第8話 死なぬなら壊してしまえホトトギス

「キリク?」

 沢渡の背中をわけもなく震えが駆け上がる。気がつけば足も震えていた。

「妖人だ。この世界の人間に憑依して、人格も体も全部作り変えて、俺達を妨害してくる」

 キリクの表情には一切の緩みがなく険しい。それが沢渡の緊張をさらに強めた。

「強そうだけど……?」

「トラウマになるほど強い」

 希望が断ち切られてやっと、沢渡は自分が恐怖を感じていることを自覚した。

 自殺を決意したときには全く感じなかった感情に沢渡は戸惑う。

 目の前の女に注意を戻せたのは、向けられる殺意のせいだった。

 立ちはだかった女は、きれいになびく長い黒髪に、肉の薄い体を黒い戦闘服で包んでいる。

 顔だけが白いが、その白もあざけりと殺意に満ちていた。

 月に照らされた黒く細い体と白い顔、そして長く黒い髪は、確かにあやかしを連想させた。それも人を食うそれを。

「ふふっ、警告はしたよ。覚悟をして? なぶっていたぶって、ひぃひぃいわせてあげる。許してって頼んでも、許してあげない」

 言葉とともに発砲音が響いた。

 かろうじて身を低くして避けたのは、訓練による反射だった。

 それでも恐怖でこわばった体は動きが鈍い。そんな沢渡の腹に、音もなく近づいた女のブーツのつま先が埋まる。

 恐ろしい脚力になすすべもなく吹き飛ばされ、嘔吐をしながら草原を転がった。

「隙だらけだねー、ルーキーくん」

 嘲弄をはらんだ女の声をキリクの銃の発砲音が遮った。

 だが……

「ぐっ!」

 苦鳴とともに、キリクが肩を撃ち抜かれて転がった。

 女のライフルが魔法のようにキリクに向いていた。

 そして地面に倒れたキリクに改めて狙いをつけ治す。

 沢渡が体を起こせたのは、恐怖への反射に過ぎなかった。

 そして腹に鈍痛を覚えながら、マシンピストルを女に向けることができたのは、湧き上がった熱い怒りのためだ。

 訓練で繰り返したように、指は引き金を落とした。躊躇は覚えなかった。

 突如、女が消える。

「伏せろ!」

 伏せることができたのも無意識だった。キリクの叫びに体が反射で動き、左からの火線が頭のあったところを薙いだ。

「シュン、逃げろ!」

 キリクの叫びに続いた腹に響く衝撃音は、彼のショットガンだ。

 跳ね起きたキリクが放ったそれは、しかし駆けだしていた女にあっさりとかわされる。

 女のアサルトライフルが沢渡の方に向いた。

 とっさに盾が沢渡の前に出て、そして銃弾はあっさりと盾を貫いた。

 ぞぶりと左脇腹に熱いものがめり込む。

 それでも怒りが恐怖を上回った。

 役立たずな盾を罵りながら、パージスイッチを入れる。

 鈍い爆発音とともにアームごと盾が向かってくる女へとはじけ飛んだ。

 が、女は飛んできた盾を片手ではねのけ、走り寄って沢渡の左胸をポイントする。   

 ずるり!

 沢渡の銃を構えようと踏み出した足が滑った。草が己の吐物にぬれていたのだ。

 その意図せぬ動きは、沢渡の体を低く転がし、キリクが女を狙う射線上から外すこととばる。

 仰向けに倒れていく視界の中でもう一度腹に響く轟音がとどろき、女の左肩が血だらけになる。

 だが撃たれた勢いをそのままに女は、くるりと振り返り、キリクに向かって右手からライフルで弾をばらまいた。

 沢渡が手をついて姿勢を立て直したとき、右足から腹まで真っ赤に染めてキリクがゆっくりと崩れていった。

「手間を、かけさせてくれたね」

 荒い息の下から女が暗い喜びに満ちた声をだした。

「なんで……」

 沢渡の声でこっちへ顔が向く。その中で切れ長の美しい目が嗜虐の光にぬめった。

「理由はさっき言っただろ? さあ、おしおきの時間だよ」

 とっさに構えたパワードマシンピストルは右手ごと撃ち抜かれて、沢渡は無様に地面へと転がった。

「あんたはこのVRMMOで死んだことある?」

 嘲りを含んだ声が沢渡の耳に届く。質問の意図がわからなかったため、思わず反射的に首を横にふった。

「そう。ところで知ってる? ここでの外傷による死亡判定は、決められた急所に決められた以上ダメージを与えられた場合ってなってるの。腕がもげても戦える親切仕様というわけ」

