魂の沈着

「おはよう諸君」

 時界から意識を取り戻し、覚醒した面々の前に現れたのは、いやらしい笑みを浮かべながら葉巻を口にするターバンと、従業員と思われる和服を着た人間が三十人ほど。そして温泉をすっぽりと囲う巨大な鉄格子であった。

 戦慄を覚える一同。……だが、アマネだけは魂を抜かれたように、宙を見つめている。

「君達が時界へと素敵な旅をしている間に、素性を調べさせてもらったよ」

 はっはっはと、ターバンが大きな腹を揺らす。

「世界でも有数の超金持ち財閥“鳴神家”のお嬢様とその専属執事。国家から特別な権限を多く享受した天才科学者“小室明”と、その下で活動する学生諸君。妖術を操る女に、その付き人。……最後の二人に関しては警察庁の友人に調べさせてようやく分かった。妖怪研究事務所なるものの所長らしいな。旅館に忍ばせた隠しカメラで、妖術を使用した場面もバッチリと捉えている」

 そこでパンっと手を叩き合わせてから、体の前に広げる。

「すし――」

 デストロイヤーがミカンの口を尻尾で抑える。

「実に面白い! ここまで珍妙な団体が揃ってお越しになられたのは、初めてだ! ここでそろそろネタバラシをしようか。私の温泉業を支えているのは、等しく過去に一度戻った人間だ。

 国会の重鎮に、警察、多くの大企業、有名弁護士、医者などなど。隠ぺい、口封じ、口減らしをする環境が全て整っているのだよ。……露見するはずもない! 皆、露見させたくない夢の場所なのだからな!」

 アマネが穿つような眼光でターバンを睨みつける。

「で、この牢獄のような真似はなんだ?」

「少し頭を働かせれば分かるだろう。過去に戻ってほしいのだよ」

「ミカン。下がってろ」と、ここでデストロイヤーが動いた。

 デストロイヤーが狼のような咆哮を上げた。瞬く間に彼の体が巨大化し、普通自動車ほどの大きさになった。

「デス。増長安定剤は部屋の中だ。強制縮小装置が作動して身体中が激痛に至るまでの時間はもって三分だぞ」

 小室がデストロイヤーに注意を投げかけた。デストロイヤーが小さく首肯する。

「ほほほほ。これは驚いた! 正真正銘の化け猫とは!」

「笑っていられるのは今のうちだ」

 言いながら、デストロイヤーが鉄格子に向かって猛烈な速度で突進した。

「いいのかね? ミンチになるぞ?」

 ターバンが鉄格子の間に葉巻を持っていき横に振ると、スパッと真っ二つになった。

「デッちゃん行っちゃダメー!」

 それを見たミカンが全身で叫び、デストロイヤーは驚きを満面に表しながら急停止した。

「何年この稼業をやっていると思っているんだね」

 ターバンは二本目の葉巻を口にくわえて火をつける。

「以前に巨体な奴が強引に鉄格子を破壊しようとするケースがあってね。その反省から、鉄格子の間と間にピアノ線と有刺鉄線を張り巡らせるようにしたのさ」

 それから、後方に控える従業員へと仰々しく腕を振った。

「まあ。こいつらの中にも、今の君達のように反抗的な者はいたよ。しかし、いざ過去に戻って成功を味わってしまえば」

 と、彼は言葉を区切り、顔の前で手を九十度曲げる。

「ぽきり。正義などというちゃちな思想は簡単にへし折れるものなのだよ。そりゃあそうさ。過去に戻っても、起こる重要な出来事にはそう大差はない。いわば、同じ映画をもう一度見るのと同じなのだよ。あとは最悪の結末に至るターニングポイントでこれまでの逆を選んでいけば、おのずと幸せを掴めるんだ。実に簡単だろう?」

 天狗の娘は唇を噛んだ。

「答えを知っている問題に正解したところで、真の幸福などあるものか。ただのでくのぼうじゃないか。自分で乗り越えてこその人生だろうが」

「それは本人が決めることだよ。それにまたやり直したくなったら、ここに戻ってくればいいのだ。永久の幸福がここにはある」

「軟派もんが」

「どうとでも言うがいい」

 奴はアマネの言葉に、少し気を悪くしたようだった。

 ターバンが傍らの従業員達に目をやった。すると彼らは機敏な動きで温泉入口まで駆けていった。

「明人!」

 ――刹那。アマネがはちきれんばかりに叫んだ。入口まで駆けていった従業員達が、半裸の野沢を抱えて戻ってくるのを目にしたのだ。

「君の妖術が最も厄介だ。得体が知れない。コイツがいてくれて良かった。……おおっと早まるなよ?」

 今にも飛び掛からんとするアマネを手で制する。

「薄情にも過去を選んだ相方が、無事に転生するには心肺停止を確認する必要がある。おそらく魂が行き交いする際に、ラグのようなものがあるのだろう。――さて。息を引き取る前に命を奪ったらどうなるか。妖術を使うほどの君なら分かるのではないかね?」

 狐の面を被った従業員が、ぬっと現れて彼の喉笛に短刀を当てた。他の者とは違い、黒装束を着ている。手練なのだろう。

「この下衆が……!」


 ターバンの先見は間違っていなかった。

 転生術には『魂の沈着』という概念がある。魂が器を移る際、完全に魂が移りきる前に元の身体がなんらかの問題で故障すると、魂の管が断ち切られてしまい、魂が破損してしまう。永久に“野沢明人”の魂であった人物とは来世でも来来世でも巡り逢うことは無くなる。

