他者視線恐怖症


 だいたい 8歳の少年のバッティングを見て、西崎や葛城を思い浮かべるなんて、確かにどうかしてると思う。

 身内贔屓も甚だしいのかも知れない。


 あの時、としのバッティングを見て、西崎と葛城という決して似てもいない “ 天才バッター二人 ” を突然イメージしたもの不思議な感覚だった。


 恐らく……

 ボールの呼び込み方が似ているのだと思う。


 二人の天才はスイングの軌道もヒッティングポイントもまったく違う。

 だが、目と体軸とヒッティングポイントの位置関係を瞬時に、ベストの体勢に持っていく体の使い方はそっくりだった。

 そしてその感覚を 8歳のとしにも感じた。

 だから “ 才能 ” という言葉になったのだ。

 この時はただ漠然とそう感じていた。


 それからすぐに親父が定年を迎え、悠悠自適の生活に入った。

 50年以上のキャリアを全うした “ 野球バカ ” なら、すぐにとしのバッティングセンスに気づいたのであろう。


 親父はとしを地元で有名なボーイズリーグの強豪チームに入団させた。

 としはすぐにチームの中心選手となった。

 地元のスポーツ万能が集まるボーイズチームで、五年からレギュラーなんてすごい事だった。

 親父も姉貴も、珍しくお袋まで興奮して盛り上がっていた。

 恐らくグラウンドのとしのプレー、ひとつひとつに一喜一憂していたことだろう。


 だがこの頃からとしの様子がおかしくなった。

 そして試合中、バッターボックスで突然、嘔吐した。


 “ 他者視線恐怖症 ”


 としは日常生活もままならなくなる程、視線を恐れるようになっていた。



 この頃、南洋市で殺人事件が起きていた。

 捜査は難航し、事件解決までにひと月ほどかかった。

 俺はとしの異変を気にしつつも、署の道場に寝泊まりする生活を余儀なくされていた。


 としの不安障害発症の原因。

 一緒に生活していなかった俺に、正確な事は語れない。

 但し、以前から気になっていた事はいくつかあった。


 親父が、お袋が、姉貴が …

 としが生まれた時からずっと気負っていたから …

 父親のいない寂しさを感じさせないよう、三人とも必死だったのだ。


 そして、愛情いっぱいに見守られて育ったとしは、いつも周囲を安心させる事に気を配って来た。

 自分に優しくしてくれる人たちの期待を裏切らないよう神経を尖らし、周囲の顔色ばかり見る子になった。

 そして家族も知らない内にいつの間にか、プチ対人恐怖症になっていた。


 そんな状況で強豪チームに入って活躍。

 周囲は喜び、としにかかる重圧はどんどん膨らんでいった。


 親父がプレッシャーをかけたかどうかは分からない。

 ただ、俺の知らない内に家の庭にバッティングマシンがあり、としは毎日マシン相手に打ち込みをして、500回の素振りまでやっていた。

 すべてとしが自ら進んでやっている事だったらしいが、それを誘導するくらい親父ならやるだろう。


 “ 野球を教える親父の圧 ”


 世の中に、俺ほどそれを知っている人間はいないのだから。


 甲子園を目指し、プロを目指し、社会人野球で日本一になった男は、物心もつかない息子に同じ夢を描かせた。

 だが大学野球の頂点まで登りつめた息子は、そこであっさり野球をやめた。

 長年、名門社会人野球の監督を勤め上げ、定年を迎え、すべての目標を失った親父の目の前に、僥倖の如く息子以上の才能が現れた。


 そのシチュエーションを考えただけで、としにかかる圧は想像出来る。

 その上、としは俺と比べようもないほど、繊細な少年なのだ。

 そこまで考えれば、不安障害は家庭環境が招いた必然とも思えてしまう。



 としは、大勢の視線に晒される野球を続ける事が出来なくなり、ボーイズを退団した。

 でも、そんな状態でもこっそりと …家から離れたひと目のつかない暗闇の豊大橋の下で必死に素振りを続けていた。



 ・・・なんとかしてやれないものか ?


 この頃には俺も身動きできない程、会社・・が忙しくなっていた。



 そんな時、ヒロがひょっこりと訪ねて来た。

 

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