山吹アマネの妖怪道中記

上坂 涼

プロローグ

天狗女とクズ男

レトロな振り子時計が十九時を差した。ぼーんぼーんという哀愁漂う音が六回響く。

「おい、アマネ。夜飯食いに行くぞ」

「んーん……もうちょっと」

 茶色を基調として、温色系と冷色系があちこちに散らばる妖怪研究事務所。清潔で無機質な『研究所』というイメージとは程遠く、むしろ考古学者の根城と表現した方が正しいかもしれない。


 この部屋の主は片付けられない質の人間で、助手が整理するまで部屋は散乱の一途を辿っていく。小説、マンガ、歴史書、専門書、旅行ガイドブック、男性向け成人誌といったありとあらゆる書物から、脱ぎ散らかした洋服類、食べ散らかしたインスタント食品、空のペットボトルまで。なんでもかんでも散らかしたままにしている。まさに傍若無人を絵に描いたような女性だった。


 入り口扉から正面突き当りにデンと置かれた木製の書斎机では、例の部屋の主である妖怪研究家の山吹(やまぶき)アマネが、机に置いた枕に顔を突っ伏していた。イラストでよく見かけるようなウサギの顔の形をした枕が、ヨダレでデロデロになっている。

「アマネ、起きろ。先に行っちまうぞ」

「そんな御無体なー」

 彼女は気の抜けた声を発しながら、枕に顔をすりつける。西日に照らされた濡羽色の黒髪が動きに合わせてキラキラと輝く。ゆさゆさと背中で揺れる髪は、別の生き物のようだ。


 彼女の相棒であり、助手の野沢(のざわ)明人(あきと)はポリポリと顔を掻いた。

「おい――」

 と、すこやかな寝息が野沢の耳に届いた。彼はしばらくその場で彼女を見下ろしていたが、やがて書斎机の向かいに椅子を引き寄せ、彼女の正面に座った。机に頬杖を突き、彼女をまじまじと見つめる。

 寝顔だけ見ると、ただの美少女なんだけどな。

「いや、美少女って年じゃねえか」

 くくっと笑う。野沢はアマネが目を覚ますのを待つことにした。


 ……それにしても。この半年でここまで人生が変わるとは思わなかった。ゴミのような生活をしていた日々が遠く感じる。

 そうだ。コイツが起きるまでの間、これまでの出来事を整理してみようか。彼女の目的を達成するヒントが落ちているかもしれない。


 さて。どこから振り返ろう。コイツと出逢った時か、俺が女になった時か……いや、やはりまずは出逢った時からだな。

 ――江ノ島に隠された巫女と五頭龍の悲しい物語を振り返るのも良いが。順序良く行こう。

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