「ほほほ。勝負ありだ! さあ、おとなしく眠ってもらおうか! 何もここで命を落とせと言っているわけではない。過去に戻って人生をやり直してくれと言っているのだよ」

「寝言はそれくらいで良いか?」

 ……小さく唸るような声が聞こえた。

 その矢先、猛烈な突風が爆発するように吹き荒れた。

 ターバンとその周りを取り巻いていた数十名ほどの側近が、瞬く間に四方八方へ吹き飛ぶ。地面に突っ伏す者、鉄格子に頭部をぶつけて気絶する者、温泉入口に激突して目を回す者など……一瞬にして戦況が好転した。

「なんだ? いったいなにが起こった……!」

 ターバンは裕福な体も手伝って、その場に膝をついて持ちこたえている。

「おい、早くこっちに来い! お前が近くにいないと妖力が維持出来ねえんだからよ!」

「――っ!」

 束の間、彼女は息を呑んだ。

「はっ! このペテン師が。過去に戻るんじゃなかったのかよ!」

 突風で湯けむりが払われた先に野沢の姿を認めた彼女は、笑顔で悪態をついた。それを聞いて野沢は笑い捨てる。

「うるせえ。帰ってイチゴパフェ食べるんだろ」

「そうだとも! パフェの新天地を探そうぜ!」

 言いながら、アマネは大きく跳躍した。ひとっとびで鉄格子を超えてみせる。軽快な水音を立てて野沢の隣に降り立った。

 野沢の両手から吹き出る突風の風量が安定していく。風による轟音がより一層増した。三十人ほどいた従業員は皆、突風に吹き飛ばされ、あらゆる要因で戦意を喪失している。

 ……だが。強靭な風にさらされながらも、地を這って少しずつ進むターバンの姿に二人はまだ気付かない。

「勝機!」

 要が腰に巻いたフェイスタオルからこぶし大の超小型拳銃を取り出した。真鍮で作られたそれの銃身部分は透明なガラスで作られていて、中で薄紫色の液体が揺れていた。拳銃のフォルムが視界に入ったのか、アズサがキラキラとした目を拳銃に向ける。

「別に私たちの出番はないのではなくて? そもそも小室七つ道具は全て部屋に置いてきちゃったから、ここにいるみんな本領発揮できないわよ」

「んだんだ。天狗様が全部解決してくださるじゃろうて」

 終始、事態を静観していた雪恵と秋義が声を上げた。

「道具が無くても、お二人には特別な素養があるでしょう。――いや、とにかくターバンの動きをよく見てください。早急に手を打つべきかと」

「んん? 二人に恐れをなして逃げようとしているようにしか見えねえけど」と、目を眇める秋義。

「おーい! お二人さーん! ターバンがこそこそと逃げようとしてますわよー!」

 大声で手を振る雪恵に、「お嬢、無駄ですよ。あの強烈な暴風の中心にいては生半可の音では届かない」と要が首を横に振る。

 さらに騒ぎを聞きつけたのか、続々と温泉入口から現れては吹き飛んでいく応援部隊の処理に意識を削がれていることを察した雪恵は、ぴょんぴょんふんぬふんぬと飛び跳ねることもやめた。

「ターバンの向かう先には竹垣があります。アズサさんの超人的な視力であれば、竹垣に何らかの仕掛けがあるかどうか分かると思うのですが、いかがです?」

「仕掛けなんかあるか?」

 言いながら再び目を眇める秋義の横で、アズサも同様に焦点を定めた。眉間に皺を寄せて目を細める人間が並ぶその様は非常にシュールである。

「……小さなボタン。収束型…衛星マイクロ…レーザー」

 秋義はそれを聞くやいなや、目を丸くしてシュバッと小室に向き直った。

「小室の旦那! つまりどういうことでござんすか!」

 まあ。と、小室が腕を組む。

「威力の程度にもよるが、高出力ならばものの数秒で目が溶ける。それから脳みそと内臓がドロドロに溶けるのに合わせて、穴という穴から水分と血液と尿と糞が吹き出すだろうな」

 うわああああ! と、秋義が頭を掻きむしった。

「やべえじゃねえか! まあ。じゃないよ! なんでそんな物騒なもんがあんのよ!?」

「落ち着いてください。策はあります」

 要が秋義の肩に手を置く。これまたシュバッと要に顔を向ける秋義。

「策ってなによ!?」

「これを使います。一か八かですが」

 要は先ほど取り出した真鍮式の銃を持ち上げた。ちゃぷんとガラスの筒の中で紫色の液体が揺れる。……よく見ると回転式の銃らしく、緑色の液体と赤色の液体がそれぞれ入ったガラスの筒が見えた。三つの筒を回転させて、中身の液体を打ち込める仕様のようだ。

 小室がふふんと鼻を鳴らした。

「臨床試験中の超硬化剤、超高速化剤、超筋力増強剤だな。某有名ドラゴンハントゲームで使用できるボウガンからヒントを得たサポートアイテムだ。即効性が魅力でな、着弾から二秒後に効果が現れる」

「めっちゃかっけえ」

 目を輝かせる秋義の隣で、ふんふんと首を縦に振るアズサ。

「まあ。効果は一秒で切れるけどな。この状況ではどう考えても閃光手榴弾や音響手榴弾の方が優秀」

 途端に目の輝きを失う高校生カップル。

「この生きるか死ぬかの極限状態で、みんなよく落ち着いてられるわね」と、雪恵が溜息を吐いた。

「さあ、事態は急を要します。手筈をお話ししますので集中して聞いてください。……デストロイヤー! あなたもこちらへ」

 要が片手を大きく上げた。

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