岩屋の最奥のさらに先へ
第一岩屋の入り口には、これまた人の手による木造の事務所のようなものが設けられていた。事務所の入り口横には『手蝋貸出所』という看板が貼ってある。駐輪場にある受付のような作りだ。道に沿った側面には、窓がはめ込まれていない木枠があり、そこで受付の人間と客が何かしらのやり取りをすることが伺えた。
「ここは岩屋を進むために必要な灯りを提供しています。看板に書いてあるとおりの場所ですね。先端の平たい円の中心に、ろうそくを乗せて、円の周りを紙で巻いた木の棒を配るんです。視力検査で使う目隠し棒を想像してもらえると分かりやすいでしょうか。あとちなみに、向かいの小屋には第二電気室があります」
ついにここから先は、天然の海蝕洞になっているらしい。全長百五二メートルの道のりらしいが、野沢達が目指すのは遥かその先だ。
「実際、ろうそくが無くても進めるのですが……人の手が介入していない場所まで進むんですよね。ライトなどは持ってきていますか?」
「もちろんです」
アマネが表情を固めて返事をした。今も女性のすすり泣く声は絶え間なく続いている。
カバンからごそごそとライトを取り出して、スイッチを付けると、野沢に声をかけた。
「ここからはギター持っていけないですね。そこの貸出所に置かせてもらいましょう」
言われて、貸出所に入った野沢は、もう一人の相棒を背中から下ろした。
「待っててな。一日も経たないうちに戻ってくるからな」
彼はギターケースをそっと撫でて、貸出所を後にする。
野沢の相棒であるアコースティックギターは、世界的に有名なミュージシャンであった祖父からの贈り物であった。また妖力の増幅器としても活躍していて、アマネと野沢二人の力を飛躍的に上昇させることが出来る。元々バケモノ級のアマネは別として、彼女の半分……いや、三分の一ほどの力しか持っていない野沢にとって、ギターを置いていくというのは非常に心許なかった。そんな野沢の心中を察したのか、アマネが親指を突き立てて、ウインクをかます。
「大丈夫! 私が守ってあげますよ!」
野沢は何も言わなかった。ナイトであるはずの自分が、プリンセスに守ってもらうなど情けなくて、否定の言葉を発することすら嫌になる。
三人は第一岩屋を奥へ奥へと進んでいった。
すると二股に別れている場所に当たった。
「左だな」
「左だねえ」
「左ですね」
野沢、アマネ、空木の順に三人が口々に言う。
「右は何があるんだ?」
野沢の問いに「そちらは欽明天皇が五百五十二年に祀ったとされる神の社があります」と空木が答えた。
左の穴を進みつつ、話は続く。
「ん? おかしくねえか? 確か……僧の皇慶が、五百五十二年に起きたという『五頭龍と弁財天の伝説』を広めたのは千四十七年だろ? 約五百年も前に欽明天皇は何の神を祀ったんだ?」
「その……分かりません」
空木の発言は歯切れが悪かった。それに対してアマネは何か言いたそうだったが、時期ではないと思ったのか、口をつぐんでいた。
洞窟は除々に狭く、低くなっていった。その高さは地面から百六十センチあるかないかというところだ。身長が百七十五センチある野沢は、しんどそうに腰を曲げて進んでいる。他の二人も百六十センチはあるので、軽く頭を下げている。
「ずいぶん色々な石像が飾られているんだな」
「江ノ島の歴史にゆかりある石像達です。歴史的にも、民俗学的にも貴重な遺産と言われています」
野沢の言う通り、左右には実に多くの石像が並んでいた。巳像、弁才天像、十一面観音立像、千手観音立像、観音立像、愛染明王坐像、不動明王立像、役小角像、弘法大師座像などなど。また首なし地蔵や、尊称不明の像もいくつか置いてある。野沢はこの場を見て、ここは神が見守る場所、神が集う場所であると示している印象を受けた。
石像郡を抜け、最奥に辿り着く。
最奥には赤い布が掛けられた机が置いてあり、机の上に先ほど池で見た五頭龍の像が置いてあった。違うのは玉の色が透明ではなく黄色であるということだけだ。
机の手前には賽銭箱、左脇には人が仰向けに寝ているように見える石が置いてある。アマネが、ほほうと関心の声をあげた。
「これが、かの有名な日蓮の寝姿石ですね。波によって削られた石にもかかわらず、偶然人の寝姿の形だったとか」
千二百七十一年。幕府と他宗を批判したとして幕府に捕らえられた日蓮は、江の島の対岸にある龍ノ口刑場に護送された。
しかし斬首が間近に迫った時、江ノ島の方向から月の様に光った物が鞠の様に東南の方から西北の方角へ光り渡った。日蓮を取り囲んでいた兵士達はその出来事に恐怖し、首を斬る気も失って一町ばかりの距離を走り逃げていったという伝説がある。
「日蓮の斬首を免れた話は、江ノ島に棲んでいる神の御威光にまつわる話ですからね。取り上げることにしたのでしょう」
江ノ島を一日観光した野沢の中で、ひとつ思うことがあった。
「日蓮の話もそうだが、この島はどうしてこうも多くの逸話があるんだ? 一人、二人ならまだ分かるが、五百五十二年の欽明天皇から始まり、武将、将軍、僧とか徳の高い奴らが時代を問わずして絡んで、神が棲む島として持ち上げているだろう。それはどうしてなんだ?」
空木が一泊置いて、口を開いた。
「流れ、じゃないですかね。これまで神が棲む島として貫いてきたから、自分たちも貫こう……みたいな。信じ続ければ、それが大きな力となり、いずれ本当に天啓や恩恵を授けてくださるという心理も当時は根強かったと思いますし……はい」
「なるほどな」
それはアマネも言っていた。だがどうにも腑に落ちない。今、空木の言っていることも間違いではないのだろう。しかし。
――五頭龍と弁財天は本当に存在していたんだと思います。確実にこの島には隠された過去がありますよ。……事件の臭いがプンプンするぜ!
