終章 風薫る
【 会話はない 】
南洋しろくまドーム。
ドームに到着した時から、人の熱気が凄い事になっていた。
何故かあちこちでは万歳三唱や謎のガッツポーズを繰り返す集団もいた。
松葉杖は祥華のワーゲンに置いてきた。
優深に気を遣わせたくなかった。
だからあまり待たされる事もなくドームに入場出来たのは正直助かった。
スタンドではすでにウェーブが巻き起こっていた。
幼児や杖を持った高齢者まで、立ったり座ったり楽しそうだ。
悲願の日本一。
歴史的瞬間に立ち会える。
どの顔もそのワクワク感を隠そうともしていない。
安堵感。
この光景をそんな風に感じるのは一種の職業病だろうが、そんな気分も悪くはない。
内野A指定席。
いつもの席。
日本シリーズでも、ここのチケットをトシが確保してくれていた。
気まずい思いを抱いたまま、そこに優深と並んで座った。
返事はするがそれで終わり。
会話はない。
祥華と3人の時はまだ明るく話していた。
昼の検査では何の問題もなかった。
今晩の野球観戦以外3日間は自宅療養、外出禁止。
担当医はそれを条件に退院を許可してくれた。
ホワイトベアーズ下村稔成の叔父。
この街ではそれだけで特別な許可が貰えるらしい。
15時頃、祥華が病院まで迎えに来てくれた。
昔、3人でよく行った中華レストランで早い晩飯を食った。
親子3人で過ごす最後の晩餐。
祥華には屈託がなかった。
元々、話題が豊富で場を飽きさせる事のない女だ。
祥華の両親が最近ハマっている趣味の話。
優深の学校の成績の話。
最近優深がチャレンジした料理の話。
あまり詳しくない日本シリーズの話題からトシの活躍、そして第7戦の予測 …
優深も積極的に喋っていた。
相変わらずの冷静さでトシの活躍や第7戦の展望を分析し祥華を驚かせていた。
祥華の再婚相手の話題にも少しだけ触れられた。
特に気にしないよう相槌を打っていたが、優深の口から「志木さん」という言葉が出た時だけは、鳩尾が重苦しくなった。
最後の晩餐が終わり、ドーム前で祥華と別れ優深と二人きりになった。
二人になると急に優深が喋らなくなった。
「何か買って来ればよかったな」
・・・
「ジュースとかお菓子とか ……」
「いいえ」
・・・
元々祥華のように話題の抽斗をいくつも持っていない俺はこうなるとどうにもならない。
もう黙って試合開始を待つしかない。
・・・
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