スーパースター

 

 西崎は …



 深町監督によって、南大の仲間たちによって、そして何よりもヒロの影響力によって、そののちに最も大きく羽ばたいたのは、間違いなく西崎透也だ。


 もしヒロと出会っていなければ、ヤツは和倉よりも先に南大を去っていたかも知れない。

 怖いもの知らずの天才は、肩に不安を抱えたまま、自信満々で海を渡っていた事であろう。


 ヒロがいたからこそ、力の弱い者、素質に恵まれない者の地道な努力を目の当たりにする事になった。

 そして嫌でも、自分に甘い己と向き合う事になる。

 

 “ 続けるバカ ” が横にいたからこそ、西崎透也は “ 大人 ” の投手に成長する事が出来たのだ。



 水野がしろくまに 1位指名を受けたドラフト会議。

 そこで五つの球団が西崎透也を1位で指名した。

 あの年、西崎は圧倒的な人気ぶりだった。

 そんな中、マトリックスの柏木オーナーが当たりくじを引いた。

 

 “ やはり持ってる ”


 柏木オーナーと西崎透也、二人の強運を思わずにはおられなかった。


 しかし、福岡で西崎を待ち受けていたのは超ハイレベルなマトリックス投手陣。

 それこそ一年目の西崎には、ほとんど登板機会さえ与えられなかった。

 プロ一年目の西崎は徹底的にコントロールを磨いた。

 この姿勢こそが 四年間 “ 続けるバカ ” を見続けて来た者の強みだった。

 

 164キロのストレート、155キロのスプリット、150キロのスライダー ……そこにヒロ直伝の制球力が装備されたのだ。


 西崎は2年目には17勝し、沢村賞やMVPを獲得、タイトルを独占しマトリックスのエースどころか一気に球界のエースと呼ばれる存在になる。


 その後、チームを何度も日本シリーズ制覇に導き、福岡グレートマトリックスを球界の盟主の座に押し上げたのだった。


 西崎は8年間で131勝の実績を残した。


 そして30歳の時、遂に念願のメジャーリーグ入りを果たした。


 “ 憧れのピンストライプ ”


 “ ニューヨークヤンキース”


 ヤツの勢いは野球の本場でも止まらなかった。


 ヤンキース 1年目に、いきなり21勝を上げ、チームをワールドチャンピオンに導き、ワールドシリーズのMVPにも輝いた。


 ・・・が ……


 ここで肩が悲鳴をあげた。


 年間試合数が多く、移動距離も長く、その上、登板間隔の短いメジャー・リーグスケジュール。

 そしてワールドチャンピオンまでの長い道のり。

 西崎はメジャー1年目で肩の消費期限を一気に終わらせてしまったのだ。


 メジャー2年目からの西崎は慢性的な肩痛と、繰り返す亜脱臼に苦しめられることになる。


 2年目は1勝も出来なかった。


 3年目は一度もメジャーに上がる事なく、復帰を掛けたAAAの試合中、再度肩を亜脱臼してしまう。


 西崎の野球人生がペンシルベニア州の片田舎でひっそりと終わろうとしていた。


 引退を余儀なくされた西崎を、再び甦らせたのが ……



 ヒロだった。



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