第22話 裏切りが約束された愛
シュタイクアイゼンはほっとしながら、顔に苦悩の色を浮かべるという器用なことをやっていた。
彼は一番目の女「アーヤー」も二番目の女「エウリス」も知らなかったのだ。
ちなみにこの名は、主にエウリスの動作ログをたどったことで判明したものだ。
沢渡達が倒したアーヤーの死体は、死亡後時間が経ちすぎていて、重要な情報が失われた後だった。
沢渡達がひどい重傷で帰り着くのに時間を要したのが原因だ。
だが、エウリスの遺体回収で分析は大きく進んだ。
名前の判明もその成果の一つだった。
「アイゼンさんの自白を引き出すために、捜査官が肝心なところを伏せていたんじゃないかしら?」
がががと揺れながら、装甲軌陸戦闘車は走っていく。
そんな中で車長シートに座っているリンジーの声が上から降ってきた。
「そうなの?」
「……彼女が初心者虐待に関わっていたとしか聞かされていなかった。私の情報と、初心者達の犠牲が見事に関連したデータを見せられて、てっきり彼女がおこなって君達に返り討ちにあったのだと思ったんだ。彼女がそんな酷いことをするとは、どうしても思えなかったのだが、だけどあのデータを見せられて……」
そう言うとシュタイクアイゼンは頭を抱え込んだ。
「直接の犯人は、好きな人じゃなかったけど、グループ組んで初心者虐待してた連中に関わってたことになるから、もっと悪くなったと言うべきかしら?」
リンジーの声に沢渡はあの妖女達の言動を思い出した。治療後はフラッシュバックがめっきりと減って夢も見ない。とはいえ思い出すのに苦労することはない。
「そういえば、あの女達、現実に帰れとかGPF止めろって、二人とも同じことを言ってたよ」
「初心者いじめが目的じゃないってことなのか?」
ワレンコフの言葉に沢渡は横に首をふった。
「GPFを止めさせたいのだけどこのVRMMOでは殺してもリスポーンするだけだから、初心者のうちに痛めつけて心を折るって。いじめよりある意味ひどい、正しい意味での初心者虐待なんだろうね」
「……私も彼女に言われた。GPFなんかに夢中にならず現実の女性と真面目に恋愛して、人間らしい生活をするべきだと。ゲームで初心者支援ができるような優しさが持てるなら、それを現実に生かすべきだと」
「「「初心者支援!!」」
シュタイクアイゼンの意外な言葉に驚いた顔を見せた沢渡達に、彼は詳細を語った。
彼が言うには、シュタイクアイゼンはそもそも「布教者」だったと言う。
彼はこのVRMMO、GPFをサービス開始とともに始めたような人柱、もしくはイノベーション理論で言うならイノベーターにあたる人間だった。
彼はGPFの革新性を信じ、仲間にGPFを布教してまわったのだ。
そんな彼が、「妖獣」が運営の用意した敵ではないというアナウンスを知って、妖獣対策の初心者支援を行いはじめた。それはGPFの可能性を信じての行為だった。
沢渡がシールドを装備させられたのも、実はこのシュタイクアイゼンの戦法によるものだ。
そういう理由で彼は必然的に、ルーキーの情報を集めていたのだが、そこを狙い撃たれた。
「彼女とは二ヶ月ちょっと前に出会った」
女が彼の前に現れ、彼は希少な女性初心者だと思い、恋に落ちた。
そして愛する彼女のためにおいしい狩り場などルーキー向けの情報を教えていったのだ。
だから無残に切り裂かれるルーキー達のことを耳にしても、シュタイクアイゼンは自分がおこなった情報漏洩との関連性を疑えなかった。
噂された実行犯の姿が美人局の女と違ったからだった
そのためシュタイクアイゼンは、逮捕されるその時まで自分の情報漏洩によって初心者達が無残な目にあっているとは思いもよらなかった。
「なんと言うか、悪辣ね」
「これは笑えねぇな」
車長シートでリンジーがため息をつき、操縦席でワレンコフがぼそりと吐き捨てた。
「ちょろい直結野郎だったのだよ、私は」
自嘲の笑いが、白く秀麗な顔に浮かんでいた。だが沢渡はその感情を無視した。
「反省と分析は鏡月湖市でやってもらうとして、シュタイクアイゼンさん、あなたはまだその女性が好きなんですよね」
「ああ。愛している」
「だけどあなたは、あなたの愛した女性に殺されようとしている。まあVRMMOだから、肉体の死じゃなくて」
そう言うとトントンと沢渡は自分の頭を指でつついた。
「精神と心を壊されそうになっているわけなんですが。知ってます? あいつら、すごくエグいことやってきますよ?」
シュタイクアイゼンの顔が苦悩に満ちる。
「GPFの警告、思い出しておいたほうが良いですよ。ショック死もあるって項目」
沢渡はそれだけを言うと、再び通信機とマッパーにとりかかった。
それっきり車内に沈黙が落ちる。
パワーユニットの轟音と履帯音だけが続いた。
山地に薄明が訪れていた。
黄色と薄青が混じるぼやけた空が広がり、山はまだ暗い木々のシルエットの中に沈んでいる。沢渡達の装甲軌陸戦闘車はそんな山の中で停まっていた。
