第5話 奴隷解放はリンカーンの功績か?

 奴隷制度の廃止はリンカーンの功績だったとされ、南北戦争は奴隷解放が目的だったと評する歴史解説書さえ存在する。


 はたして正しい解釈だろうか?


 若い時代のリンカーンは奴隷制度の廃止論ではなく、ミシシッピー川西側の西部州に奴隷制が拡大することに反対していたにすぎなかった。

 父親が奴隷制に批判的だったことは事実だが、一家が奴隷制を禁じるオハイオ川の北に移住した真の理由は、当時のケンタッキー地方で多発した土地の重複登記による紛争にリンカーン一家も巻き込まれて、それに嫌気がさしたからであった。奴隷制から逃れたというのは後の作り話と考えるべきだ。

 また、リンカーンが幼少時に自宅の丸太小屋が面した街道を鎖に繋がれて運ばれる奴隷を見て奴隷制廃止を信念に抱いたとするのも誇張のようだ。リンカーンは黒人は白人と共存できないとも公の場で発言し、黒人だけの植民地を設けることも提言している。リンカーンは中米がその適地と考えていた。西部における原住民と白人の対立では原住民を護る対策は皆無で、リンカーンといえでも時代の落し子で白人至上主義には変わりがなかった。


 政治家のリンカーンが奴隷制に言及した最初の記録は、イリノイ州下院議員だった一八三七年三月三日の州議会における「奴隷制は不公正で劣悪」と批判したスピーチだった。リンカーンが二十八歳の時だ。

 一八四六年に連邦下院議員に選出され一期二年間をワシントンで過ごした。この際も奴隷制廃止論を積極的に推すことをしていない。任期の後半になって、南部の奴隷を国が買上げる法案の提出を周囲に打診したことがあった。しかし、北部州が財源拠出に賛成する可能性はない、また、南部も全面的な奴隷制廃止への布石と考えて賛同するはずはない、と先輩議員たちに諭されている。経験のなさを痛感したリンカーンは、二年間の任期を終えた後は弁護士業に専念し、奴隷制度への発言を控えている。


 リンカーンが本格的に奴隷制の是非を議論したのは、大統領に選出される二年前だった一八五八年の連邦上院議員選挙の際であった。奴隷制の是非は西部州の裁量に任せるという伝統的な州権主義を唱えた民主党で現職のスティーブン・ダグラス上院議員を相手に、共和党の前身であるウィッグ党候補のリンカーンが、州の裁量に任せることは奴隷制の拡散になると批判した(ところで、このダグラス上院議員はリンカーン夫人のメアリーが独身時代にデートを重ねた相手だった。伴侶に選ばれなかったその恨みが理由でメアリーがリンカーンを対抗馬に推したとする説がある)。

 この論争はイリノイ州内だけでなく全米からも注目され、選挙では敗退したものの、それまでは無名に近かったリンカーンの名が州外にも広く知られるきっかけになった。

 この当時のスピーチの大半が残されている。それらの演説内容から、リンカーンが由緒ある民主党に対抗して新進のウィッグ党への支持を拡大するために、奴隷制の議論を両者の相違点を鮮明に打ち出すために利用した形跡が濃厚である。

 州が連邦に優先する独立以来の米国の伝統的な州権主義が民主党のバックボーンであった。その民主党を打倒するためには、伝統の州権主義を否定して強力な連邦政府が指導権を握る中央集権への転換を訴える必要があった。

 リンカーンは奴隷制廃止を州権主義を掲げたままの対立相手を切り崩す戦略に利用したと考えるのが妥当と思われる。


 この背景には当時の米国の事情がある。十九世紀前半の米国経済はアップダウンが激しく定期的に恐慌に襲われて失業者を生んだ。それに欧州からの移民のほとんどがプランテーション経済の南部を避けて北部に定住したために、北部は大量の失業者対策に追われている。北部都市にとっては、開発途上の西部は失業者の受け皿と考えられた。西部は小規模な自作農の移転先でもあった。

 そこに労働力を土地に固定した奴隷制に依存するプランテーション経済を推し進める南部の豪農が進出することは、北部にとっては政治経済両面で不利な状態をもたらすことになる。それが北部が奴隷制度の西部への拡大に反対した理由であった。

 ウィッグ党は高度成長路線をその政策に掲げた。その後継となった新生共和党が政権を手にするためにはこの北部の支持を取り込む必要があった。一八六〇年の大統領選挙は、このような時代背景を巧妙に利用して、民主党内での南北間の分裂を生み、北部州の大半を抱き込んだ共和党の戦略が功を奏した結果であった。

 奴隷制是非の論議を道具に支持基盤を拡大したリンカーンの思惑通りにことが運んだことになる。政治家リンカーンは、新進共和党が政権を獲得するための道具に奴隷制度の是非を巡る議論を活用した、時代を先取りする強かな政治家センスを持ち合わせていたのだ。リンカーンはこの面で高く評価されるべきであろう。

 その後の歴史は、土地に縛られることなく自由に流通する労働力や奴隷に依存せず機械化を進める大規模農業が十九世紀後半の大西部開拓に寄与し、それが二十世紀に世界最大の経済を生む要因になったことを我々に伝えている。


 次回は史上最大の功績とさえ評されるリンカーンによる奴隷解放宣言にまつわる神話を取り上げよう。

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