桜
清水優輝
第1話
シャワーを浴びているときに、ふと鏡に映る自分の胸と目が合った。おっぱいは上を向いていた。
爪や瞼、足やお腹はよく観察をして色を足し潤いを与えるから、それらがどのような形状をしてどんな特徴を持つかはっきりと言える。私の足は乾燥しがちですぐに発疹ができ、お腹はぶよぶよとしているけれどくびれている。小さい爪には濃い色は似合わず、一重の瞼もまた派手なラメを拒む。
では、胸は。私の胸はどんな様子だろうか。
たぶん、私よりも私を抱いた男の方がそれに詳しい。私は自分の胸を好きなときに触れるが、舐めたり顔をうずめたりすることはできない。ブラジャーを購入する際に、店員の女性にサイズを計測して頂いたが、そのときも数字でしか分からない。そして、普段胸は露出されることがない。常にブラジャーの中で身を隠している。私が自分の胸と思っているものは、自分の胸の上に下着が覆われた状態のものだろう。他人の胸は見る機会がある。旅行先で大浴場に入るとき、小さな子供を連れたお母さんの胸が視界に入る。子を育てた軌跡が見える勇ましい胸だ。また、観光ツアーで遊びにきたと思われる老齢女性の乳房を見ることもある。年輪を重ねた樹のような胸。私はそれらを見るときに、ああはなりたくないと思う。それが正直なところだ。
だが、自分の裸の胸を意識的に観察したことがこれまでなかったように思われる。私は今、はじめておっぱいと対面していた。
きれいでもなんでもない、よくある胸だ。これに欲情することも不快さを覚えることもない。つんと乳首が立っている。これに触れると「気持ちがよくなる」のは私だけじゃないらしいが、なかなか変な形をしているしグロテスクでもありユーモラスなようにも思えた。胸、心臓があり肺があり肋骨があり筋肉がありその上に不自然に貯えられた脂肪の塊、おっぱい。私のはちょっとだけ大きい。でも言うほど大きくはない。
そんな私の胸が上を向いているのだった。一般的な表現では張りがあると言われる状態であろうか、おっぱいは背筋を伸ばして静かにそこにいた。
「あと、どれだけこの胸を見られるだろうか」と思わず呟いた。「ながむべき残りの春をかぞふれば花とともにも散る涙かな」を詠むほどの切実さをもって私は自分の胸を見つめていた。この先、何回桜を見られるか分からない。命は儚く、花もまたすぐに散っていく。それと同様に胸が今の状態が何年(数か月)続くかわからない。いつか(すぐに、確実に、やってくる)私の胸が重さに耐えられなくなるときが来る。重力に負ける。皮膚は油分を失い、溶けたチーズのように弛んで伸びていく。昨日まで上を向いていたことが信じられないくらいきっと俯いてしまう。補正下着なしでは外に出歩けなくなるのだろう。温泉で何人も見てきた彼女たちと同じ胸になる日が訪れる。そんな日が来たら、私は私を受け入れられるだろうか。男は私を愛してくれるだろうか。衰えていくことがこんなにも怖い。
私は自分の胸に優しく触れながら、どうか1日でも長く上を向いていてほしいと願った。
桜 清水優輝 @shimizu_yuuki7
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