華恋に連絡したとしても喧嘩中なので素直に指示に従ってくれるとは思えなかった。
「どうしてもうちに行くつもり?」
「そうですね。先輩が自分の口から妹さんにハッキリ言うと今ここで誓わない限りは」
「他の家族もいるからそういう話をされるのは困るんだけど…」
タイミングが悪い事に今日に限って両親は仕事が休み。こんな状況で喧嘩でもされたら修羅場でしかない。
「なら先輩が自分で言いますか? 束縛をやめて普通になれって」
「だからそれは出来ないよ。やったら修復不可能な関係になっちゃう」
「じゃあ私が言うしかありませんね。大人しく諦めてください」
「えぇ…」
何故ここまで人様の家庭状況に口を挟んでくるのか。親切心にも感じるが、お節介以外の何物でもなかった。
「あの、やっぱり家に行くのだけは勘弁してくれませんかね?」
「……そうですね。カッとなって飛び出してしまいましたが、先輩の家庭を壊す権利は私にはありませんし」
「な、なら…」
「妹さんを呼び出してください。どこか人がいない場所で話し合いましょう」
「えぇ…」
一瞬だけ見え隠れした希望もすぐに消滅。自宅に行く事は断念しても華恋に一言ぶつけてやりたい気持ちはブレないらしい。
「はぁ…」
どこかに諦めの気持ちが浮かんでいるのか。ポケットに伸ばした手が自然とケータイを取り出していた。
「ひぃぃっ…」
電車を使って地元の街へと帰ってくる。そのまま指定した待ち合わせ場所へと移動。
降り注ぐ日差しのせいなのか辺りには人がほとんどいない。これ幸いにと日陰になっている公園のベンチを陣取った。
「……どうしてその子までいんのよ」
「や、やぁ。てか何で日傘?」
「アンタが急に呼び出すから日焼け止め塗ってくる時間がなかったの。それより何でその子と一緒にいるわけ!?」
「す、すいません…」
しばらくすると白のワンピースを着た妹が姿を現す。手には珍しく日焼け対策アイテムを装備して。
「さっきまで優奈ちゃんの家で遊んでてさ」
「お久しぶりです」
「ふ~ん。2人っきりで?」
「まさか。元々鬼頭くんと遊ぶ予定で、この子はオマケみたいなものだよ」
「んで呼び出した用件って何よ。まさか2人で結託して私に報復するつもりじゃないでしょうね?」
会話早々に口論を開始。まるで対決でもするかのように向かい合った。
「私が先輩に頼んで呼び出してもらいました。暑い中わざわざすみません」
「……本当、暑い。どうしてファミレスやカフェじゃないのよ」
「周りに聞かれたら困る話らしいので。最初は自宅に伺う予定でしたが、先輩がここに変更しました」
「はぁ?」
視線を移してきた華恋と目が合う。そこにあったのは口を大きく歪ませた顔だった。
「ま、まぁ色々あって…」
「先輩から話を聞きました。お2人は付き合ってるらしいですね」
「……もしかして言っちゃったの?」
「へへ…」
適当な薄ら笑いで対応する。焦りのせいで毅然とした態度がとれなくなっていた。
「あっそ。んで、それがどうしたのよ?」
「単刀直入に言います。先輩と別れてください」
「はぁ? 意味分かんない。なんでアンタにそんな事言われなくちゃならないわけ?」
「アナタと先輩は血の繋がった家族なんですよ? 恋愛感情を抱くなんておかしいです」
「おかしくないわよ、別に。世の中には同性や親より年上の相手を好きになる人だってたくさんいるんだし」
「でも先輩が突き放してたのにアナタが無理やり迫ったらしいじゃないですか。お互いが合意の上ならともかく、一方的すぎます」
「無理やりじゃないわよ。ちゃんと告白だってしてくれたんだから。ねぇ、雅人?」
「え? あ、うん。そだね、一応…」
華恋が再び視線をこちらに向けてくる。睨み付けるような目で。
「アナタがそういう状況を作り上げたんじゃないですか。先輩が優しいから、その性格を利用してそうなるよう仕向けたんですよね?」
