第16話 敵のチート
地面に寝転んでいたと自覚するとともにめまいと激しい頭痛が沢渡を襲った。
くらくらする頭を振って立ち上がろうとした時、首筋に細い腕が巻き付いた。
こめかみに拳銃の銃口らしきものが当たる。
目の前でキリクが突撃銃を構えていた。
「……キリク、僕は……」
「女がライフルをおまえに投げた。頭へきれいに当たったよ」
背後で女が荒い息をしていた。
「それ以上、近寄るな」
「僕は……人質か」
「まあ、焦らなくていいさ。その女も腹に数発食らってる」
落ち込む沢渡だったが、キリクは背後の女をみながらかすかに笑った。
「粘っても無駄だな。あきらめろよ。巡回警兵本局まで連れて行くだけだ」
背後の女が息をかすかに息をのむ。
沢渡に押しつけられている柔らかな体がこわばったのがわかった。
「……仕方がない……な」
女がそう小さくつぶやき、首に巻き付いていた手と拳銃が離した。
その手が沢渡の左の側頭にあてられる。
聞こえたのはつぶやくような呪文?
突然、沢渡の頭が激痛に襲われた。
刺されるような痛みが頭の中で暴れ回る。
沢渡は額を押さえてのたうち回った。
そして痛みとは異なる甘やかなものが頭の中に流れ込む。
彼女を愛しいと思う気持ち、守りたいという心、男として彼女を助けなければという使命感。
それが深いところに染み入り、沢渡の心を猛烈に揺さぶった。
だが、脳の別の部分が、冷徹に言い切る。
愛していない。彼女は大切ではない。守らなくていい。
目の前のキリクが、彼女をいじめようとするひどい奴に思えてくる。
違う、これは感情が書き換えられていると、つぶやいたのはやはり別の沢渡自身だ。
沢渡はゆらりと立ち上がった。
「? シュン、どうした?」
キリクが怪訝そうに沢渡を見る。
「……ふふっ、残念だな。……今からこの子は私のナイトだ……」
銃弾を浴びて苦しい息をしながら、女は笑った。
「フォールインラブ。……私を愛し、私を守り、……んくっ……私に恋い焦がれるかわいい男の子になった」
苦しげな息で笑う女を、キリクが目を細めていぶかしそうに見る。
「……君、私を守って」
あらがいがたい誘惑に、沢渡の足が動いて、女をかばってしまう。
脳の中で、それはおまえの本物の感情じゃないと叫びが上がる。
沢渡の動きを見て、キリクの眉がしかめられる。
「……やっかいだな。シュン、悪いが、それ以上かばうならおまえごとやるぞ」
「ほう、大胆だな。でもこうしたらどうかな? この子が死んでる間におまえを殺せる」
女は沢渡の肩越しに、キリクを拳銃で狙った。
キリクの顔が苦り切った。
「……くく、おまえ達はもっと恋や愛を知るべきだ。この子は今激しい恋を知ったぞ。女を守る喜びを体感し、女につくす喜びを知るだろう。この子は人としてまともになったのだよ?」
女は笑った。
「まともな恋愛もせずに、こんなVRMMOで遊ぶ。そんな生き方が正しいとでも? 見栄も体面も捨てて、女の前にはいつくばって、愛してもらうことを願え! それが男の生き方だ!」
キリクは、答えなかった。ただ聞く耳をもたないとばかりにそっぽを向けいただけだった。
けれども……
「……いいことを……おしえてあげるよ」
沢渡だった。
「僕みたいな顔も金も並以下の男がね……」
左手の銃が上がっていった。
「激しい恋を、……女に愛を向けるのはね」
腹のあたりで、銃はキリクを向けいて止まり、キリクがぎょっとした顔をした。
「セクハラとかストーカーっていうんだよ……社会迷惑なんだよね」
その銃がくるりと沢渡自身に向けられ、さらにキリクが驚く。女にはそれが見えていなかった
「僕に、……ぶざまな恋を、させるなぁぁぁぁ」
沢渡は自分の体ごと、背後に立つ女に向けてパワードマシンピストルの弾を全弾撃ち込んだ。
意識が暗転し、どこまでも落ちていくような感覚が沢渡を覆う。
銃があると死ぬのにはとても便利だ、などと考えながら、沢渡は意識を失った。
目が覚めると沢渡は、浄河市精神医療院の自室にいた。
リスポーンポイントがここになっていたらしい。
キリク達がどうなったかを見に行こうとして、入ってきた担当医の若い男性医師に止められる。そしてそのまま検査室に運び込まれ、いろいろ頭を調べられた。小一時間も検査した後、沢渡は部屋に戻された。
キリクがクラテを伴って現れたのはそんな時だった。
「シュン、大丈夫か? 精神操作の状態はどうだ?」
「データで見る限り、影響は消えつつあるようだね。死亡によるシステムでの状態異常リフレッシュが作用したし、その後の処置もよかった。なにより、私の施した性欲抑止が非常に効果的だった」
沢渡がベッドの上で上体を起こすと、手元のタブレットを見ながらクラテがにこやかに語った。そんなクラテにキリクが問う。
「どういうことだ?」
「PTSDも恋も似たようなところがある。イメージ想起による自己強化を伴うところだ。恐怖記憶ではなく、美化記憶だろうけどね。それは発情状態による興奮と報酬系で起こるわけだが、性欲抑止によって自己強化サーキットがまわらなかった」
沢渡は、あの時、自分の一部が冷静に作られた感情であることを主張していたことを思い出していた。
「だから、恋という偽の感情を書き込んでも、強化系がまわらず、アンガーコントロールのようにやりすごすべき不可解な感情として処理され、システムの補助を受けて状態異常として処置されて、さらにこの医療院でも同様に処置をされた。結果、脳への影響はほぼ最小限で済んだ。私の読みがずばり当たったわけだよ」
クラテが誇らしげに胸を反らす。
「偶然だろうけどな」
キリクは肩をすくめるが、とはいえ運も実力のうちだなと沢渡は思った。
「確かに、大丈夫なようです。あの女を思い浮かべても、変な感情は浮かばな……!