ホテルでアマネから聞いた言葉が彼の脳裏を巡る。存在していると決定づけた裏付けについては全く触れてくれなかったが。……仮にその説が正しいとして、この違和感とどう繋げれば良いんだ?
仮説の断片を聞いた際に、「自分でも推理してみてください。当てたらチューしてあげます」と唆されたせいで、本気で考えなければいけなくなった野沢であった。
「この木戸の奥が立ち入り禁止エリアですね?」
次にアマネが目をやったのは、テーブルのさらに奥。そこには腰くらいの高さの傷んだ両開きの木戸があった。木戸の裏手左脇には、黒塗りの先端に北条家の家紋を象った柱が立っている。
「そうです。あの……どれくらいで原因の場所にたどり着けるんでしょうか」
アマネは顎に握り拳を当てて一考した。
「んー。正確には分かりません」
「え、そんな」と、空木が言った辺りで「……ただ」とアマネが言葉を継いだ。
「気配と状況から察するに、とても遠いと思います。霊気や妖気というものは、その魂が持っている力が大きければ大きいほど、気配が色濃くなります。しかしその魂が現在感じている感情によっても気配の濃度が変わってきますので、遠くから正確な距離を把握するのは難しいんです」
野沢が頷いて言った。
「まあ、恨みのこもっている霊の気配がこれだけ稀薄で、泣き声もかすかに聞こえる程度だもんな。こりゃ長旅だ」
空木が不安そうに片手を上げる。
「あのー。長旅ってどれくらい……?」
「んー。憶測ですが、十時間は歩くんじゃないかと思います」
「十時間!?」
彼は急いでジャージのポケットから携帯を取り出して時間を確認した。
「もう夜の二十時ですよ!? 往復したら二十時間。朝八時には守衛とスタッフがここにやってきて見回りを始めるんです。どうやっても間に合わない!」
するとアマネがぬふふと言わんばかりの表情で、カバンから一本の青紐を取り出した。岩屋入り口前の手すりに結んできた赤紐と瓜二つである。よく見ると、端にカラスの姿が刺繍されていた。
「それはなんだい?」
「……」
誰も何も言わない。ムッとしたアマネが、野沢に向けて上向きの掌で手招きしてくる。
「それはなんだい? と、聞く場面だろう。ほら言ってごらんよ」
野沢は自身の眉間にシワが寄ったのを感じたが、時間が押していることには変わり無いので、話に乗ってやることにする。
「……それはなんだい?」
「ん? そんなにこの紐が気になるのかね? ふむ。そうかそうか」
……突っ込むのも面倒なので、黙っておく。
「これは妖具の一つで、比翼の紐という。時間が無いので名前の由来については説明を省くが、簡単に言うとテレポートが出来る紐だ」
「て、てれぽーと」
まさかの発言に空木が目をぱちくりした。
妖具の効力を実感したことない者なら、当然の反応である。
妖具がもたらす影響は、奇妙奇天烈で常識を度外視したものが多い。中には『卵の中身が石ころに変わる』妖具や、『右耳の耳垢が溢れるようになる』妖具といった意味不明なものから、『臓器の位置が入れ替わって即死する』妖具、『寿命を分け与える』妖具といった物騒なものまで存在する。
「この妖具の扱いづらい点は、一方通行ということ。結んだ紐の目の前まで飛べるのは良いんだが、もう片方の紐は手に持っておくほかない。まあ、その他の妖具と比べると扱いやすい部類だがな。……では。とりあえずやってみようか。ここから岩屋入り口までなら、さしたる距離でもないだろう」
そう言って、野沢と空木に自身へと近づくよう手招きをする。
「空木さんは、私の裾に捕まってください」
「で、アッキーとは特別に恋人つーなぎ」
有無を言わさず、アマネが野沢の手を自身の手と絡める。
「お前それ、女子から嫌われるやつだからやめとけ」
彼女はフッと笑うと、青紐を握りしめて言った。
「したい人としたい時に出来ないなら、嫌われて結構! ゆくぞ!」
テレポートは初めての体験だった野沢と空木は身を縮こませて目を瞑った。それはほんの一瞬のことだった。目を瞑った途端、身を包む空気感が一変した。耳には静かな波の音が飛んでくる。
「う、うわぁあぁああ」
空木が実に情けない声を上げた。
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