「違うわよ! そんな計算なんかこれっぽっちもしてな……い事はない、けど違うからっ!」
「だって変じゃないですか。好きな相手に暴力振るったりしますか? 私ならしません」
「それはアンタには関係ないじゃん。本人達がそれで構わないって思って付き合ってるんだし」
「いやいや、暴力を容認した覚えはないから…」
発言をすかさず横から否定。まだ痛みが残る頬を手で押さえた。
「無理やり言い寄ったり、暴力を振るったり、行動を制限したり。可哀想だからもうやめてあげてください」
「アンタさ、さっきから何なの? 偉そうにいろいろ口出ししてきて。もしかして雅人の事まだ好きなの?」
「はい、好きですよ」
「ハ、ハッキリ言ったわね…」
「隠しても仕方ないので。それに否定しても信じてくれなさそうだし」
話がどんどんと転がっていく。どこに繋がっているのか不明な場所へと。
「だからって普通言う? こんな状況で堂々とさ」
「普通は言わないかもですね。でも聞かれたから正直に答えたまでです」
「とにかくアンタの狙いは分かったわ。私から雅人を引き離して自分の物にしようって、そういう魂胆でしょ?」
「そうかもしれないです。でもそれの何がダメなんでしょう」
「アンタみたいな奴はこうやって言うのよ。この泥棒猫っ!」
「……ニャオ~ン」
当人を無視した会議がヒートアップ。辺りの気温に負けないレベルで白熱していた。
「言っとくけど私達を引き離そうと考えてもムダだからね。もう一生離れないって決めたんだから」
「大声で自慢するのはやめてくれ…」
「もうキスもしちゃったしぃ、デートだってしたしぃ、2人で同じベッドで寝たりもしてるんだから」
「いやいやいや…」
華恋は自分が優位な立場である事をアピールしたいらしい。武勇伝でも語るかのごとく恥ずかしいエピソードを打ち明けている。それは同時に焦りを感じている証拠でもあった。
「という訳でアンタにこの隙間に入り込む余地なんてないから。大人しく諦めてちょうだい」
「そうでしょうか。案外、隙だらけな気がしますけど」
「はぁ? 今の話を聞いててどうしてそういう考えに辿り着くのよ。頭大丈夫?」
「必死で愚行を自慢してるところとか」
「愚行って何よ、愚行って!」
掲げた言葉はアッサリとかわされてしまう。まるで意に介さない態度で。
「ちょっと雅人、聞いてんのっ! さっきからボーッとしちゃってさ」
「へ? 聞いてます、聞いてます」
「アンタからも何か言ってやってよ。この勘違い女にビシッと!」
「う、う~ん…」
そのとばっちりはこちらに飛来。バトンタッチを言い渡されたので隣に立っている後輩と向かい合った。
「先輩は私の事を責め立てたりなんかしませんよね?」
「うっ…」
「今まで一度として喧嘩した事ないですもんね。先輩の優しい性格は把握していますから」
「どうも…」
彼女が下から覗き込んでくる。何かを訴えかけるように。
しかしここは心を鬼にするべきだろう。隣に立っている本物の鬼に後で怒られない為にも。
「……ごめん。好意を持たれてるのは嬉しいんだけど、やっぱり華恋の事は裏切れないよ」
「別に縁を切れとまでは言いません。ただ普通の兄妹に戻ってほしいだけなんです」
「世間一般の兄妹が恋愛関係に発展しないとしても、僕と華恋はその一線を越えちゃったんだよ。例えそれが普通じゃないと言われてもさ」
「私がこんなに真剣にお願いしてもですか?」
「うん。変わらないよ、この意見は」
「じゃあチャンスをください。私にもその間に割り込むチャンスを」
「ほ?」
説得中に状況が変化。真っ直ぐ伸びてきた手にシャツを掴まれてしまった。
「先輩を私の方に振り向かせてみせます。そうすれば妹さんの方を見なくなるハズだから」
「え、え…」
