走る習慣

 

スカイラウンジに入ると、まだ10組以上の客がいた。

夜景でも楽しんでいるのか、皆、窓側のテーブルに座っている。


俺たちも当然のように窓側に通された。


・・・おおっ !


目の前に浮かんだ白い月が ……

巨大なパールのように透き通っていた。


そして ……


眼下の光景に一瞬で目を奪われた。


右手に浮かび上がるドームの仄かな光、左手にはTDCの非現実的なイルミネーション。


車のヘッドライトが鮮やかな川の流れとなって、街から街へ。


パール ……サファイア、エメラルド、ルビー ……あとダイヤモンドか。


宝石なんてこれくらいしか思いつかないが ……何色もの色が交わってキラキラしていた。


宝石を散りばめたような夜景。

陳腐な表現だが、眼下に広がる南洋の街はまさにそんな感じだった。


しろくまドームを中心とした見事な眺望。


大学病院の最上階にまさかの絶景スポットがあった。


呆然と夜景に見惚れる俺をよそに、目の前に座る石神さんは外界にはまったく興味が無さそうだった。

テーブルに置かれたばかりのコーヒーに口をつけて目を細めている。



「しかし、シモの甥っ子には驚かされっ放しだな」


石神さんが目を細めたまま言った。


「トシですか ?」


「ボールの待ち方捉え方 ……本当、あの頃のシモにそっくりだしな」


「あれは、俺も驚いています。トシは俺が野球をしてた事さえ知らないはずなんですから ……偶然って恐ろしいです」


一瞬、石神さんの動きが止まった。


そして呆れたようなため息を突いた。


「変わってないなあ ……シモらしいって言えばいいのかな。彼が知らんわけがなかろうが ……この地域で野球をやってれば、どこかで必ずシモの大学時代の話は耳に入る。そして今どきの子なんて昔の映像くらい簡単に手に入れるさ。映像を見て、叔父さんのバッティングに憧れ、必死に真似たんだ。真似れてしまうところが、まさに才能なんだがな」


「・・・まさか」


「ははっ、一課の凄腕デカも自分の事には、ずいぶんと鈍いんだな」


・・・そうなのか ?


確かに言われてみれば ……そんな気もする。


・・・やっぱり俺は鈍いのか ?


「しかし、あんな地味な選手をよく獲りましたね」


俺は動揺をゴマかすように、目の前のスカウトマンに率直な感想をぶつけた。


「そう大層な話でもない。俺の基準では彼の将来性は申し分なかった」


「基準ですか ?」


「野球に限らずスポーツ選手にとって、日頃の心構えで最も大切な事 ……何かわかるかね ? 俺はいつもまずそこを見るんだが ……」


石神さんが優しい眼差しを向けてきた。


「楽しむ ……事でしょうか ?」


「ははっ、南大野球部出身らしい答えだな。深町さんの影響力かな ?」


「違いました ?」


俺はコーヒーに手を伸ばしながら訊いた。


「違ってはいないが、それは勝負の心構えってヤツじゃないかな。日頃のトレーニングでは誰もがそうそう楽しめるものでもないと思う」


「では、継続する事でしょうか ?」


・・・続けるバカ


俺はヒロの顔を思い浮かべて言った。


「うーん、たぶんそれも正解なんだろうけど、選手が継続するヤツかどうかなんて、部外者にはなかなか見えんしな ……俺は走っているかどうかを調べるようにしている。毎日風呂に入るように ……歯を磨くように ……走る事が生活の一部になっているか ? まずそれを見る」


石神さんがしみじみと言った。


「走る ……ですか ?」


「そう、案外つまらん答えだろ。だが走る習慣があるかないか。基礎体力がどれだけ高いか。俺はまず一番にそこを見る。基礎体力レベルに限れば、これまで俺が見てきた選手の中でも、シモの甥っ子は3本の指に入る」


「素質とか才能より、まず体力ですか ?」


「そうだ、まず体力。だってそうだろう ? 人間は誰だって疲れるんだから。疲れるとパワー、スピード、瞬発力、動体視力、集中力、気力なんかのすべての能力が低下する。だが、走る習慣がある選手は低下速度が鈍い。試合中や大会中、能力がなかなか落ちない。ピッチャーに限らず ……いや野球に限らず、相撲も柔道も卓球もそれが一番重要な能力じゃないかと思う」


確かにトシは幼い頃から、毎日走っていた。


「ちなみに3本の指の一人ってもしかして ?」


「ああ、杉村ヒロだ」


石神さんが寂しそうに笑った。




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