第10話 バーチャルリアリティ湯治

 流線型をした銀色の蒸気機関車二輛分の汽笛は、轟然と響き渡って、駅のすべてをびりびりと揺さぶった。

 沢渡は頭の中から腹の奥までを轟音と衝撃波で揺すられ顔をしかめる。

 東和大陸高速鉄道、TCHR。十六番線まである陽谷駅の三番線ホーム。

「確かにこれはスピードでそうだけど、でもうるさすぎる」

 停車している列車の、前後から水蒸気がまき散らされている。

 この列車は前後に一輛ずつ蒸気機関車を配置するプッシュプル式で中間無動力客車八輛を動かしている。

 そして蒸気機関車の性能による力業で時速250kmをたたき出して東和大陸を走り抜けている、大陸最速達列車だった。

 列車は機関車も客車もすべて銀色で、陽谷本線シンボルであるインディゴブルーの帯が客車下部にある。

 蒸気機関車とあるが、石炭を燃やしているわけではないらしい。石炭は積まれておらず、水タンクのみ付いている。

「あきらめろ。高速鉄道だから事故防止に大音量警報が必要なんだ。圧も超高圧蒸気から取り出してるらしいし」

 キリクが銀色の客車に乗り込みながらいった。

 客車といっても古い感じはない。外側は銀色は光沢があり真新しい感じがして窓も大きく、内部は清潔ながらゆったりとした木目調で、前後スペースがたっぷりとした座席が据えられていて、豪華な雰囲気がある。

 轟音でくらつく頭を振りながら沢渡も客車に乗り込み、席に座る。

 すぐに乗降扉が自動で閉まり、機関車はもう一度轟然と出発の汽笛を響かせた。

 衝撃とともに列車が動き出し、分岐をわたる複雑な通過音がしばらく続き、やがて単調な音に変わる。

 窓をみると、陽谷市の街壁がせまり、踏切付きの門を抜けて、車窓は田畑と林を映すようになった。

浄河市じょうがし精神医療院、ねぇ?」

 沢渡は渡された紹介カードをしげしげと眺める。カードの宛先にはそう書かれていた。 紹介状そのものはすでに電子的に送られている。このカードは浄河市医療院の診察券代わりだ。

「でも実際治療は効果あったし、紹介先の病院できっちり治療を受ければ、ほぼ元通りになるらしいから、受けない選択はない。VRが原因で精神を病むとかばかばかしいからな」

 キリクが椅子の背もたれに体を預け、目を閉じる。

 キリクも睡眠障害に陥ったらしい。

 あの診療所の治療で、かなり眠れるようになって、昨日今日とやたらと寝ている。

 沢渡も同じだった。

 沢渡の感情をひどく変にしたあの施術は、しかし沢渡のすさまじい不安と焦燥をかなり抑えることに成功していた。

 そのため、沢渡はログアウトすらせず、そのままゲーム内で延々と寝た。

 そして起きてログアウトするとコンビニに駆け込んで、カップラーメンとフライドチキンとおにぎりを買い込んでむさぼり食べることとなった。

「そうなんだけどさ。でもまたあんな変な体験するのかなって思うとさ」

「脳を、神経をわかって、ああいう感じで治療としていじってるんだろうな。少し調べたのだがMDMAという幻覚剤がPTSDに効果があるらしい。それに似てるんじゃないか?」

