かすかに聞こえる泣き声
彼女の超常的な力と、保有している妖具は常識をいともたやすく覆す。
妖具の中には体を小さくしたり、女体化したり。しまいには瞬間移動出来たりする代物まであるらしい。今回も彼女は、妖具を保管している実家の地下室から、複数持ち出してきたようだった。
現に彼女は先程、入り口前のコンクリート橋の手すりに、意味深な赤い布紐を一本結んでいた。
岩屋に入り、最初の階段を下る。右斜め方向に続く、人工的に造られた道を進むと、左右に等間隔でパネルが並んでいた。野沢がちらりちらりと眺めてみると、岩屋の歴史や江ノ島にまつわる伝説が紹介されているのが分かった。
「空木さん」
「はい」
と、アマネのふいの呼びかけに、空木が淡々と返事をした。岩屋に入ってからずっとこの調子である。
「今も例のすすり泣く声は聞こえますか?」
「……はい」
どうやら彼は、彼女の力を見て臆したわけではないようだった。岩屋の守り人として生まれ、神霊を仰いできた者であるのと同時に、怪奇現象に苦しめられている立場だ。元々免疫があるのだろう。
彼の心を不安たらしめる存在は、彼とその兄弟だけに聞こえるという女性の泣き声であった。
彼らは岩屋内を依然として進んでいく。歴史ギャラリーの役割をしている真っ直ぐに伸びた道を突き当たると、木の柵が設けられていた。どうやら左右に道が別れているようだ。木の柵の手すり部分を見ると『↓ 第一岩屋』、『↑ 第二岩屋』と印字された看板が取り付けられている。池には、かの有名な詩人『与謝野晶』が江ノ島を詠った歌碑と、五頭龍が水晶玉を囲うように見つめている『龍像』が飾られていた。
「声は第一岩屋からですね」
「はい。……あれ、どうして分かるんですか?」
空木が驚きの表情を浮かべ、アマネを見やった。
「……かすかですが。私もここまで来て、ようやく聞こえてきました。彼女のすすり泣く声。声を押し殺しているにもかかわらず、悲痛さが伝わってきますね。胸が引き裂かれそうです」
その言葉を聞いて、彼のアマネを見つめる瞳に熱が帯び始めるのを野沢は確かに認めた。顔も少々、紅色に染まったようだ。
「……はい。そうなんです。そうなんですよ。ずっと泣いてて。誰か助けてくれって言ってるようで。得体の知れない怖さも確かにあるんですが、この声を聞いていると、心を抉られるように悲しくなってきて。このままでは頭と心がオカシクなってしまう!! ……と思いました。ですから、怪奇現象の解決を生業にしていると若者の間で話題のアマネさんに頼ろうと考えたんです」
「なるほどなるほど」
アマネの相槌に空木が言葉を続ける。
「正直、最初は半信半疑でした。高度な画像加工技術が素人でも使えるこんな時代です。アマネさんのブログにアップロードされた写真に映る幽霊や怪奇現象も、どうせ偽物だろうと。それでもユーザーからの熱い支持が止むことはないし……もしかしたらもしかするかも、と。
管理室でアマネさんの御力を見た時、お二人をお呼びして本当に良かったと心から思いました。どうか……どうか無力な僕達に代わり、この恐ろしい現象の解決をお願いいたします!」
そう言うと、感極まったのか彼はその場で地面に膝をつき、土下座した。彼の行動に野沢とアマネは顔を合わせる。
彼のこの必死さは、夜な夜な女性のすすり泣く声にアテられたせいか。……はたまたホテルでアマネが野沢に語ったとある仮説によるものか。
「どうか顔を上げてください」
空木は土下座の姿勢のまま顔だけ持ち上げた。アマネが彼を静かな目で見つめる。
「私がしてあげられるのは、原因の究明までです。根本的な解決は守り人の正統後継者である長男の貴方しか出来ません」
黙ってアマネを見上げたまま、空木は何も言わない。それを見たアマネが言葉を続ける。
「……まだ、私達に何か隠している事はありませんか?」
「あの……いや……なにもありません」
一瞬、何か言いかけた空木であったが、気まずそうに二人から目を逸らすだけで終わってしまった。
「言いづらいのなら、結構です」
――しかし。と言いながら、彼の前にしゃがみ込む。
「私の仮説が正しければ、この先で原因を究明した時……貴方の覚悟が問われる場面が必ずやってきます。その時に逃げ出さず、目の前の出来事に立ち向かう意志は持っていますか?」
「いえ、私は、その」
しどろもどろになる空木には構わず、改めてアマネは口を開く。
