第26話 天空より至りて

「遅れて済まない。こちら鉄道総隊および巡回警兵混成隊所属、前線火力観測誘導のキリクだ。あと二分稼げるか?  できるなら諸君にイースターのごちそうをふるまおう」

「キリク!」

「ん? シュン?」

「そうだよ! キリクはそこで……」

「話は後だ! あと二分。稼いでくれ」

 無線のキリクの声に反応したのは、シュタイクアイゼンだった。

「……わかった、やってみよう」

「アイゼン! だいじょうぶなのか?」

「腹がすごく痛いが……そうもいってられないのだろう?」

 なんとか上体を起こして壁によりかかったシュタイクアイゼンは、パーソナルスマートデバイスで女を呼び出した。

「どうしたの? 命乞いでもしたくなった?」

 パーソナルスマートデバイスが再び戦闘車内のスピーカーに接続され、女の声が車内に響き渡った。

「ああ、ディアルミナ、なんとか許してくれないかな? もう充分痛い目にあった」

「うっふっふっふ、馬鹿ね」

 甘い女の声が、これほど邪悪に聞こえた時もない。

「許すわけないでしょう? まだ罰は充分じゃないわ」

 女の声に混ざる嗜虐で、車内の男達は皆、鳥肌を立てる。

「もっとも、初めからあなたは壊すつもりだったのだけどね、アイゼン」

「なるほど、言うことを聞いても聞かなくても同じわけだったのか」

 腹をうった痛みだけではないものに、シュタイクアイゼンは耐えていた。

「そうよ? 初心者支援なんかする馬鹿には、思い知らせてやりたかったの。とてもとても滑稽だったわ。VRの中の、信頼もなにもない女かどうかわからない私に、好きとか愛しているとか、本当におかしくて笑いたくなったわ。実はね、私ね、現実にはかわいい女の子の恋人がいるのよ?」

「一分前」

 シュタイクアイゼンは、もはや答えなかった。

「もちろん私も女だけどね、下僕のオスが偉そうに愛とかね、私に語るのが気持ち悪くて。でもね、それをねあの子に語るととても嫉妬して盛り上がるの。いい? 下僕のオスはちゃんと女の子に奉仕しなくちゃいけないのよ? それをこんなところで遊んで、初心者支援とか。ほんと、馬鹿で気持ち悪くて。いつも殺してやりたいと思っていたわ」

