第4話 縁者の大半が票を投じなかった大統領選挙

 一八六〇年十一月、リンカーンは第十六代大統領に選出された。

 すでに南北の対立が激化していた米国ではこの大統領選挙にリンカーンを含めた四人もの候補者が名乗り出て歴史上でも際立った激戦となった。現在のような予備選挙制度が一部の州で採用されたのは一九一〇年以降のことで、一八六〇年の大統領選挙は各党が党大会で候補者を選ぶ方式だった。民主党は南北に分裂した党大会を開き、それぞれが候補者を擁立したために、イリノイ州から上院議員のダグラスを、ケンタッキー州から現職のブレッキンリッジ副大統領のふたりの候補者を出した。


 一般投票の結果は次のようになっている。

リンカーン (共和党所属、奴隷制の西部への拡大に反対)1,866,452票

ダグラス (民主党主流派、奴隷制の是非は州民が決定すべきが公約)1,376,957票

ブレッキンリッジ (現職の副大統領、民主党急進派で南部連合の独立を主張)849,781票

ベル (南部テネシー州出身ながら南部の連邦離脱に反対する第3党)588,879票


 このように民主党内の分裂が票を分散することになり、得票数が全投票の四十%にすぎないリンカーンが最多票を獲得する結果となったのだ。リンカーンは北部ではニュージャージー州を除く全州で最多の票を集めたものの、南部では全敗だった。

 注目すべきは公式には最終結果とみなされる州選挙人の票数で、リンカーンが百八十票、ブレッキンリッジ七十二、ベル三十九、ダグラス十二だった。ここではリンカーンが圧倒的な勝利を収めた。

 一般投票の際に各州で最高票を獲得するとその州の選挙人のすべてを得るこの制度のために、一般票では二位だったダグラスが十二票の選挙人しか得ていない。民主党が南北双方で薄く広範囲に票を獲得したためで、多くの死票を生んだ。

 それに反して、リンカーンは有権者数が多く選挙人数も多い北部でほぼ完勝であった。仮に民主党が結束して一般投票で過半を制しても選挙人数では敗退したことが確実だ。これは二〇一六年の大統領選挙で、クリントンが一般投票ではトランプを上回っていたにもかかわらず選挙人数の差で敗退した例を更に極端にした、選挙人制度の特徴を語る結果である。

 一八六〇年の選挙結果は当時の南北間の対立を鮮明に反映しており、選挙人数では勝ち目が無い南部が連邦からの離脱を画策するのはごく自然のことで、南北戦争は必至だった。


 このように大統領に選出されたリンカーンだったが、夫妻が出生地のケンタッキー州では驚くべき惨敗だった。

 獲得票数を報じた新聞記事によれば、リンカーンを含めた四人の候補者にケ州有権者が投じた票がおよそ十五万五千票で、内、リンカーンの獲得票は一%にも満たないわずかの千三百四十六票であった。

 大統領生誕地の郡でも八百八十六票中わずかの三票だけだった。一家がその地を離れて久しいとはいえ、住民がこぞって反リンカーンだったことになる。

 親戚が住んでいたその隣の郡でも二千百九十一票中六票に過ぎない。リンカーン夫人は州中部のレキシントンの有力者の娘だったが、その郡でも二千五百六十六票中五票に留まった。夫妻の身内の大半がリンカーンに票を投じなかったことになる。

 南北戦争勃発時には中立宣言をし、その後は北部政府支持に回ったものの奴隷制を維持するケンタッキー州が終始リンカーン政権には批判的だったことを象徴する投票結果になっている。


 ケンタッキー州の置かれた微妙な立場を象徴するもうひとつが、全員が南軍に従軍したメアリー夫人の兄弟たちだ。実の弟が南軍軍医に、異母兄弟のふたりはテネシー州シャイロとルイジアナ州バトンリュージュでの戦闘で戦死している。同じく南軍に志願した妹の夫もテネシー州チャタヌガの戦闘で戦死し、もうひとりの異母兄弟が負傷している。

 戦死した異母兄弟のひとりは士官学校卒で戦前の連邦軍では将来が嘱望された評判の軍人であった。そのためリンカーンがホワイトハウスまで呼び寄せて説得している。それにもかかわらず南軍に従軍した。

 暗殺された大統領の遺体が首都からイリノイ州のスプリングフィールドまで列車で各地を巡回して運ばれた。沿線は見送る民衆で埋め尽くされたが、ケンタッキー州では冷ややかな反応だった。

 イリノイ州が「Land of Lincoln」のニックネームを持ち、生誕州のケンタッキーが無冠なのはこのような当時の事情がなせる結果である。生誕地に近い州を縦断するルート六五を「Lincoln Highway」とケンタッキー州が名付けたのは、リンカーン像が神格化した二十世紀も後半のことであった。


 大恐慌時に大統領に就任した民主党選出のフランクリン・ルーズベルトはニューディール政策を掲げて、それまでの小さな政府から大きな政府に民主党の政策を大転換した。そのため、共和党はリンカーン以来の大きな政府策からの転換を強いられ、その逆転が今に続いている。 

 解放奴隷たちは奴隷解放を進めた共和党を当然のことながら支持した。しかしこの大転換があったことから、今日では黒人の八割が、十九世紀には奴隷制を擁護した民主党を支持しているのだ。

 したがって十九世紀に民主党の基盤だったケンタッキー州も支持政党を変更すべきだったが、奇妙なことにその後も民主党を支持し続けて、共和党が過半を占めるようになるのは二十世紀末のことであった。

 政治に対する見方が筆者よりも更に保守的でありながら民主党支持者として有権者台帳に登録された住民が多い。二〇一六年の大統領選挙ではこれらの民主党支持者であるはずの有権者が共和党選出のトランプに票を投じている。


 アパラチヤ山系に位置するかってのバージニア州西部は、北欧のバイキングを先祖に持つスコッチ・アイリッシュ系の小規模な農業や牧畜業、林業に携わる白人住民が住む。プランテーション主にアングロ・サクソン系の多い大西洋に面したバージニア州の東部とは人種的にも地勢的にも異なる。

 南北戦争が起きた一八六一年に、その州西部の住民が住民投票によってバージニア州からの離脱を決定し、戦時中の一八六三年にウェスト・バージニア州として独立し今日に至っている。

 アングロ・サクソンとは人種が異なる西部が、奴隷制を維持するアングロ・サクソンが多いバージニア州指導層への恭順を嫌ったからである。それはリンカーン政権が裏で画策した結果でもあり、アングロ・サクソン系でありながらそれを進めた政治家としてのリンカーンの強かさが出ている。

 


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