「仮説が補強されたのは、貴方が私達を呼んだ点でした。自分を毎日苦しめてくる憎き霊を、除霊師に祓ってもらうわけではなく。霊媒師を呼び、体に憑依させた霊に直接理由を聞くわけでもなく。
何故、貴方は妖怪研究家の私を呼んだのか。
公に謳っているわけではありませんが、ブログ記事をじっくり閲覧すると、私の特徴が見えてきます。
それは霊と直接干渉し、和解することに長けているということ。
果たして、あまたに存在する霊術師はそっちのけで、私に依頼を投げたことは偶然でしょうか。ましてや貴方は神事に関わる家系の長男です。その手の筋にツテが無いとも思えません。
察するに、貴方は――」
「わ、わかりました! わかりましたから……もう少しだけ、もう少しだけ待ってください。時間を、ください」
彼の必死な物言いを、アマネはじっくりと静観していた。
「いいでしょう」
やがて。彼女の口から許しが紡がれた。それを聞いて、彼はそっと胸を撫で下ろす。
二人の後方では、野沢が口を曲げて成り行きを見守っていた。ここでとあることに気づき、はっとしてひとりごちた。
「あれ、俺いらなくね?」
「何言ってんだよ! 私にとっては超重要人物だよ! 国宝級だよ!」
アマネがシュバっと振り返り、野沢の腰を目掛けて肘鉄砲を放った。少々距離があったので、ほとんどタックルに近い。そのままガバリと、野沢の腰に抱きつく形になる。
「なんで聞こえてんだよ!」
「だって天狗ですし? そりゃあ聖徳太子じゃ有りませんから? 聞き分けるとか無理だけど? アッキーに狙い撃ちして耳を澄ましてれば? いけちゃう的な?」
「その言い方やめろ」
さらにアマネは、そのまま地面に顔を向けた状態で、抑揚の無い声を放った。
「ただ下調べした限り、この先にある天然の海蝕洞は非常に狭いので、ギターケースは置いていくしかナイデスネ」
「やっぱり俺いらねえじゃねえか!」
野沢は元々、将来有望の天才ギタリストだった。しかし所属事務所の看板であった先輩バンドグループが事務所黙認でクスリをやっていて、彼も誘われたことが全ての発端だった。
正義感が強く、熱い男だった彼は、生まれるであろう様々なしがらみに臆することなく告発を宣言した。すると煩わしく思ったバンドグループと事務所がグルになって、野沢に全ての罪をなすりつけるように画策。
結果、彼だけがクスリの常習犯として現行犯逮捕。各メディアに自分の名前と職業が飛び回った。彼が出所した後も、薬物ジャンキーの呼び名で罵られ、音楽関係者も、友人も、親でさえも……相手にしてくれる者は誰もいなかった。
そんな彼であったが、ある時からアマネに目を付けられ、最終的には天狗の力を授かるに至った。ただ授かったと言っても、彼女の側から離れれば離れるほど力は弱まる代物。さらに彼が楽器を弾く時にしか本来の力は発現しない。
それでも彼の中で、音を奏でることを肯定されたことは実に大きなことだった。
救いの手を差し伸べてくれた人であり、妙ちくりんだが愛嬌があり、どこか放っておけないアマネに彼が恋心を抱くのも当然の流れだった。好きな子を側で守れるナイトでいられることに、彼はいつも誇りを感じていた。
「ほら、楽器が無くても言霊の効果がゼロになるわけじゃないし、生身の人間よりは身体能力高いし。丈夫だし。私が悟空だとしたら……クリリンくらいには高い? かな?」
「それ、惑星レベルで隔たりがあるよな」
「まあまあ。細かいことは気にしない」
アマネとは生涯に一人としか出来ないという『陰陽の契』を交わした。これは中国に伝わる『妖技』だそうで、天狗の父親から教わったらしい。彼女の当時七歳という年齢を心配したのか、あるいは単純に性格を心配したのか、枕元に『陰陽の契』も含めた『妖技』について記された一冊のノートが残っていたという。
ちなみに契を交わした時、その証ということで陰と陽を模した勾玉を二人は持っている。野沢が黒の勾玉で、アマネが白の勾玉だ。
「さて、じゃれ合うのはこれくらいにして」
彼女は野沢から離れ、一度背伸びをすると、
「そろそろ先を急ごうかー」
フレアスカートをパンパンとはたいて正した。それからニッと野沢に笑いかけて言う。
「そんな拗ねんなよ。ちゃんと頼りにしてるぞ」
「……ふん」
彼は照れ隠しがヘタだった。
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