 血に塗れて左肩を見せつけるように女は身をひねった。

「だからあんたは簡単には死なないよ。あたしが死なせない。死んだらリスポーンポイントに戻ってしまうからね。わかるよね?」

 悦楽の予感を味わうように女の舌がひらめき、薄い自らの唇をなめ回した。

 目を見開いて力なく首を振る沢渡に、女は歩み寄って体をまたいだ。  

 そして彼女がどんと沢渡の腰に乗る。尻の感触の意外な柔らかさが、さらなる恐怖を沢渡にもたらした。

「いい声で鳴いてごらん」

 耳元でささやかれたのは、なまめかしさがあふれた声。同時にしゃらりと鞘鳴りの音がした。

 次の瞬間沢渡の左目が、つぶれた。

 ナイフを突き立てられたとわかったのは、痛みで絶叫してからだった。

 振り払おうとはねのけようとした右手がとられる。

「痛いよね? こんなVRMMOに手を出した報いなんだよ? あたしのいうことを聞いて、すぐログアウトしたら、こんな目にあわなかったのにねぇ」

 上腕に焼けたような痛みが走り、たまらずに再度沢渡は叫んだ。

 女のナイフが刺さっていた。

「あははははは! リスポーンしても復帰できないように、ちゃんと心を壊してあげる! ほらほらほらぁ!」

 ざくりざくりと左脇腹にナイフが何度も差し込まれ、もはやあげた悲鳴ですら徐々に弱っていくのがわかった。

「ふふふ、楽になりたい? じゃあ皮を剥いであげるから、狂っちゃえばぁ?」

 ナイフが胸骨に沿って走らされ、赤い筋を作った。

 女の顔は返り血で赤く彩られ、目も唇も嗜虐の色で染まっている。

「くく、良いこと思いついた。しゃべるとうざいから舌を刻んであげる。痛かったら壊れてね」

 ナイフが口に突き入れられる。

 沢渡はなんとか動く左手でナイフをつかみ歯を食いしばった。

 けれども女は愉悦の目で見ながらその抵抗を苦にもせず、刃をこじって口の中に押し入れていく。

 沢渡の中で痛みと怒りと恐怖が、殺意へ変わった。

 死にたいと願っていた心が、憎悪の中で揮発していく。

「どう、刃の味は? こんなVRで遊ぶ馬鹿は壊れてもらわないと……」

 女の声が発砲音で止まった。

 次の瞬間女の腹から血がしぶいた。

 女の血を浴びながら、わけもわからず叫んで沢渡は女を左手で殴りつけた。

 あれほど重く動かなかった女の体が紙のように沢渡の腰の上から吹き飛ぶ。

 沢渡は体を起こすこともできずに、力をふりしぼって転がった。

 女がよろよろと立ち上がり、転がって荒い息をする沢渡を確認し、そして銃撃された方に顔を向ける。

「クソがぁ!」

 そこには伏せうちの格好で拳銃を構えているキリクの姿があった。

 もう一度銃声が響く。だが外れた。女の体は揺るがない。

 ゆらりゆらりとよろめきながら、女がキリクに向かって歩き出す。

 沢渡は渾身の力でもう一度体を転がし、左手で転がっていたマシンピストルを握った。残弾表示は3発。

 マガジンをリリースして、撃ち抜かれた右手で痛みをこらえながら、マガジンをポーチから抜き出す。右手は人差し指と中指が吹き飛んでやりにくいことおびただしい。

 何回か失敗して、やっとマガジンが銃にはまる。

 撃ち抜かれた右手を支えになんとか体を起こし、左手の銃を女に向ける。

 サイトの先で驚いたように女が振り返った。その向こうで銀色の丸い月が輝いている。

「……そんなにVRが嫌いなら」

 そこにあったのはあどけない少女の顔。嗜虐も嘲笑も抜けた、どこか悲しげな若い女の顔。

 ためらいはなかった。沢渡にあったのは生への渇望。そして理不尽への憤怒。

「おまえが出ていけぇ!」

 引き金が落ちる。1秒足らずで、マガジンの込められた20発全弾が発射された。

 その大半が至近距離から女にたたき込まれる。女は吹き飛び、黒いぼろきれのように倒れた。

 ふらふらと立ち上がったキリクが、とどめの銃弾を女にぶち込む。

 そして女は二度と動かなくなった。


 

 沢渡は力尽きて倒れ込み、大の字になった。

 東の空で月が光を放っている。 

 月明かりの中さらさらと風が吹き、桜の木がなにごともなかったかのように桜吹雪を舞わせている。

 月がきれいだった。VRの月だって、いや現実の月よりもきれいだ。この月だけでもこのVRMMOは好きになれる。沢渡はぼんやりと思う。

 ……体が痛い。熱くて寒い。死にたくない。でも死んでもかまわない。死ぬってなんだろう。

 ぼろぼろになった体が、あらゆる痛みと熱さ寒さを与えてくる。

 ここでこのまま月に照らされて腐っていくのも悪くない。

 そんなことを脳裏に浮かべながら、やがて沢渡は目を閉じた。



 空に昇った月に、明るく照らされた平原を、小太りの男が小柄な男に肩を貸しながら、のろのろと歩いている。

 彼らの歩いた後には草にしたたり落ちた血痕が続いている。

 車まで、普通なら5分で歩ける距離を、20分以上かけていた。

「……キリク、もういい。……僕を置いていってくれ」

 穴だらけになった足であえぎながら歩くキリクに沢渡はつぶやく。

「……GPFに誘い、……初心者向けだって……ここに連れてきた……あげくに、……あんなサド女に、……おそわれて……怪我がつらいから……初心者を……放置してきたとか……俺に……どんなくそに……なれってんだよ」

 あえぎで途切れ途切れになりながら、キリクは車に向けて足を進めでいけく。

「悪いと……思ってるんだ。……なんでもありの……VRだけど……これはひどすぎる」

 キリクの言葉に、けれど沢渡は首をふった。

「いいんだ。……月がきれいだったから、……それでいいんだ」

 キリクはいぶかしんで沢渡を見る。

 けれど、その顔は血だらけなのに晴れ晴れとしていた。


 二人はなんとか車にたどり着き、乗り込んだ。

 高機動車はエンジン音を鳴り響かせると、平原を後にして闇の中に消えていく。

 ただ桜吹雪だけが、血と戦闘に酔ったように吹き荒れた。

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