第2話「禁術ディ・オ・ピ」

 その夜、私は自室で密かに陰魔法の練習を始めた。今まで使ったことなんてないのに、まるで前から当たり前に使っていたかのようにすんなりと扱える。普通の魔法戦士は、とりあえず出せるようになるまでで数ヶ月かかると言われているのに……。


「もしかして……」


 私は、その陰魔法を維持したままで普段使っている肉体強化魔法をかけてみた。……あれ、使える……?


 ──突然、静まり返った訓練所内にけたたましい鐘の音が響き渡った。モスカが現れた?いや、いつもとは音が違う……これは、何の鐘だ?


「リコッタ、入りますよ!」


 その声の直後、私の部屋のドアが開いた。マスター・マスカルポーネ……この訓練所の所長だ。


「あなた、それは……すぐにこちらに来なさい!」


 私はマスターに手を引かれ、夜の訓練所内を歩かされた。廊下には何事かと飛び出してきた人たちが立っているが、マスターはそれらをいなすように部屋に追い返す。そうして私が連れてこられたのは、訓練所の中央にある聖堂だった。


「リコッタ……あなた、ディ・オ・ピを使いましたね?」


「ディ・オ・ピ……?いえ、私はただ、魔法の練習を……」


「いいえ、あなたが使ったのはディ・オ・ピに間違いありません。陽魔法と陰魔法を、同時に使ったのでしょう?」


「それは……はい……」


 マスター・マスカルポーネはそれを聞くと、頭を手で押さえながら深いため息をついた。


「禁術ディ・オ・ピは……陽魔法と陰魔法を同時に使うことなのです」


「そんな……」


 私たちは、生まれながらにして陽と陰のどちらかの属性を持つ。訓練次第でもう一方の魔法も扱えるようにはなるが、二つを同時に扱うことはできないとされる。魔法とは魂の力であり、一度に一つの魂が使える魔法は一つだけだからだ。


「じゃあ、やっぱり私は魔王の生まれ変わり……」


「……そう思われても仕方ありませんね」


 私は、聖堂の中央に置かれたブラ神の像を見上げて呆然とした。


 この世界は、「層状世界フォル・マッジョ」と呼ばれている。その名の通り4つの層に分かれていて、それぞれで性質が全く異なる。

 私たち人間が暮らしている場所は「地上界パルミジャーノ」と呼ばれ、4層の中では下から2番目に位置する。

 その下、フォル・マッジョの最下層に位置する「地下界ゴルゴンゾーラ」はモスカの国。モスカはパルミジャーノから落ちてくる死者の肉体を食って生きているそうだが、たまに生きた人間を求めて地上に姿を現すらしい。それを倒すのが私たち地上界の魔法戦士パルミジャーノ・レッジャーノの役割だ。

 パルミジャーノの上にある「天界モッツァレラ」は死者の国。肉体を抜け出した魂は天に昇り、ここに辿り着いて永遠の安寧を得るという。

 そして、モッツァレラの遥か上方、フォル・マッジョの最上層にあるのが「神界ゴーダ」。神々が暮らす庭園とされ、この世界を創造した双子の女神、ブラ・テネーロとブラ・ドゥーロが住まうと言われる。

 これらの世界についてはフォル・マッジョ神話の中で語られ、私たちは幼い頃から何度もこの話を聞かされて育った。今いるこの聖堂の壁にも、それぞれの世界を示す絵が描かれている。

 私たち人間は、生きている間はほかの世界を見ることができない。パルミジャーノの海の端は滝のようになっていて、そこから落ちるとゴルゴンゾーラに着くと言われる。でも、実際に落ちた者が帰ってきたことはないため、誰も確かめられていない。モッツァレラも魔法では辿り着けないほど高い場所にあるので、やはり生きた人間が見ることはない。ゴーダに至っては神話の中に記述があるのみで、詳しいことは何もわかっていない。……本来であれば、これらは神話の中の話に過ぎないはずだった。

