第23話 捨てた過去

 「姫」と沢渡は中学時代からの知り合いだった。

 「姫」の名前は斯波葵しばあおいと言う。

 有名な政治家や官僚を姻戚に持つ彼女がなぜ沢渡の中学校にいたのか、沢渡にはわからない。ただ彼女は当時から別格だった。美貌も物腰も交友関係の広さも、もちろん裕福さも。

 沢渡もまた彼女に惹かれたが、それだけならよくある話だ。

 姫と沢渡の接点は、ただ一つ、成績だけだった。

 沢渡は学年で上から五番ぐらいだったが、「姫」もまたそのあたりだったのだ。

 成績の良い二人として、沢渡と姫はクラスで対比されたが、しかしお似合いの男女とはならなかった。沢渡の第二次性徴が遅れ気味だったからだ。

 彼はずっと小柄で華奢だった。陰毛が生えるのですら高校になってやっとという有様。

 だから姫と賢い少年としか周囲には見えなかった。

 これでまだ沢渡が美少年なら別だっただろうが、あいにく現実は普通だった。

 そして小柄で華奢で幼くて、しかし成績優秀ということは、それだけでいじめのターゲットになるということだった。

 そのいじめは、沢渡に女装させるという形で噴出した。そして陰湿に始まった。

 姫の取り巻きの女生徒が、沢渡の姫への想いに気づいたのだ。そして沢渡は女生徒のゆがんだ性的欲望のはけ口になった。

 沢渡は成績を理由に、「姫」が属する生徒会に招き入れられ、そこで女装させられた。

 そして「姫」に、沢渡が女装趣味者だと吹き込んだのだ。

 女だって自分より小さく弱いものなら嬲る。

 しかも女性から男性への性的いたずらは認識されづらい。

 ゆえに繰り返される意に沿わぬ女装と性的いたずらを教師はだれも気がつかなかった。

 そして性的いたずらに抵抗しなければ、肉体的暴行に移行するのは時間の問題で、沢渡の時もそうだった。これも女性から男性への暴行だったため、見過ごされた。

 文字通り、生徒会は悪の生徒会に成り下がっていたのだが、沢渡以外はいじめていた当人達でさえそれを認識していなかった。

 いじめだと思いもせず、ただのからかいだと生徒会メンバーは思っていた。

 沢渡は、当たり前のように不登校となった。その頃から家庭もだめになった。

 「女装癖」のある兄に、妹と母が嫌悪を抱いたのである。

 だがその不登校は、しばし沢渡を自己崩壊から救った。不登校時にプレイしていたVRMMOでの人のつながりが、沢渡を救ったのだ。


 それでも高校への進学が生徒会メンバーとの別離になるはずで、沢渡にとって新たな出発となるはずだった。

 だが沢渡が不登校の間に、無音の爆弾が炸裂し因縁は続いた。

 生徒会メンバーの一人がSNSで沢渡へのいじめを自慢していて、それが学校側にばれたのだ。

 その画像のひどさは、いじめの隠蔽が得意な学校にも衝撃を与えるものだった。

 沢渡が華奢で小さいことも、ある意味良いほうに働いたといえる。

 幸いSNSの問題が日本中に拡散することはなかったが、中学OBでいじめ問題に取り組んでいる市会議員には充分波及した。

 教育委員会と校長が市会議員と学校の間を走り回ったという。

 結果、いじめの問題はもちろん隠蔽されたが、いじめていた関係者は、それぞれに相応の報いを受けた。推薦入学の取り消しや内申の悪化である。

 反対に、沢渡の受験は密かに支援された。

 そして、それがまた「姫」と沢渡の新たな三年間を作ることになったのは皮肉である。

 沢渡は、それなりの公立進学校に入学できた。中学校が実績に載せられるぐらいの優良校である。そして、「姫」は私立に行かず、沢渡と同じ学校に入った。


 高校での問題は、「姫」こと斯波葵の罪悪感がこじらせた。

 斯波葵は決して悪人でもなく冷酷でもないが、しかし育ちの良さという限界があった。

 彼女は自分が行ってしまったことに責任をとろうとして、沢渡に接近したが、もちろんそこに男女のなにかがあるはずもない。

 それは沢渡にとって、とても苦痛だった。二重の意味で。

 一つは古傷をえぐられることでもあるし、もう一つは男とは見られていないことでもあったから。

 沢渡は、「姫」と距離をとろうとした。しかたがないことだろう。

 しかし姫は、自分の謝罪や罪滅ぼしがうまくいかないことに悲しみ悩んだ。

 それが、姫の周囲の人間に火をつけた。

 謝罪を受け入れない沢渡を非難しはじめ、そして沢渡が「姫」をいじめる男として受け取られてしまい、沢渡は再度いじめのターゲットになった。

 普通の生徒が、正義漢気取りで沢渡を軽蔑し、「報復」を始めたのだ。

 それは「姫」のさらに磨きがかかった美貌ゆえの、反作用だったのかもしれない。

 美しく若い女性が、チビでたいして取り柄もない男のことで悩み苦しむことに、周囲が耐えられなかったのかもしれない。

 沢渡は被害者故にその構造に気がつき、絶望した。そして自殺を決意したのだ。

 僕が死ねば解決するのだろう? と。 

 だが、それは回避された。

 自殺を翻意した後、沢渡は姫にメッセージで伝えた。

 斯波さんの謝罪を受け入れます。ですからこれで笑って終わりにしませんか?

