伝授

 

 その年のシーズンオフ。


 ヒロは自分の仕事を放り出してまで、西崎の指導に付きっきりだったという。


 そしてそれ・・は、シーズンが開幕した春になっても続き、夏を迎えても終わらなかった。




 “ 軌道なく彷徨い、木の葉のように舞い落ちる魔球 ”


 ヒロは 肩にほとんど負担のかからない “ ナックルボール ” を西崎に伝授する為に心血のすべてを注いた。

 生涯投球数を超えた枯れた天才は、その友情に応えるべく、奇跡のボールを決死の思いで自分のものにしようとしていたのだ。



 五年契約でヤンキースに入っていた西崎は、3年間の空白の後、最終年に見事な復活を遂げた。


 西崎はヒロの魔球を見事に受け継いだ。

 

 翌年、西崎はナックル一本で15勝をあげ、日本人初のハッチ賞(ファイティングスピリットと競争意識を持ち、逆境を跳ね除けてファンに勇気を与えた選手に贈られる)を手にした。



 不調だった今シーズンも、夏場から7連勝。 

 最後に10勝目をあげ、復帰後4年連続の二桁勝利を達成している。


 世界の舞台で世界の強打者を、ヒロから伝授された魔球でキリキリ舞いさせる。


 西崎はヒロが幼い頃から思い描いていた夢を、見事な形で体現しているのだ。




 この間、優深が通う小学校で再会した西崎は、俺にヒロの発病を教えてくれた。


 ALS …


 どれくらいの時間だっただろう。

 本当に目の前が真っ暗になった。

 俺はその場に呆然と立ち尽くした。


 目の前の暗闇が徐々に薄れて来て、目の前に無言で佇む西崎を見て、思わず呟いた。



「あいつを喜ばせる事が出来るお前の事を、心底羨ましく思う」



「・・・俺にはヒロを本当に喜ばせる事なんて出来んさ」


 西崎が投げ出すように言った。


「あのフェンウェイパークで見せたナックルは、間違いなくヒロの魔球ボールそのものだった。あれを見てヒロが喜ばんはずがないさ」


 まったくの本心だった。

 俺ですら涙が止まらなかった、あのレッドソックス戦。

 八回をパーフェクト、そして九回のマウンドにあがる西崎を、敵地フェンウェイパーク、全ての観客がスタンディングオベーションで迎えた。



「ふっ……あれはたまたま幸運が重なっただけだ」


 西崎は一度言葉を切ってから、寂しそうに続けた。


「今のヒロを本当に喜ばせる事が出来るのは ……大沢だけさ」


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