第3話 館内

で。おれが一体何処に出かけるのかというと。

 あの長い坂を上がっていくと、街の中央に、大きな教会のような、塔のような市庁舎が存在する。奇妙な曲線で表面に装飾が施されている『時計台』部分と、その上にある四本の塔が特徴的だ。表面には幾何学模様、それから天使(のようなもの)や人間のレリーフがあり、時計台部分にはその名の通り巨大な時計がはめ込まれている。また塔の円錐部分に90度ごとにまるで人間の脊柱のような構造が存在する。 まあ、簡単に表現を行うと、市庁舎というにしては大変に華美だ。執拗とも言って良い装飾が行われている。『時計台』部分だけでも四階あって、非常に大きい。図書館や市役所や教会もかねているからだろうか。さらに信じられないことに、一部ではまだ改増築が続けられているというのだ。正直もういいだろうと思わなくも無いが。

おれは、この市庁舎で司書のような仕事をして、日銭をもらっているのだ。司書としての役割はその専門のAIのほうが余程優秀なので、やらせてもらっているという表現が一番近いだろう。2階から4階はフロアまるまる図書館になっていて、大量の書架に大量の本が入っている。さらに、別の場所にある蔵書室にも貸し出し可能な書籍が大量に納められているため、凄まじいとしか言いようが無い蔵書量になってしまっている。毎日沢山のAIたちが利用するこの図書館は、本の入れ替わりが激しい。それを整頓していったり、貸し借りの処理を行うのが仕事だ。新しい本の入荷はほぼ無い。時々物書きが新しい本を書いては公開するのであるが、それもそんなに頻繁ではなく、この巨大な蔵書量に比べれば微々たる物だ。

2階のカウンターを抜けて司書室に入ると、一人司書がいた。

「ああ、貴方ですか……どうしましたそんな顔をして。遅刻などしていませんよ」

彼はダニエル・リーブという名前で、僕の指導と、指示を行うAIである。風貌は若い男であるのだが、眼光が鋭くて、かけた銀縁眼鏡、硬い敬語とも相まって非常に厳しそうに見える。実際、彼は職務に対してはしっかり厳しいのであるが、それ以外の点では寧ろ気さくといっても良いほどであることに最近漸く気が付き始めた。ただ、おれの場合は小心者なので、彼を前にすると何もしていないのにどうにも後ろめたい感じがしてしまうのである。

「いえ……今日は何を?」

「今日はいつもの通りU-5の書架の整理と、午後からは3階の貸し出しカウンターの番を行ってもらいます。直ぐに着替えてくるように」

この司書の仕事には、制服、というかドレスコードのようなものが存在する。黒っぽい清潔な衣装に着替え、司書であることを表すタグを首からかけるのだ。おれの場合は特別に彼が用意してくれた服を使っている。破れほつれの修繕、洗濯等は自分で行うようにとのことだ。

図書館は、内部は吹き抜けになっていて、4階の天井のアーチがよく見える。この市庁舎を教会と呼ぶものも多いというのが頷けるつくりだ。床は大理石のような質感の床であり、所々にモザイクで文様が描かれている。そこから楕円形をした柱が生えている。それは天井に着くまでに少しだけ内側に向かって反っており、上に向かって伸びる巨大な肋骨のようで美しい。そして、天井にはフレスコ画風のタッチで大きな絵が描かれている。4階部分には巨大な機織が掛けられており、下からも十分にその模様が観察できるほど大きい。なにやら特別な塗料が使われているのか、照明の灯を吸って微かに煌く。あたりを見渡すと、同じように黒っぽい服を着てタグをつけた人物が動き回っている。おれが声をかけると、いつもと全く同じ調子で返してきた。

「こんにちは。今日もよろしくお願いします」

彼は、いや彼らは、誰に対してもこの調子なのだ。下位AIというやつで、人間に見えるという意味では人格もどきは存在しているが、個性と知性があるかどうかはちょっと怪しい。ある一定の応答パターンを極めて複雑にしたものを搭載しているものの、自分で判断して創造性を生み出すという意味で中位以上のAIのような知性を持っているかどうかは分からない。まあおれはそういった基準が何処にあるのか知らないから、何をか言わんという話ではあるが。ロボットといえば一番近いだろうか。周囲には目の前にいる人物と全く同じ顔をした人物、フードに顔こそ隠されているが、其処から除く目鼻立ちは全く同じである、が動き回っている。これもほぼ同じ反応を返すのである。