 沢渡はVRMMOに逃げ込む事を決意して、因縁も想いも恨みも悲しみも飲み込んだ。

 沢渡は勉強と三人にも満たない知り合いを除いて、高校の全てを捨てることにしたのだ。

 だから沢渡は高校でも孤立したまま卒業した。

 


 沢渡が語り終わると、山の間から曙光が差した。

「どうってこともない話」

 沢渡は軽く肩をすくめて言い放った。

「……だから想いを捨てた……のね」

「わかるでしょ? 抱えていてもしかたがないものは捨てるしかないから」

 沢渡の声も顔にもなんの感情も浮かんでなかった。

 沈黙を伴って幾ばくの時間か流れる。

「シュン」

「?」

「性欲抑止を使う時は……」

「はい?」

 思わず怪訝な声が出た。

「作り物でもいいから笑顔は浮かべて? 真顔でやられると、きついの」

「はぁ」

「それとね、私のならおっぱいガン見してもいいから。おしりもね」

「はぁ? ちょっとなに言ってるんですか?」

「まったく、人が寝てるそばで、いちゃついてるんじゃねーよ」

 ワレンコフが起き上がり伸びをする。

「ワレンコフ、コーヒー飲んだら出発しましょ?」

「わかったわかった。しょんべんもいかせろ」

 沢渡はすこし照れていたが、それでも心のなにか重苦しいものが、すっと薄れていくのに気づいていた。下手な慰めも同情もないことが、うれしかったのだ。

 彼らは「大人」なんだろうなと、沢渡は思う。

「VRなのに空気がこんなにおいしいなんてね」

「まったくだ。たまには遠出も悪くない」

 シュタイクアイゼンが歩み寄り、沢渡の独り言に返事を返した。

「なあ、シュン。私も想いを捨てることができるだろうか?」

 そしてその碧眼で沢渡を見つめながら、尋ねた。



 山を下り、渓谷に敷かれている川沿いの道に降りた。

 そこから踏切まで走り、踏切上で陸上モードから、軌道モードにした。

 そこで操縦をリンジーに代わり、ワレンコフは休養もかねて再度の仮眠

 砲塔は沢渡が受け持った。

 装甲軌陸戦闘車は、軽快にレールの上を走っている。

 車内は履帯の音が消えて、若干静かになっていた。

「北口市駅で補給をして、そこから四時間で鏡月湖。うまくいけば夕方までにつくね」

 砲塔で沢渡がマップを眺め、そして顔を上げてもう一度あたりを警戒する。

「シュン、残念だが装甲列車が脱線したようだ」

 シュタイクアイゼンが、自分の無線機のヘッドセットを指さした。

 そして無線が沢渡のヘッドセットに流される。

 装甲列車、脱線につき行動不能。総員避退中と無線ががなりたてていた。

「いよいよ、僕らだけか」

 沢渡がシュタイクアイゼンに、無線内容を流すのを止めるように指示する。

 シュタイクアイゼンは無線機をいじりながら、手元のマッパーを見た。

「脱線場所とここと距離が離れているのは幸いだな」

 それにうなずきながら、沢渡はリンジーを促した。

「リンジーさん、列車がやられた。急ごう」

「了解、いくわよー」



 北口市駅では、構内外れの留置線側に補給車が待っていた。

 基幹本線を高速特急が轟音をあげて駆け抜けていく。

 留置線に入り込み、補給車の隣に停車させると、三人はさっそく補給作業にかかった。

 シュタイクアイゼンは、一応容疑者なので手伝いはさせられない。 

 ついでに鉄道防衛兵に個人用武器の融通を頼むと、思いがけず通った。

「シュタイクアイゼンさん、これを」

「いいのかな? 私は犯罪者だよ?」

 沢渡がシュタイクアイゼンにサブマシンガンを差し出すと、彼は首をかしげた。

「弾は抜いてありますが、いざとなったら弾を渡します。それで自衛してください」

「いざという時が来ると?」

「……実は僕、エウリスから魅了のチートを受けたことがあります」

 普通列車が駅に着き、小さなローカル線用SLがかわいい汽笛を鳴らした。

 シュタイクアイゼンは眉をぴくりと動かしただけだった。

「僕が、あの列車、そしてこの車に載せられたのも、僕も鏡月湖市で検査を受けさせるためです。精密検査で魅了の解析をするためです」

 沢渡はシュタイクアイゼンの目をじっと見つめた。

「ですが、現在魅了の影響下にあるシュタイクアイゼンさんの検査で得られる情報量は比べものになりません。うまくいけばアイゼンさんのデータだけで魅了への対策はいっきに進むんじゃないかと僕は思います。だからです」

「私を壊せば、魅了対策を潰せる?」

「ええ。裏を返せば、シュタイクアイゼンさんがやらかしたことに責任を感じるなら、生きて鏡月湖市にたどり着くのが、今一番できる贖罪方法じゃないかなと」

「……敵は鏡月湖市付近で待っているかな?」

「たぶん。あそこが最終ラインです。しかも僕達を取り逃がしています。きっと待ち構えています」

 発車ベルが鳴り、ローカル線の普通列車が小さなSLに引かれて出発していく。

「この車を捨てて潜入する手は?」

「おいおい、アイゼン。俺達四人だけなんだぜ。相手が薄く広く警戒ラインをひくだけでも阻止するには充分だ。こいつで突破するほうがましってもんだ」

「ワレンコフさんの言う通りです。こいつでできるだけ近づいて、そこからドーム内に入り込むことを考えましょう」

「四人だけなのに装甲と戦車砲と重機関銃を捨てるのはちょっとね」

 リンジーもおにぎりを頬張りながら反対する。

「私も数に入ってるんだな」

「立ってるやつは親でも使う。使えるやつは使い倒す。俺の会社のモットーさ」

 ワレンコフの言葉にシュタイクアイゼンは笑った。

「ふ、仲間だとか言われるよりはずっとすっきりするな」

「それじゃ、目的へ向かって最後の旅に出発かな?」

 リンジーがきれいなウィンクをした。

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