第3話「魔王の魂」

◆第3話 魔王の魂◆


 転移した先は、死臭に満ちた薄暗い世界であった。遥か彼方に太陽が見えるが、その光はほとんど届いていない。神話の通りであれば、あの太陽は私たちが見ているのと同じものだ。太陽や月、星々は神界ゴーダ天界モッツァレラの間から地上界パルミジャーノ地下界ゴルゴンゾーラの間までを回っていると言われる。つまり、パルミジャーノが夜の時、太陽はゴルゴンゾーラにあるのだ。私は自分の目に夜目の魔法をかけ、なんとか歩き回ることができる明るさで見えるようにした。ついでに鼻に封印の魔法をかけて死臭が気にならないようにする。


 ここは、とても静かだ。見渡す限り荒涼とした地面が広がり、生きている者なんてどこにもいないかのように思える。上には真っ黒な影の塊……おそらくはあれが私たちの生きるパルミジャーノの大地だ。ふと鏡を見ると、マスターが興味深げに遠くを見ている。私はその前に顔を出し、どうすればいいのかジェスチャーで尋ねた。するとマスターは、「モスカを探知する魔法を使って探せ」と書いた紙を見せた。私はマスターに渡された陰魔法の魔導書を開き、モスカを探知する魔法を唱える。私の視界に、赤い光が見えるようになった。それを確認したマスターが、「その赤い光がある方向にモスカがいる」と書いた紙を見せたので、私は転移魔法を使って光の示す方角へ飛んだ。


「うわっ!?」


 突然、私はベビーモスカの大群に囲まれた。ぬるりとした艶を放つ赤っぽい体が、辺り一面にびっしりと蠢いている。どうやら、モスカの巣か何かに転移してしまったらしい。ベビーモスカたちは、私の存在を認識すると一斉に群がってきた。


≪待て≫


 何者かの声が響き渡り、モスカたちの動きが止まった。慌てて転移の呪文を唱えようとする私に、謎の声が呼びかける。


≪生きた人間とは珍しいな≫


「えっ……?」


 声の主は、私のすぐ後ろにそびえる山だった。いや、山じゃない……これは、巨大なマザーモスカ……?


≪人間よ、何用があってここに来た≫


「わ、私は……魔王ペコリーノの魂を探してここに来ました!」


≪ほう、ペコリーノか……奴ならもうここにはおらん≫


「それは、どういう……?」


≪奴は、我が喰った≫


「喰った……?ということは、あなたが……」


≪申し遅れた。我はカース・マルツ。モスカの長である≫


 地獄の番人、カース・マルツ……名前しか知らなかったけど、こんなに巨大なマザーモスカだったのか……。私たちが普段目にするマザーモスカとは比較にならないような巨体。一部は地面に根を張っているかのように一体化していて、この場所から動くことはできないように見える。羽根もすっかり朽ちているので、飛ぶこともできなさそうだ。


「えっと……ペコリーノを喰ったということは、今はモッツァレラに……?」


≪いや、奴の魂は神によって堕とされた。故に天に昇ることは決してない。奴がいるのは、この下だ≫


「この下……?」


≪ゴルゴンゾーラのさらに下、我が『深淵界』と呼ぶ場所に、奴の魂は封じられている≫


「ゴルゴンゾーラの下!?そんな場所が……」


≪知らずとも無理はない。我々のほかに知る者はブラ神くらいであろう≫


 フォル・マッジョは、4つの層から成る世界……そう聞いていたのに、さらに下の5層目が存在していたというのか……。


「……今も、いるのですか?」


≪さあ……深淵界のことは我もあずかり知らぬ≫


 鏡を覗き込むと、いつの間にかマスターのほかに隊長が増えていて、慌てた様子で「どういう状況?」と書かれた紙を振り回している。私は「ペコリーノの魂はゴルゴンゾーラのさらに下にある深淵界という場所にあるそうです」と書いた紙を見せ、さらに「これから向かってみます」と書き加えた。「すぐに戻りなさい、もう十分です」と返事がきたが、私は無視してさらなる下層へと向かうことにした。私が本当に魔王の生まれ変わりなのかどうか、自分の目で確かめなければ気が済まないと思ったのだ。


「では、これから深淵界に向かいます」


≪気をつけよ。奴の魂がどういう状態か、我にも想像がつかぬ≫


「はい、ありがとうございます」


 私は再び転移の呪文を唱え、陽魔法でその座標をさらなる下方へと導いた。


◇◇◇


 ──ここは?さっきまでいたゴルゴンゾーラと比べてもさらに暗く、何も見えない。もう一度夜目の魔法をかけてみたけど、やはり暗いままだ。どうやらここには一切の光が届いていないらしい。こんなところに、ペコリーノが……?


≪ついに来たな、私の肉体≫


「なっ……?」


 闇の中から、女の声がした。


≪私はこの時を100年間待っていた……我が半身であるロマーノとサルドをパルミジャーノへと昇らせ、私の力を宿した少女……お前こそが、私の新たな肉体だ≫


 どこから声が聞こえるのか、全く掴めない。近くにも聞こえるし、遠くにも聞こえる。前とも後ろとも、上とも下ともわからず、自分が今どういう体勢なのかさえわからなくなる。


≪さあ、うら若き少女よ、その身を私に捧げておくれ≫


 その声を聞いた途端、私の意識が遠ざかる。手の力が抜けて、持っていた鏡と魔導書がどこかへ落ちてゆく。そうしてすべての感覚が失われ、自分の意志に反して体が動き始めた。

 そうか……ペコリーノは私に力を宿し、こうして迎えに来ることを狙っていたのか……私は体を乗っ取られて、「魔王リコッタ」になってしまうんだ……。こんなことなら、さっさとパルミジャーノに帰っておくべきだった……。

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