「お早うございます。今日は天気が良いみたいですね」

われながらなんという教科書じみた会話だとは思うが、こんな感じの会話でないと彼らは理解できないというのも実際のところである。

「はい。今日の天気は午前午後ともに快晴、雲は圏雲がかかるのみ。最低気温20度、最高気温23度です」

これで一セット。他の会話は介在しない。固定応答プログラムに近いかもしれない。図書館の司書というにはずいぶん色気の無い有様だが、これでよいのだ。彼らの本懐は、図書の検索にある。つまり、彼らの一体一体が図書データベースになっているということだ。ダニエル氏の受け売りではあるが。この下位AIでも、図書室にある膨大な量の本の一冊一冊の内容全てが記憶され、それを検索することができるということだ。だから、やってきた人物が何を読みたいのか、かなり曖昧に頼んだとしてもかなり正確な書籍を持ってくることができる。この点、おれは本の内容なんかちっとも頭に入ってないから、これらの指令があるままに本を探してくるだけだ。一部の人からは図書館ではたらく数寄物扱いされている。まあ普通に考えてこの司書たちのほうがよっぽど早い。この辺はAIの元々持っている機能の差であって、決しておれの実務能力が劣っている訳ではない……と信じたい。余り役に立たなくとも給金をもらえるのは有り難いことだが。

「失礼。これをU-2へ」

こんな風に、司書たちはおれにも本を戻すのを頼んできたりする。タグで識別しているのだ。おれは彼らと情報を共有していないから、こういうときはちゃんとやらないと混乱が起きたりする。おれなんぞ雇わない方が余程正確だろう。しかも、司書の人数は基本的に足りている。ではなぜ、おれがこの職を得ることができたのかというと、ある人物のおかげだったりする。


『司書番号0073の係員へ連絡します。館長がお呼びですので至急館長室までご来足願います』

 おれがそう考えていると、唐突にアナウンスが響いた。0073、自分の番号だ。番号で呼ばれるのはどうかとも思わなくも無いが、よく考えてみるとこの0073がおれの司書としての名前であるから、まあ名前で呼ばれるのとそう変わらない。これは、ダニエル氏ですら例外ではないから、要は皆同じだということだ。

書架の間を潜り抜けて、3階から4階へと上る。階段というのは、螺旋階段が据えつけてあって、図書館の壁に埋め込まれるようにしてある。これも石でできていて、金属の滑り止めが端に貼り付けてある。元はこれも美しいゴールドだったに違いないが、何人もの人間に踏まれた結果色はくすみ、角ばったエッジが立っていたであろう滑り止め部分も磨耗して殆ど真っ平になっている。もはや滑り止めとしての役割を果たしていない。まあこれについては実のところ実証済みである。何を隠そうこの自分こそが雨にぬれた靴で不用意にこの階段を歩いたところつるっと逝きかけたのだ。幸い階段を上る時は必ず手すりを持つ癖があるせいで転倒は免れたが。流石にこの硬い石造りの段で頭を打ってしまえば怪我どころでは済まされないだろう。

 階段を上がれば、館長室がある。3メートルはあろうかという金属の扉が付いているのだ。真っ黒でまるで金庫のように頑丈な扉で、ご丁寧に表面には密閉のためのハンドルやダイヤルやらが付いている。この扉だけが図書館の宮殿じみた印象から乖離しており、ここだけ設計した人物が違うんじゃないかと疑ってしまうほどである。どうやらおれが来たのを感知したのか、扉がゆっくりと開き始めた。表面のダイヤルやハンドルが勝手に回転して、奥に向かって扉が開いていく。そして、おれの目に入ってきたのは、箱のような書架で埋め尽くされた壁面と、奥に据えつけられた巨大な木製のデスク、そして一番奥の……壁一枚が丸ごとクリスタルガラスになった水槽だった。

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