どろろんサウンドサイキッカー
クズも歩けば棒にあたる
小さくもなく、大きくもなく。豆腐屋のラッパと穏やかな涼風が町並みを抜けていく下町「友人町」。季節は正月風景が未だに町並みで息づいている一月上旬である。
そんな古き良き町のパチンコ屋から抜け出してきた男が一人……野沢明人。
「今日もスッちまった。あと三週間をどう暮らしていけってんだ。クソ。ああ、背中が重い」
野沢は髪を汗でべたつかせ、無精ひげをぼうぼうに生やしていた。一見すれば浮浪者と間違えてもおかしくない容姿である。
ふと、彼は空を見上げて一言呟く。
「なんか上手い話……転がってねえかなあ」
「ヘイ! そんなことをお思いのそこのアナタ! ヘイ!」
野沢は空から視線を戻すと、口をぽかんと開けた。目の前で黒髪ロングの女性――山吹アマネが、コサックダンスを踊っていたのだ。
「そこのアナタだよ! アナタ!」
アマネはそう言いながら、野沢に顔を向けている。汗を猛烈にかきながらも、コサックダンスをやめる気配はない。路上ライブでもなんでもない。ただただ道の真ん中で、コサックダンスを踊り続けている彼女は頭がイカレているとしか言いようがなかった。
「あの、その、大丈夫です」
たった半日で十万負けたことなど、あっという間に男の頭からは吹き飛び、目の前の状況から逃げ去る方法を考えることだけに脳がフル回転していた。
「あ、このダンスですか? 外でアナタをぼーっと六時間ほど待っていたら、体が冷えてきちゃいまして! なので踊ってみたら楽しくなっちゃいまして! 身体も暖まるし、一石二鳥! みたいな!」
頭がおかしい。
「あ……そうですか。じゃあ俺はこのへんで」
咄嗟に後ろに振り返って、彼女から離れる。自然に、落ち着いた足取りを意識して。慎重に、慎重に。
「いやいや! ですからアナタに用事あるんですってば!」
後方から大声が飛んできた。
「お待ちくださいな!」
「こ、こっちに来るなあ!」
声が徐々に近づいてくるのを感じて、野沢は猛ダッシュを決めた。
「待ってくださいと言ってるのに、逃げるとは。人の風上にも置けませんぜ?」
猛ダッシュを決めているにも関わらず、彼女は涼しい顔で並走してきた。
「ど、どうなってやがる!」
足の速さで劣っているのならまだ分かる。だが、息を微塵も切らしていないっつうのはどういうことだ!?
三分ほどの疾走の末、野沢は体力の限界に達した。チーターに追いかけ回され、やがて抵抗もなくエサとなるガゼルもこういう気持ちなのだろうか。
と、今朝見た番組『超獣伝』の内容を頭の片隅で思い返す。
野沢はついに逃げることを諦めて、手に膝を付いた。
「分かった、分かったからちょっと待ってくれ」
「もちろんでごぜえやす」
アマネは野沢の息が整うのを静かに待った。
息を整え、改めて彼女の姿をはっきりと見た野沢。ここでようやくアマネがとてつもない美人であることに気付いた。
吊り目がちの猫のように大きな目。透き通ったきめ細かい肌。整った鼻筋。純白のワンピースにキャメル色の肩掛けカバン。精巧に作られた人形を見ているようだった。
野沢は一瞬で、アマネという女性に魅了された。
めちゃくちゃかわいいぞコイツ。
そう心中で呟くが、四十にもなって女性経験ゼロの男には、口説く勇気など到底湧くこともなく。にへらと相手を見てニヤニヤするばかりである。
アマネは卑しい彼の笑みを意にも介さず、涼しい顔のまま彼を真っ直ぐ見据えた。
「で、本題なんですが。私の仕事の手伝いをしていただけませんか? もちろんタダとは言いません」
言いながら、片手にぶら下げていたキャリーバックを両腕に乗せてパカりと開く。すると中から福沢諭吉の大群が顔を表した。
「手付金として、一千万差し上げます」
こんなにド直球の怪しい勧誘は初めてである。野沢は我に返り、目を丸くして言った。
「い、一千万だなんて、そんな上手い話あるわけねえだろう!? あれだろう、美人局だろう! それか怪しい薬物実験か!」
野沢は動揺しつつも、その金額に魅力を感じていた。
一千万もあれば、人生をもう一度やり直せる。へし折られた夢も、別の形で残すことが出来るかもしれない。
ぎゃんぎゃん吠える野沢を、アマネは微笑みながら静かに見つめていた。
……やがて、息を切らした野沢が改めてアマネに問う。
「なんで……俺なんだ?」
彼女がにっこりと笑う。
「あの時、約束したじゃないですか」
「はぁ?」
野沢がたじろぐのをよそに、アマネはシュバッと右手を差し出した。
「私、山吹アマネ! 妖怪研究家やってます。どうぞよろしくぅ!」
彼女は一向に手を差し出さない野沢の右手を掴み取る。それから左手で肩掛けカバンを漁り、青色のキャスケット棒を取り出した。目元まで深々とかぶり、ニヤリと笑う。
「これでお気づきになりますか?」
「あ……お、お前は」
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