「でも、もしダメだったならその時は諦めます。縁が無かったんだなと思ってキッパリと」
「何々、どういう事…」
突然の提案に頭が大混乱する。思わず後退りしてしまう程に。その意識が正常に戻ったのは妹が間に割り込んできた時だった。
「おま……コラッ! なに勝手に自分ルール設定してんのよ!」
「私なりの踏ん切りの付け方です。このまま黙って食い下がっても不満が残ってしまうので」
「だからってやって良い事と悪い事があるでしょーがっ! アンタのやろうとしてる事はただの強奪よ。非人道的すぎるわっ!」
「つまり先輩がアナタを捨てて私の方に寝返ると、そう思っているんですね?」
「……そ、そんな訳ないじゃない。んなの有り得ないし」
正論を並べるが彼女までもがすぐに封殺されてしまう。情けない程アッサリと。
「年内中で構わないです。もし今年中に先輩を振り向かせられなかったら大人しく諦めます。それでどうですか?」
「期限付きって事?」
「そうです。さすがにそれ以上付きまとったらストーカーと変わりないので」
「う~ん…」
華恋が口元に手を当てて唸り始めた。提案を思案するかのように。
「えぇ…」
妥協しているとはいえ今の意見は明らかにおかしい。堂々と寝取り宣言をしているようなもの。何一つ正しい言葉は発していなかった。
「……分かった。良いわよ」
「え!?」
「残り4ヶ月の間に雅人の気持ちを動かせなかったら大人しく身を引くのよね?」
「はい。それはもう私の恋が成就する可能性はほぼゼロという事ですから」
「ならそれで手を打ってあげる。このまま話し合いしてても決着つきそうにないし」
「そうですね。頑固なのはお互い様ですもん」
「いやいや…」
なぜ引き受けてしまうのか。どう考えてもメリットが無い勝負なのに。
得をするとすれば自分だけ。どちらが勝とうが女の子と付き合えるのだから。そんな悠長な事を考えていると華恋が胸倉を掴んできた。
「アンタ、分かってんでしょうねぇ。もし少しでもこの小娘の方になびいたらどうなるか」
「は、はひぃ……分かっております」
「この前の制裁レベルじゃ済まないわよ。二度と表歩けなくしてやるから」
「そ、そんな…」
発言がヤクザレベル。その脅しが冗談に聞こえないから怖い。
とりあえず怪我をするぐらいでは終わらない暴力を振るわれるらしい。想像したら全身が震えだした。
「あんまり先輩をイジめないでください。私の方に振り向いた時に傷だらけだと可哀想です」
「あら、それは大変。でもそんな日は永久に訪れないから心配しなくても良いわよ」
「まるで負け惜しみして逃げ出す雑魚キャラみたいな発言ですね」
「んだと、ゴラァッ!!?」
優奈ちゃんの挑発に華恋が激昂する。飛びかかろうとしたので後ろから羽交い締めにした。
「いててててっ!? やめなって!」
「今ここで滅ぼしたるっ! クソ生意気なガキんちょがぁっ!!」
「そんな事したらお巡りさんに捕まるし。華恋の反則負けになっちゃうよ」
彼女の振り回した腕が何度も顔に命中する。人前という状況を忘れて暴走していた。
「先輩、今日からよろしくお願いします」
「え? えと……よろしく」
「私が洗脳を解いて救ってみせます。なので待っててください」
「は、はぁ…」
そんなやり取りを無視して後輩が接近。至って冷静な態度で話しかけてきた。
「むぅ…」
自分が洗脳されてる被害者だとするなら華恋が悪の魔王で優奈ちゃんが勇者だろう。確かに各々の性格を考えたら間違えてはいないのかもしれない。ただこの場合、勇者もかなりの身勝手で腹黒だった。
「きぇえぇぇぇーーっ!!」
「頼むから落ち着いてくれぇっ!」
どちら側に付いても分が悪い。状況を嘆きたくなる板挟みだった。
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