「それってひょっとして麻薬?」

 と、話を続けようとしてキリクを見ると、彼は寝息を立てていた。

 しかたなく沢渡も目をつぶって、リクライニングを倒した。



 到着した浄河市じょうがし駅は、明るく立派な木造の建物だった。木造といっても汚いところは全くなく、新品の旅館的な趣がある。

 駅の出口を出ると、すぐ前に大きく精神医療院の看板がある。

 二人は一切迷わず、浄河市精神医療院にたどり着いた。


 二人は簡単な診察後すぐ入院となった。とはいえ、一般の病院とはかなり違う。

 病院自体は、複合機能の施設のようで下層階が診察室や検査室手術室で、上階が病室となっている。

 病室は小さなビジネスホテルのような個室で、四畳ほどの広さのベッドルームにシャワーとトイレ、洗面所が付いていた。

 テレビはないが、机にはタブレットがあり、タブレットにはプロジェクター機能もある。

 沢渡の入院生活は、若い男性医師の来訪から始まった。

 挨拶と自己紹介の後、さっそく治療に入ったのだ。

 ベッドに寝た沢渡の頭に触れて、若い男性医師はなにか施術を施す。

 すぅと世界が遠くなるような感覚が起きて、治療を受けてる自分がやたらと冷静になり始める。

 その感覚に驚いていると、医師が立ち上がって微笑んだ。

「まずはこれで。また明日朝来ます。睡眠や入浴はご自由に。VR中は食べ物類は食べないで。ログアウトしてから食べてください。リアルでも多量の飲酒は避けてください」


 治療の効果は、めざましく体感できるレベルであった。

 あの生々しい感触が、だいぶ褪せてきたのだ。忘却ではないのだが、思い出してもリアルさが欠けて、心がかき乱されなくなった。

 唐突にあの戦闘を思い出すこともかなり減り、夢見ることも減った。

 自分を殺そうとしたあの女の映像を見ても、緊張しなくなってきたのだ。

 同時に自殺を考えた原因になった出来事も、色あせて他人事になった。

 ふと「姫」の顔やあの時の級友の顔がフラッシュバックしても、心が乱れなくなったのだ。 心に刺さっていたとげが抜けかけていて、長い間苦しめられた痛みが、小さくなっているのが沢渡には自覚できた。

 それは沢渡にとっては数年ぶりの、少なくとも中学校以降ほんとうに久しぶりの、安寧の時だった。


「それにしてもだらだら寝てるだけってのは、かえって疲れる気がするよ」

「仕方がない。戦闘探索は医者に禁止されてる」

 キリクは目を閉じて湯にひたる快楽に、身を委ねていた。

「温泉があるのがつくづく救いだね」

 沢渡も湯につかりながら露天の向こうに見える景色を見る。

 もちろんVRの中であるが、温熱感も湯触りも現実とまったく変わらない。

 街ではあちこちから湯気がたちのぼり、軽い硫黄臭が漂っていた。

 宿と思われる建築物が林立し、そこをつないで土産物屋がひしめく小道がある。

「というか、元々湯治がコンセプトの街で、後から病院を建てたんだろう」

 そして二人は持て余した時間を浄河市の公共露天温泉でつぶしていた。

 医者達は温泉を全く禁止しなかったからである。

 安寧の時間は、心より歓迎すべきことだったが、同時に退屈なのも間違いなかった。

 せめて温泉でも堪能するかとばかりに、沢渡達は市内の公共露天風呂を渡り歩いた。

「それにしてもなんという早すぎてサービスもない温泉回のことよ」

 沢渡が色気のかけらもない男湯を眺め回しながらつぶやくと、キリクがそれにつっこんだ。

「そんなこといってるとサービスとかいって、あの殺人ドS妖女がよみがえってここにやってくるぞ」

「やめろぉ! あいつはまじ勘弁」

 入浴しながら沢渡は頭を抱えた。熱いくらいの湯の中でも肌が粟立つ。

「ほう、あんた達もあいつにやられたのかい?」

 ふと近くに影がさした。

 20代後半のような二人の男達だった。もちろん、風呂だから全裸である。


「ここに来た連中はだいたいがあの女の被害者だな」

「だいたい? 全部だろ」

「いや、ネカマをやりすぎてここ送りになったって奴の噂があるんだぜ」

 男達が話を転がしていく。沢渡とキリクは急ぐこともなく、上半身を風にさらしながら、聞きにまわった。自己紹介はすでに済んでいたからだ。

「あの女は神出鬼没で、どこにでもわいてくるし、初心者を狙ってくるからルーキーキラーっていわれているんだよ」

「ルーキーキラー! あいつがか!」

 キリクが驚きの表情で問いかけた。それに筋肉質で顔のいかつい男が答えた。

「襲ってきたのは黒髪で細めの殺戮美少女だろ? 現実に帰れとかいってくる」

 沢渡とキリクはそろってうなずいた。

「じゃあルーキーキラーに決まりだ。んでどこでやられた?」

 キリクが襲撃された場所を話すと、男達は腕を組んでうなずいた。

「やっぱりあいつはほんとにやな奴だ。普通ならそんなところは初心者の慣らしに絶好だろうよ。なのにあいつ、わかって襲ってくるからなぁ」

 顔のいかつい黒髪を短くした体育会系の男がため息をついた。

 優しげな雰囲気の男の方は苦笑を浮かべていた。

「それで、何時間なぶられたんです?」

 と、優男が尋ねる。

「何時間? いやそんなには」

「30分もかかってない」

 首を振った沢渡が、キリクに目を走らせると、キリクもうなずいた。

「へ? じゃあどうしたんだよ?」

 短髪体育会系の男が、驚いたように尋ねてくる。

「なんとか倒したよ?」

 沢渡の回答に、男達の顔が呆けた。

「それは本当かっ!」

 その言葉は、またしても湯気の向こうから響いたのだった。

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