 リンジーも薄目をあけながら、嫌悪に表情をゆがめていた。

「30秒前」

「ね、むごたらしく死んで? 壊れて? あなたの価値はそれだけ」

「20秒前」

「一つ教えてくれ。同性愛者なのに、どうして私達の邪魔をする」

「簡単よ。私達を放っておいて勝手に楽しく遊びやがってクソどもが」

「10秒前」

「……そうか。じゃあ私からも一つ」

 沈黙が流れた。

「3秒前」

「ディアルミナ」

「2秒前」

「なに?」

「1」

「くたばれ、クソレズビッチ!」

「だんちゃーく 今!」

 最初は車体をきしませる純粋な衝撃波だった。

 そしてドラゴンのあたりで、猛烈な土煙が盛り上がり、遅れて腹の底に響く重低音が到達した。

 それがとんでもない爆発音と気づいたのは、すこし経ってからだった。

「280mm列車砲からのロケット補助推進誘導砲弾。受け取ってくれ」

「キリーーーークっ! なんなんだよ! これは!」

 沢渡は叫ぶが、無線の向こうのキリクは澄ましたものだった。

「もちろん、鉄道総隊の誠意だ。さてと、誘導データ送信と。ドラゴンちゃんはどうだ?」

 その言葉で、沢渡は車長席までかけあがり、ハッチを開けて身を乗り出した。

 目の前にはまだよろよろと立ち上がるドラゴンの姿があった。

 だが、羽根は消し飛び、左腕もちぎれ飛び、角も片方はない。両目はつぶれて緑の血を流している。

「アイゼンさん、頼む、もう一発装填できる?」

「……ぶちかますのだろう? 奇遇だな。私もそんな気分だ」

 シュタイクアイゼンはぐっと足をふんばって徹甲弾を抱え、薬室内に拳でたたき込み、閉鎖器を閉め、そして力尽きてうずくまった。

「ありがとう。そこから下がって、アイゼンさん」

 シュタイクアイゼンが這って後ろに下がったのを見て、沢渡は砲手席に移る。

「列車砲、次弾装填。砲撃諸元入力開始。まもなく発射」

「了解」

「シュン、エンジンを再始動する」

「頼みます、ワレンコフさん」

 APUが苦しげな音を立て、パワーユニットは息を吹き返す。

「後は頼む」

 ワレンコフの言葉はそれだけだった。

 シュタイクアイゼンは下で親指を立てていて、リンジーは目をあけて微笑んでいた。

「射撃準備、弾種徹甲、距離……600」

「列車砲、次弾発射。弾着まで二分三十秒」

 砲塔が動き照準する。

 目標、顎を開きブレス準備中のブルードラゴン。

 満身創痍のブルードラゴンは、最後の力を振り絞り、よろめきながら、雄々しい咆吼をあげて、沢渡達を葬り去ろうと……いや道連れにしようと、そのあぎとを開け放った。

 沢渡はただ夢中で、「集中」を使って入り込んだ。

 時間が引き延ばされる、音が消える。感情が消え、雑念が消え、鋼の意志が、戦闘機械になった自身が残る。、

 沢渡の意識の中で、ブルードラゴンの顎の中と、首に輝く逆鱗が鮮明に見えた。

「ファイア」

 引き金は無意識で落ちた。

 照準器の中で、小さななにかが口に吸い込まれる。

 次の瞬間、蒼く猛々しい頭部に小さな穴が開き、緑色のどろどろしたものが勢いよく吹き出して、とめどなく流れ落ちた。 

 蒼き竜が力を失い、ゆっくりとゆっくりと崩れていく。

 倒れて、吹き飛ばされた雪の代わりに土埃を舞い上がらせ、それも吹雪によってすぐに白く化粧されはじめる。

 突然、灼熱した何かが雲を突き破り、倒れた竜の上に降りてくる

「だんちゃーく、今!」

 もう一度衝撃と爆炎と豪圧が沢渡達をゆさぶった。



 沢渡は、パワードマシンピストルを構えながら、後部ドアを開ける。

 外は吹雪が収まり、粉雪が静かに降っていた。

 さくりと雪に足を踏み入れ、あたりを見回す。

「キリク!」

 ヘッドセットのマイクに呼びかけると返信があった。

「シュンか。今、鏡月湖市から救援が出発した。負傷者は?」

「三名。ただ急ぐ必要はなさそう。それよりキリク、女を見なかったか?」

「……妖女か?」

「たぶん」

「こちらでは見当たらない。まあ、普通に考えてそっちだろ」

 視界の端に、なにかが見えて反射的に沢渡は雪面に身を伏せた。

 乾いた発砲音が三発

「来たようだ」

「こちらからは見えない。救援が行くまでもたせろ。適当に弾をばらまいて時間稼ぎでいい」

「がんばってみる」

 目を転じた先には、雪の白と見分けがつきにくい白いアストランハットの褐色女が立っていた。

(冬期迷彩色みたいだな。キリクの距離では無理か)

 蒼いドラゴンといたからこそ、白さが目立っていたが、雪の平野では見事なカモフラージュだった。褐色肌が目に入らなければ、やられていたと沢渡は思った。

「シュタイクアイゼン、出てきなさい?」

「アイゼンは、今お昼寝中だよ。帰れば?」

 パワードマシンピストルを女に向かって三発撃った。女が雪の上で舞った。

 クレイジーサイコレズなのにいちいち華麗な回避なので、沢渡はげんなりする。

 女がなにかを投げる動作をして、沢渡は慌てて、横に飛んで伏せた

 先ほどまでいたところが盛大に爆炎をあげ、雪が飛び散る。

 顔をあげた沢渡は女が戦闘車に走り寄るのを見た。

「アイゼン! 女が行くぞ!」

 言いながら、銃を連射する。

 女が体を伏せ、撃ち返した。

 その時、戦闘車の後部扉が開き、白いスーツ姿がふらふらと出てくる。

 褐色女が跳ねて、シュタイクアイゼンに駆け寄り銃を構えた。

 銃声がとどろいて、沢渡は思わず目を閉じる。

 そして静寂の中、おずおずと目を開けた。



 シュタイクアイゼンは立っていた。顔は青ざめていて白いスーツはいささか汚れ、しわがよっていたが、けれどもそれだけだった。

 反対に女の右肩から赤いシミがじわじわと広がっていった。

 後部ドアから拳銃を持った手が突き出ている。

 ドアが開き、リンジーが転がり出た。ふらついて、シュタイクアイゼンに支えられて立った。

「……悪いけど、やらせはしないわ」

 荒い息、未だに氷が残る髪の毛と、こちらも寒さに青ざめた肌。ドラゴンのブレスはリンジーの体を未だ苛んでいた。けれども言葉はしっかりとしていた。

 沢渡が銃を構えなおした。

「手をあげて、後ろを向いて膝をつけ。従わないと撃つよ」

 しかし女はただ呆けたように、己の右肩を押さえ、そして左手についた自らの血をまじまじと見た。

「……どうして?」

「聞こえない? 手を上げ、後ろを向き、膝を……」

「どうして? どうして私を撃つの? どうして私に暴力を振るうの?」

 沢渡の言葉を女の絶叫がかき消した。

「ディアルミナ……」

「ねえ、アイゼン。私を殺そうとした女を殺して! その男も殺して! 私が好きなんでしょう! 私を愛してるんでしょう! 私を守って! 私のお願いを聞いて!」

 褐色女が涙を流しながらシュタイクアイゼンに差し伸べるよう手を伸ばす。

 だれもが女のわけのわからなさに戸惑った。

 その間に褐色女が、手を差しのばしながらシュタイクアイゼンに歩み寄る。

 唐突に沢渡は理解した。

「シュタイクアイゼン! 逃げろ! そいつはあなたを」

 女がさらに歩み寄って、

「もう一度魅了する気だ! 逃げるんだ、アイゼン!」

 その手がシュタイクアイゼンの頭に触れる!



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