 しかし、かつてこのパルミジャーノを支配し、ゴーダに到達しようとした者がいた。魔王ペコリーノだ。100年前、彼女は「ディ・オ・ピ」と呼ばれる禁術を使って世界の理を破り、ほかの世界に行くことを可能にしたのだという。私たちが魔王について知るのは「『ディ・オ・ピ』という禁術の使い手だった」「巨乳だった」ということくらいであり、ディ・オ・ピがどのような魔法なのかは一切知らされていない。そのため、「巨乳であること」と「ディ・オ・ピを扱える」ということが結び付けられ、魔王の生まれ変わりの可能性がある巨乳の女性は忌避されているのだ。


「100年前、この世界で猛威を振るった魔王ペコリーノはブラ神の怒りに触れ、ゴルゴンゾーラに堕とされたと伝えられています」


「はい……」


「しかし、その後どうなったのかはわかっていません。ゴルゴンゾーラに棲まうとされるモスカの長、カース・マルツに喰われたと言われていますが、あくまで伝承です」


 マスター・マスカルポーネは、ゆっくりと話を進める。


「ペコリーノの魂がまだ生きていて、何らかの手段でパルミジャーノまで昇ってきたとしたら……人間として、再び生まれるかもしれません」


「でも、私は普通に魔法を使っただけで──」


「あなたも知っての通り、普通は一人の人間が陽と陰の魔法を同時に使うことはできません」


「……じゃあ、ペコリーノは?」


「ペコリーノは、左右の胸に異なる魂を宿していたと言います。右胸に陽の魔法を司るロマーノ、左胸に陰の魔法を司るサルド……『ディ・オ・ピ』とは、古フォル・マッジョ語で『二重』を意味する言葉なのです」


「左右の、胸……」


「そう、魔王ペコリーノは、左右の胸に魂を宿していたから巨乳だったのであり、同じく巨乳のあなたが同じ力を持っているということは、あなたが魔王の生まれ変わりであると捉えるのが自然なのです」


 私は言葉を失った。10歳の頃から突然成長を始めた胸。周囲から魔王だなんだと言われながらも気丈に振る舞い、「関係ない」と跳ね除けてきたというのに、まさかそんなことが……。そういえば、私が魔法を扱えるようになったのも10歳の頃だ。お父さんもお母さんも魔法の才能は平凡で、私みたいな子供が生まれるのは不自然と言える。


「……私はこれから、どうすればいいのでしょう?」


「そうですね……あなたが本当に魔王の生まれ変わりか否か、確かめる必要があるでしょう」


「どうやって?」


「しばらくお待ちなさい」


 そう言って聖堂を出ていったマスターは、二つの鏡を持って戻ってきた。


「この鏡には魔法がかけてあって、片方の鏡に映ったものをもう片方から見ることができます。これを持って、ゴルゴンゾーラへ行きなさい」


「ご、ゴルゴンゾーラへ……?」


「ディ・オ・ピを扱えるあなたなら、ゴルゴンゾーラへ行くことができるはずです。そしてペコリーノの魂がまだあるかどうかを確認してもらいます」


「でも、ゴルゴンゾーラってモスカがうじゃうじゃいる場所なのでは……」


「幸い、あなたは陽魔法の使い手で、補助がなくても戦えます。それに、ディ・オ・ピを使えばモスカに捕らわれることもないでしょう」


「そんな……」


「あなたの疑いを晴らすためです」


 私はしばらくブラ神の像を見つめた後、意を決して鏡を手に取った。


「わかりました。ゴルゴンゾーラに眠る魔王の魂を確認して参ります」


「頼みますよ、リコッタ」


 禁術ディ・オ・ピ……話は聞いていたけど、自分には縁のないものだと思っていた魔法を、今度は自分の意志で使う。陰魔法である転移の呪文を、陽魔法でゴルゴンゾーラへと導く。地の底、生きた人間が辿り着いたことのないモスカの世界……私は、自分の潔白を示すために地獄へと旅立った。

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