ハッチから素晴らしい凹凸を持った体が乗り出している。双眼鏡越しにあちこちを偵察しているリンジーだった。
「敵影なし。不審物なし。谷のほうに線路らしいのが見えるわ」
「北竜山線だと思う。そこからレールにのっていこう」
「それに賛成だ。レールにのったら運転代わってくれ。夜通しの運転はきつい」
リンジーの声に、車外に出てキャンプテーブルを囲んで座っている沢渡とワレンコフが、テーブルに置いたマッパーパッドをのぞき込む。
その前では携帯ガスコンロが水を加熱している。
そしてマッパーから顔をあげた沢渡がリンジーに向かって、すこし大きい声で伝え、ワレンコフもリンジーに向かって交替よろしくとぼやきながら手を振った。
クッカーの中の湯が沸騰し、沢渡はそれをマグアップ四つに分けて入れ、インスタントコーヒーをぶち込んだ。
「おつかれさま、コーヒー」
沢渡がマッパーをしまい、コーヒーをワレンコフに渡した。
「ふぅ。運転は疲れるが、山の中の澄んだ空気の中で、夜明けに飲むコーヒーは悪くない」
「ねえ、すこし長めに休まない? みんな疲れてるわ。……ありがと」
リンジーが砲塔から降りてきて、沢渡は彼女にもコーヒーを渡す
「……なにかほっとするものがあるな」
リンジーがシュタイクアイゼンにコーヒーを渡すと、カップを手錠につながれた両手で持ちながら、シュタイクアイゼンがしみじみと語った。
闇が払われた夜明けの明るさは、一行にすくなからずの安心感をもたらしていた。
夜とは異なる、夜明け特有の軽快な鳥の鳴き声に、空を見上げるリンジーの顔がほころんでいた。
「すまん、さすがに眠すぎる。三十分でいいから寝かせてくれ」
ワレンコフは椅子から立ち上がると地面にシートをしき、寝転んで毛布をかぶり寝息を立てはじめた。
シュタイクアイゼンは戦闘車の後部扉あたりに座って、ぼんやりと空を見上げている。
すこしコーヒーをすする沢渡の左隣に、リンジーが椅子をよせて腰をおろした。ほとんどふれあうような距離でだ。
「なんでしょう?」
「すこし寒いから、暖まらせて」
沢渡の言外でのもう少し離れないの?という言葉を、リンジーは知ってか知らずかするりと流した。
沢渡は左脇に人肌のぬくもりを感じて、すこしだけ動揺し、それを飲み込むためコーヒーをさらにすすった。
唐突にリンジーが問いを発した。
「教えて欲しいことがあるの」
「答えられることなら」
「あの冷たい目のこと」
リンジーの声はまったく鋭くも強くもなかった。
ただぽんと目の前に放り出されて、答えを求めただけだった。
それだけだからこそ、嘘も言い訳もどこかためらわれた。
「……チート。性欲を抑えるチート」
正直に答えると、今度はリンジーが黙り込んだ。
「……仕方ないか。エロは最近はいろいろうるさいしね」
「それもあるけど、……それだけじゃない」
リンジーが沢渡のほうを向いて、じっと次の言葉を待った。
「人を好きになる気持ちって、そんなに手放しで褒められるものじゃない。釣り合わない人や好きになるべきでない人を好きになった場合は、特にそう」
コーヒーが湯気をたて、香りを運ぶ。山の上のほうで、鳥達が夜明けの歌を歌っている。 徐々に光量がましていく世界の中で、沢渡の言葉だけが凍てついていた。
「抱えてるだけで苦しんで、自分の体の反応に情けなさを覚えて」
沢渡の声は、凍り付いていっそさばさばしていた。
「だから性欲ごと想いも捨てた。僕の想いなんてだれも、僕ですらも必要なかったから。あの目は、余計な想いを持たないためなんだ」
沢渡はコーヒーをまたすすった。
「それだけだよ。たいしたことじゃないんだ」
リンジーはただ黙って聞いて、否定も肯定もしなかった。
「そう。あなたがどうしてそう思うようになったか、良ければ聞かせてもらえる?」
「つまらないよ?」
「面白い話を聞きたいんじゃないわ。ただあなたの話が聞きたいだけ」
そっとマグカップを握る沢渡の手にリンジーの手が添えられる。
「リンジーさん、中身男なのに、僕みたいなみじめな男の話を聞きたいの?」
「むしろ私が本物の女なら、あなたの話なんて聞きたがると思う?」
沢渡の言葉に、リンジーは思わぬ答えを返し、沢渡は言葉に詰まった。
「そうね、私は確かにネカマ。でも私はこのGPFで目的を持ってネカマをしているの。それは女のふりをして姫プレイしたいとか、貢がれたいとかじゃない。私は私の目的と気持ちであなたの話を聞きたい。これじゃいけない?」
沢渡は、なにか言おうとして、何度も言葉にするのに失敗し、頭を激しく掻いた。
そして、ついに沢渡を見つめ続けるリンジーの瞳の力に屈した。
「本当につまらない話だから。聞いたあとでつまらないなんて言わないでね」
またしてもリンジーはなにも言わず、ただその澄んだ大きな瞳だけで沢渡の最後の抵抗を押し切り、沢渡の重い口を開かせた。
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