キリク! そういえばあの女は!」
「殺った。死体は解析にまわされている」
「それにしても魅了使いまで倒すとはね、君達には驚かされてばかりだね」
「「魅了使い?」」
クラテの言葉に、沢渡とキリクの声がはもった。
「噂だけの存在だったんだけどね、初心者がこうも的確に狙われるのは、どこかで情報が漏れてるんじゃないかってね」
「あ」
沢渡はぽかんと口を開けた。キリクも目を見開いていた。
「NPCの異常行動はシステムがみつけるから、無いだろうね。おそらくプレイヤーの意思で情報が漏らされているんだと思うけど、でも彼女らの意思に賛同して現実に帰りたいなら、プレイしていないだろう?」
キリクも僕もうなずく。
「だから買収とか魅了で情報が売られているんだろうなって推測されてたわけだけど、今回ので魅了が正解だったってわかったわけだよ。だから魅了使い」
「なるほど、憶測としての噂か。わかっていたのに知らされてなかったのかと思った」
キリクが大きな息をはいた。
「さすがに、重要な情報を無意味に隠したりはしないよ。不確定だったからさ」
「ならいいんだ。でシュンの治療はどうなる? 医療院の損傷はそこそこあったようだが?」
それには、沢渡の担当医が答えた。
「重要な治療は終わっていますし、精神操作の影響は非常に軽微なので、数日の経過観察でいいだろうと思います。キリクさん、あなたこそ後少し治療が必要かと」
「あ、あの街の被害は?」
「それなりにはあるが、壊滅じゃないよ。この医療院が目標らしかったから、ここの周囲が一番ひどいけどね」
沢渡の問いにクラテが答える。
「ここが目標?」
「そりゃ、追い出す目的で痛めつけたのに治してしまわれたら、奴らにとっては都合が悪いだろうからね」
クラテが片目をつぶった。
「そうか……」
沢渡は、上体を下ろし、ベッドに寝転んだ。
「休むといい。君達は本当によくやった」
「そうです。じっくり休んで治してください」
クラテと担当医の声を聞きながら、沢渡は目を閉じる。
「おつかれ」
キリクの声を最後に、人々が病室から出て行く。
心の中に、恋の高揚感と甘さの残滓がかすかにあった。
それをそっと手放す。
(僕に恋なんか意味ないんだよ)
温かい眠りがやってきて、沢渡は眠りに落ちた。
入学式の前日、沢渡は実家のある街に戻ってきていた。
たった一人、沢渡を助けてくれた友人に挨拶をするためだった。
友人とはファーストフード店で待ち合わせをして、他愛のない話に興じた。
新しいVRMMOで遊んでいる話もしたし、友人は運転免許をとった話をした。
そんな時だった。友人がいきなり真顔になった。
「どうした?」
「……姫だ」
その名前に軽く驚いて後ろを振り返る。
「姫」は取り巻きの男女を連れて入店し、沢渡達からかなり離れた席に陣取ると談笑し始めたのだ。服装以外は在学中と変わらない姿で、沢渡達に気づく様子もない。
彼女は相変わらず顔は人形のようにきれいで、物腰は優雅で、私服も嫌みのない清楚さと華美さが混じり合って、確かに「姫」と呼ばれるなにかは健在だった。
心がざわめき苦しくなるのを感じ、沢渡は思わず「スイッチ」を入れてしまった。
(え?)
VRMMOではない現実なのに、性欲抑止のスイッチは入り、心が冷静さを取り戻す。
そして改めて姫をみた。
先ほどまでは美貌に心惹かれ、ときめきもあったのに、沢渡の心は、今いささかも揺るがず澄んでいた。もうざわめきも苦しさもない。ただただ平静だった。
「姫」の顔は、整って優美ではあるのだけど、心を動かすものはもう失われていた。
いや、沢渡の心から、彼女の美貌に動かされるなにかが、消滅していたのだ。
「場所を変えるか?」
事情を知っている友人が、沢渡を気遣ってそう提案する。
けれども沢渡は首を振った。
「大丈夫、心の整理はついた。完全にね。今ではなんの感情もないよ」
「でも好きだったんだろう?」
「僕の好きは無意味なんだよ。むしろ有害だった。それぐらいはわきまえてるよ。だから終わらせた。だってぼんくら男の好きに価値があるかい? 姫がうれしいと思うか?」
沢渡の答えに、友人はきまずそうにポテトを食べるだけだった。
沢渡は指先をそっと額にあてる。性欲抑止が発動したあの瞬間の感触はまだ残っていた。
「そんな顔をしないでくれ。むしろ今すっきりしてるんだ。おまえが思うほど僕は不幸じゃないぞ。本当なんだ」
そして沢渡はにっこりと笑う。その笑顔にはわだかまりがなく、奇妙な透明感があった。
友人は、沢渡が変質していることに気づいた。けれども友人にはそれがいいことか、悪いことかの判別はつかなかった。だから友人はそうかと一言つぶやいて、またポテトを食べるしかなかった。
それっきり、彼らの会話に姫の話は出なかった。
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