第7話 災厄は女の形をしている

 今、沢渡が向かい合っているのは、元は羊だったらしい妖獣だ。

 体毛は黒く変わり、目は白目の部分が真っ赤だった。異様に伸びた角を刺し貫く意図で前へ突き出している。

 そしてその体をまがまがしい黒いオーラのようなもやが包んでいた。

 羊が前足で地面をかいた。次の瞬間、伸びた角が眼前に出現する。

「盾!」

 キリクの言葉と同時に、盾が前に被さる。金属音そして衝撃とともにショルダーアームで盾と連結されていた左肩が押される。

 腰をひねって衝撃を逃がし、そのまま右手を羊の背に向けた。

 引き金を引くと乾いた炸裂音が連続したが、羊はそのまま走っていき、不意によろめいて倒れた。

「よし。そんな感じだ」

 声をあげたキリクが不意に目を光らせ、立射体勢でライフルを構える。

 やはり数度の破裂音。沢渡のものより大きなものだった。

 すこし先で牛らしきなにかが、ばたりと倒れる。頭が赤く染まっていた。

「クリア。……シュン、問題ない。今の感じでいい。攻撃より盾で痛そうな敵の攻撃をはじくことに専念しろ」

 キリクが銃を下ろして歩み寄った。

 沢渡は、緊張が抜けてがくつく足を必死に突っ張る。

 ともすれば、倒れそうになるのを自覚していたのだ。

 急激にあたりの光景が目に入ってきた。

 風は相変わらず微風のままで、桜の甘い匂いと草の青い匂いを運んでくる。その中にかすかな鉄さび臭。沢渡達が倒した妖獣の流す血の匂いだ。

 もう空は赤く染まり、西で夕日が地平線に接し、白く満ちた月が東から昇り始めている

「買ったときにはこんなに盾を使うとは思わなかったよ」

「盾は、アサルトライフルを撃ち合う現代の戦争でこそ意味はないけど、獣や拳銃程度の相手では充分意味がある。それに、実は重さと硬度とシールドアームがSFなんだけどな」

 ため息をついた沢渡に、キリクが苦笑い気味の笑みを浮かべる。

「そうなの?」

「さすがにこの世界の盾は現実に比べると軽くて固すぎるな。アームも良い感じで動いてくれるだろ?」

 左肩に固定されたシールドアームは、確かに沢渡の思いのままに動いてくれて的確に守ってくれた。

 うなずく沢渡にキリクは肩をたたいた。キリクの左肩には沢渡のものより小さな盾がついている。

 キリクは警察のような青い戦闘服になっていた。胸元には巡察警兵の正警士を示す記章がある。沢渡は、普通の迷彩服とARヘルメットだが、胸に臨時警士補記章をつけていた。

 臨時保安官補のようなものらしい。支局の申請で簡単に認められたのだ。

「さて、死骸をチェックするぞ」

 そういうとキリクは、沢渡達が撃ち倒した妖獣達の死体に向かった。

 太陽は草原の向こうに完全に没してしまった。

 空は徐々にオレンジからダークブルーへと変わり始めている。



 死体に近づいたキリクはカメラに似たものを取り出して、死体の頭や背にかざしていく動作を始めた。あたりの暗さが増していくが、キリクに焦る様子はなかった

「こいつは見てのとおり、スキャナ。妖霊の痕跡をスキャンしている」

 たずねるまでもなく、キリクは語り始めた。

「妖霊はこの世界を攻撃しているマルウェアだが、憑依した際に改変痕跡を残す。主に脳や脊髄にな」

 付属のライトを点灯させて、夕闇の中浮かび上がった頭部に丹念にスキャナをかざす。

 やがてスキャナが軽快な音を鳴らした。

「お、強化リマップ痕のようだな」

 疑問を浮かべた沢渡にキリクは語り始めた。

「言うまでもなく、ここの獣や昆虫はVR世界でのデータだ。たぶん街の人間もある程度はそうだし、娼館の連中は間違いなくデータだな。彼らはボディデータと人格AIコードでできているらしいんだが、妖霊は彼らにとりついてそのどちらもクラッキングする」

「なんか突然ホラーがサイバーになった」

「元からVRMMOというサイバーなんだよ」

 沢渡の軽口にあきれたような口ぶりでキリクが返し、すぐに真面目な口調に戻った。

「それでクラッキングされた死体と、元データとを比べ、変更点を比較して、残っている内部動作ログとかをこのスキャナで集めるわけだ」

 ライトの反射光の中でかろうじてわかるキリクの表情はあくまでも真面目だった。

「サーバーにログは残っていないの?」

「サーバーに残っているのは行動ログのみで、内部動作ログは死体からしかとれない」

「なるほど。それで?」

 さらに丁寧にスキャナを死体に沿わしていきながら、キリクは続けた。

「それで今は内部動作ログとボディデータに痕跡があったわけだ。今回は強化アルゴリズムで脳と脊髄のシナプス回路のリマッピングをしたらしい。おそらくリミッターを解除する方向だ」

「それであんなに速かったんだ」

「だろうな。妖霊の改変技術は、運営も対処が難しいらしいんだ。だから運営も必死で情報収集中なのさ。それで俺のような巡察警兵が……」

 沢渡は突如静寂があたりを満たしているのに気づいた。

 なんとなく嫌な感じがしてあたりを見回す沢渡の様子に、キリクも気づいた。

「シュン、構えろ」

 二人は互いの背中をつけて、全周警戒態勢になった。

 夜闇の中、草原にぽつんと一本だけ立っていた桜の木が風でしなり、桜吹雪が舞う。

 花びらが落ちた後、そこにいたのは妖艶な長い黒髪の女だった。

 月の光に照らされた瓜実顔は幻想的に白く、ややつりあがり気味の澄んだ大きな目があり、鼻筋は高くないもののとおっていて、唇は薄く桜色をしている。

 微笑みがあれば、ドレスや和服でも着ていれば、なにより昼間であれば、桜とあいまって一片の絵になっただろう。

 けれど、目には殺意が浮かんでいた。

 唇には嘲笑。体には喪服のような黒い戦闘服。ベルトにはナイフがささっている。

 手にもった突撃銃は、沢渡をポイントしていた。

 邪悪につりあがっていた唇が開き、愉悦と憎悪に満ちた女の声が漏れた。

「今日は気分が良いから警告してあげる。このVRMMOを直ちにやめてログアウトしなさい。そしてダイブギアをたたき壊しクライアントを消去して、現実に戻りなさい」

 かちりと突撃銃のセイフティが外される。

「この邪悪なVRMMOは、破壊しなければいけないの。いけない遊びはこれで終わり。わかった?」   

 女の舌が自らの唇をなめあげた。

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