第11話 脳を騙す

 クラテと名乗った、40才代と思われる知的で細く長身の男は、叫んだ。

「めでたい! 宴会だっ! 酒とつまみだっ!」

「えっ? いや、今は医者にVR中は食べるなって!」

 沢渡の言葉にクラテをのぞいた入浴中の男達すべてがうなずく。

「……ふむ?」

 首をかしげたクラテは、パーソナルスマートデバイスを風呂桶から出してきた。

 そしてどこかと会話を始める。

 一分後、沢渡達のパーソナルスマートデバイスが一斉にメッセージ着信音を鳴らした。

「え? お、おい、食べて呑んでいいって。どういうことだよ?」

「俺の方にも来た」

 送られてきたメッセージを見て、顔を見合わせる沢渡など男達に、クラテと名乗った男はにやりと笑った。

「医療AIとコンタクトをとって、了解を得たのさ。さあ、これで問題ない!宴会だ!」


 和風旅館の畳敷きの大広間に男達が集まっていた。ちらほら女性っぽい人がいるが、ネカマなので問題ないという。ゆうに100人以上はいて、大規模な宴会の雰囲気がある。

「諸君、ここにいるのは、あのくそドS妖女にやられ、なぶられた者達だ。私も諸君も口でいうのもはばかられるやり方で心を折られた。残念ながら引退してしまった者達もいる」

 話を切り、クラテは会場を見回す。だれもがトラウマを思い出したらしく顔を引き締めていた。

「だが奴は、死んだ! こいつらがやった! これは祝わねばならない! とびっきりのルーキー、シュンと、勇敢なるベテラン、キリク! 彼らに拍手をっ!」

 拍手は力強く鳴り響いた。声援の声、感謝の声も続いた。

「さあ、諸君! 再出発の時だ! 宴会費用は私がもつぞ! 呑んで食べて、PTSDを癒やし、冒険に戻ろうではないかっ!」

 先ほどより高く拍手がなった。歓声もだ。

「え、えと僕は未成年で……」

「大丈夫だ。酒といってもアルコールではない。ここはVRの中だ」

 クラテが断言して沢渡にグラスを渡す。

「乾杯っ!」

 クラテの音頭に唱和が続いた。


「VRの中の飲食物は、味だけでなく、水欲求の満足や満腹という情報も脳への書き込んでいる」

 騒ぎ歌い、飲み食いする男達をみながら、クラテは語り出した。

 わずかに白い物が混じったオールバックの髪。高い額の下に、鋭さを残した優しげな瞳がある。クラテは浴衣を着ても、研究者か芸術家という雰囲気は失われない。

 そのクラテの側で、沢渡は静かに食べながら耳を傾けていた。

「ここの酒は、味と共に酩酊作用を脳に書き込んでいるだけで血中にアルコールはゼロのままだ。それがなにを意味するのかわかるかい?」

 少し考え、やがて沢渡は首を横に振った。

「このフルダイブVRは、脳に偽情報を高精度で送ることができる。満腹感、酩酊という生理状態までね。だからこんな高精度の偽情報を送れるなら、それは入力によって脳をある程度コントロールできるということなんだよ」

 沢渡は食べるのをやめて、クラテと名乗る男をまじまじとみた。

 細身で知性が勝った瞳だった。やはり医師や教師に似合った風貌だと思った。

 ただ目には鬱屈がかすかに漂っている。 

「私は運営にこのPTSD治療システムを作るように働きかけ、治療施設を立ち上げた。このVRMMOがサービスインしてから一ヶ月後に、私はあいつとあい、あいつに笑われながら切り刻まれたからだ。悪夢から逃れようとして考えたのが、このフルダイブVRの機能を使うことだった」

 クラテはぐっと酒をあおった。

「そして何人も治しながら、考えたことがある。これこそが本当のチートじゃないかって。そう考えると、私は立派なチーターということになる」

 クラテは片目をつぶり、笑った。


 宴会場はますます盛り上がっていた。酩酊と、トラウマ原因撃滅の二つで、人々の高揚はとどまるところを知らなかったのだ。

「PTSDの治療は、想起される恐怖記憶の最固定化を防ぎ、恐怖記憶を不安定化させて、消失減弱させることだ」

 沢渡が疑問だらけの表情をしたのを、クラテは読み取ったのだろう。易しく言い換えた。

「つまり思い出した恐怖の記憶を、再び忘れるべきでないとして強く記憶しようとするのを、防いで、記憶を曖昧にして、他人事感を与えるか、忘れさせるわけだ」

 沢渡の顔に理解の色が広がったのをみて、クラテは続けた。

「私の立ち上げた治療施設の、その被験者一号は私自身だ。他国のサーバーにいる人間とも連携して、自分の身で人体実験を行い、成功した。成功するまでには、いろいろなことも起こったのだがな」

 酒をあおるクラテの目はどこか遠かった。

「それでも……改めて礼はいいたい。ありがとう」

 そしてクラテは居住まいを正し、頭を下げた。

「私は悔しかった。治すことができるとしても、新しく来た苦しんでる人々を見るたびに悔しかったのだ。だから感謝する」

 一人の立派な男から丁寧に礼をいわれて、沢渡は焦った。

「いや、僕はたまたまというか……」

「やったことは素直に誇ればいいのだよ。無駄な謙譲は、キリク君といったっけ、もう一人の人のがんばりをおとしめることになる」

「はい」

 みじんも責める色がない穏やかな指摘に、沢渡は自然に頭を下げた。

「明日」

「はい?」

 クラテは笑った。

「明日、君とキリク君にプレゼントを渡したい」



 浄河市は北に山を背負っている。北浄山という。それ以外の東西は渓谷とそこを流れる河、それに張り付くように走る道と、トンネルでぶちぬいて街に入ってきて、またトンネルでぶちぬいて行ってしまう鉄路がある。南は広大な森だ。

 その河の名前こそが浄河きよかわである。

 北浄山は活火山であるが、しばらくは噴火していない。ので、頂上付近まで緑の木々に覆われている。火口がある頂上のみ、地肌が見えている。

 その火山の中腹に木々に囲まれた小さな神社がある。市内の北からケーブルカーで登り、そこから階段で到達する。

 百段は超えようという石段は、VRでなければ、途中でへこたれていただろう。

 そういうところを、二人の男が登っている。沢渡とキリクである。

 やがて階段が途絶え、鮮やかな朱色の鳥居と、玉砂利の広場、茶色い拝殿が彼らを出迎えた。

 そして、一人の男が鳥居の影から現れる。

 和装をしたクラテだった。

「よく来てくれた」

 はるかかかなたで鉄道の音が聞こえ、鳥が鳴いている他は静寂に満ちていた。

「さて、プレゼントだけども、実はチートをプレゼントしようと思う」 


 参道から外れたところに小さな屋根付きの休憩所があり、三人はそこに座った。

「まず聞きたいのだが、君達は恋人とか妻とかいるかな?」

「いません」

「いるわけがない」

「それではこれは重要なのでよく聞いて欲しいんだが」

 そうして彼は薄く微笑んだ。

「自分の性欲を邪魔だと思ったことは? 無くしたいと思ったことは?」

 沢渡は目を見開き、キリクはクラテをにらんだ。

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