第2話 リンカーンの実母と継母
リンカーンがしばしば回顧している生母のナンシー・ハンクスの血筋は錯綜し諸説があって統一した説が存在しない。戸籍制度が存在しない米国では、日本のように戸籍簿を利用して祖先を突きとめる手段に欠ける。もうひとつの要因は、アングロ・サクソンの間では生まれた娘に母や祖母の名を与えるのが伝統だったことから、血縁に同じファースト・ネームの女性が何人も存在したことがある。
現在最も信頼できる説によると、ナンシーはバージニア植民地からケンタッキーに移住したシプレイ一家の一員で、移住時期は一七八五年から一七八九年の間とされる。母親に当るルーシー・シプレイがハンクス家の男性と結婚したものの、この夫が死去したため、未亡人になったルーシーが一七九一年に再婚。そのため、ハンクス名の娘のナンシーはその後は母親の生家であるシプレイ一家と行動を共にしていたと考えられる(注:このShipleyなる姓は筆者の住むケンタッキー州南部の電話帳に二軒記載されている。このアングロ・サクソン人に見られる名の起原は、英国の羊飼いが元々の身分とされる)。
大統領の姉の名はサラで、ハンクス一族にはサラ名の女性が存在しないのに対して、シプレイ家にはサラ名の女性が存在することがこの説の根拠になっている。このハンクス家の末裔が、アカデミー賞受賞の大物俳優として日本でも知られるトム・ハンクスである。トム・ハンクスがリンカーン記念公園に寄付をしていることが知られている。
ナンシー・ハンクスが大統領の父親であるトマス・リンカーンと結婚したのは一八〇六年六月とされるが、他説に一八〇九年との説もある。最初の娘で大統領の姉であるサラの誕生は一八〇七年二月のため、一八〇九年説を唱える者は、サラが誕生時にはトマス・リンカーンとナンシー・ハンクスは未婚だったとする根拠にあげている。
当時の考えでは未婚の男女の間に生まれた子供は「born out of wedlock」と呼ばれ、妾出として忌み嫌われていた。
リンカーンが大統領に選出される直前に新聞記者の依頼にこたえて半生を伝えている。その中に両親には未婚の時期が存在したことを示唆する言があり、これが一八〇九年説が出現する根拠になっている。今日では、一八〇九年説は別人のナンシー某と混同したためとされるが、大統領もこの説を信じ込んでいた可能性がある。
大統領は目前や将来の事柄に熱心な反面、過去の回顧に無頓着な傾向が強く、父親が極貧だったとする説やこの両親の不倫説が横行するのは大統領のそのような態度から出たものとも考えられる。
また、「Honest Abe」と呼ばれた大統領は正直者の評判が高かったことは事実だが、リンカーンの言動の背後に血が通った人間臭い思惑が働いた気配も軽視できない。
当時の米国では鉄道建設が盛んで、ミシシッピー川にも鉄橋が出現している。河川輸送の大動脈であるミシシッピー川では大型の艀が使用され、今日でも時折報じられる艀が橋げたと衝突する事件が続いた。そのため船会社と鉄橋を管理する鉄道会社の間で損害賠償を求める訴訟が起きている。
リンカーンは時には艀会社を、ある時には鉄道会社を弁護し、大手のイリノイ鉄道会社を弁護し勝訴したケースでは五千ドルもの弁護料を請求している。
その当時のリンカーンの年棒に相当する額になる。高額の手数料もさることながら、相反するケースで百八十度異なる議論を展開することにリンカーンが躊躇したり矛盾を抱いた形跡がない。
正直者ではあるものの、リンカーンには常人の感覚を越える冷徹な割切りがあるといえる。流布する極貧の出や両親の教養の無さを語る不倫説を否定していないのは、アメリカン・ドリーム実現を強調することが無名の政治家にとって有利に働くとする思惑が働いたからではないだろうか。
このリンカーンは慕った生母のナンシーはトマス・リンカーン一家がオハイオ川を渡ってインディアナ州南部に移住した後の一八一八年十月に、毒草を食べた牛のミルクが原因で死去した。当時は同じような事故が頻繁に起きていた。大統領が九歳の時であった。
幼いふたりの子供を抱えるトマス・リンカーンは、ケンタッキー州エリザベスタウン生まれの幼馴染で、夫がその直前にコレラで死去し未亡人になっていたサラ・ジョンストンと一八一九年に再婚した。
リンカーンと姉のサラにとっては継母となったサラ・リンカーンは、三人の自らの子供以上に大統領とサラを可愛がり、大統領は生母と共に好意的に回顧している。
薄給の郡の看守でその上借金を抱えていた前夫の死後にその借金を返済するほど私財を蓄えたサラは、それまでトマスが持つこともなかった書籍や家具を持参し、大統領にも読書を奨めるなど後の人格形成に大きな影響を及ぼしている。
リンカーンの駄洒落好きは後世にも伝わっているが、サラがジョークで悩みを吹き飛ばしてしまう明るい性格だったことから受けた影響といわれる。
大統領に選出され首都に向かった一八六一年一月に、途中でインディアナ州に住む七十三歳になっていたサラを訪れている。祝福ムードのなかでサラが「大統領などに選ばれなかったら良かったのに」としきりに嘆いたそうだ。
虫の知らせだったのか、四年後の暗殺を予感したのだろうと後々まで語り継がれている。
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